Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

Vol.493:アラサー教員奮戦記 第23回 「就活情報解禁日に思ふ」

2013年12月07日 | アラサー教員奮戦記
(本Blog記事は、2013年12月1日発行のメルマガバックナンバーです)


写真は 東洋経済オンライン『就活の“後ろ倒し”は迷惑?大学生の本音』(2013年4月19日)より

2013年もあっという間に過ぎていきます。本日は12月1日。ついに師走とな
りました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

さて、この12月1日という日は、大学生にとって大きな一日です。そう、就
職活動の情報解禁日だからです。今日から、リクナビやマイナビといった大
手就職情報サイトがオープンされ、エントリーなどが解禁される事になりま
した。本日0時を回った瞬間から一斉にエントリーなどが行われたようです。

ちなみに来年(現2年生)からは、報道されている通りさらに後ろ倒しされ
ることが予定されています。何とも、スタート地点がどんどんと変わるのは、
誰もが手探り状態であり、なかなか慣れないというのが実感です。

さて、このように就職活動の開始時期が示されていると、あたかも「就活」
はこの日がスタートという印象を与えます。言い換えると、12月1日になっ
たら就活をすれば良いのでしょ? と言うような雰囲気もある訳です。

しかしながら、当然働く事は、これまでに培ったスキルや、大きな括りでの
人間性などが大切になるわけです。故に、いつからスタートなんてものはな
く、生まれた瞬間からスタートしているものでもある訳です。例えるならば、
高校野球の甲子園に向けた予選の開始と言ったものでしょうか。当然のこと
ながら、そこでの勝負はそれまでにどんな練習を積み重ねてきたかに掛かっ
てくる訳です。大学生もこれまでの成果が社会に問われる場のひとつという
事です。

このように、一括でスタートする所を見ると、極めて日本的、横並びだなと
思います。12月1日は日曜日です。休日に当たる訳ですから、月曜日の10時
スタートでもかまわないはずなのですが、やっぱり1日の0時からスタートす
る訳です。きっと、就職サイトの裏側では、システムが落ちないか待機して
いる人もいたでしょうし、大学生達も0時になるのをPCの前で待っていたの
ではないかと思います。なかなかの光景です。新卒一括採用として、集団就
職の頃からの何か伝統芸的なものを感じます。

一方で、この横並びというのも悪くないのではと思っています。それは、周
りが頑張っているから自分もやろうという圧力が働くからです。例えば、結
婚などについて言えば、意図を持ってしないとか時期をずらすとかではなく、
「ただなんとなくフラフラとしていたら」○○才になってしまったというよ
うな例を見聞きします。私自身もふと気付いたら、30才を過ぎていました。
こういったフラフラとしている人にとって見れば、少しでも周りが動いてく
れることは悪い事ではないと思います。

やはり、物事には旬があります。勝負所でしっかりと勝負が出来るかが大切
でしょう。マラソンなども42キロと長いものの、トップ選手達が仕掛ける
(勝負する)のは、やはり30キロ付近が多いものです。その時に勝負ができ
るように準備し、そしてしっかりとタイミングを逃さず勝負する。そういっ
たことが大切なのだと思います。

12月1日となり、今年の3年生の就職活動が開始されました。マラソンで言え
ば、スタートを切った所でしょうか、それとも20キロ過ぎでしょうか、はた
またラスト1キロを切った所でしょうか? 業界により、企業により、人に
より異なるでしょうが、レースが始まった事は確かなようです。今年その
レースに参加する大学3年生達にはしっかりと自分の力を出して欲しいと思
っています。

なお、私の職業人生をレースで例えるならば、まだ5キロも行っていないで
しょうか。まだまだ先は長く、そして苦しい所も多くありそうです。勝負所
もどこかは分かりませんが、ある事でしょう。そう、就活なんてスタート地
点に立つだけのもの、ゴールなんかではないのです。リラックスして、一方
謙虚な気持ちを持って臨んで欲しい所です。働く人が増える事は社会にとっ
て素晴らしいことです。若輩者ながら、新しい参加者を歓迎いたします。
<文責 ハシモト>

vol.489:アラサー教員奮戦記 第22回「ダメ出しに耐える力」

2013年10月09日 | アラサー教員奮戦記

夏が終わると、一年の終わりが見えてきます。大学ではスタートした時点で
は全ての授業日程などが決まっています。さらに、最近はシラバスで授業の
内容も決めていますので、よほどのことがない限りはスケジュール通りに進
みます。後期に入り、眺めてみますと1年があっという間であることを再認
識します。

今日は、ダメ出しに耐える力について書きたいと思います。
最近、ある産学連携の企業コンペに参加し、その提案書類を作るにあたり学
生とのやり取りを多くやっていました。企業からのテーマを元に学生が提案
を考え、それをわかりやすい提案書にまとめます。その過程で、ずっと学生
が作ってきた文章や書類に赤ペンを入れて返すという事をやっていました。

実は大学の授業─少なくとも大人数の授業─においては、この赤ペンを入れ
るという作業、すなわちダメ出しを行うことはとても難しい事です。レポー
トを書いたとしても、受け取りっぱなしと言うこともあるでしょう。また、
返したとしても1度が物理的に限界だったりします。知識の定着を確認する
という意味では、必ずしも書き直させることが必要性が高いとも言えません。
その意味で、ゼミや研究室というのは、数少ないダメ出しを受ける機会です。

しかしながら、社会人となるとこのダメ出しというのは、それこそ「終わる
まで」ある訳です。ある必要なクオリティに達するまではやり続ける事が必
要になり、そのたびにダメ出しがある訳です。育成の一番の基本と言えるの
ではないでしょうか。私自身も、「言いたいことが全く分からない」と、よ
く言われました。「この上司、何も分かっていない」と思っていたものです
が、冷静になると「全くその通りでした」と、ぐうの音も出なくなってしま
います。しかし、このダメ出しをされて、直して、それでもまたダメ出しを
受けて、という本当に一見生産性が低いような行為こそが、現在の力になっ
ているなと実感しています。

