もうすぐ母の誕生日だ。今年で71歳になる。
毎年、バースデーカードを送っているので、今年も買いにいった。
メッセージを書くのは娘の仕事だ。おそらく、母はカードを捨てていないだろう。可愛い孫のぎこちない文字に喜び、大事に大事に取ってあるはずだ。しかし、私はどんなカードを買ったかおぼえていない。もしかして、何年か前と同じカードを選んでしまうかもしれない。
では、見覚えのないカードを選ぼう。


今年はポップな印象の、飛び出すカードにした。メッセージ欄が小さいと、「楽でいいや」と娘は歓迎だし、にぎやかで楽しそうな雰囲気だ。
だが、クッキーやケーキのイラストを見て、はたと手が止まる。
そうだ、今年は食べ物も送ろうと思っていたんだ!
両親は、長年さいたま市に住んでいたが、定年退職を機に、那須塩原市に引っ越した。広い土地を買い、畑を耕して暮らすことを選んだのだ。観光地から南下すると、民家もまばらな林が広がっている。ここを開拓して、家を建てたという。コンビニはないし、スーパーは車で20分走れば、ようやく一軒見つかるくらい不便なところである。郵便配達は来るが、ゴミ収集車は来てくれない。
「寿司屋もケーキ屋もなくてねぇ。もの足りないよ」
新潟出身の父は、米さえ美味しければ食事に文句はつけない。だが、女友達とお茶やランチを楽しんでいた母には、少々荷が重いようで、何度か愚痴を聞いたことがある。たまに上京したときの、食い意地といったらない。
「あーあ、もう腹いっぱいだ。これ以上食えない」
昨年4月に法事があり、親族が集まって会食をした。父はすっかり食が細くなり、ホカホカの茶わん蒸しを前に弱音を吐いた。すると、横にいた母が、ひょいと右手を伸ばし、茶わん蒸しを奪いとった。
「じゃあ、アタシが食べちゃうよ!」
母もかなりの量を平らげたはずだが……。唖然とする私を無視して、彼女は悠々と、2個目の茶わん蒸しを胃袋に収めた。
あっぱれ。
9月には、甥と姪の誕生会があり、さいたま市のお蕎麦屋さんでコース料理を頼んだ。
「最後は、お蕎麦かうどんになりますが、どちらがよろしいでしょうか」
女将さんが注文を取りに来た。
「温かい麺でも、冷たい麺でも、どちらでもご用意できます。量は、ちょっと少なめなんですけどね」
すでに、天ぷらや焼き物、刺身などでお腹が膨れているので、それを聞いて安心した。
「アタシ、冷たい蕎麦」
「僕も」
順番に注文していたら、母のところで突っかかった。
「温かいうどんがいいんだけど、普通の量にできないの?」
「はい、できますよ」
「じゃあ、アタシのは増やして」
「…………」
とても70歳とは思えぬ食べっぷりに、誰もが無言になる。
そのあとホールケーキが待っていたが、みんな満腹なので、「小さく切って」との訴えが相次ぐ。最後は、たくさん残ってしまった。母に「全部食べられる?」と聞くと、元気に「うん!」と返ってくる。フォークで順繰りに運ばれ、ケーキはブラックホールの彼方に吸い込まれていった。
お見事……。
バースデーカードを買ったあと、エレベーターで地下に下り、洋菓子を探す。母の好きそうな、クッキーとチョコレートの詰め合わせを選び、リボンをかけてもらった。

今回は、焼き菓子で我慢してもらおう。
母の食いっぷりに、自分の姿を重ねてみる。私は、母以上に食べ歩きが好きだから、もっと、たちが悪いかもしれない。老後は富士吉田市に引っ越し、富士山を眺めて暮らしたいと思っていたが、果たして食欲を満足させられるのだろうか。
「あたしゃ、チョコファッションが食べたいんだよ! 買ってきておくれよ」と駄々をこね、「いつ、イタリアンレストランに連れてってくれるんだい?」などと無茶を言う老婆になりそうな気がする……。
老後計画を、見直さなければ。
富士山はあきらめ、ミスタードーナツの至近距離に住んだほうがいいかも。

