Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

006 「死の床につくカミーユ・モネ」と好きなことを職業にすること

2014年10月08日 | オープニング
こんにちは

早くも停滞気味のLearning Tomato Blogです。
前回9月19日にUPしているので、そろそろ3週間ですね。

言い訳しますと、とても書きたいと思ったネタを2週間ぐらい前に思いついたのです。
しかし、そのネタを書きとめたと思われるファイルを紛失してしまったのです。
結構いい内容だったという記憶以外何も覚えていないというボケ老人一歩手前のアタマを許してください。

ということで、その場しのぎになりますが、10月20日まで新国立美術館で開催している
「オルセー美術館展」で気になった一枚の絵についてまとめてみました。
最初は学習にもトマトにも関係ない内容だったのですが、無理矢理キャリアの話に近づけてみました。

今回のオルセー美術館展は、クロード・モネ展と言ってよいぐらいモネの絵が沢山展示されています。
「草上の昼食」「サン=ラザール駅」等、多くの人が知っている彼の代表作が並んでいます。
なかでも亡くなった直後の自分の奥さんを描いた「死の床につくカミーユ・モネ」という作品は、圧倒的な存在感を放っていました。


「死の床につくカミーユ・モネ」
サルヴァスタイル美術館

コガは最初、この絵を見た時、亡くなった最愛の妻の綺麗な姿を深い愛をこめて描いたのだろうと純粋に考えていました。
しかし話はフクザツな様です。上記のWebサイトによると、後年モネは友人に対し以下のような事を述べています。

私は無意識的に死によって変化してゆくカミーユの顔色を観察しているのに気がついた。
彼女との永遠の別れがすぐそこに迫っているので、カミーユの最後の姿(イメージ)を捉え
頭に記憶しようとしたのは自然だったのだろう。しかし私は、深く愛した彼女を記憶しようとする前に、
彼女の変化する顔の色彩に強く反応していたのだ


なんという職業意識でしょう!
モネは夫としての純粋な気持ちで好きだった妻の遺体と対峙したかったのかもしれません。
しかし「光をキャンバスにとらえる事」を生業としている画家の習性はそれを許しませんでした。
「女の変化する顔の色彩」に心を奪われ、筆を動かさずにはいられなくなってしまったのです。

話しはここでガラッと変わります。コガは学生からのキャリアの相談を受けた時、
「自分の好きなことを仕事にする事の賛否」について話すことがあります。
賛については、スティーブ・ジョブズがあの有名な「スタンフォード大学の2005年卒業式スピーチ」の中でこんなことを話しています。

これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、
それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること


ここには職業選択の王道の姿があります。

しかし、自分の好きな事を仕事にすることで失うものがあるのも事実です。
自分が好きなことを金銭的な対価を得て続けることの後ろめたさとか、つい商売の目で好きなことを見てしまうことなどです。
飲食店で働くゼミのOBが、以前こんな事を語っていました。

たまの休みに友達と美味しい料理を食べにいっても、
ついその店のサービス内容や店舗の内装、料理の味をチェックしてしまいます。
そこには消費者としての自分でなく、競合を視察する商人としての自分がいるのです。
だから最近純粋に料理を楽しめなくなってしまいました


実際コガも、セミナー等に受講者として参加する際、つい「研修屋」の視点で、講師のインストラクションや研修の流れを見てしまい、
内容に身が入らないことが良くあります。まあコガの場合は、セミナーに参加する事が「たまらなく好きな事」ではないので助かっていますが。
とても好きだったことを仕事にし、以後仕事の目線で観ることになったことから
「好きでなくなって」しまうことって以外に多いのではないでしょうか
(もっともそれぐらいで好きでなくなってしまうのなら、もとから「好きだ」という資格はないのかも知れませんが)。

さて、そろそろモネの「死の床につくカミーユ・モネ」に戻りましょう。
実はこの絵、「妻への愛」VS「画家としての職業意識」という要素に加えて、もうひとつ複雑な事情を抱えています。
モネは奥さんが亡くなる前から、後に再婚する女性と恋愛関係にあったそうなのです。
つまり彼は「長年寄り添ってきた妻への夫としての惜別の思い」と「妻の愛を裏切ったまま死別してしまった後悔の念」
という相反する感情を抱きつつ、刻々と変化する死者の姿を画家として描いていたのです。

静かなのに複雑、綺麗なのに悲しい、そして安らか。見れば見るほど色々な思いが頭のなかを駆け巡る不思議な絵でした。
もし時間がありましたら20日までにカミーユの最後の姿を観に行ってあげてください。
この絵だけでも入場料の価値は十分にあります。

vol.500:『GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代』

2014年03月17日 | オープニング


ハシモトの最初で最後のeラーニングに関係ないかもしれない一冊
『GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代』
アダム・グラント著、三笠書房、2012年

最初で最後の書評を仰せつかった。
どんな本にしようか、ここ数週間の悩みであった。捜し物が探しているとき
は見つからないように、悩んでいる時は見つからないものである。そして、
ふとした瞬間に見つかったりする。ちょうど、出張用の鞄の中から、お気に
入りのイヤホンが見つかるような瞬間だ。ここにいたか、と。

