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子供のころ、隣近所のおっちゃん・おばちゃんを

2017年02月04日 | ふるさと




 楽(たの)しみは   思い出します  村の人  ちゃん付け呼んだ  記憶たどるとき



昨日は節分、今日は立春です。

『玄関に “立春大吉” って紙を貼るのって意味分かるか~』と若嫁さんと家内に聞きます。
『邪気の入るのを防ぐ習わしだよ』、

『鬼さんが、立春大吉のお札が貼ってあるお家に入ってくるわな。 入ったあと、ふっと振り返って後ろを見ますと、立春大吉の札が目に入るんだわ。
裏から読んでも立春大吉なのです。おかしいな~、わしはまだこの家には入ってなかったのかとウロウロするんだよ。

こりゃいかん。入り直そうかと外に逆戻りしてしまい、鬼さんはこの家から退散してしまうんだって』と話します。
「そんなこと誰に教えてもらったんよ」と家内は聞きます。

もうひとつ、
『ながたん打つって意味知っとるか?』と聞きました。

「ながたんは包丁の事でしょ。それを打つってなんなのよ」、
「ながたんて但馬弁か知らんけれど、ながたん打つなんて国府の言葉は知らんわ」、

「そんなん知らん知らん、
豊岡でも城崎でも知らん。国府の田舎の言葉だわ」と二人そろって言いますね。

『ながたん打つって、嫁さんが怒って実家に帰ってしまうことなんだよ』、
「へ~~、おもしろい話知ってるね」と笑います。

二つとも昔の大人に聞きました。
私が子供のころは、近所の大人からいろいろなことを教わりました。

それにしても、昔って戸数もとても少ない池上の近所のおっちゃん、おばちゃんを、
さらに、おじいちゃん、おばあちゃんも呼び名をちゃん・さん付けて言っていたことを思い出します。

親の会話の中で隣近所の呼び方を、
山本さんちとか坂本さんちとか言わずに、おうちの人の名を呼んでいました。
子供もほとんどのおうちの人を覚えていて、ちゃん・さん付けで呼んでいました。

「そんなことなかったで~。豊岡はちゃんと苗字読んで〇〇さんとこのおばちゃんと言ってたよ」、
「池上は田舎だな~」と不思議な顔をします。

『言ったろか。28戸しかなかったんよ池上は』、
『うちの隣から “はまちゃん” だろ、“おまっさん、おえ~さん、おさっつあん、おこうさん、ひろっさん、じろちゃん、てえちゃん、まあちゃん” のように呼んでたよ。

子供がそのころは、だれでもそう呼んでいたんよ』と話します。

子供のころ、仰ぎ見ていたおっちゃんおばちゃんは、ずっと年を取ってほとんど亡くなりました。
子供のころ、30才くらいのおっちゃんというよりお兄さんのYさんが、よくいろんなことを教えてくれました。

家内とそんな話をしているところに、区長さんからの訃報の知らせです。
「Yさんちの “せえっさん” が亡くなったんようよ。90歳だって」と家内が話します。

いろんなことを教えてくれたYさんちのじいちゃん、
子供のころから、ちゃん・さん付けで呼んでいた最後の「せえっさん」が亡くなりました。

心よりご冥福申し上げます。
 

歯医者さんちの待合室で

2017年01月30日 | ふるさと




 嬉(うれ)しさは   全然知らん  お人から  声かけられて  褒められるとき



二股ソケットは松下幸之助を表す代名詞です。

松下電気器具製作所という小さな会社から、
松下幸之助が考案して売り出した二灯用クラスターというものが、二股ソケットの元の商品です。

なぜ、二股ソケットが必要だったかというと、
一家庭には、電気の供給が電灯用ソケット一つしかなかったからなのです。

街の防犯灯が定額料金の契約で、一灯のみの形と同じだったのです。

私の子供のころは、家の電灯は一つだけでした。
壁にコンセントなんてありません。

定額料金契約の、電球一つの明かりだけでした。

そのころです。
「電球切れたので、一つ買ってきておくれ~」と母に言われて、買いに走ったお店は町に一軒しかない電気屋さん「〇〇電気商会」でした。

そんな老舗の〇〇電気商会も、
3年ほど前から様子が変になりまして、2年ほど前に店は閉めてなくなりました。

歯医者さんちの待合室で、新聞を読んでソファーに座っていますと、
「こんにちわ~、アトム電器さんですね。〇〇さんですね。お久しぶりお久しぶり~。こんにちわ~」と、心やすく話しかけてこられるおじさんです。