ですから、ダメ出しを受けるというのは、一見否定されているように感じる
のですが、これこそが最大の教育サービスであるのです。もちろん、ダメ出
しという名のいじめもあるので一概には言えませんが、育てようという組織
と育てようとする上司によるダメ出しは、何物にも代えがたいサービスとな
るはずです。つまり、ダメ出しというのは、「してもらえたらラッキー」と
いう話なのです。しかし、受け取り手次第では、そのダメ出しを拒否してし
まう人もいるようです。それは本当に残念だしもったいない事です。ダメ出
しに耐える力というものが不足しているのでしょう。

大学では、その人の将来に役立つことを学んでもらいたいと思います。それ
でも、仕事に直結する事をやるかといえばそうではありません。当然、実務
のことは実務を通じて学ぶ必要がある訳です。その時、愛のあるダメ出しを
受け取り、それを活かせる人になっている事は大切なことでしょうし、大学
時代に身につけておくべき力だと思います。ダメ出しに耐える力とは具体的
にどういった力なのか、またダメ出しをどう活かしていくのかについては、
また次の機会に考えて行きましょう。

最後に、大量の赤ペン入れを行っていると、これまでお世話になった多くの
先輩方の顔が浮かんできます。口先八丁で都合の良いことは言うが、その内
容が全く反映されていない訳の分からない文章や資料を作っていたことに本
当に恥ずかしくなりました。今でも、良い文章が書けるようになっていると
は到底言えませんが、昔の文章と比べれば格段にレベルが上がったと思いま
す。その方々の苦労に比べれば、今の自分のことなんて苦労でも何でもない
なと感じています。
<文責:ハシモト>

vol.485:アラサー教員奮戦記 第21回「「面白い」の持つ魔力と怖さについて」

2013年08月11日 | アラサー教員奮戦記


夏です。真夏です。ここ数年は、「立秋」とかそういったものは、ほとんど
実態を表さなくなりました。どうしようもないくらい暑いのです。夜中で30
度を超えるというのは尋常ではありませんね。さて、そんな真夏の中、大学
は前期が終了しました。終わってみれば、あっという間ですが、途中は息切
れを起こしそうになるものです。今日は、ちょっと真面目に授業設計につい
てお届けします。

何らかの教育を提供する時に、受講者の興味関心を引くことはとても大切な
事です。やりたくないと言われれば、それでおしまいだからです。ID(イン
ストラクショナルデザイン)という分野においては、ARCSモデルという授業
設計のノウハウがあります。その中では、まずはARCSのA=Attention(関心)
を獲得することが大切だと言われています。

Attentionの獲得の仕方については、様々な方法があります。その一つに、
受講生の「面白い」とか「面白そう」と感じる分野にターゲットをあてて、
それをきっかけに授業を展開しようという方法があります。これは確かに力
強い方法です。しかし、その副作用も強いのです。特に最近は、知識を得る
だけではなく、何らかのアクションを求める事が多くなっています。PBL
(プロジェクトベースドラーニング)とかSL(サービスラーニング)という
ものを代表的に、ただ知識を得るだけではなく、アクションを行う事自体が
学びの一部というものです。様々な形で「何か(自分で)やること」、
「体験すること」が重視されてきていると言えるでしょう。

アクションを起こすには、知識習得するだけ以上の動機付けが必要です。手
っ取り早く動かすためには、「楽しい」とか「楽しそう」に合わせていくこ
とは動機付けのための方法としてはオーソドックスでしょう。しかし、それ
は学生の「現時点での楽しさ」に頼るという悪魔のささやきと隣り合わせな
のです。

現時点での楽しさというのは、その人の過去の経験に起因してきます。たく
さんの経験をしてきた人であれば、当然「面白い」と思う範囲も広くなると
思いますが、経験が浅い場合には面白いという範囲も狭くなってくる訳です。
現時点での楽しさに頼るというのは、この過去の経験が起因するという面が
一つの問題点だと考えます。

故に、初めの段階で「面白い」と思えないものは参加しないという事になっ
てしまいます。参加してみた結果、新たな視点に気付くという事は多分にあ
ると思うのですが、初めの段階でシャットアウトしてしまうのです。「これ
だから最近の学生は」という事につながる事が多いのですが、一方、授業設
計の立場からは「楽しい」で釣ろうとしたら、そういう反応になるだろうと
いう事も思います。たくさん集まって人気があるように思えるのですが、一
方参加者は非常に偏っていたりするのです。そして、良くあるのが参加して
欲しいと思う人達や、参加したら良いだろうなと思う人が参加しないという
事態です。

また、別の観点では、「面白い」の裏での安易な自己責任への転嫁や授業設
計の怠慢がある事です。例えば、自転車に乗るという事を例に取ってみまし
ょう。まずは、自転車に乗って颯爽と走っている姿を見せ、「楽しそう」と
思わせます。自転車のスピード感だとか、遠くに行ける感覚を見せるわけで
す。その次には、補助輪を付けて乗せて(そして、そのことは伝えずに)乗
れた気にさせるのです。本人は自転車にのれると思っているが、結局は自転
車に乗れずじまいです。しかし、後は知らないよと。

