日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

お墓参りと会食。

2022-11-29 07:33:01 | 母のことなど
母がコロナ禍の最中に亡くなったので、お葬式に駆け付けただけで、納骨などにも出向いていなかった。
母の入っているお墓に初お参り。
墓地は北アルプスを一望できる好ロケーション。そして晴天にも恵まれて雪山を背にしたお墓に、庭に咲いたバラを挿してきた。
お墓にバラの花は不似合いなのかもしれないけれど、母は私のガーデニングを喜んでみてくれていたのでよしとする。出発前に30本あまりの庭に咲く秋バラ持参で出かけました。
同じ墓地で近くにお嫁さんの両親のお墓もあるので、そちらにもバラをたっぷり。
お墓参りのあと、夕方に落ち合って宿泊ホテルの近くの居酒屋で弟夫婦と4人で会食。
私はお葬式以来、夫は母の100歳のお祝い(ちょうど6年前の同じ日))のとき以来の顔合わせでした。

弟夫婦が語ってくれて話の中で、ひとつ、母親らしいな~、と思う話がココロに残っています。
40年余りも長男夫婦と同居だった母が、95歳で半身不随になり、退院後をとうするかで混乱したときに、急遽弟夫婦の世話になることに急展開したのですが、その一番の窮地のときに、母は「丸く収まるように」のスタンスで、対応していたのです。
思えば、その人の理不尽な対応を「なんと情けない」と悲しんでも、そのひとを責める言葉を口にしません。
すごいな~。思えば、わからない人を責めてもいいことはない、と判断するやり方で人生をおくってきている人だったので、そういう対応になるのでしょう。
私はその場におらず、あとからややこしかったと聞いただけなのですが、きっと、その時の間に入ったSクンにはその後プラスに働くだろうと、なんだかそんな気がしています。
「いくつになっても世の中の役に立つことができる」・・・実は、いつだったか法事でお寺に行ったとき、お寺の御堂にいくつもの言葉を書いたお札が貼ってあって、その中に「ひとは片足を棺桶に入れていても世間のためにできることがある」というのが私のお気に入り文言となっています。
先日の会食の場で聞いた母の対応で、Sくんのとげどけしかった対応が変わっていった、という話題を聴いて、「あっ、👆 だ」と。

世間にはいろんなケースがあると思うのですが、母は95歳で不自由な体になっも難題をどう解決していくか、自分の頭(知恵)を使って、毅然とした言葉を伝えようとしていたのだと、シミジミと思います。

お嫁さんのYさん「あんな風にしっかりとして長生きできる人は、そういるもんじゃないわよね~」と。
95歳で半身不随の義母を突然に引き受けることになったYさんも、私は滅多にいない奇特な人だと思っています。

母は話をする(語る)のが好きな人でした。私も母からたくさんの話を聴いているけれど、Yさんと同居の月日も長くなったから、彼女も母の話をいっぱい聴いている風でした。
お寺さんに戒名を付ける際に、どんな方でした❔と訊かれたので「お母さんは『明るくて、自然が好きな人でした』と答えたのだけれど、そういう人だったわよね~」と。
それで、法名は「〇明然〇」となったと。
なんだか高名なお坊さんにあやかったみたいになって(笑)、忘れることはないでしょう。

富山での会食なので、海鮮料理がメイン(お刺身の盛り合わせ・ブリしゃぶなど)。











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