ペラペラ、ペラペラと、
実に親しそうに、もうムチャクチャ知り合いのように、話しかけてくるおじさんです。

『ちょっと、ちょっと待って。どちら様でしょうか?』と尋ねます。
ホントにお客さまでもないし、知った方でもないし、私の店も名前も知って話しかけてくる不思議なおじさんにビックリします。

『ホント、申し訳ありませんけれどどちら様でしょうか?』と尋ねます。

するとこうです。
「僕は〇〇電気商会に勤めとったの。店はご存知の通り閉めてしまったけれど、古い古い老舗だったわな」、

「アトムさんの〇〇さんのことは、あんたが電気屋さんをした40年前から、
私ら知ってたんよ。よう頑張りんさる電気屋さんが出来たわな、しっかりした人が電気屋さん始めんさったと注目してたんよ、皆で」と話して後に、

〇〇電気商会の色々なお話ししたり、
アトムチェーンって凄いんだってねの話を、待合室いっぱいの声でお話しなのです。

本当に40年前からうちの店や、私を良く知っていたと言われるのですが、
このおじさんは全く面識全然ありません。

不思議なものですね、
こんなに昔から知ってたと、今になって声を掛けられる不思議な体験いたします。

うっかりしました。「矢田川」ってばかり思ってまして

2017年01月29日 | ふるさと

(株)トキワの “へるし~かふぇ さとの風”



 嬉(うれ)しさは   かき餅求め  矢田川に  行ったつもりが  味噌(みそ)酢(す)買うとき



『今日の新聞に載ってた “素朴な味 5色かき餅販売” を見た~』、
『かき餅食べたくなったので、買いに行こうか』と家内を誘います。

午後3時を過ぎていました。

新聞の但馬版の記事をちゃんと見ないで、
『確か矢田川のどうのこうの、80歳のじいちゃんの作るかき餅』ということだけを頭に思って飛び出してしまいました。

矢田川ってことから、
『矢田川温泉ちゃあうか、きっと矢田川温泉の売店で売ってるんだわ』と勝手に思って、香住・大乗寺まわりで走りました。

「かすみ・矢田川温泉」に着いて、
売店を見ても5色のかき餅なんて見当たりません。

『あの~、今日の新聞に載ってたのですが、5色のかき餅はここには置いておられませんね。
矢田川のかき餅記事、そのかき餅の販売所はどこでしょう?』と温泉の受付で尋ねます。

温泉の方もいい加減ですね~、
「ああ、かき餅の販売は20分ほど先の道の駅と思います。そこに行ってみてください」でした。

『左に見えるね、屋根からドサッと雪が山のように落ちてる建物が田中畜産だよ、
もうすぐネットで注文した但馬牛が、ここから来るんだよ』なんてしゃべりながら「道の駅・あゆの里矢田川」に着きます。

「かき餅ですか。このかき餅しかありませんが」と、
1色5枚しか入ってない小袋を見せます。

この道の駅でもありませんでした。
矢田川っていえば普通はこのあたりのことですから「こりゃあかんわ、間違ったわ。味噌でも買って帰ろうかと “矢田川みそ” 」を買ってしまいす。