当然、自転車に乗るためには、何度転んでも練習し続けるという経験が必要
ですし、もう少し細かい事を言えば、補助輪を付けて走っている姿を観察し
て、タイミングを見計らって補助輪を外すという事が必要です。しかし、手
間が掛かりますし、そして何よりこの瞬間「楽しくない」のです。転ぶと痛
いですから。楽しくない事をやらせるのは大変ですから、楽しいだけですむ
ようにしてしまえという悪魔のささやきが聞こえてくるのでしょう。悪魔の
声に耳を貸せば、「楽しいけれど、なにも残らない」という、そもそもとし
て教育としての何かを捨ててしまう結果になってしまいます。

また、最後には個人的な思いがあります。これは、自分が天の邪鬼だからと
いう事かも知れませんが、誰かが「これ、楽しいだろう」と提供するものに
対して、何となくの嫌悪感を感じています。それは、誰か他人が発する
「楽しさ」というのは作られた「楽しさ」であり、いうなれば「こうすると
楽しいだろ?」という意図を感じるのです。極めて偏った言い方をすれば、
「楽しまされている」とでも言うのでしょうか。極端に言えば、そこには
「自由」とは対極のものを感じます。

以上のように、私は「面白い」と言うことに対して、ネガティブな思いをも
っています。もちろん、楽しいが悪い訳ではありません。しかし、「楽し
い」とくに「現時点での楽しい」だけを評価軸にするのは間違っているのだ
と思います。

できることならば、「楽しいとは思っていなかったが、やり終わったら面白
くなった」とか、「途中で色々と出来る事が増えてきて面白くなった」とい
う事を目指していきたいなと思っている次第です。ただ、これは茨の道でも
ある訳です。
<文責 ハシモト>

Vol.481:「投げたブーメランが返ってくる」

2013年06月16日 | アラサー教員奮戦記


今年の梅雨は、なかなか雨が降らないですが、それでも蒸し暑い日々が続い
ています。晴れていて良いなという人もいれば、雨が降って欲しいという方
もいるでしょうし、天候というのは何が「良い」か分かりません。ちなみに、
我がキャンパスのそばにあります大山というのは「あふり山」ともいい、大
山阿夫利神社は、雨乞いの対象としても有名です。秋の紅葉もきれいですが、
夏の青々として景色も風情があります。春夏秋冬、それぞれの様子を楽しむ
のも、田舎の特権かと思いますし、精神的にも落ち着いて居られる気がしま
す。

さて、今日は「ブーメラン」についてお届けします。
ブーメランとは、投げると弧を描いて戻ってくるあのブーメランです。ある
年齢以上の方は、西城秀樹をイメージされるでしょうか。

このブーメランですが、ネット用語として「他人への批判が自分自身にも当
てはっている(http://goo.gl/S8lji)」という使われ方をします。

事例として、匿名での批判を匿名で行っている事などが挙げられています。
このブーメランについては、よくよく考えなければならないなと痛感してい
ます。それは、教師という立場として、「注意する機会」が他の職業と比べ
多いという事が影響しています。読者の方々も先輩として、上司として、あ
るいは親として等々、少なからず経験があるかと思います。

例えば、「遅刻するな」と言っておきながら、自分が遅刻しているというよ
うな事は、あり得ない事です。まさにブーメランとなって突き刺さってきま
す。遅刻するなと言われた側から「お前から言われたくはないわ」という印
象を与えると同時に、言う側としても「ああ、自分もできていないにも関わ
らず、こんな事を言ってしまって恥ずかしい」という思いを持ってしまい、
結果的に言うべき事が言い切れないことにつながるからです。

「こんな事は当たり前だ」とのお叱りを受けるかと思います。当たり前の話
であります。それでも、気を付けていないとあたかも自分が聖人君子にでも
なったかのような大いなる勘違いをしてしまいがちです。自分は全て完璧で、
注意をしてやっているんだと。特に、優秀な学生、優秀な部下を持った場合
には、「素直に聞いてくれる」でしょうから、その勘違いに拍車を掛けてし
まうリスクがあります。これは、ほぼ100%勘違いであります。

さて、それ以外にもブーメランが飛んでくる事があります。それは、安全地
帯から批判をしていたつもりが、いつの間にか後頭部に突き刺さっていると
言うような場面です。あたかも時空を超えて、昔投げたブーメランが返って
くるのです。

例えば、若かりし頃に上司に向かって壮絶にかみついていた人が、部下から
かみつかれた際に逆ギレして怒鳴り散らしてしまうだとか、リーダーの事を
リーダーシップが足りないと言っておきながら、自分がリーダーになった際
に常時弱音を吐くだとか、そういった類いのものです。

きっと皆さん多かれ少なかれそういった経験をお持ちではないかと思います。
そして、大概の場合には複数のブーメランが投げられており、返ってきてい
る最中だったりします。天候不良時の空港上空のように。
私も、最近こういった形でブーメランが返ってきつつあります。例えば学生
時代に「あの先生は授業がつまらない」とか言っていた事を思い出します。
それは、自分が今どれだけ面白い授業ができているのだろうか、という形で
返ってきています。教師以外の仕事であれば、社内研修での講義などの際に
返ってくるのではないかと思います。

投げたブーメランに当たると、思いの外痛いです。よくも思い切り投げられ
たものだと思ったりします。結果として、自分に返ってくるのが怖くなり、
批判しなくなっていくものではないでしょうか。つまり、ブーメランを投げ
なくなるのです。ある意味では、「大人になる」という事かも知れません。

一方で、ブーメランと分かっていながら投げなければならない、つまり批判
や注意をしなければならない時もあると思います。言うことが仕事であり、
優しさであるというケースです。そういったときには、ブーメランである事
を認識した上で、お前に言われたくないという目線に耐えながら、できてい
ない自分を噛みしめながら注意する事も必要なのではないでしょうか。教師
としては、後頭部にずしりと刺さる事を意識しながらも、思いっきりブーメ
ランを投げる人間でありたいとも思います。そして、刺さったブーメランと
共に一歩一歩歩んでいくのも悪くないかなと思います。

