三笑会

三笑会は、平成30年6月1日~陶芸活動と陶芸教室、喫茶室、自家野菜販売、古美術・古物商経営を総合的に活動していきます。

「瓜を10本、芋を80本」

2020-05-28 14:00:36 | 日記
「瓜を10本、芋を80本」

 朝からお昼にかけて、マクワウリの苗を10本、サツマイモの金時苗を80本植えた。サツマイモの苗は半分に切ったので40本が80本になった。これから後のことは深刻には考えておらず、お天気頼みで、出たとこ勝負になると思う。
 妻と二人暮らしなので、豊作になるのも考え物だ。青江三奈のように「どうすりゃいいのさ思案橋」と悩んでみるか、それとも山本リンダのように「困っちゃうな~」と嘆いてみるか?



「明日はFMびざんに」

2020-05-26 22:51:02 | 日記
「明日はFMびざんに」

 明日27日の午前11時08分頃から10分程度、FMびざんのラジオ番組に電話出演することになっている。救う会徳島や北朝鮮人権人道ネットワークの最近の活動についてお話しすることになると思うが、こうした企画をご提案いただいたドレミファ曾谷氏に感謝申し上げたい。私は、今週29日で丸6年を迎える日朝ストックホルム合意について、北朝鮮人権人道ネットワークとして近日中に発表するために準備段階にある声明文案を中心にお話ししたいと考えている。
 その前日の今日は、毛布やこたつ布団を洗うためにJAのコインランドリーを何往復もして妻の手伝いをした。それが済むと、家中にバルサンを焚いた。



「温もりを感じる贈り物」

2020-05-25 19:49:07 | 日記
「温もりを感じる贈り物」

 本日、香川県で勤務する知人から、本人が作ったというティッシュを入れる木箱が届けられた。手に持つと柔らかく、そして温かい肌触りがする。丁寧な作業を感じるのは、誠実な彼の人柄がそのまま反映されている。
 もう、お目にかかることもないと思うが、大切に使わせてもらいたい。ありがとう。



「拉致対事務局の説明」

2020-05-24 19:48:32 | 日記
「拉致対事務局の説明」

 事件名:特定の会合での内閣総理大臣等の挨拶文の起案書等の不開示決定(不存在)に関する件
 『情報公開・個人情報保護審査会の答申書から』
【第5 審査会の判断の理由】
2 本件対象文書の有無について
(1)本件対象文書の保有の有無について、当審査会事務局職員をして諮問庁(注:拉致対事務局)に確認させたところ、諮問庁から次のとおり説明があった。(ア及びイ省略)
 ウ (前略)総理大臣等の挨拶については、これを行う者が、必ずしも事務方が事前に用意した挨拶文の原稿をそのまま読み上げるわけでなく、他の参加者の発言等も踏まえ、自身の思いや経験等をその場で交えながら、発言を行うことも少なくないことから、事務局(注:拉致対事務局)では、挨拶文の原稿は挨拶を行う者が挨拶を行うに当たってのいわば参考資料と位置付けていること、また、本件対象文書にいう「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ!国民大集会」における総理大臣等の挨拶文については、事後に総理官邸ウェブサイトに掲載することとしていることなどに鑑み、処分庁(注:拉致対事務局)においては、本件対象文書について、保存期間基準の事項13の④「庶務を行う会議、出張等のロジに関する文書」(保存期間1年未満)に該当する文書として扱っている。(後略)(エ及びオ省略)

【私の所感】
 安倍内閣の現行方針が、ストックホルム合意に基づき日本人に関する全ての問題の解決を目指すというものである以上、この方針に言及しない集会や大会での総理大臣の挨拶が、政府にとって何の意味も持たないと拉致対事務局が位置付けるのは当たり前だと思う。
 総理大臣に意味ある発言を期待するなら、衆参両院の本会議及び委員会(拉致特を含む)での質疑を通して内閣の方針や認識を質すべきであり、そのための活動を展開すべきである。一説には300人以上存在する拉致議連、彼らの出番はここにあるはずだが何をしているのか。拉致問題解決のための立法活動こそが国会議員で構成する拉致議連の本務ではないのか、集会や大会の演壇に立って大きなラッパを吹くのは、総理大臣も拉致議連も誰かれなくみんな止めてもらいたい。



「茶摘み」

2020-05-23 12:19:45 | 日記
「茶摘み」

 八十八夜から3週間経ってしまったが、今日は午前中に庭の垣根のあちらこちらにあるお茶の木から新茶葉を摘み取った。文部省唱歌の「茶摘」に歌われている「あかねだすきに菅の笠」いう出で立ちではないものの、一枚一枚摘み取り優雅な時間を満喫した。
 手間から言えば近くのJAで袋入りの相生茶を買ってくれば済むような話であるが、我が家の先人たちと同じ道をたどることで理解できることがあると思う。茶摘みをしながら先人たちと時間を共有する、何と雅な私であろうか。