本書は、来年度のゼミの輪読用の素材を探している際に見つかった。家から
少し離れた大きな書店で様々な本を探している最中に目に留まったのだ。も
ちろん、探していた輪読用の素材は見つからなかったのだが・・・。

さて、メルマガ最後の書評としてお届けするのは、『GIVE&TAKE「与える
人」こそ成功する時代』である。本書は、入り口付近に平積みされていた。
一見、数多ある自己啓発書のひとつに思われた。

GIVE&TAKEとは、もちろん、与える事、受け取る事だ。仕事において、日常
生活においてかなり頻繁に使われる言葉だろう。仕事においては、GIVEする
事が大切だとかとは言いながらも、TAKE&TAKEの人もたくさんいたりする。
自分が一生懸命GIVEした気になっても、TAKEできなかったりするとがっかり
する。「なんだか、やって損したな」とか思ったりする訳だ。

結局、何が正解なのだろうか?
本書は、そこに答えを出す。

与える人:ギバー
受け取る人:テイカー
バランスを取る人:マッチャー

という3類型を作り、長期的に成功を収めるのはギバーであると結論づけて
いる。そして、ソーシャルネットワークが発達した時代にあっては、この
「長期」という時間軸が短くなっていると言うのだ。

この話からは、端的に「人間として、当たり前の行動として人助けをするの
ですよ」という、何らかの教訓を述べた本のように感じるかも知れない。一
面としては、そうである。その主張は、ギバーであることが成功の要因であ
ると述べているからだ。

しかし、本書が他書と違う所がその論理展開だ。「ストーリーとしての競争
戦略」といった著作で有名な経営学者である楠木建が監訳しているが、著者
は、経営学の世界で最も有名な大学のひとつであるペンシルバニア大学ウ
ォートン校の終身教授=テニュアである。
(https://mgmt.wharton.upenn.edu/profile/1323/overview)
しかも、1981年生まれの32才。同校の最年少の教授であるという。実を言え
ば、私(ハシモト)と同じ年なのだ。

そういった肩書きからも示されるように、本書では多種多様な(もちろん、
米国の事例が圧倒的に多数であり、グローバルな視点から見ると多少、恣意
的ではあるが)研究がレビューされており、それをGIVE&TAKEの観点から論
じているのだ。それ故に、「ギバーであることが長期的に成功する要因であ
る」という主張をこれでもか、これでもかとサポートする主張が繰り返され
る。もちろん、極めて論理的に。ビジネス書として、また自己啓発書として
の側面も有る中で、論文的な主張の進め方がなされている。

ギバーは何故成功するのか?
ギバーであれば、あらゆる場面で成功が約束されているのか?
といった観点に様々なデータを交えながら論じている。結論を紹介すれば、
「ギバーであればどんな場面でも成功するわけではない」という主張も面白
い。その上で、ギバーが成功するための秘訣なども紹介されている。

監訳者が冒頭で述べている通り、本書の主張は「情けは人のためならず」と
いうものであり、日本人にとって共感しやすいものだろう。しかし、その一
方で本書の記述にある「テイカー」という存在も、日本人にとってもなじみ
深いものだとも感じる。確かに、ギバーであることの良さが文化的に共感で
きるとは言いながらも、やはり同じくらいテイカーもいると思われるし、自
分自身もそうであるかも知れないと思うのだ。

特に、手っ取り早く成果を得ようとするテイカーとしての側面は、ゆっくり
と構えていることが許されにくくなった時代においては、合理的な選択のよ
うに思える。実際に、学生と接していたりしても、またビジネスマンと話し
ていても、「手っ取り早く、今日やって明日成果がでるような方法はない
か」と聞かれたりするからだ。こうした発想は、やはりテイカーの基本のよ
うな気がしてならない。問題なのが、それがある意味での時代の要請のよう
な所もあるからだろう。

例えば、「就活」という文脈においては、ギバーであることが認められる事
は少ないような気もする。短期間の面接でライバルに与えていれば、自分が
受からないという結果になってしまいそうだし、一方、企業側も「与える人
間だ」と言った人が必ずしも与える人間かどうかを判断することは難しいか
らだ(これは、本書P.368 の中国での昇進の事例から推察できるだろう)。
とすれば、長期的に成功し、企業に利益をもたらしてくれるはずのギバーを
評価する事は難しい。では、学生の立場として、テイカーやマッチャーの方
が上手くいくのだろうか。答えは、やはり短期的には上手くいくが長期的に
はギバーの方が上手くいくという答えになるのだろう。その根拠は、本書を
読んで頂ければおわかりいただけると思う。

では、振り返って、教師という立場としてはどう振る舞えば良いのだろうか。
具体的には、どんな指導を行えば良いのか、どんな人間であるべきなのであ
ろうか。実は、その答えも本書の中に提示されている。P.160からスケン
ダー教授の事例がそれだ。氏は間違いなく、ギバーである。そして、そのこ
とにより数多くの「優秀な」学生を育てる事に成功している。さらっと読め
ば、まさにその通りだと感じる事が多数である。しかし、より具体的に、今、
目の前に直面している課題を思い浮かべながら読んだ時に、それが「簡単に
できるか」と言えば、NOであろう。故に、その主張が重要であると考えられ
る。氏もまた、同じような現実に直面しながら乗り越えてきたのであろうか
らである。決して元々「優秀ではない」学生を、「優秀」にしているのだか
ら。

