Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

初体験満載

2018-07-08 15:36:23 | 病院・病気
いやぁ、今回ばかりは参りました。
オレゴンに住んで6年目。日本で経験しなかったこと色々させて頂いてます

7月4日は独立記念日
地元界隈でも色々な行事もあるので、顔を出したいと思っていたのだけど、6月末あたりに突然、左の肋骨あたりに痛みを覚え、珍しく鎮痛剤を飲まないではいられなくなりました。
アメリカでは、病院へいくのも日本のように簡単ではなく、いつものように【行かないで済むなら行きたくない病】が出たのですが一応、いつも行くクリニックに電話をしたら案の定、空き時間がない限り、予約なしでは診てもらえず、「冷やすか温めるかして様子を見ては?」と言うアドバイスに従い、湿布を買って貼っておきました。
ところが、その夜に左半身に何とも言えない違和感を覚え、湿布を取ったら、赤い点々が出ていて、かぶれたのかと思っていたら、翌日にはそれが広がって水ぶくれ状態。
生憎週末で病院は休診。かと言って、救急病院へ行くのもはばかれ薬を塗って様子をみていたけれど、週末明けに
「独立記念日もあるし、今日の内に病院へ行った方がいいよ。」と言う、私の『守護霊?』の声に従い、再度地元のクリニックへ行ったら独立記念日前日だったせいか予約なしでもOKでした。

診察の結果は、
なんと!

帯状疱疹

私の会社の同僚で、ストレスが溜まるとヘルペスが出たり、帯状疱疹が出たと言っている人がいたけれどまさか自分がそうなるとは・・。

この1,2年はサトレラパパと両親との問題、パパゴードンの病気、パパゴードンの妹たちとママスーザンとの確執だの色々とあって、HSPの私はやっぱりストレスを感じないではいられなかったのだろう。
だから、免疫力が低下してた、と言うのプラス、年齢的にもそう言う時期だったんだと自己判断をしてます。
自分が帯状疱疹を患って知ったのは、子供の頃に水疱瘡になった人は、帯状疱疹が発症する可能性は大だそうですね。
アメリカ人の80歳代の方たちの50%は帯状疱疹を患っているとか
水疱瘡のウィルスは長い間、身体に潜んでいてストレスとかによって活動を始めるそうです。
しかも、水疱瘡の時とは別のものになって・・。
だから、一度帯状疱疹になると、免疫が出来るので再発する事はまれらしいのですが、私は何を隠そう、おたふく風邪に2回かかったくらいで、再発がないとは言い切れないと内心思ってます

帯状疱疹ってかなりきついですよ。はっきり言って80歳代になってから発症したくないものです。
痛いし、醜いし・・・。
サトレラパパは何と17歳の時に帯状疱疹になったそうです。
これはとてもまれな事ですが、それだけ彼の若い頃はストレスを抱えていたということです。
(彼が出版した”The Unboundsoul”(英語版)を読むとそのストレスを知ることが出来ると思います)
その時、知り合いの日系の鍼灸師に鍼を打ってもらって治ったと言う話から、サトレラパパのメイディテイションクラスの生徒さんでもある鍼灸師のクリスに鍼を打ってもらいました。
正直な話、これまで鍼なんて、打ったことも打とうと思ったこともなかったのですが、サトレラパパもその生徒さんも私が信頼している人たちなのでこれもまた人生初体験してみました!
勿論そんなドラマチックな結果はなかったけれど、身体があったまった感じが患部の痛みを軽減させてくれた気がします。

帯状疱疹経験ある方はお分かりかと思うのですが、水ぶくれは現在乾き始め、明らかに回復して来ていますが、お医者さんが言った通り、治りはじめの痛さはまた格別です
寝る前に、少量の痛み止めを服用するので、朝起きてしばらくは楽です。
だから、その間に、朝のルティーンワーク、ターニャとのボール投げ遊び、ニワトリの世話、植物の水やりを済ますようにしています。
完治には6週間くらいかかるようですが、痛みだけは早く消えて欲しい

鶏小屋が汚れてるから掃除もしたい、庭の草がボウボウになってるからそれも刈りたい!と、こう言うストレスがいけないとはわかっちゃいるけど・・・
の心境です。ま、心穏やかに、でも気力で早く治すぞ!


