Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

思い出すこと

2006-09-26 08:53:59 | インポート
今朝のTVのニュースで某俳優がおととい亡くなったって報道していた
彼の名前を聞くたびに思い出す人がいる。私が中学の頃の親友Iちゃんだ。
犬好きのIちゃんは近所に住む伯父さんが飼っていたたちの面倒をよく看ていた。
広い敷地にはセントバーナードやハスキー、秋田犬とかが常に飼われていたらしいけれど、伯父さんの家の誰が可愛がると言う事もなかったようで彼女が訪ねて行くとたちは大喜びしてたみたい。

友人Iちゃんとは、中学時代試験勉強もそっちのけで遊びまわり、家も近所だったのでよく会って好きな男の子の話をしたりしていた。高校は私は音楽、彼女は女子高と別々になってしまったものの交換日記をつけて、毎朝彼女が乗って行くの停留所で交換をして以前と変わらない友情を続けていた・・・つもりだったのは私だけで、彼女は私の楽しい高校生活が綴られる日記を読むのが辛かったらしい。と、言うのも彼女は自分の希望の高校へ行ったわけではなかったので、毎日が楽しくなかったんだろうね。
交換日記をやめたいと言ってきた時には、そんな彼女の気持ちに気づいてあげられなかった自分が申し訳なかったなと反省をしたもんだった

しばらく音信不通が続いたけれど成人してからまた交流が始まって、彼女が旦那さんと転勤で住んでいた京都の家に遊びに行ったりもするようになった。
結婚後、旦那さんが職業病で腰を痛めたり、体を患ったりして退職してから東京へ戻って来たけれど、生活は結構厳しかったようだった。でも、頑張って息子を育てていたなぁ。
当時私は、リクルート関係の会社に勤務していたので仕事を紹介してあげたかったけど、子供が小さいからフルタイムは無理だって・・。
でも、へこたれることなくほそぼそとパートとかしながら旦那さんをサポートして偉かったよね

なのに・・今は彼女がどこにいるのかもわからない。
彼女は、私に「生活苦で必ず返すからを工面して欲しい」と言い、その時助けてあげられるだけの金額(彼女が希望した金額の半分)を渡してあげた。
その後、しばらく手紙のやりとりが続いたけれどいつしかそれも途絶え、数年前にバッタリ会った時には
「ごめんね。なかなか返せなくて。でも、いつも思ってる。」と、私の電話番号を聞いていったが一度も連絡はなくそれっきり会っていない。
子供は四国に旦那さんといるらしいが理由あって会っていないと言っていた。自分は実母が入院したので東京に戻っていると言ってたけれど、今となってはどこまで本当だったんだろうって思う

貸したの事より中学時代にあれだけ仲良かったIちゃんがどうしているのか気になって何とか連絡を取りたいと思っていたけれど、ある時からもう、よくなってきたんだ。
また彼女と会うことがあって、例えを返してもらったとしても、もう二度と友達には戻れないだろうって思うから
あの、高校時代から私と彼女は別々の生き方をしてたんだよなって。
今、彼女は私から逃げているんだし。
他の中学時代の友人にもの工面を頼んでいたらしい。

彼のお葬式に行けば彼女に会えるだろうか・・。
彼が亡くなってこれからは彼の名前もそんなに耳にしたり目にしたりする事もなくなるだろうから、彼の死と共に私のIちゃんへの思い出もこれでおしまいにしよう

Iちゃんがこれを読むとは思わないけれど、子供もいるんだし、世間に背を向けて生きるような生き方はやめようね。人の事、うらやんだりしても駄目だよ。
昔の頑張りやで優しい自分を思い出して