何故、この本を取り上げたのか。それは、メルマガを発行することは、すな
わちギバーとしての側面があるのではないかと感じたからだ。私自身はその
うちの本当に最後の最後の一部を担当したに過ぎないが、それでも何らかの
形で読者の方々に貢献したいという気持ちを表してきたつもりである。そし
て、そのことが何かをもたらしたかどうか、つまりTAKEがあったかと言えば、
分からない。しかしながら、誰かのためになっているかも知れないと思いな
がら、(結果として、駄文でしかないのだが)文章を書き連ねる事には、喜
びがあった。

些細な事かも知れないが、ギバーであるという側面は誰もが持っているので
はないだろうか。そして、そのことは、「良いと思っている事をしている」
という面と、「もしかしたら、ただのお人好しではないか」という面と両面
有るように思う。本書を読むことにより、ギバーであると言うことに対して、
大きな後ろ盾をもらえるのではないだろうか。

最後に、本書の最後の一文を引用して終わる。

「起きている時間の大半を仕事に費やしている私たちが、ほんの少しでもギ
バーになったら、もっと大きな成功や、豊かな人生や、より鮮やかな時間が
手に入るだろうか??
それは、やってみるだけの価値はある。」
(文責:ハシモト)

vol.500:500号に寄せて

2014年03月17日 | オープニング


創刊500号を迎える事ができました。
そして今回が最終号です。

何故コガのようないい加減な人間が10年以上に渡り、500号ものメールマガ
ジンを配信し続けることができたのか?その理由は、読み手がいる実感を持
つことができたからに他なりません。

時折、学会や外部の研究会で名刺交換した時、「メルマガ読んでいますよ」
「blogチェックしています」と言われ大変勇気づけられてきました。不思議
なことに、私が「そろそろメルマガ休刊しようかなあ」と思っている時期に
声をかけていただくことが多かった気がします。おかげでここまで長く書き
続けることができたのです。

キャッチャーがいなければピッチャーは投げられないのと同様、書くことは
読むことと対になっていないと成立しません。皆様のおかげで「対になって
いる実感」を常に感じることができました。継続して読んでくれたから、継
続して書くことができたのです。

本当にありがとうございました。

Vol.499:霊柩車は今日もヤンゴンを走る

2014年03月02日 | オープニング


2月末のわずかな仕事の隙をぬって、先週コガはミャンマーに行ってまいり
ました。毎年この時期に同僚のS氏と5~6日間のASEAN諸国への旅行を実施
しており、今年は5か国目の訪問となりました。今まで2人で訪問した国は、
ヴェトナム(ホーチミン)、タイ(バンコク)、インドネシア(ジャカルタ)、
マレーシア(クアラルンプール等)の4か国です。残り6か国となった今年、
ミャンマーを選択したのは、同僚のS氏の高校時代の友達の奥様がミャン
マー人で、彼女のお兄さん(Tさん)がヤンゴンに住んでいたからです。

見知らぬ国で、細い縁(コガにとっては無縁に近い)を辿って巡る旅という
のは、エキサイティングかつ心にガツンと来る経験でした。特に現地で我々
2人を毎日のように「おもてなし」してくれたTさん、Tさんの20年来の友人
であるミャンマー人のMさんにはいくら御礼をしても足りないぐらいお世話
になりました。そんなTさんMさんのおもてなしの中から2つほどエピソード
をお話ししたいと思います。

いくつもの会社を経営しているMさんですが、仲間の経営者と非営利団体を
自費で設立し、「霊柩車の無料配送サービス」を行っています。日本と同じ
霊柩車がヤンゴン市内を走っているのもちょっと不思議ですが、そんな霊柩
車を、お葬式の費用が出せない貧しい人のために無料で貸し出す事業を、M
さんは無報酬で運営しています。我々がそのオフィスを訪ねた際、Mさんが
こんな事を言っていました。

「ミャンマーは貧富の差が激しい国です。でも民主化は始まったばかりで、
国の福祉政策はまだ途上です。だから我々のようなお金を稼いだ人間が、困
った人のために自分のお金を使うのは当然の行為なのです」と、

どこかの国で、バブルで成金になって高級外国車や高層マンションを買いあ
さっている輩に聴かせてやりたいと思いました。もちろん私自身も、これか
らは奢ることなく、社会のために自分ができる事を常に考えていこうと反省
した次第です。

続いて旅の最後に訪れたTさんのご自宅で聞いた話です。Tさんの娘さん(中
学生)はマンガ「One piece」の大ファンです。漫画で読んでいるの?それ
ともアニメ?と聞くと「TVアニメ」とのこと。日本で放映された「One piece」
のTVアニメがどこかからこの国に入り、それをミャンマーの若者達が熱心に
視聴しているらしいのです。もちろん吹き替えも字幕もなしで。

