日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

お葬式が終わって昨日帰宅する。

2021-02-01 07:40:15 | 母のことなど
お葬式のために出発する少し前に、長距離バスの道筋の高速道路が大雪警報が出ていて不通になっているとメールが届いて、急遽バス予約をキャンセル。
他の方法として高山本線で行くことにしました。
岐阜を過ぎたあたりから、雪が舞いだして、しばらくすると完全な雪景色。落葉樹の枝に張り付いている雪の様、墨色の山の雪模様は墨絵の世界。山を越えて北陸へ。
汽車の窓からの雪景色は雪国育ちだから、私には懐かしさを覚えます。

駅に迎えに来てくれていた弟の車に乗って、葬儀場に向かい、遺体安置所で母と対面。
「お見舞い」じゃないから、気持ちはぎこちなく緊張する。

一昨日に送られてきた母の顔を想像しながら対面。

お棺の中の母の顔の第一印象は「きれい!」でした。

若いころの母の写真は美人なのです。
(自分の親のことを、しゃあしゃあとこんな表現すると思われるでしょうが、誰が見てもそういう評をするから、厚かましいのですが、、、汗)

そして、滑らかな肌で鼻筋が通って、白くなった髪もつやつやして、最期の姿まできれいなんだね~、と思った。

「貴女の自慢のお母さんだったから、、、」とか友人からメールが届いたりしましたが、「自慢の母」というのとは違いますが、学ぶところがいっぱいある母でした。

弟夫婦とたくさん語りました。
おしゃべりが好きだった母だから、8年5か月を暮らした弟宅でも、弟嫁さんにたくさん話を語ったそうです。
そんな母を前向きに受け入れて、誰からも好かれる人だったから、104歳まで生きて、お母さんと交流のあった人はみんなあちらに行っているから、今頃天国で、みんなに囲まれて、語るのに忙しいのじゃないかしら。もう、膝も痛くないだろうし、、、、という、弟嫁さんの感想は、ジワジワと私を喜ばせます。

本人もこんなに長く生きているとは思っていなかったし、脳梗塞で半身不随になった後、住環境が変わって弟夫婦宅で暮らすことになるとも想像もしていなかった。弟宅での生活は思ってもいなかった「おまけ」のようなものだといっていたそうです。
人生のおまけ。良い意味での、ご褒美のような展開だっのだと思います。

母は79歳で死んだ父から30年近く長く生きました。向こうで父にあったら、この30年間にあったいろいろなこと(孫の結婚や、ひ孫の誕生など)話して聞かせる土産話をいっぱい持って、あの世に行ける、と言っていたそうです。

お棺のなかに入れるものを弟嫁さんに相談されました。
おばあちゃんがいつも大事に持ち歩いていたバックと中の1冊の本。
そして、〇さん(私)から贈られたブラウスとカーディガン、これ新品かもしれないけどいいのじゃない?と。母の日のプレゼント品です。式服用のズボンと靴も入れました。
母が持ち歩いていた1冊は詩集。90歳を超えた柴田トヨさんの詩集が話題になったときに手渡した1冊「くじけないで」です。
話題になってからもう何年もたつのに、常にバックに忍ばせていたのですね。詩集としては小ぶりでもないのに、心の支えだったのでしょう。

これで、一番近い年上の身内を送るという節目は終わりました。

















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4 コメント

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ご苦労様です (glimi)
2021-02-01 16:31:21
 お葬式に出席できてよかったですね。

 4月、92歳の姉が亡くなりましたが、東京にコロナ緊急宣言の出る前日でした。東名高速は長いトンネルがあって嫌いですが、葬儀社まで会いに行きました。孫たちも時間をずらしてさようならをし、葬儀は甥夫婦だけで執り行いました。
 我が家系はみな心臓系で逝きますので、頑張って生きていたら私もぽっくり逝くでしょう。

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Unknown (haruharu)
2021-02-01 17:20:13
哀しみはじわじわと後になってやって来るのではないでしょうか?
五人姉妹の末っ子の私は15歳の時に母を亡くし
父は母の没後32年に78歳で逝きました。
それでも長く一緒に暮らした父との会話より
圧倒的に母との会話を懐かしく思い出します。

くれぐれもお疲れが出ませんようにご自愛ください!
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glimiさんへ (案山子)
2021-02-02 07:24:39
葬儀に列席するのは弟夫婦と私の3人でという予定でしたが、近隣に住む身内二人が加わり5人となりました。私は、緊急事態宣言地域から来ているわけですから、弟宅の家にいるときもなるべくマスクを着用していました。
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haruharuさんへ (案山子)
2021-02-02 07:32:55
末っ子さんですか。
15歳で母親の死を迎えるというのはさぞお辛かったと思います。でも長じて素敵なお料理マスターになられて、私、リスペクトなんですよ。
母は半身不随になって、歩行器必須の状態の時に、2度我が家で泊っていき、バラ庭も見てくれました。夜間のトイレのこともあり母と同室で寝ました。その時いっぱい語り明かしたことが、嬉しくて満足だったといっていたと、今回弟嫁さんから聞きました。
庭で作業していても、精魂込めて花育てをしていた母が応援していてくれるように思うのですよ。
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