ソファに横になってると必ずそばに来てくれるキャス




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供がかかるの?マイコ(舞妓)プラズマ?百日咳?

2010-12-18 22:31:46 | 病院・病気
普段は、元気印の私だけど、約5年に1度、私はひどい風邪をひく事がある。
会社をやめてからは都会に出る事もなく、ストレスもなく、穏やかな毎日を過ごしているんですけどね。
ちょっとの風邪くらいなら寝ていればすぐに治っちゃってたし

K9ゲームが終わってから、保留にしていた約束事が目白押しで、のどが痛くなったのに気付いても、休む暇もなく、結構出歩いてました  とりあえずは何とか民間療法で治そうと思って頑張ったんだけど、今月に入ってついに耳鼻科へ・・・。

お医者さんの薬はさすがに売薬とは違うと思いながら、一応人に会う時も、パートへ行く時もマスクはかかさずしていきました。
そころが、12日の夜、と乾いたような咳と共に吐き気が・・・。
サトパパに『操体法』をしてもらったら、頭痛はとれたのだけど、咳と吐き気は収まらず、翌日には内科・・・呼吸器科もありました・・・へ行きました。

診断は
「咳が長いので百日咳か・・・もしかするとマイコプラズマかも・・・。検査しましょう」

百日咳は聞き知ってたけど、マイコ・・ってあまり耳慣れない。

今年の春に、スコティッシュダンスで一緒の舞妓好きな友人の案内で、仲良し4人で『舞妓ツアー』 なんかしたりしたもんだから、年の最後も舞妓で終わるのか・・・。
なんて、くだらないジョークが頭をよぎったり・・・


パート先のボスには

「百日咳とかマイコプラズマって子供がかかるんじゃないの?」

と笑われ、サトパパには

「Whooping coughってまだ存在してたの?つい数日前に同僚と冗談で『Whooping cough』で学校休もうかって冗談言ってたとこだよ。だって、もう存在してないと思ってたから

と、珍しがられ、

ダンスの仲間の間では

「『舞妓プラズマ』なので来年のダンスのデモはとりあえず補欠でお願いします」

なぁんて、が回ってきたり・・・・あ~んまり同情をされてなかったようですが、結果が出る前に、とりあえずもらった抗生物質の薬・・・・一日1回2錠を3日間飲むと1週間の効き目がある・・・と言うしろもの。なかなか手ごわい相手でした。
だって、飲むたびに気分が悪くなって横にならずにいられませんでした。食欲もまったくなし。
寝たきりです。

具合が悪い時の夢って、よく覚えてるんですよね。
しかも、決して楽しい夢じゃない(当たり前と言えば当たり前?)

ダンスの仲間、犬の仲間、K9の仲間・・・色んな仲間が夢に出て来たんです。
でも、み~んな、すっごく冷たくて、私はすっごく淋しかったです。
もちろん、実物のみんなはそんな人たちじゃなくって、思いやりがあって、とっても優しい人たちばかりなんですけど・・。
極めつけは、昨日見た夢・・・。
レイラが知らない女にマズルをはめられて、連れて行かれそうになる夢!!
もちろん、けんかしてでも、取りかえしました。
でも、取りかえして、マズルを取ってあげたら、知らない男の子になってました
全く、意味不明ですよね、病気の時に見る夢って

あ、話がそれました。
今日、検査結果聞きに行きました。
結果は、
抗体基準値をちょっとはずれた程度の?「百日咳」

マスクをしていれば、CAPP活動もOKだと言われるくらいですから、伝染力はそんなないんでしょうね。
でも、抗生物質、月曜日から1週間飲まなくちゃいけないんです。
今回は少しゆるめのにしてもらいました。胃腸薬も一緒にもらいました。
吐き気だけは、勘弁してほしいです