さて、今日もブーメランを投げ、そしてブーメランが返ってきています。傷
だらけであります。
<文責 ハシモト>

Vol.477:アラサー教員奮戦記 第19回「変われと言うこと、変わり続けること」

2013年04月21日 | アラサー教員奮戦記


こんにちはハシモトです。
3月末にゼミ合宿の予定を入れてしまったことにより、何となく昨年度末と
今年度が切れ目なく続いてしまいました。その結果、既に新年度始まったば
かりだというのに、バタバタとしております。
前回のメルマガでご紹介いたしましたゼミ合宿については、下記のブログに
まとめております。ご笑覧いただければ幸いです。
http://www.hashimoto-lab.com/2013/04/2943

さて、今日は「『変われ』ということ、変わり続けること」というテーマで
お届けいたします。我々教員は、学生に対して何らかの形で「変われ」とい
うメッセージを発しています。「これ憶えとけよ」というようなベタな台詞
は言わないにしても、新しい知識を獲得するというのは、少なからず変化し
ていると言えます。

それだけではなく、普段の行動に対しても変化を要求します。遅刻をする学
生に対しては、何らかのペナルティを伴いながら「そんな事では社会で通用
しないぞ」というようなメッセージを発する訳です。つまり、「変われ」と。
変化することが全て成長に繋がっているとは言えませんが、成長とはなにか
を考えた時に変化という側面はあるのではないかと思います。

では、「変化しろ」と言われて「変化できる」ものなのでしょうか。いえ、
当然そんなに簡単なものではありません。企業で言えば、「企業変革」とい
うのは常にテーマとして掲げられていますし、「できないもの」の象徴とし
ての地位を盤石にしている感があります。そういう意味では、学生にとって
も変化は簡単なことではないでしょう。簡単でないことを知っているにも関
わらず、「変われ」とだけいうのは無責任きわまりないことに感じます。

また違った観点としては、「変化しない人間」から「変われ」と言われるこ
との矛盾についても考えてしまいます。紺屋の白袴、医者の不養生、学者の
不身持などの似たような言葉がありますが、「変われ」と言うからには自ら
も「変わる」必要があります。変わらない人に変われと言われてもなあ、と
いう率直な反応が返ってきそうだからです。

このように考えてみると、変われという側には、1.具体的にどのようにす
れば変われるのかに関するアドバイスを行うこと。2.自ら率先して変わる
ことを示すこと といった2点が必要になるのだと思います。

前者については、本メルマガで他の執筆陣が様々紹介をしているように、優
良な事例を研究したり、理論を学んだり、実践を重ねることかと思います。
後者について言えば、自らが変わっていることを示すことでしょう。

さて、ではどうするか? 悩みました。どうすれば、「この人は変化してい
るな」と思ってもらえるのだろうか、と。

この3ヶ月ほど、色々と取り組んでみました。一つの取組として、ダイエット
をしてみました。約3キロほど痩せたのですが、
残念なことにほとんど気付かれません。そうです。誰もそんなこと気にしな
いのです。腹回りがすこしスッキリしているのですが、それを披露する場面
は当然ありません。残念ながらそれが現実でした。

そうか、本人は変わったつもりでも周りからは気付かれないこともあるんだ
な。きっと、外から見ていては気付かないけれど、本人は変わったと思って
いることは往々にしてあるのだろうな、ということに気付きました。

次に考えたのは、わかりやすく変化することです。一瞬でみてわかるように
ということで、髪型を変えました。これまでにも、ある日突然バッサリ切っ
てみたりはしていましたので、それを超えるインパクトが必要です。2日ほ
ど考えて、決断しました。そうだ、
「パーマ」かけてやろうと!!

効果はありました。その日以降至る所で、「なんか、変わりましたね
(笑)」という声がかかるようになりました。しかし、狙い通りでもないの
です。「なんか、チャラいですね(笑)」とか、「婚活ですか?(笑)」と
か、そんな反応も一緒についてきました。そう、(笑)がついてきたのです。

なるほど、変わるってのは常に「良くも悪くも」なのだな、と感じている次
第です。年齢を重ねるに従って、その「良くも悪くも」の「悪くも」の方に
目が向いて、「だったら同じでいいや」という圧力が増してきます。ただ、
その一歩を踏み出せない人に「変われ」なんて言われたくないですね。結局
の所、リスクとリターンはセットです。

という訳で、この変化はある程度効果があったわけですが、既に過去のもの
になりました。変化とは、「変化したことがある」ではダメで、「変化して
いる」という現在進行形が必要になるわけです。そこで、今は次にどんな変
化をしてやろうかと悪巧みしています。もちろん、見た目だけではなく、も
っと本質的な所に取り組んでいきたいと考えています。

読者の皆さん。今年、何か変化した、変化しようとしていることはあります
か? 変化していないとしたら……。ではまた!!
<文責 ハシモト>

vol.473:アラサー教員奮戦記 第18回 「2012年度橋本ゼミの活動(100均ワークショップ)について」

2013年03月06日 | アラサー教員奮戦記
新年始まったと思ったら、既に2月も終わりにさしかかっています。大学生
は既に春休みに入っているのですが、我々教員は今年度の締めくくりと来年
度の準備に入っています。少しゆっくりする時間も取れるのかな? と思っ
てもいますが、気がつくと2月終わり。人生はどんどんと進んで行くようで
す。

