S嬢のPC日記

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「僕の歩く道」に見るきょうだい児の心理

2006年12月13日 | 「障害」に関わること
 昨日の「僕の歩く道」第10回放送。
障害をもつ子のきょうだい児の心理にどば~んとスポットをあててましたね。
特に妹が、自分の生育歴の中で、母親が障害をもつ子どもに集中し、自分が甘えられなかったという話を医師にするところ。「あなたの話を聞きましょうか」と言われるまで、自分主体の話ができない、できなくなっている事実。話しながら、本当は母親に甘えたかったのだと声をあげて泣くシーン。
その後に母親の肩をもみながら、母親に手を握られることで後ろから母親に抱きつくシーン。
このひとつひとつのシーンを見ながら、障害をもつ子のきょうだい児って立場の息子と一緒に見ながら、泣けてねえ。もう泣けて泣けてたまらんかったですよ、わたしは。

 うちの息子は、障害をもつ子のきょうだい児としては、サインをよく出す子だった。そういう意味ではわかりやすく、問題の先送りということをしにくい子だったと思う。
 サインは多かった、応えてきたつもりだった、でもでもでも。それでもあなたにはわたしに言えてないことがあるだろう。黙って我慢したこともあるんだろう。そしてその問題はこれからまた複雑化していくのか、していくのかもしれない。僕の声が聞こえる? わたしが気づいていない彼の心ってのは、まだまだあるんだろうと思う。

 昨夜の「僕の歩く道」、特に、母親にそっと後ろから抱きつく妹のシーン。
このドラマがよくできていると思うのは、たとえばこの「後ろから抱きつく」というところ。前から正面から素直に抱きつけなかったということを象徴させたかったのかなと思う。

 きょうだい児の心理をクローズアップしたシーンを見ながら、黙ったままたらたらと涙をこぼすわたし。そのわたしの長い髪の端にすっと手をやり、指で髪の毛の先を静かにくるくると弄ぶ息子。
ああそうかそうだったのかもしれないと思う。髪の毛を切らないでと、そんな風に息子に言われるままにのばし続け、ずいぶん長くなった髪の毛。そういえば彼は自分の気持ちをうまく言えないときに、こうやって髪の端をそっと指にからめていたっけ。これはそっと後ろから抱きつくってことと似てる動作なのかもしれないと、ふと思った。

 正面から抱いてやらなかったのか。そうじゃない。このドラマの母親だってそうじゃないと思う。
ただ、そうして欲しいタイミングが見えなかった。そういうことなんだと思う。
そういうタイミングってのが、障害をもつ子のきょうだい児にはある。わかっていながら見過ごしてしまうときがある。そういうことなんじゃないかと思う。

*関連リンク:福祉ネットワーク - 難病児のきょうだい(2)お兄さんの心の傷
 「お前はママではなくて、ママロボットだ」