黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

猿ヶ京関所跡のやる気稲荷

2019-12-30 21:30:01 | 北毛紀行

犬川柳第五弾です。

いつまでも ママの子どもだよ よろしくね

今年5月、まだ獅子丸は帰ってきてません。

ひめちゃんが、よく七海ママとお散歩に行ってました。

本当にうれしそうです

ママの前だと、子どもに返れたのです。

ママもいつまでも保護する対象と認識し、よその犬に出会ったりすると、守ろうとしています

ひめちゃんは、ママにはいつまでも守るべき存在なのです

 

 

猿ヶ京の関所跡です。

 

資料館のパンフレットで、この関所の位置を確認しておきましょう。

ここを越えると、まもなく越後です

沼田からではなく、吾妻の方からやってくるのですね

今回は、国道17号線で沼田経由で来ました。

道理で来る途中、吾妻の中之条方面の表示があったわけです。

ちょっと気になっていたのです。

そのうちに、中之条経由で来てみましょう

 

パンフレットには、関所の配置図もあります。

今は、左側の役人の住居前にいます

 

資料館の案内があります。

 

さて、やる気稲荷はどこでしょう?

どうも、中のようです。

いきなりの民話です。

「向こうの山、上の山、あの山、後ろの山」、いい名前です

 

レトロな空間にやって来ました

猿ヶ京の関所についての説明板です。

新治村(にいはるむら)だったのですね

 

この巨大な説明板の裏に、やる気稲荷がありました

やる気稲荷のスタンプと猿ヶ京のスタンプがあります

やる気稲荷のお話があります。

関守の家のやる気のない孫を心配して、やる気が出るように毎日祈っていたばあさまが、孫がやる気が出て帰ってきたとき石になってしまった。

その石で稲荷様を祀った。

 

スタンプをゲットして、資料館に向かいます。

左手に大きな木があります

高野槇(こうやまきとあります。

この木は歴史を見続けてきた木です。

『猿ヶ京温泉語りガイド おとめ婆の祈り』によれば、

関守高野氏のご先祖は、大阪夏の陣に真田信吉に随って参戦した。

その帰り高野山に詣でた。

そこで実生の高野槇の苗木を持ち帰った。

高野家では、この木を家守りとして、家族の心を一つにした。


資料館の縁側に駕籠(かご)があります。

庶民が乗った駕籠です。

余り楽そうではなさそうですけど?

 

入り口から声をかけます。

「こんにちは。」

「入りますか?」

「はい。」

「お金かかりますよ。」

「はい、お願いします。」

入館料¥250を払います。

館内は一部を除いて、カメラOKでした。

 

目にとまった展示がありました。

江戸時代には、庶民の旅が盛んになったのです。

神社仏閣詣で、湯治の旅、知識を深める為の旅が盛んになったのです。

その流れの中で、山上の常広寺に、田中藤左衛門がやって来、毛呂権蔵がやって来、足利鶏足寺の和尚がやって来たのです

 

良寛さんに向き合うコーナーもありました

良寛さんは、越後の出身だったのですか

お寺が通行手形を発行していたのです

 

見所いっぱいでした

 

民話関係の冊子を販売しています。

その中の一冊を買い求めました。

『猿ヶ京温泉語りガイド おとめ婆の祈りです。

おとめばあさんの後ろ姿がいいですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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