Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.479:『大衆化する大学-学生の多様化をどうみるか 』

2013年05月19日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊

『大衆化する大学-学生の多様化をどうみるか (シリーズ 大学 第2巻)』
(広田照幸他編、岩波書店、2013年)


皆さんこんにちはナカダです。前回が映画『横道世之介』、前々回がマンガ
『REAL』(井上雄彦)でしたので、今回はやや硬めの本を取り上げてみまし
た。とはいえ、軟らかなものを硬く、硬いものを軟らかく評することこそ、
本コーナー担当者の役割だと認識しておりますので(自分で勝手にハードル
を上げていますが)、今回も頑張ってまいります。

さて本書は、岩波書店が2013年から刊行を始めたシリーズ「大学」(全7巻)
の第2巻となります。本シリーズは、これまでの大学論集と比べ、相対的に
若い世代の編者・執筆者の割合が多くなっており、実際の教育現場における
皮膚感覚から発せられた論考が読めるのではないかと期待しています。
実際、この第2巻「大衆化する大学」では、「大衆化した大学」に勤務する
研究者が、自らの教育体験から執筆した論考が収められており、本書の6つ
の論考のうち最も印象に残ったのも、やはりこの「マージナル大学における
教学改革の可能性」(居神浩)でした。
執筆者は、勤務校において「日々の授業にまさに『心折れそう』になりなが
ら」(p.96)、「地道」で「当たり前のこと」にきちんと向き合うこと、─
小学校卒業程度の学力も保証されていない学生に「まっとうな企業に雇用さ
れうる能力」「まっとうでない現実への異議申し立て力」を身に付けさせる
こと─の困難さを赤裸々に述べています(ここまで赤裸々に述べることがで
きるのは、あるいは著者が高等教育論を専門とする研究者ではなく、労働問
題の研究者だからかもしれません)。

この論考だけでなく、本書では「大衆化する大学」の課題が、量的質的それ
ぞれの面から、複数の視点で論じられています。しかし私は、本書における
議論そのものには賛同しつつも、「大学が大衆化している」という現状認識
そのものに疑問を抱いています。果たして大学は本当に大衆化しているので
しょうか?「大衆」が頭に付く言葉としては、「大衆食堂」「大衆車」「大
衆芸能」などが思い浮かびますが、現在の大学が、鯵フライ定食やトヨタ・
カローラ、漫才や落語のように、老若男女を問わず、一般大衆の生活に溶け
込んでいるといえるのでしょうか。この疑問点は、本書収録の論考でも指摘
されています。

「進学率の上昇により、『大学生の多様化』が繰り返し指摘されてきたが、
実質的な大学進学チャンスがほぼ一定の年齢層に限定されているわが国の社
会では、相対的にみればその多様性は大きいとはいえない。少子高齢化が進
む社会のなかで、大学教育の機会はどうあるべきか。こうした問題を考える
うえで、大学生の学力低下論が足枷とならないことを願いたい」(濱中義隆
「多様化する学生と大学教育」より。本書p.73。傍点引用者)

今でも一部の政治家や教育学者、はっきり言えば大学進学率が20%以下の時
代に大学生であった世代の議論では「本来、大学は大衆化すべきではないが、
もはや大学が大衆化するのはやむを得ない。だから大学大衆化の課題を考え
よう」という、大学の大衆化そのものを決して肯定的には捉えていない姿勢
を感じることがあります。しかし、現代における大学を支えているのは、紛
れもなく大衆です。教育分野への我が国の公的支出の割合は大変低いとはい
え、5月15日に成立した平成25年度予算では、国立大学法人への運営費交付
金は1兆792億円、私立大学への経常費補助額は3,175億円に上ります。これ
らの財源は全て国民の税金(と将来の国民からの借金)なのです。大学が大
衆化するのは、やむを得ない趨勢ではなく、これからの大学が目指すべき方
向であると考えます。

そんな中、遅まきながらではありますが、文科省も全国の大学・短大に在籍
する社会人の数について実態調査を行うようです(「社会人の『学び直し』
実態調査 文科省、学習環境整備へ
」共同通信、2013年5月8日配信記事より)。
もとより「学生」と「社会人」は相互排他的なカテゴリーではありません。
「学生」も「社会人」も人間の属性の一つに過ぎず、その2つの属性を併せ
持つことは何ら矛盾するものではありません。私は、「社会人」だけでなく、
「元社会人」の方、あるいは「外国人」や「主婦」といった多様な属性を持
つ人々が、「学び」という行為を媒介にして繋がり合える場としての大学を
志向していきたいと思っています。そうなったときに大学は真に「大衆」の
ものといえるのではないでしょうか。本書で論じられた「大衆化する大学」
の課題とは、言い換えれば、大学を大衆のものとするための課題なのだとポ
ジティブに捉えたいものです<文責 ナカダ>。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
higher education (noga)
2013-05-25 19:01:29
我が国の教育者は、教育改革という大きな課題を、子供だましの英語の勉強でお茶を濁そうとしている。
我が国の大の大人は失言により、国際舞台で大恥をかいている。
日本人は、正しい考え方を知らない。
だから、個性を発揮することもままならない。

過去の内容を反省し、それを論拠にして未来社会への強い決意を示せば偉大な指導者になる。温故知新である。
ただの犯人探しに徹すれば、大江戸・捕り物帳の時代に舞い戻る。恨み・繰り言の類である。未来への展望がない。
世界は、建設的な態度を示す人間に期待を寄せている。閉塞感を払拭する。




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