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昨日気づいたこと

2006-09-09 13:16:35 | インポート
昨日は、私が勤めていた会社の上司がついに退職をすると言うので有志だけの『お別れ会』に参加してきた。現地に赴く前に同じ会に参加する友人の一人と軽くお茶を飲んでおしゃべりをするのでちょっと早めに家を出なくちゃいけない。うちから東京駅まではで1時間くらいかかるんで、4時過ぎにはここを出られるように準備、準備。
思えば会社をやめてからはもスーツも・・・からも遠ざかってるよねぇ。
会社とは違っていい意味で、犬友と会う時は内面的にも外面的にも自分を着飾る必要性がないと感じているせいか、日焼け止めクリームとリップクリームに、ジーンズ。天気によってはジャージにウィンドブレーカー。しかも、黒だの茶色だのグレーだの、全然のないやつばっかり。
Runで会う犬友とよく
「外出をするんだ」
と言うと
「町で会ってもわからない格好で行くんでしょ?」
と本気だか冗談だかわからない会話をしてる。でも、きっとそうかも。
だって、昨日も久しぶりに東京駅なんかへ出て行くんで、ファンデーション塗ってつけて、髪もおろしてイヤリングして、肩はストラップの黒いワンピースに上着をはおり、金色ベースに青いバイアスがあってキラキラがついたなんかはいてったもんね。
会った友人たちには上着を脱いだ瞬間
「相変わらず派手ぇ~なんて言われたけど・・・。
そうかなぁ 私って派手だったっけ?今の犬友たちはきっとそう言う風には私を見てないよ、絶対

話は全然違うんだけど、同じく昨日午前中にで出かけたとき、赤信号で止まった途端に後ろで「ピッピッピ!!!」とするどい笛の音が・・・。
自分は何も悪い事をしていないんだけど、人間の心理ってそんなもんなんだよね。何だかドキッとして後ろを振り向いたらにのったおまわりさんがいてどうも彼が吹いたらしい。
だけど、何の為に、誰に警笛ならしたのかわからなかったんだけど、ラッキー!私じゃなかったらしいのでが青になって行こうとしたら
「ピッピッピ!!」ってもう一度ならして、右折をした車をに乗りながら道路の脇に誘導してた。数ヶ月前から白バイが結構取締りを強化しているようには感じていたけれどに乗ったおまわりさんが歩道から笛を吹いて道路を走っている車を止めるなんて今まで見たことなかったからちょっと意外だったな
数日前に、に乗って同じように待ちしていたら向かい側におまわりさんがいたんだけど反対側が黄色になってこっち側がまだ赤で横切ったら
「まだ赤だからね!」
ってにっこり笑ったおまわりさんに注意されちゃった。
なんて無謀なって思う?
うん、そう思ったんだけど、以前はおまわりさんたちが、そう言う事してる人に注意してるの見たことなかったし、私も言われなかったし。
これって、たまたま居合わせたおまわりさんによるのか、それとも警察の中で何かが変わってきているのか・・。

<今日のうちのワンコ>
"サトリ!女の子でしょ?”
"テヘ?私なにしてた?”

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八重垣緑先生お別れ会

2006-09-05 19:14:23 | インポート
八重垣先生と言っても知っている人はそんなにいないと思う。
先生は、劇団若草の代表であり、指導者でもありまた、児童詩人、金子みすヾの姪でもあった。
劇団若草は2009年には創立60周年を迎える事になっていてそれをとても楽しみにしていたらしい。(当然) 数年前に心臓の手術をされたそうだけど、結局死因は『肥大型心筋症』。8月2日午後10時。享年75歳。
今の75歳なんて言ったらまだまだこれから十分に人生を楽しめる年齢だと思うのに、
「先生!ちょっと急ぎすぎですよぉ

お別れ会は中野サンプラザの13階にあるコスモルームであった。司会進行は若草出身の二木てるみさん。「お別れのことば」では、石井ふくこさん、音無美紀子さん、斉藤こずえさんが先生との思い出を涙ながらに語っていた。コスモルームには大勢の人がいて溢れんばかり・・。二木さんが司会の途中で
「1000人以上もの方がここにいらして下さったようです。」と報告してくれていた。
私は、八重垣先生とはもう10年以上お目にかかってはいなかった。
でも、うちの『白猫 ニャオ』が若草に世話になっていた数年間、優しく、また厳しく劇団生を指導していた姿が今でもしっかり目にやきついている。だから、「お別れ会」には是非行きたかったのだ。きっとそんな思いで駆けつけた人は多かったに違いないと思っている。

若草で演劇を学ぶ子供たちは皆礼儀正しいし、芸が上手な人が多い。と、私は思う。
桃井かおり、坂上忍、杉田かおる、岩崎ひろみ、そして、(私が密かなファンでもある)山本耕史、エトセトラ、エトセトラ。
先生亡き後も、劇団若草が無事に創立60周年を迎えられるであろう事を心から祈ると共に、生徒たちが退団した後も、巣立っていった生徒たちを見守っていた先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。




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