あけましておめでとうございます。
皆様、よいお年をお迎えのことと思います。
年末から多忙モードでしたが、帰省客も帰ったので一段落しました。
昨年来、書いておきたいと引きずっていたので、綴っておきます。
観光バスの中から目にした八重山の景色は、収穫期を迎えたサトウキビ、草を食んでいるヤギ、飼育中の群れをなしている黒牛たちでした。
八重山の産業は、サトウキビと観光と牛だそうです。確か順番は3、2、1だったかな。サトウキビよりも、今は「牛」だそうです。
温かいので牧草の調達に有利なこともあって、和牛の飼育に向いていて、子牛のうちに売買されて、やがて松坂牛や神戸牛になるそうです。
放し飼いのようにみえるヤギは祭りのときなどの食用でもあり、地元の人には所有者はしっかりわかっているので、勝手に失敬する不届き者はいないそうです。
こんなに一年中緑緑している風土だと、台風被害さえ工夫すれば、自給自足できるのかな~と、思ったりしていました。
そんな私が、お土産物店の一角にある風土の歴史コーナーで1冊の本を手にしました。クレーのカバーにひらがなが6文字ほどだったことだけを覚えています。夜中に目が覚めて読んでいたのですが、前記事掲載のベットの写真の左側のベットの枕の右側に置いて、忘れてしまったのです。残念。ホテルに問い合わせればあるはずなのですが、、、。1500円でした。トホホ
2003年に複数の郷土史家らによって編纂されたものでした。
100年前の1903年にようやく廃止された人頭税の歴史を記した本でした。人頭税というのは高校時代にヨーロッパ史で教わった記憶がありますが、それと類似の制度が八重山地方に長らくあって、人々の暮らしを苦しめていたという史実は興味深いものでした。税を命ずるのは琉球王府であり、青年、壮年等、年齢によって負荷が異なっており、上布(細い糸で織った反物)での納付など、抜け目なく課された税は重くのしかかり、生活時間も指定されて労働に駆り出されていたようでした。琉球王府はさらに経済がひっ迫すると、八重山一帯を薩摩藩に担保として差し出したとか。江戸期にも、琉球の果ての島々まで、そういう経済の仕組みでがんじがらめだったということは、目からうろこでした。
ぼんやり車窓の光景を目にして思っていた、「多くを望まなければ100年、200年前はのんびり自給自足生活」なんて、ありえなかったのです。
そんな苦しかった先人の暮らしを調査研究しておられた郷土史家の方々の思いが込められた本だったのに、と思うと、なんだか、よりかけがえのない1冊に思えてきて、、惜しい。 ま、私は地元の郷土史に関心を払えばいいのかもしれませんけどね。
<付記>
今日は、帰省客が帰ってから、気になっていたガーデニングをしました。
ニゲラとアングロステンマを植えている大きなプランターの土の水はけが超悪いのか、気になっていたのです。
忙しかった年末年始はシャベルでほぐして、安直な水はけを試みたりしていましたが、はかばかしくなく、大々的に土替えをしてやりました。これで元気を取り戻してほしいものです。
皆様、よいお年をお迎えのことと思います。
年末から多忙モードでしたが、帰省客も帰ったので一段落しました。
昨年来、書いておきたいと引きずっていたので、綴っておきます。
観光バスの中から目にした八重山の景色は、収穫期を迎えたサトウキビ、草を食んでいるヤギ、飼育中の群れをなしている黒牛たちでした。
八重山の産業は、サトウキビと観光と牛だそうです。確か順番は3、2、1だったかな。サトウキビよりも、今は「牛」だそうです。
温かいので牧草の調達に有利なこともあって、和牛の飼育に向いていて、子牛のうちに売買されて、やがて松坂牛や神戸牛になるそうです。
放し飼いのようにみえるヤギは祭りのときなどの食用でもあり、地元の人には所有者はしっかりわかっているので、勝手に失敬する不届き者はいないそうです。
こんなに一年中緑緑している風土だと、台風被害さえ工夫すれば、自給自足できるのかな~と、思ったりしていました。
そんな私が、お土産物店の一角にある風土の歴史コーナーで1冊の本を手にしました。クレーのカバーにひらがなが6文字ほどだったことだけを覚えています。夜中に目が覚めて読んでいたのですが、前記事掲載のベットの写真の左側のベットの枕の右側に置いて、忘れてしまったのです。残念。ホテルに問い合わせればあるはずなのですが、、、。1500円でした。トホホ
2003年に複数の郷土史家らによって編纂されたものでした。
100年前の1903年にようやく廃止された人頭税の歴史を記した本でした。人頭税というのは高校時代にヨーロッパ史で教わった記憶がありますが、それと類似の制度が八重山地方に長らくあって、人々の暮らしを苦しめていたという史実は興味深いものでした。税を命ずるのは琉球王府であり、青年、壮年等、年齢によって負荷が異なっており、上布(細い糸で織った反物)での納付など、抜け目なく課された税は重くのしかかり、生活時間も指定されて労働に駆り出されていたようでした。琉球王府はさらに経済がひっ迫すると、八重山一帯を薩摩藩に担保として差し出したとか。江戸期にも、琉球の果ての島々まで、そういう経済の仕組みでがんじがらめだったということは、目からうろこでした。
ぼんやり車窓の光景を目にして思っていた、「多くを望まなければ100年、200年前はのんびり自給自足生活」なんて、ありえなかったのです。
そんな苦しかった先人の暮らしを調査研究しておられた郷土史家の方々の思いが込められた本だったのに、と思うと、なんだか、よりかけがえのない1冊に思えてきて、、惜しい。 ま、私は地元の郷土史に関心を払えばいいのかもしれませんけどね。
<付記>
今日は、帰省客が帰ってから、気になっていたガーデニングをしました。
ニゲラとアングロステンマを植えている大きなプランターの土の水はけが超悪いのか、気になっていたのです。
忙しかった年末年始はシャベルでほぐして、安直な水はけを試みたりしていましたが、はかばかしくなく、大々的に土替えをしてやりました。これで元気を取り戻してほしいものです。