実はサトパパも違う件で体調を崩し、一緒にでおとなしくしています。

一番元気なのは凸凹たち。
具合悪い時は、10分程度の散歩しかしてあげられず、エネルギーが有り余っているはずなのに、両方ともいい子にしてくれてました。レイラはずっと私のふとんの上で見守ってくれてました。

と、言えば聞こえはいいけれど、ふとんの上が気持ちいいからと理由だけだと思いますが・・・

とにもかくにも、パパ、ママ2人がダウンで、つまらない思いさせたね、サトリ&レイラ!!
我慢してくれてありがとう。楽しいを過ごそうね
皆さんも






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西洋医学とホリスティック医学

2009-05-02 22:05:35 | 病院・病気
最後のアップがいつだったかチェックしたら
な、なんと! 1ヶ月以上前でした
4月は何をしていたかって・・・・桜を求めてお花見三昧。
そうこうしているうちにが咲き、が舞い・・・。
そうしたら、ある日、うちのチビ助・・・・レイラですが・・・が、散歩へ行こうとしたら、突然に
しかも、黄色っぽい絵具をこぼしたような・・(食事をした方ばかりの方ごめんなさい
その3日前に、混合ワクチンを打ったのでそのせいかと思いましたが、お医者さんは

「打ってから日もたってるからワクチンのせいじゃないと思いますけど・・・」

って言ってたんだけど、私としては他に何も心当たりがなかったのでサトパパと私は今でもワクチンのせいだと思ってます。
去年までは5種を打ってましたが、サトリと同様、山へ行ったり、最近は川にも足をつけるようになったレイラなので、万が一の場合を考えてレプトスピラが入っている9種にしました。
最初はちょっと不安もあったんですが、小型犬でも打っている子は結構います、と言うのを聞いてトライしてみました。
副作用が出る場合は1日以内に症状に出るのが普通らしいけれど、個体によってはそうでない場合もあるんじゃないかと思うので、レイラはその「そうでない」部類だったのではないかと思ってます。
最初の薬で下痢が止まらず赤いものまで混じっていたので、2日目には注射を2本して、ステロイドと抗生物質の錠剤をくれたのですが、翌日のは、形になってたし、赤いものも混じってなかったので独断で最初にもらった(弱めの)薬だけにしました。
こんなお腹の状態にも関わらず、元気でを食べたがってたレイラですが、心を鬼にして絶食をさせ、カモミールティーを飲ませたせいか、その後の回復は順調でした。
ステロイドや抗生物質のせいで、元気までもなってしまうかもしれないと言う心配もあったし{ぱんだ

もらった薬をあげない・・・・。いつもそうしている訳ではないけれど、今回はあげない事にしました。
こんな事、獣医さんが聞いたら決して好ましい事とは思わないでしょうけれど、私も全くの知識がなくて勝手に決めている訳ではないんです。
本来は、ホリスティック医療が理想なのですが、今の獣医さんは西洋医学です。
だから、私自身、セミナーに参加したり、本を読んだりしてホリスティックの知識を学ぼうとしています。
サトパパのホリスティック意見も参考にしているし、何より自分のを一番知っているのは、やっぱり飼い主である私だと思うんです。相手が人間の子供でもでも、毎日接していると事がいい方向へ導いてくれる気がします。

自分のたちの身に起きた事について、判断を迫られる事ってこれからもあるんじゃないかと思います。
そんな時の為にも、飼い主もしっかり、貪欲に、かつ広く浅く、色々な知識を深めておいた方がいい気がします。
でも、決して自信過剰にならないで、心はいつもオープンに!人の話を聞く・・・・自分にそう言い聞かせながら更に勉強を続けて行こうと思います。(mama記)


”元気になったよ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある老夫婦の話

2008-12-02 22:00:00 | 病院・病気
は当時の某大手商社の韓国支店長を最後に定年退職をし、その後は趣味の俳句三昧。
会社人間だった夫は家の事も子供の事もすべて妻にまかせきりで、子供たちにとっては父親の存在はあってないようなもの。
特に長女は口癖のように