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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
毎年、バースデーカードを送っているので、今年も買いにいった。
メッセージを書くのは娘の仕事だ。おそらく、母はカードを捨てていないだろう。可愛い孫のぎこちない文字に喜び、大事に大事に取ってあるはずだ。しかし、私はどんなカードを買ったかおぼえていない。もしかして、何年か前と同じカードを選んでしまうかもしれない。
では、見覚えのないカードを選ぼう。


今年はポップな印象の、飛び出すカードにした。メッセージ欄が小さいと、「楽でいいや」と娘は歓迎だし、にぎやかで楽しそうな雰囲気だ。
だが、クッキーやケーキのイラストを見て、はたと手が止まる。
そうだ、今年は食べ物も送ろうと思っていたんだ!
両親は、長年さいたま市に住んでいたが、定年退職を機に、那須塩原市に引っ越した。広い土地を買い、畑を耕して暮らすことを選んだのだ。観光地から南下すると、民家もまばらな林が広がっている。ここを開拓して、家を建てたという。コンビニはないし、スーパーは車で20分走れば、ようやく一軒見つかるくらい不便なところである。郵便配達は来るが、ゴミ収集車は来てくれない。
「寿司屋もケーキ屋もなくてねぇ。もの足りないよ」
新潟出身の父は、米さえ美味しければ食事に文句はつけない。だが、女友達とお茶やランチを楽しんでいた母には、少々荷が重いようで、何度か愚痴を聞いたことがある。たまに上京したときの、食い意地といったらない。
「あーあ、もう腹いっぱいだ。これ以上食えない」
昨年4月に法事があり、親族が集まって会食をした。父はすっかり食が細くなり、ホカホカの茶わん蒸しを前に弱音を吐いた。すると、横にいた母が、ひょいと右手を伸ばし、茶わん蒸しを奪いとった。
「じゃあ、アタシが食べちゃうよ!」
母もかなりの量を平らげたはずだが……。唖然とする私を無視して、彼女は悠々と、2個目の茶わん蒸しを胃袋に収めた。
あっぱれ。
9月には、甥と姪の誕生会があり、さいたま市のお蕎麦屋さんでコース料理を頼んだ。
「最後は、お蕎麦かうどんになりますが、どちらがよろしいでしょうか」
女将さんが注文を取りに来た。
「温かい麺でも、冷たい麺でも、どちらでもご用意できます。量は、ちょっと少なめなんですけどね」
すでに、天ぷらや焼き物、刺身などでお腹が膨れているので、それを聞いて安心した。
「アタシ、冷たい蕎麦」
「僕も」
順番に注文していたら、母のところで突っかかった。
「温かいうどんがいいんだけど、普通の量にできないの?」
「はい、できますよ」
「じゃあ、アタシのは増やして」
「…………」
とても70歳とは思えぬ食べっぷりに、誰もが無言になる。
そのあとホールケーキが待っていたが、みんな満腹なので、「小さく切って」との訴えが相次ぐ。最後は、たくさん残ってしまった。母に「全部食べられる?」と聞くと、元気に「うん!」と返ってくる。フォークで順繰りに運ばれ、ケーキはブラックホールの彼方に吸い込まれていった。
お見事……。
バースデーカードを買ったあと、エレベーターで地下に下り、洋菓子を探す。母の好きそうな、クッキーとチョコレートの詰め合わせを選び、リボンをかけてもらった。

今回は、焼き菓子で我慢してもらおう。
母の食いっぷりに、自分の姿を重ねてみる。私は、母以上に食べ歩きが好きだから、もっと、たちが悪いかもしれない。老後は富士吉田市に引っ越し、富士山を眺めて暮らしたいと思っていたが、果たして食欲を満足させられるのだろうか。
「あたしゃ、チョコファッションが食べたいんだよ! 買ってきておくれよ」と駄々をこね、「いつ、イタリアンレストランに連れてってくれるんだい?」などと無茶を言う老婆になりそうな気がする……。
老後計画を、見直さなければ。
富士山はあきらめ、ミスタードーナツの至近距離に住んだほうがいいかも。

