但馬の政治家

2018年07月06日 | 但馬の人物
   出石そば処つるや 「鸛」って難しい字は「コウノトリ」


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(2級)問題より

【64】豊岡市出石町出身の政治家で、1940年(昭和15年)の国会での質問演説
で陸軍の反感をかい、衆議院議員を除名処分となったが、その後、再当選したの
は、誰でしょうか。

(a)佐々木 良作     (b)斎藤 隆夫      (c)加藤 弘之      (d)北條 秀一

 大正から昭和前期にかけて活躍した、不撓不屈の政治家は出石町出身の斎藤隆夫
です。

斎藤隆夫は出石町中村の農家の末っ子に生まれ、わずかな旅費を懐に東京まで歩い
て上京し、苦学の末早稲田大学行政科を首席優等で卒業、米国にもわたり苦難の末
弁護士を開業しています。

その後、明治45年(1912)に原六郎(但馬出身の財界の大御所)と旧知だったこ
とで、総選挙で斎藤に白羽の矢が立ち政界へ進出です。

彼の神髄は、公法と議会政治です。

卓越した弁舌に任せて、政界で数々の議会演説を打ちます。

普通選挙法演説、粛軍に関する質問演説、支那事変処理中心とした質問演説と続きま
す。

昭和15年の、世にいう「反軍演説」が大炎上し、衆議院議員を除名処分されてしまい
ます。

しかし、その2年後に行われた翼賛選挙に、但馬の選挙民は見事最高点で斎藤を当選さ
せるのです。

戦後も議会の重鎮として活躍し、のちの世に「憲政の神様」と称されることになりま
す。答えは(b)の斎藤 隆夫です。

 ちなみに、(a)の佐々木 良作は八鹿町出身の政治家で、昭和40年代民社党党首とし
て活躍します。

(c)の加藤 弘之は出石藩出身の明治の草創期の学界の重鎮で、東京大学初代総理を務
めた大人物です。

(d)の北條 秀一は、昭和の時代に活躍した竹野町出身の政治家で、国鉄顧問、参議院
議員、衆議院議員を歴任した人物です。

問題のそれぞれの人物は、但馬の生んだ学界、政界の大人物なのです。


『かったに』

 ケンちゃんね、こんな但馬弁はとても知らんわな。

「全然そんなことない」とか、「まったくないわ」という時、「そんなこと、かったに
分かれへんわ~」とか言うんだよ。

ふるさと但馬のいろいろな言葉をじいちゃんも調べておるんだけれど、なかなか調べき
れないほど何千何万もいろんな言葉があるね。

じいちゃんだって、聞くことはあってもそんなに使ったことがない「かったに」なんて
言葉、「ケンちゃんはこんな但馬の言葉、かったに分からんだろね」。

今日の但馬弁は「かったに」という、かったに分からん言葉なんよ。
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