コンテンツビジネス的に言うと、著作権やら何やらで由々しき事態ではあり
ます。しかし、そんな日本のアニメがこの国の語学教育に大きな影響をもた
らしている事を知り驚きました。ミャンマーでは、現在大学進学者の4割近
くが外国語として日本語を勉強しているそうなのです。

日本語を習得することによって仕事の機会が増えるということもありますが、
それ以上に大好きなアニメ等の世界をより楽しみたいという思いがあるので
はないかとコガは推察しています。コンテンツ産業の及ぼす文化的な効果が
親日度を向上させ、長い年月の後、結果的に経済的な効果として還元される
ことを期待したいですね。

まあ、そんなこんなで、今年のASEAN旅行も大収穫の旅となりました。毎年
この旅から帰国すると、次年度の授業の準備が本格化します。今週からは、
旅で得た経験も少しずつ織り込みつつ、次年度授業の教材開発に勤しみたい
と考えております。それと次号(最終号)のネタも考えなくてはなりません。
最終号にあたり、コガに何か言っておきたいこと、質問したいことがありま
したら、下記までメールいただければ幸いです。

宛先:kogaaアットマークmi.sanno.ac.jp
件名:最終号での質問
<文責 コガ>

vol.498:豪雪とオーバーアチーブメントのアヤシイカンケイ

2014年02月18日 | オープニング
【本記事は、2014年2月16日発行のメールマガジンバックナンバーです】


<写真は大雪の日の産業能率大学湘南キャンパスのグラウンドです>

首都圏では2週連続で週末大雪に見舞われました。
読者の皆さんは無事でしたでしょうか?

雪を見ると、社会人生活の最初の冬を思い出します。

その冬コガは、山形県の庄内地方で某消費財のセールスを担当し、雪だらけ
の道を毎日200Km近く営業車で走り回っていました。特に庄内から山形に抜
ける「月山越え」ルートは岩壁と道の区別がつかないぐらい真っ白な中を走
らねばならず、いつも身の危険を感じながら営業車に乗っていました。その
頃山形に住む友人に、「だいたい東京の人間はひ弱だ。10センチやちょっと
雪が降っただけで交通網がマヒするなんて考えられない」といったような事
を言われたのを覚えています。私も毎日雪の中営業していたので「うん!そ
の通り」などと納得していました。そして、今でも東京に雪が積もるたびに
その言葉を思い返します。

しかし先週の金曜日に、我がキャンパス伊勢原を襲った吹雪は山形で経験し
た吹雪に匹敵するような凄さでした。それでも大学と駅を結ぶ神奈川中央交
通のバスは止まりませんでした。そして多少の遅れはあったものの小田急も
止まらず運転していました。近所のもつ鍋屋は元気に営業しており、お客さ
んで賑わっていました。2週間連続で大雪に遭遇すると、首都圏の人間であ
ってもそれなりに慣れてくるようです。

しかし慣れるのにも限界があります。120センチという積雪を記録した山梨
県では、ハウスのブドウが全滅。県内至る所で日曜日になっても道路が通行
止めのままだそうです。また東京都でも、奥多摩や檜原村といった山間地は
交通が遮断され孤立状態になり、都が陸上自衛隊に災害派遣要請を行ったよ
うです。これらの地域にお住まいの方のご無事をお祈り申し上げます。

さてさて、来学期のシラバスの作成や後学期の採点も終わり、ようやくひと
段落のはずだったのですが、コガは仕事てんこ盛りの春休みを迎えておりま
す。最大の難題は、3年生対象のキャリア科目の授業内容の設計と教材開発
です。昨年までこの科目を担当していた先生が今年限りで本学を去ることに
なり、来季から科目の責任者を担当することになってしまいました。とある
事情から前年度までのテキスト等は使えず、新規に科目を開発するのに近い
状態です。さらに、この科目が複数の教員で担当することと、大学キャリア
センターの就活支援活動と連携しなくてはならとないことが、教材開発まで
の道のりを難しいものにしています。

この教材開発以外にも「ラーニングコモンズ」に関する調査報告を3月末ま
でにまとめたり、大学の情報システムの整備に関するプロジェクトに巻き込
まれたりと、やることてんこ盛りなのです。何にも悪いことしていない筈な
のにどうしてここまで仕事を抱え込まざるを得ないのだろうと雪の中で嘆き
悲しんでいます。

そんな中、内田樹さんが「アカデミアと親密性」という記事の中で書いてい
たことを思い出しました。

>>>>>>>>>>>>以下引用>>>>>>>>>>>>
教職員のうちの20%は給料分の仕事をしていない。60%は給料分働いている。
20%は給料分以上の仕事をしている。この比率は世界中どこの国のどんな組
織でも変わらない。
その20%のオーバーアチーブメントが組織を「前に進める」駆動力を提供し
ている。
だったら、給料分の仕事をしていない20%を検出して、きびしく考課し、脅
しつけたり、萎縮させたりする時間と手間があるなら、それをオーバーア
チーバーたちに「気分よく働ける環境」を提供することに使う方がよほど合
理的である。
>>>>>>>>>>>>引用終わり>>>>>>>>>>>>

他者から見て、コガが給料分以上働いているのだろうかという点と、もしそ
うだとしても「気分よく働ける環境」を享受しているかという点が気になり
ますが、組織を前に進める駆動力となっていると信じ、3月までガンバルこ
とにします。<文責 コガ>

vol.497:50歳すぎたら大河ドラマ?

