Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

003代ゼミの事業縮小と2人の男、高宮行男 John Sperling

2014年08月31日 | 教育関連マーケティング情報


今月の23日、大手予備校「代々木ゼミナール」が、全国の20拠点を閉鎖し、本部など7拠点に集約することが明らかになりました。代ゼミ事業縮小の理由については様々なメディアで述べられているのでここでは多くは触れませんが、それらの記事をまとめると、

1)少子化への対応の遅れ
2)推薦入試、AO入試等で一般入試を受験する学生が減少したことへの対応の遅れ
3)現役志向が強くなったことへの対応の遅れ
4)中堅私立文系学生から難関校を目指す学生へのターゲットチェンジの失敗
5)大教室一斉授業から少人数クラスへの転換の遅れ
6)買収したSAPIXとの事業融合の失敗

等になります。

1)~3)に関しては外部環境の変化(SWOT分析でいうところのT=Thread=脅威)で、それに対する対策の不備を指摘しているのが4)~6)となります。

外部環境の変化によって、予備校生の数は本当に少なくなっています。Blog記事「予備校生の減少」(データえっせい2014/08/31確認)によると、75~85年のピーク時に20万人以上いた予備校生は、現在2万人強しかいないそうです。潜在市場が1/10に減少しては、いくら対策を打っても焼け石に水です。こうなるまでの手の打ち方や経営体制には様々な異論はあるものの、今回の撤退戦略は妥当な選択肢と言えます。

一方、今回の撤退については、かなり前から練られていたのではないかと様々なところで言われています。私自身20年以上前にある人から「代ゼミが、地方の中核都市の駅近くの一等地に大きい校舎を建てているのは、将来子供の数が減って事業を撤退する時、売却しやすいように考えているのだ」という話を聴いたことがあります。

このことについては下記のWebサイトを参照願います。

【驚愕】代ゼミの恐るべき先見性。予備校から不動産会社に華麗な転身か。既に実績多数

このサイトのまとめに
「こうした事実を見ると、『代ゼミ』経営者は遅くとも30年以上前から、少子化により予備校業態がいずれ苦しくなることを予見して、そのうえで校舎の土地取得や建設を行っていたことになる。そして今、そのアクセルを踏んでいるわけで、ある意味予定通りの華麗な転身プランを実行しているに過ぎないのかもしれない。」
とありました。

コガは「まだ第二次ベビーブームの子供達すら18歳に達していなかった30年前にこうした事を考えていた経営者は一体どんな人だったのだろう?」と思い、代々木ゼミナールの創業者である高宮行男氏を調べてみることにしました。

しかし高宮氏について書かれた書籍はほとんど見つかりません。唯一発見したのは文芸春秋の記事をまとめた『あぶく銭師たちよ!」(佐野眞一 ちくま文庫 1999)という文庫本だけです。この本は、ルポライターの佐野氏が「強烈なカリスマ性や驚くべき錬金術によってバブルを極めた6人の男女」を追うというノンフィクションです。細木数子、鹿内父子等と並んで高宮氏が登場します。ちなみに著者の佐野氏は、2年前に週刊朝日で大阪市長の橋下氏の過去を暴き問題になった人です。

さて本書の内容に戻りましょう。昭和62年(1987)を皮切りにする7年間を予備校業界ではG7(ゴールデンセブン)と呼んでいたそうです。この期間は第二次ベビーブーム世代が大学に入学するため、予備校業界にとってまたとない稼ぎ時でした。この稼ぎ時に最大限の学生を集客するため、代ゼミは徹底した全国展開を開始します。地元の予備校の進出反対の声をものともせず、駅前の一等地を破格の値段で買い上げ、巨大な校舎を次々と建てていくのです。

さて、この高宮氏の経営手法を読んだ時、コガはJohn Sperlingという人物を思い出しました。Sperlingは、全米最大の営利大学University of Phoenixの創設者です。彼も旧来の大学の猛反対に遭いながら、着々と大学のブランチオフィスを全米に展開していきます。働く成人をターゲットとし、そのニーズを的確に捉えた戦略を打つことで、University of Phoenixは急成長を遂げます。一時期は200のキャンパスで授業を実施し、60万人近くが学ぶ大学に成長しました。

しかし、成長は長く続きません。米国での長引くリセッション等の影響を受け、入学者は2011年以降急落します。いまでは往時の半分以下の学生数となり、2013年には113のキャンパスを閉鎖します。このあたりの急なキャンパス閉鎖も代々木ゼミナールに似ています。

そんなUniversity of Phoenix を長年引っ張ってきたJohn Sperling氏ですが、実は今年の8月22日にお亡くなりになっていました。
John Sperling, University of Phoenix Founder, Dies at 93(Bloomberg News Aug 25, 2014)

Sperling氏が逝去した翌日に代々木ゼミナールの事業縮小のニュースが世を賑わせたのも、なにか奇妙な一致を感じさせます。

「学校というのは、地味に着々と経営していくもの」という既成概念に真っ向から挑戦し、成長し、そして縮小していった高宮とSperling。
彼らの教育ビジネスに対する姿勢は異端であったのでしょうか?
それとも早すぎる天才だったのでしょうか?

参考文献
『あぶく銭師たちよ!」(佐野眞一 ちくま文庫 1999)

Vol206:『Rebel with a cause』John Sperling

【追伸】
どうでもいい些細なことですが、写真の代々木ゼミナール横浜校は、毎年コガの勤務校の一般入試会場としてお借りしていました。来年からどうするのかなあ?



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