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コミュニケーションの幻想 (「場の空気」が読める人、読めない人(福田 健))

2006-12-19 01:07:37 | 本と雑誌

 最近の私の関心時のひとつは「企業におけるメンタルヘルス」の問題です。

 有効なメンタルヘルス対策として常に挙げられるのが「コミュニケーションの活性化」です。
 今回の本は、コミュニケーション、特に「会話の活性化」のヒントになるかと思い、手に取ったものです。
 新たな気づきや改めて認識し直した点がありました。

 まずは、「コミュニケーションの幻想」です。
 この現実をスタートにするかしないかで、対策は全く異なってきます。
 著者は、「幻想を前提とした努力」を求めます。

(p72より引用) 身もフタもない言い方に聞こえるかもしれないが、「コミュニケーションは通じなくて当たり前」なのである。あの皮肉屋のバーナード・ショウはこうも言っている。
「コミュニケーションの最大の問題は、それが達成されたという幻想です」
ものの言い方の心得は「話は通じないもの」という現実を直視することからはじまる。そのうえで、
・少しでも通じるよう、努力と工夫を重ねる
・通じなくても、ねばり強く話し合いを続けて、理解し合える領域を広げる
このような地道なプロセスを通じて、身につくものなのである。

 もう1点、「コミュニケーションは聞き手が主役」だということです。

(p204より引用)
相手は何を言いたがっているか
相手の一番聞きたがっていることは何か
右の二点をしっかり聞き取るようにしたい。

 主役も何も、「聞き手」がいないということは話す相手がいないわけですから、そもそもコミュニケーション自体、存在しようがありません。「聞き手」があってはじめてコミュニケーションが生まれます。
 「聞き手」にはいろいろなタイプがいます。千差万別です。したがって、相対する「聞き手」によって、生まれるコミュニケーションのスタイルが異なってくるのは当然です。そう考えると「聞き手が主役」ということもよくわかると思います。

(p213より引用) コミュニケーションを成立させるのも聞き手であり、コミュニケーションの効果を決定するのも聞き手なのだ。・・・
「話したことの意味を決めるのは、話し手ではなく、聞き手である」
 意味の決定権は聞き手に握られているのである。・・・話し手にとって聞き手とは、自分の思い通りに話を聞いてくれる相手ではない。聞き手の思い通りに話を聞き、意味を決定する存在なのである。

 この点は、先の「知的ストレッチ入門」で日垣氏が、「説得と納得」のコンテクストの中で指摘している点と同根です。

 聞き手を主役と考えるためには、「立場を相対化する能力」が必要になります。
 が、そのためにはあれこれと難しく考えるのではなく、まずは、自分の聞き方を反省し、「相手の気持ちになって一拍置く気遣い」を大事にしようと思います。

「場の空気」が読める人、読めない人―「気まずさ解消」のコミュニケーション術 「場の空気」が読める人、読めない人―「気まずさ解消」のコミュニケーション術
価格:¥ 735(税込)
発売日:2006-06

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