2014年02月04日 | オープニング


前号の「休刊にあたって」でハシモト先生が「何か新しい事をしようと思っ
たら、何かやめる必要がある」と書いていました。それを読んで、去年大
ブームを巻き起こした漫画「進撃の巨人」にあったセリフを思い出しました。

==============
大して長くも生きてないけど確信してることがあるんだ・・・
何かを変えることの出来る人間がいるとすれば
その人はきっと・・・
大事なものを捨てる事ができる人だ
化け物をも凌ぐ必要迫られたのなら
人間性をも捨て去ることができる人のことだ
何も捨てる事ができない人に
何も変えることはできないだろう
(『進撃の巨人』第7巻より)
==============

確かにそうだよなあ~と思う一方で、コガはメルマガを終えた後に「何か新
しい事」を考えているのか、「何かを変えようとしているのか」と問われる
のを恐れています。

正直申し上げまして、全く何も考えておりません・・・・。
書くネタもなくなってきたし、単にキリがいいのでそろそろ終わりにしよう
と考えただけなのです。

ハシモト先生ゴメンナサイ!
今までのバックナンバーの中から記事を厳選して、電子書籍を発行するとい
った構想もあるのですが、暫くは何もしないと思います。

年末に私の母(80歳)から「いつもせわしなく動き続けていると早死にする
わよ。もっと生活のリズムを落としなさい」と注意されたところだったので、
何もしない生活も良いかなと思い始めています。

折しも、頸椎症による肩と背中痛で週末サイクリングに行けなかったり、ゼ
ミで運営している「大山おからドーナッツ」の店が冬季休業に入ったりした
関係で、1月は週末にゆとりの時間ができました。

そんな事から、最近テレビをよく観るようになりました。生まれて初めてNHK
の大河ドラマも見ています。歴史小説も読み始めました。なかなか50歳らしい
ライフスタイルです。また、60歳までの10年はどんな感じになるのかなどと思
いつつテレビを見ていたら、感動的なCMに出会いました。CMで目頭が熱くなっ
たのは初体験です。

東芝 CM LED 「あなたとLEDの10年」篇


どんなに平凡な人生であっても、どこかで誰かが優しく見守ってくれている。
照らしてくれている。そんな暖かさを感じるCMですね。思わず玄関の電球を
東芝製に付け替えようかと思ってしまいました。

それとTVついでにもう一つ。1月30日に放映されたNHKクローズアップ現代の
「東大紛争秘録」という番組がとても興味深い内容でした。番組動画を観る
事はできませんが、番組内容をすべてテキスト化したものが、下記のNHKの
サイトで閲覧することができます。

NHK クローズアップ現代『東大紛争秘録』(2014年1月30日)

東大紛争の後、当時執行部で紛争の収拾にあたっていた6人の教員が、後世
に記録を残そうと座談会を開きました。最近その内容を記録した600枚にも
およぶ原稿用紙が発見されたのです。この記録には、当時の大学執行部が紛
争の解決に向けてどんな事を考えていたのか、文部省から大学に対してどの
ような要請があったのか等について書かれています。

既に6人のうち5人は鬼籍に入られており、最後の一人である坂本義和さんも
現在病床にあるとのことです。その坂本さんがNHKのインタビューに対して
下記のように回答しているのが印象的でした。

“あのときの学生たちの一部は、「高度経済成長は何のためだ」、「なぜ大
学で学ぶのか」と問いかけていました。
しかし私たちは、ろくな答えを持っていませんでした。
彼らの問いかけは、時代が大きな転換点を迎えている現代でも、絶えず問わ
れなくてはいけない問題なんです。”

昨今、大学の人材育成の方向性があまりにも「よきビジネスパーソンの育
成」に偏ってしまい、「なぜ大学で学ぶのか」という問いをあまり深く考え
なくなってしまっているようにコガは感じています。

40年前、東大紛争の中で問われた宿題に対する解答を、遅まきながら考える
時期が来たということみたいです。<文責 コガ>

Vol.496:頸椎症と格闘しつつゴールを目指す1月なのであった

2014年01月30日 | オープニング

写真は頸椎症の強い味方。パナソニック「ポケットリフレ」という低周波治療器です。

前回のメルマガ冒頭で、頸椎症の発症とメルマガ休刊の2つを報告しました
ところ、数多くの皆様から反響をいただきました。

まず頸椎症に関しましては、facebookに多数のコメントをいただき、この病
気に悩まされた(ている)人が多いことを認識しました。以下主なコメント
を紹介します。