走ってきた道を引き返して、先ほどの矢田川温泉の隣、
「(株)トキワ “へるし~かふぇ さとの風” 」に寄りますね。

上手(うまい)ですね、
酢ではとても有名な会社トキワの店員さんは、ずらっと並んだ商品を説明します。

『5色のかき餅を売ってる所ご存じないですか?』、

「ああ、かき餅はね80になる原さんちが自宅で売っておられるのです。
日曜の昼間は温泉の隣の朝市でも売っておられるはずですが」と、名前までハッキリ話しです。

『教えていただいて、ありがとうございます。
トキワさんの “べんり酢” と “飲む酢 梅ごこち” いただきます』と買ってしまいました。

帰って新聞をよ~く見てみますと、
5色のかき餅は、矢田川は矢田川でも蘇武トンネル抜けたふもとの、矢田川フィッシングセンターではありませんか。

作って売ってる人も、80歳の林さんでした。
矢田川温泉と矢田川フィッシングセンターは、全然反対側のとんでもなく離れた所です。

今日は、かき餅を買い求めに行ったつもりが、帰ってみると両手に味噌と酢を下げていた話です。
な~んにも面白くもなんにもない話です。

ふるさとの話 二月号

2017年01月19日 | ふるさと




 嬉(うれ)しさは   出石神社に  初詣  その日の話  ネタに書くとき



先にクロスワードパズルを作ってしまいました。
追っかけるように、出石神社をネタに「ふるさとの話」を書き上げました。



ふるさとの話㉔二月号
元旦に出石神社に初詣に行きました。
おおぜいの参拝者です。石の鳥居をくぐ
り両側が灯ろうの参道に並んで進みます。
まわりの会話や神社の案内から、出石神
社の由来などを知ることが出来ました。
今月は出石神社の話です。
クイズのヒントも隠れています。

沖野忠雄先生の石碑
参拝の列はゆっくりと進みます。若い
女性が連れの男性に話します。「大きな
石碑に沖野忠雄先生って書いてあるけど
誰なの?知ってる?」と尋ねます。
男性の説明が聞こえます。「沖野忠雄
先生って、豊岡出身のとっても偉い人物
なの。明治のころ内務省の土木技師とし
てとても活躍したんだよ」、
「当時の日本の治水や港湾の大きな工事
は、沖野忠雄が工事責任者として関わっ
たのです。日本の治水港湾工事の神様と
言われた人です」、「特に、新淀川の改
修工事や大阪築港事業の功績は絶大なも
ので、今でも、大阪市民からは新淀川の
父として讃えられているほど」、「各地
に碑や銅像が立ってるの。但馬開発の始
祖といわれる天日槍命(あめのひぼこ
のみこと)が祀られている出石神社にふさ
わしい石碑なんです」と話です。

但馬国一宮 
 境内を本殿に向かって進みます。大き
な木の鳥居に「一宮」の額が掲げられて
います。出石神社は昔から「いっきゅう
さん」と親しまれてきました。全国の神
社は一の宮二の宮と格付けされました。
出石神社は但馬第一の霊社として、但馬
国一宮とされています。朝来市の粟鹿神
社が但馬国二宮、養父市の養父神社が但
馬国三宮と呼ばれています。
「日本紀略」によると、『出石大社には
烏鵲(カササギ)が集まり、国内第一霊
社の神威を畏れて烏(からす)雀(スズ
メ)蚊(カ)虻(アブ)も入らない領域
だった』と記されています。
 木の鳥居を過ぎると朱の神門が建って
います。神門の脇にとても大きな柱の残
片が置いてあります。その昔もっともっ
と大きくそびえていた、出石神社の参道
入り口の旧鳥居の残片なのです。

出石神社本殿
 朱の神門を過ぎると本殿です。幾多の
時代を経て建ち続ける本殿は、大正年間
に再建された銅板葺の屋根の三間社流造
のとても立派なものです。創建した時期
は不明ですが「一宮縁起」によると、祖
神の天日槍命(あめのひぼこのみこと)
を谿羽道命(たにはみちのみこと)と多
遅麻比那良岐命(たじまひならきのみこ
と)等が祀ったのが始まりとされていま
す。

アメノヒボコ
 本殿で参拝をすませてお守りを求めに
並びます。並んだ列で話が聞こえます。
「出石神社のアメノヒボコってどんな
人」と聞こえます。近くのおじさんが説
明します。
 「アメノヒボコは新羅の王子さんだっ
たの。昔々、日本に渡来して各地を転々
とした後但馬にたどり着いたようだね」、
「ドロドロの沼のような入江湖だった但
馬地方を、瀬戸の岩戸ってところを切り
開いて農業のできる土地に開拓したそう
だよ」、
 「アメノヒボコが持ってきた八つの宝
は、珠2貫、比礼(ひれ)4枚(比礼とは
両肩からかける布で、波振る比礼、波切
る比礼、風振る比礼、風切る比礼の4種
の布)、奥津鏡(おきつかがみ)辺津鏡
(へつかがみ)の鏡2枚の八種の宝な
の」、「玉津宝(たまつたから)と言って、
八種神宝(やぐさのかんだから)として
祀ってあるんだよ」と聞こえてきました。