「私たちを育ててくれたのは母。父は生活費を持ってくる人」

と友人に言っていた。
もただ黙って夫に従い、子供を育てるだけの女性ではなかった。明治生まれで長州人の厳格な父親(参考写真:山口県 錦帯橋)と北海道に広大な牧場(参考写真:北海道 美瑛)を持つ裕福な家庭に生まれ、40歳までご飯を炊いたこともないと言う母親の間に、2人の兄を持つ末っ子の一人娘として生まれた。
しかし2人いる兄のうち、一人は肺結核、一人は上海で戦死。
結局、将来両親と肺結核の兄の面倒を看るのはまだ若きその妻の肩にかかっていたわけだ。
色々な仕事をしながら生計を立てている中、勤めた商社の同じ部にいた男性と知り合い結婚をした。妻の両親と病弱な妻の兄も引き受けると言う寛大な心を持った当時エリート街道をまっしぐらだった夫と・・。

それから50数年間、2人は越え、谷越えながらも3人の孫に恵まれて平凡な毎日を幸せに暮らしてきた。
しかし、夫が退職をしてから数年後、健康診断で夫が『骨髄異形成症候群』と言う難病にかかったことがわかった。この病気は、血液細胞等々に問題がある病気で、赤血球が造れないためたびたび輸血をしなくてはいけないと言う厄介なものである。
妻は、夫の食事や日常生活をさりげなく管理しながら10年余りやってきた。
けれど、当然ながら人は年を取る。ましてや、そんな厄介な病気を持っている者はある日突然に体調を崩す事があるのだ。
何回目かの輸血をするので夫は入院をしたのだが、そこでかなり病状が悪化している事が判明。
食べ物は一切口に出来ず、歩く事も出来ず、目は閉じたままと言う状態から一時は、もう駄目かと思われたものの、奇跡的に症状が少しいい方向へ向き、点滴と共に多少の食事も口にするようになった。
意識ははっきりとしていて、見舞いに来た人とちゃんと筋の通った会話もするし、新しく点滴を替える時、注射するときは、どんな点滴なのか、注射なのかを尋ねるくらいである。
面会にくる親戚もちゃんと会話が出来るので来た甲斐もあろうかと言うものである。

しかし、やせてしまった血管に点滴の針をさせるのももうこれで最後だと言う日が来た朝、入院先の医者から
「この点滴が終わったら数日家に戻りますか?」
と連絡を受けた妻は、その意味がどう言うものか聞くまでもなかった。
医者は
「意識がとてもしっかりとしているので、ごまかしてやるような処置は行えない。」
と妻に告げた。
家に戻って今病院でやっている事をすべて妻がやる覚悟があるのか、痛みが襲った時に対処していけるのか、その時はまた病院へ戻るのか・・・。それを決めるのは妻である。
妻は決心した。
身体は動かなくとも頭ははっきりとしている夫。
50年以上も共に生きてきた夫。
今病床にある夫。
でも、妻はそうせずにはいられなかった。
医者から聞いたすべてを夫に話したのだ。

「この点滴が終わったら、もう点滴、出来なくなるそうよ。
そうしたら、ちゃんと食事をしなくちゃいけないのだけれど、今のままでは・・・・。
どうなっていくか、わかりますよね。先生が、数日家に帰ってみるかとおっしゃっているけれど、あなたはどう思われますか?家へ戻りますか?」


夫はじっとそれを聞いて

「ここにいる」

と言った。
2ヶ月間、ほとんど寝たきりの夫の世話を家でしてきた妻が尋ねた

「それは私の事を思ってですか?」
鼻から酸素を摂っている夫は静かに頷いた。

「家に帰ればいつでも私に会えるけど、ここ(病院)にいて何かあったらすぐにこれるわけではないのよ。」
夫はそれでも、
「家へ帰ったりまた病院へ戻ったりは(身体が)辛い」
と気持ちを変える事はなかった。
妻は家に戻り、今夫がいる病院を紹介したかかりつけの医者に報告かたがたその話をした。