「私は3年くらいずっと苦しんでいました。私のときは牽引はあまりやらな
いほうが良いと言われました。オステオパシーというソフトな整体に通って
いました。」

「実は、小生も。ですが、保存療法でなるべく姿勢を良くして、痛いときだ
け消炎鎮痛剤(湿布)を貼る事で様子見です。iPhone見るときも、姿勢が良
くなりました。(苦笑)」

「1996年に、頸椎症の手術をしました。半年、休職。1年半、首にコルセッ
ト!今は、ゴルフが出来るようにはなりましたが、くれぐれも、ご自愛くだ
さいませ。」

「私も、1年前頸椎症と診断されました。3軒病院を渡り判ったことは、先生
によって処方が実に曖昧だということ!手術しないと治らないという先生、
鎮痛剤しか出さない先生、この痛みと一生付き合う覚悟をしなさいと言い切
る先生など様々でした。結局、長年パーソナルトレーナーをして下さる先生
の筋肉トレーニングとオムロンの電磁マッサージ器のお世話になり痛みと痺
れは1ヶ月ほどでほぼなくなりました。古賀さんも色々ためして、頑張って
下さい!」

どうも決定的な治療法がないようなので、コガはマッサージ、水中ウォーキ
ング、貼るカイロ、パナソニック低周波治療器で肩周りの血行をよくしてコ
リをほぐす事と、消炎鎮痛剤とインドメタシン配合の塗り薬で痛みを和らげ
るという2つの方向で治療を続けています。

日中はだいぶ痛みが緩和してきましたが、疲れのたまる夕方以降は左腕がフ
リーズしてしまうので、最近めっきり帰宅時間が早くなっています。仕事が
溜まるので早く症状が緩和してくれることを願っているいます。

しかし、もう50歳を過ぎたのだからそろそろ仕事を減らせばと、神様が忠告
しているのかもしれませんね。

さて、もう一つのメルマガ休刊についてですが、2名の読者の方からコメント
をいただきました。

A様からのメール(一部抜粋)
「体系的な学びの機会(集合研修やeラーニングなど)というよりは、真逆
のインフォーマルラーニングに近しい性質の物かと思いますが、そういった
ところからの情報を蓄積し、それらをヒントに学びを深めたり、コネ作りを
始めたり、シェアしたり、自らの活動に活かしたり・・・という事がとても
重要だと常々考えており、その内の貴重な1つである本メルマガが休止され
てしまうというのは、とても残念に思っております」

T様からのfacebookコメント(こちらも一部抜粋)
「現在、唯一購読し楽しみにしているメルマガなので休刊はとても残念です。
古賀さんをはじめ、執筆されている皆さんは個性的で、一般のビジネス系メ
ルマガとは違って読ませる文章で、毎回楽しく拝見しておりました。どこか
クスッとさせられそして深く考えさせる文章に毎回うなっておりました。
あと5号ですか。
ラストスパートがんばってください。
長い間、お疲れ様でした!」

御二方とも心温まるメッセージありがとうございました。

ラストスパートの時期に、デスクワークが苦手な体になってしまうというの
も情けない話ではありますが、メルマガ執筆陣の助けを借りて今週もがんば
って参りたいと思います!

なお読者の皆様からの休刊に関してのメッセージは引き続き受付中です。1
行でも1000字でも構いません。もちろん匿名でもOKです。下記メールアドレ
スまでメッセージをお寄せいただければ幸いです。

宛先:kogaa あっとまーく mi.sanno.ac.jp
件名:Sanno Learning Magazine休刊へのメッセージ

vol.495:新年早々で申し訳ございませんが、、、休刊予告です

2014年01月06日 | オープニング
【本記事は2014年1月5日発行のメールマガジンのバックナンバーです】


新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

コガは年末から、ひどい肩こりに悩まされていました。年が明けると背中の
筋肉までバリバリに痛くなってきたので、昨日整形外科に行ってきました。
すると「頸椎症」と診断されました。

頸椎症とは「頸椎の椎体骨(ついたいこつ)の骨棘(こっきょく)(とげ状の突
起)形成、椎間板(ついかんばん)(椎体と椎体の間にあってクッションの役
割をしている)の後方突出、靭帯(じんたい)の石灰化、骨化などによって、
脊髄(せきずい)から出て肩や腕に行く神経(神経根)または脊髄自身が圧
迫・刺激を受ける病気」(goo ヘルスケアより)
とのことです。要するに首近辺の神経を首の骨や軟骨が刺激し、それによっ
て肩こりや背中痛が発症するという病気らしいです。

特に激しい運動をした訳ではないのですが、日頃ロードバイクに乗っている
ため、首に無理な力が加わって徐々に病気が進行したのかも知れません。あ
るいは単に年を取ったせいかも知れません。本人的にはかなり辛いのですが、
まだ症状は軽いようなので、快方に向うことをと願いつつ、首の牽引等の理
学療法を続けております。まあ、幸先のよい年明けでないことは確かなよう
です。

さて本メルマガもあと5号で500号を迎えます。
予定では3月16日発行のメルマガが500号となります。

本メルマガをスタートしたのは1998年のことでした。当時、コガは産業能率
大学の事業企画室というところに所属しており、eラーニングビジネスの立
ち上げを検討しておりました。まだ市場にeラーニング自体がほとんど普及
していなかったので、eラーニングコンテンツやシステムといった売り物だ
けでなく、その活用方法や効果、導入事例等をまとめ情報発信することで
市場自体をつくっていく必要がありました。