菓子の神様の田道間守
 神社の説明のパンフレットに載ってい
ます。「出石神社を創建した多遅麻比那
良岐命(たじまひならきのみこと)は天
日槍命のひ孫になります。
 アメノヒボコは但馬国の前津耳の娘の
痲拕能烏(またのお)と結婚します。
代々多遅麻(たじま)姓が続き、ひ孫が
多遅麻比那良岐命で玄孫(やしゃご)が
多遅麻毛理です。多遅麻毛理はあの菓子
の神様の田道間守(たじまもり)です。
さらに代々続いて仲哀天皇の皇后である
神功皇后へとアメノヒビコの子孫は天皇
家に結ばれています」と。
 初詣の今日は、出石神社のいろいろな
ことがよく分かる一日でした。
(出石神社のパンフレットを参考に)

2月号のクイズが出来ました

2017年01月18日 | ふるさと




 嬉(うれ)しさは   天之日矛(あめのひぼこ)の  宝から  ヒントのクイズ  よく出来たとき



作りに作って85作目になります。
2月号のクロスワードパズルのクイズが出来ました。

何をネタにして「ふるさとの話」を書こうか、
そうだ、初詣に参った但馬一宮の出石神社の話を書こうとしました。

クロスワードパズルも、出石神社の話をもとに作ります。

新羅の国から但馬に渡来した天之日矛(あめのひぼこ)
(古事記では天之日矛、日本書紀では天日槍)は、玉津宝(たまつたから)と称する八種の物を伝来します。

出石神社に祀ってある「八種神宝(やぐさのかんだから)」という御神体です。

八種神宝(やぐさのかんだから)は、

珠2貫、
比礼(ひれ)4枚 (比礼とは両肩からかける布で、波振る、波切る、風振る、風切るの4種の布)、
奥津鏡(おくつかがみ)辺津鏡(へつかがみ)の鏡2枚の、八種の宝です。

この言葉をヒントに、クロスワードパズルを作ります。



「街のでんきや便り」から、2月号のパズルです。
二重枠の4文字で完成する言葉は?「ヒントは出石のまつり」
赤文字のヒントの答えは、ふるさとの話の中にあります)

ヨコのヒント    ヒントの〇〇は漢字です。

1 出石神社の八種の宝、そのひとつ〇〇鏡です。
3 自民党のトップの役名。
7 将棋に似た西洋のゲーム。
9 手足がありませんが、起き上がります。
10 賢い子ね。
12 怖~い屋敷。
14 南太平洋のリゾート観光の島
15 出石神社の八種の宝、そのひとつ〇〇鏡です。
16 模倣。
17 夏の暑い日、パタパタと。
18 山に架かったものは、歩いて渡ると揺れるます。
19 お坊さんが衣(ころも)の上にまといます。


タテのヒント    ヒントの〇〇は漢字です。

1 タワシの代用になります。
2 転ばぬ先の。
4 建物にこれを上げて立身を願います。
5 「〇も木から落ちる」って油断の戒め。
6 出荷される港から、有田の磁器を〇〇〇焼きと呼ぶ。
8 神鍋山の噴火口の姿はこの形。
11 障子貼りはノリをこれに付けてやります。
12 紙に包んで役者に祝儀します。
13 勝ち負けなしでした。
14 出石神社の八種の宝の名は、〇〇宝と称す。
15 これで話を結んだので「らくご」となった。
17 黒毛和〇の繁殖メスの99.9%は「田尻」号の子孫。

阪神大震災22年

2017年01月17日 | ふるさと




 嬉(うれ)しさは   22年過ぎし  雪雫(ゆきしずく)  なみだ流して  鎮魂のとき  


 (平成7年1月18日の朝刊)

平成7年1月17日、もう22年にもなります。

起床まであと1時間くらいの午前5時46分、
我が家の2階も突然の大揺れ、経験にない長く続く大きな揺れ、

『ああ、もうあかん、屋根には大雪、
家がつぶれるかもしれん』と思いました。

直線で約100Kmくらいの神戸が地震らしい、
豊岡でこの揺れ、これはすごいことだと直感しました。

朝7時前から、テレビは寸分の休みなく地震のニュースです。
NHKニュースで地震の犠牲者が初めて伝えられたのを聞いて驚きました。

淡路島のOさんです。
珍しいほうの苗字ですが、私と同姓ではありませんか。

『ああ、死者が出てしまったか気の毒に。10人くらいは出るかな』と思いながら見ていましたが、
次から次へと死者は増えるし、すごい被害状況がテレビで伝えられます。

翌日の新聞は「近畿烈震・M7.2直下型、兵庫県南部地震、死者1131人不明822人」です。
今となっては10人どころか、6434人も亡くなる未曾有の大地震だったのです。

その新聞は大切に我が家に保存していますが、
22年の歳月の経過を物語るかのように、写真も記事も黄ばんできました。

恐ろしかったあれから22年、
一昨日から積もった雪も、暖かい日差しを受けてポタポタ雪雫(ゆきしずく)です。

防災無線のスピーカーから、正午の時報に合わせて「黙とう~~」の合図です。
屋根から落ちる雪雫も、神戸に届けと鎮魂の涙です。

初めは電気屋さんの広告チラシだったのです

2017年01月15日 | ふるさと




 嬉(うれ)しさは   広告だった  地図チラシ  年を刻んで  配られるとき


   
「まあきれいに描けてるわ」、「配り物をしたりする時、とても役立ってます」と、
手にとった地図を見た人の、好評の声をあちらこちらから聞きました。

地区の初総会で、議案書と一緒に配布された池上区の住宅地図です。
とてもシンプルですが、見やすい分かりやすい地図なのです。

今日は大雪の中、平成29年度の初総会でした。
一年間の、区の活動について審議をいたします。

池上区も、世帯数が105戸の大になりました。
私が小学生の60年くらい前は、世帯数28戸の府中校区の中でも一番小さいほうの小でした。

今から20年くらい前の、50世帯くらいの時です。
区の役員をしていました時に「池上区の今昔をデータと絵で見る」なんて資料を作って配布します。

その時に、
28戸の当時の地図と、50戸にもなった地図を並べて書いたことを思い出します。

その後、
今から18年ほど前かな、いよいよ21世紀を一、二年先に迎える頃に、
「21世紀に向けて、池上区の将来は」なんて資料を配布したことも思い出します。

街の電気屋として地元の住宅地図を描いて、
「この地図はサントップの広告です」と添え書きして発行したのが18年前のことです。

ずっと電気屋さんの広告の地図チラシでした。
年末になると、区の全戸に街のでんき屋チラシと一緒に配布した地図チラシです。

ここ数年前からは、
「区の資料に付けます。広告として作られたチラシですけれど、これからは区で書き直して使わせてもらいます」となって現在に至っています。

役立った広告地図チラシも、増える住宅次々と書き加えられて、
今年も立派に育って発行続きます。

北近畿豊岡自動車道・八鹿日高道路 青山川橋

2016年12月25日 | ふるさと

北近畿豊岡自動車道の青山川に架かる橋は、余部橋梁よりも5mも高い、地上46.5mを走ります。



 楽(たの)しみは   春に開通  高速が  ふるさと天空  駆け抜けるとき



ただ今、
急ピッチで、高速道路の建設が進んでいます。

舞鶴若狭自動車道を経由して、
大阪神戸につながる、北近畿豊岡自動車道の建設が進みます。

ふるさとの山や谷を抜け、
来春の完成めざして急ピッチです。

すでに丹波の春日から隣町まで来ています。
養父市八鹿町の国道九号線に交差する、八鹿氷ノ山ICまでは完成しています。

現在建設中は、八鹿氷ノ山ICから、
トンネルで山を抜け、長大橋梁で谷をまたぎ、ふるさと豊岡へまっしぐらです。

八鹿から日高町久斗までの、八鹿日高道路なのです。

写真は、八鹿町宿南にある青谿書院資料館の少し先にある、青山川に架かる工事中の橋です。
下の道から高速の道路面までの高さが、46.5mもあるとても高い橋です。

この青山川橋は、高さ46.5m、長さ262mのコンクリート橋です。
高さと長さが雄大な、あの余部(あまるべ)橋梁(元の餘部鉄橋)が高さ41.5m、長さ311mなのです。