「(病床にいる夫に)こんな事を話した私はひどい妻でしょうか。私のした事は間違いではなかったのではないでしょうか。」

生前何かがあったらこうしようと、夫と話していたとはいいながら妻の心には何かがひっかかっていたのかもしれない。
夫との話し合い、かかりつけの医者への感謝の気持ち、そんな妻の話を聞いていた医者は沈黙の後、ゆっくりと、そして静かに
「奥さん・・・。私は感動しました。そんなご夫婦が本当にいるんですね。」
と妻を見て言った。
「結局は何も力になれなかった無力な自分を申し訳なく思っていた所にそんなお話をうかがわせて頂いて、本当に感動で一杯です。」

妻は家に戻ると、長女に連絡をした。長女は父親の本心が家に戻りたいのならそのようにしてあげたらいい、自分がその間、実家に泊まって手伝うからと言ったが、妻は
「もう決めたから・・・。」
と穏やかに、そしてきっぱりといいきった。
そして、

「『こんな人なら死んじゃえばいいのに!!』って思ったことだってあったわよ。でもそれはその場だけの事だし・・・。」
「紅茶を飲ませるとおいしい、おいしいって言うのよ。」
と、電話の向こうの声は苦笑いをしているようだった。
mama記)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おめでとう

2006-06-22 20:42:00 | 病院・病気
20日はレイラの誕生日
この日までに何とかちゃんと歩けるようにしたいと思いつつ、の日も、バックパック式のキャリーを背負い、雨合羽に身をまとい2時間弱かけて週に2回(平均すると1.5日かな?)『綱吉の湯』があるテレコムセンターまで通い続け・・・・。 つ、ついに目標の20日に悲願を達成
リハビリの渡邊先生は、歩けるようになったレイラを見て
「あ、随分歩けるじゃない?」
と言ってくれたから、思い切って
「今日で1歳でもあり、普段もほとんど4本足で歩けるようになったので今日で終了にしたいと思うのですが・・・。」
と、切り出したら
「そうね。おめでとう。」
って。最後の水泳もノーライフジャケットで右足スポンジ付で15分。
レイラがひたすら泳ぎまくっている間、先生と話をしたのだけど、レッグペルセス病は経験が豊富な獣医さんでないとなかなか診断を下すのが難しいって広島のある飼い主さんが自分の子犬がびっこを引くようになったので獣医へ連れて行ったものの原因がわからず、違う所へも行ったけどやはり原因がわからなかったって。飼い主さんは自分でも色々調べて、『レッグペルセス病』じゃないかと獣医さんに話したものの、違うだろうと言われ、話の成り行きで名古屋の渡邊先生の所へ行ったそうな。先生は、獣医ではないけれど、ペルセスではないかと思い、水泳をやるよりまず手術をしてもらった方がいいのじゃないかと判断し、名古屋で獣医を紹介してあげたところ、やはり結果は『レッグペルセス』だったって。
レイラの場合も、たまたま避妊手術の後でもあったと言う事もあったけど、かかりつけの先生があまりにびっこを引く期間が長すぎると言う事と、痛み具合が段々ひどくなっているようだと言う私の言葉を素直に聞き入れてくれて大学病院に予約を入れてもらい、早い時期に予約が取れた東京農工大の家畜病院へ行く事が出来たのね小向先生ありがとうございました。
家畜では、整形外科の望月先生の診断と判断ですぐに手術をして頂き、更には「(リハビリで)人間が楽で犬にとってはきついけど、一番筋肉をつけるのに効果がある」とアドバイスまでして頂き、感謝感謝です
おかげさまで、こんなにいい笑顔が出来るようになりました。レイラも頑張ったけど、mamaも頑張ったぞい!の日はマジで
がほじ~ぃぃ~」
「キャンセルしちゃおっか」とかも思ったけど、女の意地、母の意地が勝ちました
「縁あってうちに来たんじゃけ、mamaが、誕生日には4本足で歩かせたるでぇ」の心意気でした。
でも、いざリハビリ卒業となると、「ホッ!」として、気が抜けたような感じがしないでもないけど
レイラ、Wのだね (mama記)

<6月初めのうちの凸凹+1>何してる?って。桑の実拾いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする