明治38年5月27日の出来事

2009年05月27日 | 季節(春)
             (府中小学校の正面玄関に建つ、
                         明治三十七・八年の記念碑)

104年前の今日、明治38年(1905)5月27日は日露戦争の最終決戦、日本海海戦の日ですね。
当時、欧州最強と言われたバルチック艦隊を、東郷平八郎司令長官率いる日本軍連合艦隊が、日本海は対馬沖で完膚なきまでに殲滅し勝利した記念すべき日、世界中が驚きと感動に震えた日なのです。
我が母校の正門に立つ、「明治三十七・八年戦役凱旋記念」の四本の石柱を見るたびに、勝利に高揚する日本の姿が偲ばれます。

その日は遥か彼方、欧州のエパヤ港から地球を半周してウラジオストクに向かうバルチック艦隊、
迎え撃つは旗艦「三笠」の艦橋から、日本連合艦隊を指揮する東郷平八郎司令長官、
午後1時55分、「三笠」のマストに信号旗、「Z旗」がひるがえり、
「本日天気晴朗なれども浪高し」が打電されます。
この後、2時20分にあの有名なT字戦法の敵前大回頭を完了、バルチック艦隊をことごとく撃沈する大勝利を納ます。
明けて28日に、敗走するわずかに残った敵艦を竹島付近で撃沈し、日本海海戦は終了、
明治37年2月からの旅順開戦、黄海海戦、旅順攻略、奉天会戦と足かけ2年続いた日露戦争も終結するわけです。

歴史にもしもはありませんが、「104年前、もしもロシアに負けてたら」日本は今頃どうなってたのでしょうか。
ソ連の属国になってたでしょうね、思っただけでも背筋が凍ります。
そんな歴史を秘めたすごい記念碑が、当店の目の先、母校・府中小学校に建っているのです。
日本中探してもとても珍しい凱旋記念碑なんですよ。