さかしま日記

勝手気侭な独り言。最近は特に。。。

嵐山 ぱーと2

2007年12月13日 | 旅行・温泉
ここで突如妹からのメールが。
「今ラジオで京都のえんりあん(円里庵?)ってとこが紅葉がめちゃくちゃ綺麗で
上も下も真っ赤で涙が出そうな程いいんだってさ~。あんた行ってみれば?」と。
えんりあん?聞いたことないなあ。どこの場所?
「知らん。あんた京都詳しいでしょ」って、ちょっと!もっと確実な情報をよこさんかい!
こんなんじゃ分からないし、諦めようかなって思ってたら、
友達が「そこで聞いてくる!」って近くのお土産屋さんの人に聞きに行きました。

お店の人は「さあ・・・?聞いたことあるようなないような・・・。」と、
私たちの不確実情報に困惑しつつも、地図を持ち出して丁寧に探してくれました。
「庵というからには、独立してある建物じゃなくて、○○寺の××庵というように、
どこかのお寺の別棟になるんですね。だからせめてお寺が分かるといいのですが・・・」
でもやっぱり見つからず。
丁寧に対応して下さったお店の方に、お礼をいいつつ、お店を出ると、
奥から「分かりましたよ!」とお店の人が声をかけて下さいます。
お店のご主人である年配の方がご存知で、なんとすぐ近くにあったんです!
清涼寺の横あたりにある庵で、『厭離庵』と書きます。
藤原定家の山荘だったところだとか。由緒正しいんですね~。
近くだったので、早速行ってみました。

厭離庵、ホントよかったですよ!
もう1週間早ければ、、涙が出てくるぐらい綺麗だったでしょう。
私たちが行ったときは丁度散り際で、紅葉もちりちりしかけてたのですが、
これが真っ赤に紅葉していた時は、
視界一面が赤に染まる緋色の絨毯の中を歩いた感じでしたでしょうね。
11月1日ぐらいから1ヶ月ぐらいしか開庵されてないみたいですし、
入り口も細い小道を歩いて行くところで、観光地化されてなくて、
静かな鳥のさえずりと時折聞こえる密やかな観光客の声が心地よいです。
こういうひっそりとしたところは、なぜか静かに会話してしまいますよね。
後で知ったのですが、いつも入れるわけではなくて、
予約が必要な場合もあるとか。
訪れることが出来たのはとてもラッキーなことでした。
あのとき友達が聞きに行ってくれたから・・・!と友達に感謝しました。

それにしても紅葉の時期はどこも人が多く、
静かに鑑賞できることが少ないので、
将来は立派な庭付き一戸建てを建てて、樹や花をたくさん植えて、
四季折々の鑑賞をやるぞ~っとぷちっと考えた日でした。
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嵐山へ!

2007年12月13日 | 日記
次の日は嵐山へ行きました。
友達に車でお迎えにきてもらったの。ありがとう。

嵐山はめちゃ混むぞ、って予想していたので、早めに来てもらいました。
やはり近づくにつれてだんだん車が増えてきます。
スピードが落ちてきたので、外の風景に注目していると、、、
何気なく対向車線を走ってきた車をみてびっくり!
四つ葉のクローバータクシーだ!
京都中を走っているヤサカタクシーには、2万台のうち、4台だけが
三つ葉でなくて四つ葉のクローバーのロゴが入ったタクシーがあるんです。
しかも空っぽ!
思わず運転手に「あれに乗せて!」ってしがみついちゃった
でもそんなことは出来ず、通り過ぎて小さくなって見えなくなるタクシー。
いつか乗れたらいいなあ。でも見れただけしあわせ・・・

さて、渡月橋が見えたところで右折して駅方面へ走り、駐車場を探していたんですけど、
ここでもうかなりの渋滞だったんで、駐車場の空きはなし。
渡月橋を渡ったところに広い臨時の駐車場らしきものがあったのですが、
遠い&面倒で断念。
のろのろ運転をしていたら、空いていそうなのがあったので
入ったら、なんと『60分1200円』の表示が。
タッケエ!!!
間違えたフリをして即出て行きました。どおりですいていた訳だ・・・。
そして隣の龍安寺に入り、そこに車を止めました。
ここは『夕方5時まで1000円』なんだそーです。しかも広い。ヨカッタ。

