ザ・ロード | |
コーマック・マッカーシー | |
早川書房 |
世界のほとんどすべてが焼き払われてしまったあとの道をショッピングカートを押しながらぼろぼろの状態で歩いていく父と息子。
背景はほとんど説明されませんが、空を覆う灰のせいか、一日中光が弱く、二人は頻繁に雨や雪にさらされます。季節はどんどん冬に向かいつつあり、彼らには(暖かいはずの)南へ向かうしか選択肢はありません。
植物も動物も生きるものの気配はなく、鬼畜と化した人間、疑心暗鬼で他人とのコンタクトをさけるようになった人間、すべてをあきらめた生ける屍、そんな魑魅魍魎が唯一の生命のシグナルです。
息子は世界が終わってから生まれたので、そもそも希望という概念が理解できないようですが、父にとって息子は唯一の希望であり、この世から失われてしまった善なるもののメタファーともいえるものになっています。だから、彼らは命がけで息子を守り、南を目指します。
訳者あとがきにもあるように、『アイ・アム・レジェンド』や『マッドマックス』などを想起させる近未来SF(+ロード・ノヴェル)的設定ですが、比較的派手なドラマがなく、抑えた筆致であるところが余計にリアルな恐ろしさを感じさせます。
この物語は主人公にすら名前がありません、そのぐらいコンテキストを剥ぎ取っています。ですから私たち読者はこの物語のより本質的なところを見るしかありません。それも恐ろしく感じるゆえんです。なんだか密室に監禁され自分との対話を強要されているような気がするのです。お前ならどうするのだ、と。
このように全編ひどく救いようのない物語の中で、息子を毛布でくるみあたためている父の姿と、久しぶりにありついた食事に顔を輝かせて喜ぶ子供の姿が、何度か描かれており、それが私にとっては唯一の救いでした。
また、ときどき交わされる親子の会話も実にせつないのですが、美しく効果的です。その会話を通じて、私たちは地獄を行進するような人生なのにイノセントさを失わない息子の性格や、そのイノセントさを守ろうとしながらも(ある部分非情な)生き延びる術を与えなくてはならない父の心の葛藤などを知覚することができます。
私1.0は夜中のキッチンで少しずつ読み進めていたので、切なくなると、すぐとなりの部屋で寝ている息子たちのところへ行って脱げている布団をかけてあげたりしながら、ああ、私の息子たちは無事でよかったなあ、と心から感謝をしました。当の息子たちはかけてあげた布団が迷惑らしくすぐ蹴り飛ばしておりましたが……
著者は現代アメリカ文学の巨匠とも称される人物で、本書もピュリッツアー賞を受賞しています。そして、な、なんと170万部超! も売れたそうです。すでに映画化もされており、日本でも本年度に公開されるようです。
そのような客観的な評価をさっぴいても、本書はまぎれもなく超一級のフィクションだと思います。もちろん私のなかでもここ10年で確実に3本の指に入るくらい感動した一冊に挙げられます。ご興味をもたれた方(とくに息子を持つお父さん)は是非、ご一読いただけると良いかと思います。
(文責:マツモト1.0)
上記に二度出てくる「あげる」はおかしいと思いませんか? 他人の子ならまだしも、自分の子に「丁寧語」の「あげる」を使うのは、執筆者の言葉の教養を疑われないでしょうか?余計なことかも知れませんが、ちょっと気になりましたのでご参考までに。
確かに、自分の子供に「丁寧語」を使用するのはおかしいかもしれません。でも子供への愛おしさの表現するため、あえて「かけてあげる」としたのだと思います。大目にみて「あげて」いただけますでしょうか?