今日は、我が橋本ゼミの活動の一つを紹介したいと思います。
さきほど、学生は春休みに入っていると書きましたが、我がゼミ生は動き続
けています。2月?3月にかけては今年度の活動の集大成的イベントが目白押
しで、毎日誰かしらがキャンパスに来て作業をしたり、打ち合わせをしてい
ます。やはり、授業がなくなった今の時期は、一つの事に取り組むという意
味では良い時間です。遊ぶ事ももちろんして欲しいですが、遊ぶだけではな
い「何か」に一心不乱に取り組むという事も必要な事ではないかと思います。

さて、そのようなイベントの一つにゼミ春合宿があります。橋本ゼミの春合
宿では、主に2つのことを計画しています。一つ目は、3年生のゼミでどのよ
うな活動を行うのか? という計画を発表してもらう事です。本学では2年
後期から専門ゼミが始まるので、既にゼミの活動をしている訳ですが、やは
り他の文系の大学と同様に3年?4年というのが、1年?2年で身につけたことを
活かしながら専門的な事に取り組む大事な時期です。その3年生にどのよう
な事をやりたいのかを考えてもらっています。

短期的な話としては、3年生の12月には就職活動が始まります。その時に、
「私は大学生活○○を頑張ってきました」という○○に当たる部分を取り組
んでもらいたいと思っています。また、前述の通り、大学生としての「時
間」をどういったことに向けるのかという意味でも大事な選択になることで
しょう。

この活動については、「一人で」行ってもらっています。ゼミの活動では
チームワークを要求することが多かったのですが、やはり進路を決めるのは
一人。であるならば、やることを決めるのも一人。今までやってきた事を振
り返ったり、将来の事を考えたりと、ゆっくりかつ真剣に自分自身に向き合
って欲しいと考えています。

もう一つの取り組みが「100均ワークショップ」です。これは、ゼミ生を5人
グループにランダムで分けて、そのチーム毎に30分のミニワークショップを
行ってもらうというものです。我がゼミは20人ですので、5人がワークショ
ップを主催し、後の16人(私を含む)が参加者となります。その際「道具と
して100円均一ショップで売っているもの以外は使えない」という条件をつ
けました。この条件から「100均ワークショップ」と名付けています。

ワークショップというと、レゴブロックに代表されるように小道具は「テッ
パン」なものができつつます。しかし、それがなければできないかというと、
もちろんそんな事はないわけです。むしろ、一部に「ワークショップ=レゴ
ブロック」というような固定的な考え方になってしまっている面もあるので
はないかと考えています。その行き着く先として、レゴを買う予算がないか
らワークショップができないという短絡的な方向に向かってしまうことを懸
念しています。予算を敢えて制約することで「自由な発想」でワークショッ
プを作ってもらいたいと考えています。とは言うものの、今の100円均一に
ついては、ほとんど何でもあるという状況です。結果的には、ほとんど制約
はないかも知れません。文具系はもちろんながら、おもちゃとか、日曜大工
までほとんど揃います。風呂道具等が穴場ではないかと思っています。

一番重要なのは「アイデア」とそれを「形にする力」です。アイスブレイク
に限定したものを作るでもよし、何らかのワークを行うでもよし。30分の短
い時間に、ランダムで決まった班でワークショップを行う。簡単なようで、
ハードルは決して低くないと思います。ゼミ生達の自由な発想を、今からと
ても楽しみにしています。

vol.468:アラサー教員奮戦記 第17回 「失敗するために、機会を作るということ」

2013年01月04日 | アラサー教員奮戦記


師走に入り、バタバタとした日々が続いています。私個人としては、12月25日に
ちょっとしたチャレンジングなイベントが控えておりまして、そこまでいかに走り
きるかが専らの課題となっています。あっ、そのイベントは本メルマガの話題に
とっても合っている「ラーニングな」イベントであります。クリスマスにガッツリ
仕事なのが玉に瑕です。

さて、今日は、そんなイベントについての話題です。

イベント、特に「ラーニングな」イベントの場合には、論点としてあげられるのは、
「どんな内容を扱うのか」という事です。その次に、「どんな形態で行うのか?」
があがるかと思います。たとえば、社会人10年目を対象に「自分のキャリアを振り返
る」という内容で、「ワークショップ形式」でやろうとか、「○○業界の最新事例を
紹介する」という内容を「講演とパネルディスカッション形式」でやろうとか、そう
いった形です。

参加者は、それを見て参加するかしないかを決めているので、これらは大事な事です。
しかし、イベントを実際に開催してみると課題になるのは内容とか形式ではなく、「運
営」である事が多いです。特に、問題が生じるケースにおいては、ほとんどだと言って
も過言ではありません。慣れていない人達が運営に携わるケースですと、その頻度は格
段に上がってしまうのです。○○という内容について詳しく知っていて、人にも伝えら
れるから、○○に関連したイベントを開催できるかというと、必ずしもそんな簡単な話
ではないという事になります。

では、こういった機微を全くの初心者である学生にいかに伝えていくのか? これが現
在私の取り組んでいる内容です。学生によくあるパターンが、楽にできるだろうと考え
ているが、実際には上手くいかなかったと言うことです。

現状では完全にOJTの形で、みずからが主催するようなイベントに学生にも参加して
もらって、「大学生を対象としたイベントの参加者募集の案内は、バイトのシフトを出
す前くらいのタイミングで送ると参加してもらいやすくなる」とか、「参加者が受付で
滞留しないように受付のテーブルをセッティングにする」といった内容を地道に伝えて
います。

こういった活動によって感じているのは、「自分でやってみることによって初めてどこ
を見れば良いのかがわかってくる」ということです。少なくとも学生は、「ラーニング
な」イベントを経験しています。学校にいるのですから、言ってみれば毎日が授業とい
う「ラーニングな」イベントに携わっている事になります。しかしながら、授業を「受
ける」という立場にいるだけでは、何かを「行う」という側の事を想像することは難し
いようです。やってみて、失敗して、フィードバックを受けて、初めてどこを見れば良
いのかがわかってくるのだと感じています。

