故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

彰義隊と新政府軍の戦い・上野戦争

2013年05月15日 13時05分49秒 | 幕末史

今日も気温はどんどん上がり、暑くなった。昨日は兵庫県朝来市で32.8度・京都市福知山市で32.7度・山梨県甲州市で32.4度・名古屋市で31.5度と30度を越したところが多かった。丸亀地方ではこんなには上がらなかったが、暑くて午後は家の外に出たくなかった。朝が涼しく日中が暑いので熱中症に十分注意をして、こまめに水分補給をしてくださいと。今頃は身体が暑さに慣れてないために注意が必要だとか。今日は何度まであがるのか?

 

今日は何の日で、青春七五三の日だと。七五三から10年過ぎた13歳・15歳・17歳の少年少女にこれからの人生にエールを送ろうと日本記念日協会が提唱したという。七五三の11月15日からちょうど半年後だ。 色んな記念日があるんだなぁ~

また、上野戦争があった日だ。明治元年5月15日江戸上野で、彰義隊と新政府軍の戦いが起こった。戊辰戦争の戦いの1つで、上野戦争と呼ばれている。午前7時頃、両軍は南西北3方向で戦闘を開始。南方は寛永寺黒門口に薩摩藩が主力で、西方はアームストロング砲を有する肥前佐賀藩が主力となり、北方の背面は長州藩が主力となり団子坂に結集した。東側は断崖だが、北東方面を彰義隊の退却路としてあえて開けていた。黒門の上にある山王台砲兵陣地の威力はものすごく、その前面の小銃陣地とともに新政府軍をなやませ、暫くの間戦況は一進一退の状態が続いた。午後1時前、大村益次郎は佐賀藩の伝令を呼び、「アルムストロングの大筒。もはやよろしかろう」といい、伝令が、加賀藩邸の鍋島監物に伝えた。すぐさま射撃の命令がだされ、アームストロング砲が火を噴き、不忍池を越えて砲弾が着弾し始め、戦況が新政府軍側に好転する。アームストロング砲の威力に関して、藩主鍋島直正は「威力猛烈なるをもって、攻城や海戦ならばともかく、内乱のために用いるならば人を殺傷しすぎるゆえ、望ましきことにあらず」と上野戦争での使用に賛同しなかった。黒門口では西郷が最強の薩摩軍主力を指揮し、防備を破り攻め入り、彰義隊は瓦解・壊走し夕方に戦闘は終結します。つまり、1日にして新政府軍は勝利を収めた。

写真がないけど、今日はこの辺で、じゃ~またネ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