そこで「メールマガジン」を用いてeラーニングに関する情報発信を開始し
ました。その後、インターネットの世界も進化し、Blog、Twitter、facebook
など様々な情報配信の手段が現れたのは説明するまでもありませんね。本
メルマガもバックナンバーの保存にBlogやfacebookを活用しておりますが、
創業以来の「メールマガジン」という情報配信方法にこだわり続けて参りま
した。

時代が進むにつれ、「eラーニングで」学ぶ大学や、「eラーニングを」学ぶ
大学院も登場するなど、eラーニングに関する情報は巷にあふれるようにな
ってきました。さらにコガ自身eラーニングを担当する仕事から教員に転身
することになり、本メルマガも「Sanno e-Learning Mail Magazine」という
名称から「Sanno Learning Magazine」に変更し、内容も、教育全般、ビジ
ネス全般、キャリア相談とかなり緩いものに変わっていきました。

なぜ冒頭から本メルマの経緯を書き連ねているかと申しますと、「Sanno
Learning Magazine」をキリのよい500号で休刊しようと決めたためです。
長年ご愛読いただいている読者の皆様には誠に申し訳ございませんが、
そろそろゴールとさせていただいと思います。
今までご購読いただき本当にありがとうございました。

なお次号からは特別企画として、メルマガ執筆陣によるリレーエッセイ
「Sanno Learning Magazine休刊に寄せて」を5週連続でお送りします。
あわせて読者の皆様からの休刊に関してのメッセージを掲載したいと考え
ております。1行でも1000字でも構いません。もちろん匿名でもOKです。
下記メールアドレスまでメッセージをお寄せいただければ幸いです。

宛先:kogaa アットマーク mi.sanno.ac.jp
件名:Sanno Learning Magazine休刊へのメッセージ
<文責 コガ>

Vol.494:年賀状の前にアラブ・イスラーム

2013年12月16日 | オープニング
本Blog記事は、2013年12月15日配信のメルマガのバックナンバーです。

写真はイスラームの聖地メッカにあるカーヴァ神殿

年賀状の印刷は終わりましたか?
我が家では過去10年、干支にちなんだデザインに、家族の顔写真を合成して
年賀状を作成しています。申年には「サルゲッチュー」というゲームを「コ
ガゲッチュー」に変えて作ったり、丑年には、メグミルクのパッケージを
「コガミルク」に変更して作ったりとPhotoshop(もちろんエレメンツ)を
駆使しながら作成していました。

しかし、昨年Windowsパソコンを64bit版にバージョンアップしたらPhotoshop
が使えなくなり、ペイントとWordだけで作成せねばならず、表現の幅?が狭
まってしまいました。加えて今年はなかなかアイデアが思いつかず困ってい
ます。でも何人かの友達から、我が家の年賀状を毎年楽しみにしているとい
うお言葉を頂戴している事もあり、十二の干支を全部制覇する2015年までこ
の自作年賀状のスタイルを継続する予定です。残りは馬と羊だけなのでなん
とかクリアしたいと思います。

さて、この年末の忙しい中にもかかわらず、今週末は放送大学の面接授業を
受講してきました。今回受講したのは、前学期に受講した「はじめてのベト
ナム語」(バックナンバーVol.477参照)に続く異文化シリーズ、「実践アラブ・
イスラーム入門」というややマニアックな講座です。しかし大人気の面接授
業のようで、70名の定員のところ80名近く受講していました。講師は横浜国
立大学の吉田昌平先生です。さすが人気科目ということで、内容も授業設計
も講師のインストラクションスキルも抜群に高く、今まで受講した放送大学
の面接授業の中で最も面白かったです。

学習目標は、アラブ・イスラームの文化、アラブ圏の国の社会情勢、アラビ
ア語の初歩の初歩を学び「イスラーム音痴」から脱却するというものです。
クイズやグループワーク等も交えてとても楽しい雰囲気で学習は進んでいき
ます。

アラビア語は春に履修した「ベトナム語」に負けず劣らず難しい言語です。
そこで授業では吉田先生が考案した「アラビア語エジプト方言-空耳編」と
いうのを教えていただきました。下記のBlogにも掲載されていますので、こ
の年末年始アラビア語圏に行く方はぜひ活用してみてください(インドネシ
アなどアジア圏のムスリムにも使えるそうです)。実際にエジプト人に試し
てみたところ「すげー訛っているけど通じたよ」と言われたそうです。

『アラビア語エジプト方言-空耳編』「埃及の辻」

なお、本格的な発音は下記のサイトでご確認ください。
音声で聞くアラビア語の挨拶


またアラブ諸国の社会情勢については、普段米国に偏った報道に浸かってい
るコガにとっては驚きの連続でした。特にイスラエルによるガザ地区への侵
攻については、日本では決して伝えられることのない写真を通じて事実の一
端を教えてくれました。イスラエルの攻撃は空爆だけかと思っていたのです
が、銃弾の跡が体にある子供たちの死体や、教室の床一面に広がる血痕の写
真など、実際にはイスラエル軍の兵士が子供に銃を向けて殺戮していたらし
いのです。受講後にインターネットで検索したところ、授業で観た写真の一
部が掲載されたWebサイトを見つけてしまいました。

とても残酷な写真です。
自己責任でご覧ください。

ISRAEL’S WAR ON CHILDREN: PART I MURDERING CHILDREN FOR SPORT
THE JEWISH HOLOCAUST AGAINST ARAB CHILDREN.