この青山川橋の方が5m高くて凄い、
ふるさと豊岡に駆け抜ける高速道路は、天空をまっしぐらに走って進みます。

11月の独楽吟

2016年11月30日 | ふるさと




  11月の独楽吟・・・・・喜びの38首



11/1  楽(たの)しみは   ハンパないわと  驚いた  チラシケンちゃん  手伝いするとき

11/2  楽(たの)しみは   アトムのお店  それぞれの  味わい深い  チラシ見るとき

11/3  楽(たの)しみは   ゴミかき分けて  テレビ診る  頭にクモの巣  見て笑うとき

11/4  嬉(うれ)しさは   初めてですよ  この仕事  言って型紙  切り進むとき

11/5  嬉(うれ)しさは   イラスト旨い  文章も  己書(おのれしょ)文(ふみ)を  眺め見るとき

11/6  嬉(うれ)しさは   秋の小浜に  名刹や  鯖の街道  見て歩くとき

11/7  嬉(うれ)しさは   そうだよゆっくり  話すんよ  息子に様子  よく話すとき

11/8  嬉(うれ)しさは   ゲームのアイデア  次々と  笑顔想(おも)うて  考えるとき

11/9  嬉(うれ)しさは   鵜の瀬の水が  奈良までも  流れていくと  ガイド聞くき

11/10  嬉(うれ)しさは   今日も支払い  すぐ払う  不思議いいこと  今日も来るとき

11/11  楽(たの)しみは   ススキ穂が発つ  秋冷の  朝にコタツが  よく売れるとき

11/11  楽(たの)しみは   コードがムチャクチャ  傷んでる  ばあちゃん急ぎ  買いに来るとき

11/11  楽(たの)しみは   じいちゃん来てた  カメラ持ち  取材をケンちゃん  夜告げるとき

11/11  楽(たの)しみは   売り出しゲームの  成績表  埋まって足らぬか  予想するとき

11/12  楽(たの)しみは   答えはそうね  シチゴサン  用紙一枚  くれと聞くとき

11/13  楽(たの)しみは   若桜(わかさ)街道  ずずくなり  八頭(やず)の柿の実  見て走るとき

11/14  楽(たの)しみは   あいさつお礼  コメントも  己書(おのれしょ)文字で  品つつむとき

11/15  楽(たの)しみは   耳の聞こえん  ばあちゃんは  アトムがいいと  上手いうとき

11/16  楽(たの)しみは   記念碑土居に  建つまでに  ふるさとの話  書き終えるとき

11/16  楽(たの)しみは   局の窓口  手を合わせ  直前ハガキ  そろり出すとき

11/17  楽(たの)しみは   カニさんなんか  欲しないと  言うで蒲鉾(かまぼこ)  差し上げるとき

11/18  嬉(うれ)しさは   あれもこれもと  売り出しの  準備万端  精を出すとき

11/19  嬉(うれ)しさは   手伝う人も  来た人も  凄いにぎわい  驚きのとき

11/20  嬉(うれ)しさは   来店されて  お買い上げ  それにコメント  書いてあるとき

11/21  嬉(うれ)しさは   お礼のハガキ  なみだ目で  ボケて写して  ポスト入れるとき

11/21  嬉(うれ)しさは   飽きもしないで  じゃがいもを  積んで九年も  ゲームをするとき

11/22  嬉(うれ)しさは   とっても良いこと  聞いた後  よその評判  聞きおよぶとき

11/23  嬉(うれ)しさは   配達合間  時間見て  クイズ作成  やれ出来たとき

11/23  嬉(うれ)しさは   勤労感謝  祝日に  皆で「くら寿司」  すし食べるとき

11/23  嬉(うれ)しさは   勤労感謝  祝日に  いただきますと  お米見るとき

11/23  嬉(うれ)しさは   勤労感謝  祝日に  新嘗祭(にいなめさい)の  意味学ぶとき

11/24  嬉(うれ)しさは   ド~ンと寒けりゃ  暖房の  エアコン買うと  電話あるとき

11/25  楽(たの)しみは   お礼の葉書き  すぐ来たと  聞いて蒲鉾(かまぼこ)  また渡すとき

11/26  楽(たの)しみは   溶岩流の  上に建つ  部屋にエアコン  取り付けるとき

11/27  楽(たの)しみは   城崎温泉  ロープウェイ  乗って黒部の  写真見るとき

11/28  楽(たの)しみは   「飛んでるローカル  豊岡」の  素敵なポスター  よく目立つとき