そう考えると、「やってみる事」、「失敗すること」、「フィードバックを得る事」を
少なくとも乗り越える必要があるという事になります。振り返ってみると、自分もそん
な場をたくさん経験させてもらったなあと思い出します。そして、それは案外他のこと
にも役だったなあと感じています。

学生がやってみて、失敗できるような場をいかに作り出すのか? これが当面の課題と
いう事です。前回のメルマガでは、学園祭の内容を紹介しましたが、こちらについても
「運営」を学ぶ良い機会になりました。全くもって裏方的な事なのですが、これができ
ない事による悪影響をしっかりと掴んでくれたようです。つまり、今回運営という意味
では「失敗できた」という事でもあります(イベント全体は総合的には上手くいったと
思います)。

「自ら機会を作り出し、その機会によって失敗する経験を積む」と、どこかの会社の社
訓のようでもあるのですが、そういった場があるという事は必要な事だと思います。

一つのイベントが終わると次の準備を行っています。現在は、目の前の12月25日のイベ
ントについて準備をしながら、1月2月の事を詰めていっています。失敗が許されない所
もありますが、失敗ができる場も作っていく必要がある訳です。少なからず、何らかの
機会は必要だと信じ進んで言っています。そんなバタバタした日々を過ごしていたら、
もう12月が過ぎていこうとしています。「あっという間」ですが楽しい毎日です。

さて、今号は私が担当する今年最後のメルマガ記事になります。全くもって役に立たない
記事で恐縮ですが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

<文責 ハシモト>

vol.465:アラサー教員奮戦記 第16回 「学園祭も奮戦します」

2012年10月22日 | アラサー教員奮戦記
ここ数日、かなり涼しくなって参りました。いつも汗だくの私にとっては、
春夏秋冬というよりも夏夏夏秋くらいの感覚でしかありませんので、涼しく
なってきたというのもほとんど朝晩だけの話であり、相変わらず汗だくです。
特に、授業中などはひとりだけ異次元にいるような暑さを感じています。

さて、季節的には秋になって参りまして、学園祭のシーズンとなってきまし
た。大学生時分の私にとっての学園祭とは、ほとんど「お休み」のようなも
のでありまして、これといった思い出がないのであります。これには、本当
に後悔しています。やはり、学園祭といえば、何となくテンション上がって
いく予感とでも言うのでしょうか、そんな雰囲気があるわけですが、それさ
えも開店休業になってしまっていたわけですから。生粋のミーハー気質の人
間としては、「そんなの行かねえよ」と斜に構えることしかできなかったわ
けです。

とはいえ、大学教員になった今、もう一度学園祭を「中の人」として携わる
事ができるわけです。今日は、今ゼミで鋭意作成中のイベントについて紹介
します。

橋本ゼミでは、「学び」×「経営」ということをテーマとして、さらに
「Learning is Entertainment」をビジョンに活動を行っています。その活
動の一環として、本学の学園祭である瑞木祭(11月10日~11日)において、
「体験型のゲーム」を実施する予定です。

現在、ワークショップという言葉がかなり色々な所で聞かれるようになりま
した。ワークショップ形式での研修というものもかなり数が多くなってきて
いるようですし、農業体験ワークショップといった何らかの体験が含まれる
ものに対しては、ワークショップという言葉が使われています。良いイメー
ジもたくさんあるでしょうし、一方であまり良くないイメージを持たれてい
る方もいらっしゃるかと思います。

今回、我々が目指すものは、きっと「ワークショップ」というカテゴリーに
入るものなのではないかと思います。しかし、あえてワークショップという
言葉は使わずに「体験型のイベント」としています。それは、この活動を通
じてワークショップについて考えたいなという思いがあるからです。学生は
何らかの形ですこしワークショップに触れています。そういった経験や、自
分でやってみるという経験を活かし、ワークショップとは何か? そんな事
を考える機会にできたらなと思っています。

また、最近では体験型イベントとして「謎解きもの」も行うものも多くあり
ます。有名な所では、スクラップ社が行っていて商標も取得されている「リ
アル脱出ゲーム(http://realdgame.jp)」などはかなり盛況を収めている
ようです。我々も一度体験に行きましたが、非常に考えられているプログラ
ムだなと思いました。遊園地全体を使ったりと大規模なものから、小さな部
屋のなかで完結するものまであるようです。

さて、このように体験型イベントをただやるだけでは、既にあるものをなぞ
るだけになってしまいます。その上学生がやることです。当然、チープにな
ってしまうでしょう。そこで、何らかの形で新しい事はできないだろうか?

そんな事を考え、1つの手法を導入することにしました。

それは、協調学習(collaborative learning)という知見を用いる事です。
中でも、「ジグソーメソッド」という手法を用いることにいたしました。極
めてざっくりと、ジグソーメソッドを説明すると、ある課題を複数に分割し、
まずその分割された課題について学ぶエキスパートグループと、それぞれの
学んだ事を持ち寄り知識を統合していくジグソーグループという2つのグ
ループ活動を行う手法です。

この手法の特徴は、グループで活動する際に、それぞれが違った視点を持ち
寄る事ができるようになっている事です。また、それぞれがエキスパートグ
ループで学んだ知識を持ち寄らなければ、ジグソーグループでの活動が上手
くいかないため、他者と交流する事が組み込まれている所にあります。
ジグソーメソッドに関する詳細は、下記のサイトを参照願います

東京大学大学院 情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座「BEAT」
メールマガジン「Beating」第18号「5分でわかる学習理論講座」


その手法を大胆に体験型のゲームに組み込む事にいたしました。専門家の人
からは、鈍器で殴られてしまいそうな雰囲気もあるわけですが、いかに面白
いゲームにできるのかを考えています。

現在、そのシナリオがほぼ完成しました。これをいかにジグソー教材に仕上
げるのかが大きな課題です。ジグソーメソッドをゲームとして使う場合には、
以下のような課題があります。

1.全体としてどのような課題に取り組むのか?(ジグソーグループでは何
をやるのか?)
2.エキスパートグループをどのように分割するのか?
3.ゲームとして成り立たせるための「謎解き」部分をどのように埋め込む
のか?