(イスラエルの戦争と子供達:「パート1 スポーツのように子供達を殺す」
アラブの子供達に向けられたユダヤ式ホロコースト)


今回の授業を通じて、コガはもっと色々なことを学ぶ必要があることを知り
ました。
そして、インターネットとわずかな語学力と知る気持ちさえあれば、日本に
いても様々な事を学習できることも知りました。最近「特定秘密保護法」が
話題となりましたが、我々は「知る権利」を主張する前に「知る義務」をき
ちんと全うしているのだろうかと思った次第です。<文責 コガ>

Vol.493:暦の上ではディセンバー。でも銭湯はサバイバー

2013年12月07日 | オープニング


月並みではありますが今年も残りひと月となりましたね。この時期コガの頭
の中にこだまするメロディーと言えば、John Lennonの「Happy Xmas (WarIs Over)
や、奥田民生の「雪が降る町」でした。しかし、今年はドラマ「あまちゃん」
の挿入歌『暦の上ではディセンバー』がグルグルと頭の中を駆け巡っており
ます。この曲はドラマの脚本を書いた宮藤官九郎さんが3分で作詞し、その
歌詞に大友良英氏が数時間で作曲してデモ録音まで行ったそうです。
(参考:「大友良英のJAMJAM日記~2013-06-28 いきなり情報解禁
「暦の上ではディセンバー」制作秘話」


ドラマでこの曲が流れていたのは6月~7月の暑い時期でした。しかしこう
して冬になって聞き直してみると、師走の喧騒とドタバタした雰囲気が伝わ
ってくるいい曲だった事に気づきました。ちなみに実際にこの曲を歌ってい
るのはベイビーレイズというグループだそうです(http://goo.gl/tt61JM)。
このあたりの関係は、ドラマの中で鈴鹿ひろみ(薬師丸ひろ子)と、その歌
の影武者をやっていた天野春子(小泉今日子)の関係を彷彿させます。

さて、そんな師走の近づく中、先週久しぶりに社会人の方がオーディエンス
の講演会を担当しました。相手は神奈川県浴場商業協同組合様
http://k-o-i.jp/)という県内の公衆浴場(銭湯)の組合員の方々、つま
り銭湯の経営者です。前学期にコガが担当していた「マーケティングの実践」
という授業で同組合の理事長に色々とご協力をいただいたので、その御礼と
授業の報告を兼ねて講習会の講師をお引き受けしました。講演では授業の中
で学生に検討させた「銭湯の活性化企画案」や、実際に銭湯に行ってレポー
トを書かせた「銭湯探検隊」の内容について報告しました。

神奈川県内の銭湯数は、昭和50年(1975年)の748軒がピークでした。その後
減少の一途をたどり、現在同組合に加盟している銭湯は208軒にまで減少し
ています。授業の際ここ半年間で銭湯にいった事のある学生を調べても、70
人の履修者のうちほんの数名しかいませんでした。様々な外的な要因に加え、
後継者不足等もあり、この先もますます廃業する銭湯が続くことが予想され
ます。そうした状況を立て直すのはとても難しいことなのですが、少しでも
若い人のアイデアが役に立てばと思い、今回ご協力させていただきました。

講演の最後のスライドは、マネジメント教育では定番エピソードの一つであ
る「ゆでガエル」のイラスト(http://goo.gl/Xgypzt)でしめさせていただ
きました。聴衆が銭湯の経営者ばかりだったのでちょっとブラックすぎるか
なあと心配しましたが、みなさん熱心に聴いていただき、感想もまずますと
いったところでした。

講演後ある銭湯の店主からこんな話を聴きました。小学生の銭湯体験を引き
受けた際、入浴後の質問タイムに子供からこんなことを聞かれたそうです。

「おじさん、銭湯ってなんのためにあるの?」

聞かれた店主は一瞬ドキッとしたそうです。確かにほとんどの家庭に内風呂
がある現在、機能面から銭湯の存在意義を子供たちに説明するのは至難の業
だったことと思います。しかし、話を聴いているコガの脳裏には下記のクエ
スチョンが浮かびました。

「もし『銭湯』の文字を『大学」に変えた時、私は小学生に説明できるのだ
ろうか?」
「たとえ大学一般論として回答できたとしても、『自分の大学が何のために
あるのか』を回答できるだろうか?」

年末に自分なりの答えを考えてみたいと思います。

皆さんも「銭湯」の文字を自分の業界や会社に変えて考えてみてはいかがで
しょうか?
<文責 コガ>