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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
個人的には、味覚が段々変わり、以前より甘い物を敬遠するようになったけど、女性の場合味覚はあまり変わらないのかな…?
あと、孫が電話してやれば喜ぶかもね。
近所の農家が、野菜のおすそ分けをくれるんだって。
両親も作っているのに(笑)
しかも、自分のところより出来がいいものを。
参考にはなるね。
山の中だから、海産物に弱いみたい。
刺身もいいのがないとか。
ないと思うと、余計欲しくなるのかも。
歳と共に甘いものが食べられなくなった人もいるから、個人差が大きいと思う。
うちの母は82ですが、場合によっては私より食べますよ。
フランス料理を食べに行ったときなど、私はコースは無理だから…といって、スープとメインとデザートなんて選ぶのですが、一品料理のスープとかって量が多いでしょ。
結局コースを食べた私たちよりおなかいっぱい、代金も高ーいということになるのです。
うちも千葉の田舎に住みたいなんて言っていますが、さてどうなりますことやら。
一緒に釣りへ行っていた友人は私より20歳上、
「あれとあれとあれとあれと・・・」
店のおばさんに注文しているのを見て、
頼み過ぎではないか、と思っていると
「それを全部、2つずつ!」
お年寄りの健啖ぶりには、驚かされます。
戦後の食糧難を経験しているし かつての炊事は大変だったから、
女性はいっそうそうなのでしょうか。
でも、頼もしい。
老後、男性は田舎志向だそうだけど、
それも 家事労働が頭にないからでしょうね。
都会の味、どんどん贈ってあげてください^^
女の子は幾つになっても細やかな気使いが出来て好いです~(*^^*)ポッ
食欲があるということは長生きするということです。
うちの両親を見ていると戦後の飢えた子どもたちがそのまま老人になったようなもので、とにかくよく食べます。
おかあさんも戦中生まれのようですから、あるものは全部平らげようとする能力が発達したのだと思われます。
そういえば、最近ドーナツネタが多い気がしてましたが?
いっそのこと、老後はドーナツ店を営むことをお勧めします~
作っては食べ、作っては食べ、お客さんが来なくてもやって行けそう~ヽ(´o`; オイオイ
82歳になっても、フレンチをいただけるなんて幸せですね。
背筋の伸びるフォーマルなお店で、非日常の食事を楽しむことが、生活のメリハリになるのかも。
私もぜひそうしたいです。
お母様も一緒にコースを食べてくれるといいのに。
義母は食が細くてダメですが、人生の楽しみが減るようで気の毒になります。
亡き祖父は、死ぬ間際まで和菓子を欲しがりました。
食べることは重要ですが、執着は残したくないですね。
えっ、すべて2個ずつでしたか。
食べ過ぎ…。
歳をとると、満腹中枢が壊れるんじゃないかと疑問を感じます。
胃腸が丈夫なんでしょうね。
食べられることは幸せです。
老後は食べることしか楽しみがないとも聞きます。
趣味に打ち込む方は、寝食を忘れますし。
あっ、それはあるかも。
子どものときは、相当ひもじい思いをしたとか。
今でも、母は食べ物を捨てることができないんですよ。
でも、買いすぎて腐らせちゃう。
少々臭うくらいだと食べようとするので困りものです。
父は家事労働の苦労を知りません。
何かにつけて母を呼び、家事を中断させます。
しかし、ときおり腐ったものを知らずに食べさせられ、下痢して辛そうです(笑)
食べ物で困った経験のある人は、あるときに食べようと思うものなんでしょうか。
片割れ月さんのご両親と同じですよ。
「これは美味しくないからいらない」などとは言いませんもの。
何だかんだ言いながら、全部平らげています。
そして、お腹がポンポコリン(笑)
山中湖あたりに、ミスド店舗を作りましょうかね~♪
または、都内のミスドでバイトをするとか。
シニアでも雇ってくれるところがあれば(笑)