前半2つについては、ジグソーメソッドを行う際には一般的な課題かと思い
ますが、最後がゲームとして行うとなると課題になる部分かと思います。

特に、エキスパートグループをどのように分割するのかというのは、この手
法を行う人達の知恵の見せ所と行った所でありまして、かなり苦労していま
す。

現在は、大枠としてプロットが完成している段階であり、これから詳細を詰
めていく形です。実際にやってみないと分からない点は多々ありますが、一
番難しいだろうと思っているのが、どの程度介入を行うのかという点です。
やり過ぎては、自分達でやったという感覚を得にくくなりますし、介入がな
ければ冷めてしまうかも知れません。そういった高度なファシリテーション
が求められるのではないかと思います。

現在、Webサイトを通じて、特にfacebookページを使って作成の様子を情報
発信しています。ご興味をもたれた方は、是非「いいね」をお願いいたしま
す。また、お時間がありましたら、11月10日~11日と新感覚の学びのイベン
トにお越しいただければと思います。また、次回においては実施報告をさせ
ていただければと思います。

↓イベントはこんなイメージです。
【別れの教室 ?大学内に伝わる七不思議を解き明かせ?】
本学には、ある噂がある。ある時期、ある教室に入るとどんなカップルでも
「別れてしまう」という噂だ。今では七不思議の一つと呼ばれている。今、
この謎に後一歩という所まで迫っている。そんな時・・・

Webサイト

facebook

<文責:ハシモト>

vol.461:アラサー教員奮戦記 第15回「アイドルと世代間ギャップ」

2012年08月26日 | アラサー教員奮戦記
夏休みが始まったかと思ったら、既に終わりが見えてきました。以前、自分
が大学生だった頃は、夏休みと言えば2ヶ月間あったものですが、昨今では
授業回数などが厳格になってきており、以前より夏休みは短くなっています。
少なくとも最近の大学生は、たくさんの授業を受けています。つまり、我々
教員は、以前よりもたくさんの授業をやっているという事でしょう。もちろ
ん、入ったばかりの私には以前もなにもありませんので、これはそういうも
のとして受け入れているのであります。

さて、夏休みですので、いつにもましてライトな話をします。今回は、アイ
ドルの話です。
「アイドルと言えば誰でしょうか?」 この問いは、2つほどの意味を持っ
ています。ひとつは、どういったタイプの異性が好きなのか? という問い
でありまして、もうひとつがどういった時代を生きてきたのかという話であ
ります。

時代に応じたアイドルが存在していて、ある意味ではその存在は、時代の象
徴のようなものかも知れません。それ故に、同世代で集まったりすると、
「あのときの○○ちゃんはカワイかったよな」とか、「自分は、○○派だっ
たんだよな」というような話になり、その話に共感できることは同世代であ
る事を確認することに繋がり、共感できないということは同世代ではないと
いうことを意味する訳です。会社内などでは、こういった話によって世代が
分かれているのかも知れません。

先日、仕事で秋葉原に行ってきたところ、この夏で卒業をするAKB48の前田
敦子さんの写真が駅を埋め尽くしていました。流石に、AKBの聖地でした。
そのAKBについても、国民的と言われるようになったのはここ数年といった
所でしょうか。CDの売上枚数を調べてみると2009年から10万枚を超え、2010
年からは100万枚を超えるようになっているようです。2012年現在、まさに
ピークを迎えているのでしょうか。

さて、このようにアイドルは世代を表すものであることが故に、捉え違える
と「ずれている」という事を如実に表してしまうわけです。これは、悲劇と
なり得ます。たとえば、我々アラサー世代が大学生の当時であれば、モーニ
ング娘が最盛期でした。その常識を持って現役の大学生に接したとすれば、
それは大火傷でしょう。

しかし、これはまだ良い方なのです。一番のリスクは、現在の最先端に乗ろ
うとして乗り切れない時に訪れるのです。現在、(少なくとも私の周りに
て)そういったリスクをはらんだ存在としてあげられるのが、ももいろク
ローバーZ(http://www.momoclo.net)「ももクロ」です。今年に入ってか
らでしょうか、メディアでも注目を集めてきました。皆さんはご存じでしょ
うか? 私の周りにいる熱狂的なfanである大学生M氏によれば、「ライブを
見れば、良さはすぐにわかりますよ。他のアイドルとは全然違いますから」
との事です。

ここで告白をしてしまいますが、youtubeなどでライブの動画を何本か見て
みたのですが、私には「ももクロ」の良さはどうもわからないのでした。こ
の子達が国民的なアイドルとなった日には、もう、これは完全に世代が変わ
ったのだなという事を痛感せざるを得ない訳です。確かに、一部の大学生達
は熱狂しているのです。

では、流行っているという事実を知った上で、自分では今一歩わからないの
にも関わらず、安易に「ももクロ」とか言ってしまうとどうなるのでしょう
か。ありがちなのは、若者達だけが共有できている微妙なニュアンスを取り
違えてしまうことです。そして、壮絶に「外す」のです。

