Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.495:『学力幻想』(小玉 重夫著、ちくま新書、2013年)

2014年01月06日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊

学力幻想 (ちくま新書)


皆さん明けましておめでとうございます。2014年もよろしくお願い申し上げます。

さて、元日の新聞各紙は、各社渾身のスクープ記事が一面を飾ることが多い
のですが、朝日新聞はそんな予想を裏切り(?)、「教育2014 世界は 日
本は」という連載記事を一面に持ってきました。「グローバルって何」とい
う見出しで、韓国の済州島やUAEのアブダビ、日本の軽井沢に設置された学
校におけるグローバル人材育成の取り組みを取材しています(インターナシ
ョナルスクール・オブ・アジア軽井沢の開校は今年の8月)。朝日新聞は、1
月3日と4日の一面も「教育2014 世界は 日本は」の連載が掲載されており、
今年の主要テーマは教育なのだという明確な主張を感じます。マーケティン
グ上、他の全国紙との違いを出したかっただけなのかもしれませんが、私自
身、教育業界の末端にいますので、朝日のような全国紙が教育問題を大きく
取り上げること自体は、今後、教育を巡る議論が活性化する契機として前向
きに捉えたいところです。

しかし「教育」は誰もが持論を主張することができ、それゆえに俗説が飛び
交い、地に足の着いた議論が難しいテーマでもあります。そこで今回は、教
育問題の主要な論点である「学力」を巡る議論について、我々が陥りやすい
罠を分析した本書を取り上げたいと思います。

本書は、著者がこの20年ほどの間に執筆した4篇の学術論文を加筆修正のう
え再構成したもので、正直なところ、一般向けの新書としてはまとまりに欠
ける部分もあり、文章も学術的で生硬なところがあります。ただし、学力を
巡る議論が陥りがちな「子ども中心主義の罠」と「ポピュリズムの罠」の2
点を明確に指摘しており、例えば昨年から話題になっている大学入試改革案
の是非を考えるうえでも大変参考になるものと思われます。

さて、一つ目の「子ども中心主義の罠」とはどういうことでしょうか。学ぶ
主体である子どもを中心にして教育のあり方を考えようという主張は誰も否
定できないように思われます。しかし、教育という営為は、学ぶ主体だけで
は成立しません。そこには学ぶ主体とともに必ず教える主体も存在します。
つまり子どもに何をどこまで教えるかは、大人である我々の問題なのです。
学力問題を子どもの視点からだけ論じることは「学力論が背景に持っている
社会的なビジョンや政治的な路線の問題は議論の対象にならなくなってしま
う」(p.46)危険性をはらみます。

著者は、思想家ハンナ・アレントの「(新しく大人の世界に参入してくる)
子どもの教育が、異質なもの同士が共存する公共的世界の複数性が維持され
る鍵」(P.70)という議論を参照しつつ、<教え>の公共性に着目します。
内田樹さんも再三述べているとおり、子どもの視点に立った教育(=その受
益者が子ども本人であるという教育)の結果、自己利益の追求のみを考える
子どもばかりになってしまったら、もはや我々の社会は維持できません。社
会を維持するためには、<学び>の視点とは独立したところに、<教え>の
公共性を置かなければならないのです。そして、今問われているのは、子ど
もの学力低下よりもむしろ、「学力論が背景に持っている社会的なビジョ
ン」の中身に他ならないように思います。

2つ目の「ポピュリズムの罠」とは、「『みんなやればできる』という前提
にたった捉え方」(p.31)です。この捉え方も正面から否定しづらいかもし
れません。しかし「みんなやればできる」という考え方が前面に出過ぎれば、
子どもや親の力ではどうしようもない「社会的競争ルールや社会構造自体に
由来する格差」を覆い隠してしまいます。つまり「子どもたちがスタートラ
インの異なる競争に放り込まれている」(p.104)現実が見えなくなります。
もちろん不遇な生育環境でも、努力に努力を重ねて、弁護士や医師、経営者
など社会的に高い地位を獲得した人はいます。しかし統計的に見れば、そう
した人は例外的な存在です。「みんなやればできる」という言説が仮に正し
くても、そもそも「やれない」環境を放置して、ひたすら「やればできる」
と子どもたち(あるいはその親たち)を煽ったところで学力問題は一向に改
善しないのです。

本書を通じて再認識したことは、望ましい教育のあり方は、望ましい社会の
あり方とは切り離して考えられないことです。かつて明治期における教育改
革は、富国強兵を成し遂げ欧米列強にキャッチアップする人材の育成を目的
としていました。敗戦後の教育改革は、GHQの指導のもと民主主義と経済復
興を担う人材を育成することに置かれました。少子高齢化の中、東日本大震
災と原発事故という大災害を経験した我々はこれからどのような社会を築く
べきなのか、そのために教育はどのような役割を果たしていくのか、教育業
界の末席を汚す者ではありますが、引き続き考えてまいりたいと思います。
<文責 ナカダ>

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