11/29  楽(たの)しみは   明日はアトムの  社長会  一日早く  師走来るとき

11/30  楽(たの)しみは   電器屋ほどに  良い仕事  ないと話を  聞き思うとき

飛んでるローカル 豊岡

2016年11月28日 | ふるさと




 楽(たの)しみは   「飛んでるローカル  豊岡」の  素敵なポスター  よく目立つとき



上の写真は、
城崎国際アートセンターで見たポスターです。

『ありがとうございます。蛍光管をお届けします』とアートセンターを後にする時、
入り口で見かけたポスターです。

「飛んでるローカル 豊岡」ってタイトル、
なかなか気の利いた「何だろかいな?、何のことかいな?」と目にとまるタイトルですね。

豊岡市役所に市伝票を求めに行きました。
ここにも、壁にずらりと「飛んでるローカル 豊岡」のいろいろな図柄のポスターが貼ってありました。

なんとも素敵な、
気を引くキャッチコピーのポスターです。

私は知らなかったのですが、
豊岡市のホームページを見て感心します。

豊岡市はなかなかやります。
全国に向けて、豊岡市への移住定住促進のための情報発信なのです。

ホームページにはこう書いてあります。

「豊岡市では、昨年、豊岡市移住戦略立案チーム「TOYOOCOME(トヨオカム)!」を発足させ、市民(ウチの視点)とメディア・広告会社(ソトの視点)と行政が一緒に、移住定住促進のための具体的な戦略を練ってきました。

 このたび、その戦略推進のためのプロモーションのツールとして、映像、ポスター、WEBサイト、ロゴマークを制作しました。これらを活用し、今後、順次プロモーションを行っていきます。

 スローガンは「飛んでるローカル 豊岡」。

 本市は、徹底的にローカルの価値にこだわり、地域固有の文化や自然環境、人とのつながりなどの地域の資源を生かして、都会とは違う豊かさを追求していきます。

 そして、世界中から尊敬され、尊重されるまちを目指します。その決意表明を、コウノトリの野生復帰を実現した豊岡市らしい表現でアピールします。」

と載っています。

豊岡市のホームページから、http://tonderu-local.com/ に飛んで見てやってください。

豊岡市の魅力がよく分かります。

城崎温泉ロープウェイと太田垣士郎氏

2016年11月27日 | ふるさと




 楽(たの)しみは   城崎温泉  ロープウェイ  乗って黒部の  写真見るとき



『ケンちゃんケンちゃん、
城崎のロープウェイに連れて行ってやろうか』と誘います。

4才になったばかりのケンちゃんは、
まだ、ロープウェイの体験はありません。

豊岡市の城崎温泉には、立派なロープウェイがあるのです。
温泉街を抜けて正面の山は大師山です。

城崎温泉街と大師山山頂を結んで、
城崎温泉ロープウェイがあるのです。

日曜日のお昼前です。
温泉街は、昨日からの泊り客や今日着いた旅人でおおにぎわいです。

黄色のゴンドラで昇ります。
あいにくの小雨と立ち込める濃霧で、山頂からのきれいな温泉街の展望は叶いませんでした。

それでも、山頂のレストランは満席の観光客です。
レストランで見かけました。

壁に貼ってある、黒部ダムの工事の写真です。
さらに、自販機で「黒部の水」を売っています。

城崎温泉、あるいは城崎温泉ロープウェイと黒部ダム、
なんのつながりがあるのか、観光客のみなさんには分からないでしょう。

この城崎温泉ロープウェイのふもとの駅に、太田垣士郎氏の記念館があります。
前庭には太田垣士郎翁の銅像も建っています。

実は、関西電力の黒四ダムを完成した社長が、
城崎町出身の太田垣士郎氏なのです。

太田垣士郎氏は、明治27年に城崎町に生まれています。
昭和21年、京阪神急行電鉄の社長就任、昭和26年電力界の再編成で関西電力が発足すると、初代社長に就任します。

先見の明に優れ、実行力のある太田垣社長は、
関西電力の発展のために、ぐいぐいと会社を引っ張っていきます。

昭和38年 〝20世紀のピラミッド” と称された黒部第四ダムを完成させます。
太田垣士郎氏は、関西電力の実力No1の初代社長なのです。

そして城崎発展のためロープウエイをつくることを発案して、同じ年の38年に開業します。
現在の素晴らしい城崎温泉ロープウェイなのです。

今日は、
城崎温泉ロープウェイ、黒部ダムの工事の写真、関西電力初代社長の太田垣士郎氏とつながるふるさとの話です。