すなわち、アイドルの事を自分もわかっているよという顔で若者へ迎合し、
「自分は若いぞ」とアピールしている訳です。それが、外れるということは、
「若くない」ということを盛大にアピールしてしまうのです。これは、寒々
とした空気が流れます。こういった空気は今まで色々な場で見てきました。
ムリは良くないのです。

同じような事に、流行言葉を使う事が上げられます。その昔、「チョベリ
バ」とかいう今振り返っても意味がよくわからない言葉が「流行っていると
言われている」際に、髪の毛が薄くなった某教授がこの言葉を使い寒々とし
たのを思い出すのです。きっと、ご本人は「分かっているよ」という事を伝
えたかったのかも知れませんが、非常に残念な結果となるのです。

投資界の神様的存在であるオマハの賢人ウォーレン・バフェットも、決して
自分がわからないものには投資をしないと言います。同様に、我々もわから
ないアイドルのことを決して「わかる」と言わない事が「賢人」への細いな
がらも近道ではないかと思うのです。別に迎合しなくても良いわけですから。

とはいえ、これはこれで寂しい事でもあります。自分が年を取っていること
は認めたくないことでもあります。しかし、年上とか同世代だと思っていた
高校球児が信じがたいほど年下になっていく訳です。そして、今年もサライ
が流れる時期になり、夏が終わっていくのであります。早いものですね。
ではでは!!

あっ、もし「ももクロ」知らないという方は、上述のような「外し方」では
収まりませんので、くれぐれもお気をつけ下さい。
<文責 ハシモト>

vol.457:アラサー教員奮戦記 第14回「TEDxTOKYO」に行ってきました

2012年07月02日 | アラサー教員奮戦記
昨日、TEDxTOKYO(http://tedxtokyo.com/)というイベントに行ってきまし
た。TEDとは、アメリカで始まったアイデアに関するプレゼンテーションの
カンファレンスです。私が参加したのは、渋谷ヒカリエで行われている本会
場ではなく、二子玉川で行われたパブリックビューイングですが、こちらは
こちらで面白い試みが行われていました。

まず、TEDの見所でもあるそれぞれのプレゼンテーションは、それぞれの個
性があふれたモノでした。研究発表、パフォーマンスまで複数ありますが、
限られた時間の中で最大限効果をあげようとする姿勢が見て取れました。

プレゼンテーションというと、どういったスライドを作成するのかといった
テクニカルな話があります。もちろん、それはそれで必要な事なのでしょう
が、やはり、プレゼンターとしての「人」や、その人の醸し出す「雰囲気」
が一番のプレゼンツールなのだと感じました。

結局、ひとつの事を突き詰めた人や、パッションを持った人が話すからこそ
という面はあるのだなと思います。そこには、年齢が若かろうが、年を取っ
ていようが関係ないものだなと思います。逆に言えば、伝わらないのは突き
詰められていない事やパッションが少ないからなのだろうなと反省をしまし
た。

ここで一番感動したのが、「白A」(http://www.siro-a.com/)というグ
ループによるパフォーマンスでした。映像と音楽とパフォーマンスを合わせ
たものでしたが、その寸分狂わぬパフォーマンスは圧巻でした。残念ながら、
私の筆力ではそれを表すことができないので、是非ともyoutubeにもアップ
されると思いますので見ていただけばと思います。

パブリックビューイング会場では、TEDを見るだけではなく、様々な取り組
みが行われていました。中でも、同志社女子大学上田ゼミ(GirlsBand)に
よるワークショップと、東京都市大学の岡部ゼミの学生さんによる場のプロ
セスを記録するスクライビングが印象に残っています。

この学生さんの取り組みで感動したことが2つあります。
ひとつは、学生さんの機転を利かせた行動です。
機材トラブルで映像が途切れた場面がありました。このときに、学生さんが
すっと出てきて、即興で場をつないだのです。特に、全員が映らないスク
リーンを見ている中で、会場の反対側で行われているスクライビング風景を
紹介することで、視線をずらしたのです。

機材トラブルの際には、トラブル回避のためにどうしても見せたくない画面
を見せなければなりません。その時、参加者の視線が集まったままではどう
してもやりにくいですし、参加者としても興ざめです。そのトラブルを一瞬
の機転で回避したのはプロの技だと感じました。また、このことによりプロ
セスを記述しているスクライビング自体にも注目を集めさせたのです。

もう一つは、学生による「人を育てる」という魅力についてです。
この会場では、最後に全体の振り返りとしてワークショップの風景を残した
リフレクションムービーを上映しましたが、そのムービーは学部3年生が作
成していました。撮影から編集をその場で行うこのムービー作りは私(ハシ
モト)も行っていますので、その大変さは身にしみて分かっています。それ
を学部3年生が行ったというのは感嘆しました。また、上映時には作成した3
年生の後ろで指導をしていた4年生が見守っている姿がありました。そして、
上映後、彼女らは二人して号泣しているのです。

なぜ泣いているのかを聞いてみると、機材トラブルがあって撮影した複数の
かなり重要なシーンを使えなかったというのです。そんな事は、参加者には
全く分からない仕上がりになっていましたが、想像しただけでそうとう大変
だったはずです。また、そのトラブルに対して4年生が協力して対処してく
れたというのです。その対処法は「上手い」と思わせるものでした。

TEDのプレゼンにも繋がる事ですが、パッションを持ってやったことという
のはやはり伝わるのだなと思いました。また、後輩の指導をしている先輩も
一緒になって泣けるという姿にOJTの基本のようなモノを感じた次第です。
仕事上では教えなければならないとか、役割だからといった事ではなく、後
輩の成長を願い、一緒になって取り組む姿勢に感動を覚えました。

休日のひととき、大変良い経験をする事ができました。お土産いっぱいであ
ります。皆様にも、少しでも何か伝われば幸いです。

<文責 ハシモト>