龍安寺をちょこっと見て、嵐山を散策。
夜には灯籠がともるであろう、竹やぶに囲まれた細い山道を歩きました。
ちょっと歩くと「御髪神社」ってのがありました。
ここは日本で唯一の髪を祭る神社だそうです。
本当に小さい神社なのだけど、宮司さんもいるし、お守りも売っているし、
絵馬もたくさん飾ってありました。
やはり美容業界の方々からの参拝が多いみたい。
他にも、誰々さんの髪の毛を増やして下さいとか、切実な願いが・・・。
トロッコ駅のすぐそばです。

この辺りは本当にのんびりしていて、実家近くを歩いている感じがして
心の中にある田舎の原風景を思い出してきて、
しみじみといいなあって思いました。

しばらく歩いていて、お昼でお腹がすいてきたので、よーじやカフェに入りました。
ちょっと待ってたら入れたので。
窓際の席で庭の紅葉が見れてよかったァ~。
しかもね、ここトイレもよーじや特製のタンクなの。ピンクなの。かわいいよ。
京野菜のカレーを食べて、お店を出て次は駅前通りを渡月橋へ向かって歩きます。
両際に立ち並ぶお土産屋さんの誘惑がすごくて。
あっちへふらふら、こっちへふらふら~。
ホコ天じゃないから危ないんだよね。

次へ続く。
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怖い怖い縁切り神社

2007年12月09日 | 日記
舞妓体験の後、「萬屋」でおいしいねぎうどんを食べました。
そういや京都のうどんってみーんなコシないよね。
ぷっつん切れるけど、柔らかいこのうどんは結構好きです。

その後、ぷらぷらして縁切りで有名な安井金刀比羅宮に行きました。
入ってすぐに猫ちゃんがいたのでしばし戯れて。
お賽銭箱の上に乗っかってんの。かわいいなあ。

縁切りで有名ですが、縁結びもやって下さる神様です。
お札でたくさんの、縁切り縁結び碑があります。
トンネル状になっており、神様に縁切りをお祈りしながら一度くぐり、
また縁結びを祈りながらくぐって最後にお札を貼るんです。
単に男女の縁だけじゃなくて、例えば病気と縁を切るとか、就職や進学によい縁がありますように、とか
色々な縁を切り、結ぶこともお願いできるみたいなんです。

で、怖いと思ったのはかかげられた絵馬。
見ちゃいけないと思いつつ、怖いもの見たさに見た絵馬は・・・。
すごい!エグい!ドロドロ!
これでもかって言うぐらいの怨念に満ちた内容が・・・。
「○○と××が早く別れますように。二人の子供が流産しますように」とか
「元妻の○○と完全に縁が切れますように。叶うなら死んでもかまいません」とか
「○○と××と縁が切れますように。まぢうざいから~」とか
「××はこの世と縁を切って欲しいです。地獄に落ちろ!」とか
「○○と××は別れて下さい。そして××は私とよりを戻して結婚して下さい」とか
具体的に人名を挙げて、願っているんですよ。いや呪っている・・・。

縁切りは他人を呪うのではなく、自分にまとわりつく縁を切るために願うこと。
第三者の不幸を祈るのは呪いですよね。人の呪わば穴二つ。いつか我が身にふりかかりますぞ・・・。
そういう願いは神様もかなえてくれないじゃないのかな。
そんな怖いことを願う嫉妬心と縁を切って欲しいですよね~。

そんな風に身を震わせてつつ境内を歩いていたら、おじさんが声をかけてきました。
「ここ知っている?有名な縁切り神社で、内田康夫の新作の舞台にもなっていますよ」と。
おお、あの浅見光彦シリーズか。
「そうなんですよ。かなり細かくこの辺が書かれていて、おそらく作者はこの辺を
たくさん歩き回ったんじゃないのかなあ」と。
そうなのか~。新作って言ってたからまだ見てないかも。。。
大学時代、かなりハマって読んだからなあ。
久しぶりに旅情ミステリーに浸ってみようかな。

その後は大阪へ移動。
大阪で友達と会いました。
指定された場所が東梅田のお初天神の近く。
お初天神って露天神社の通称で、あの曾根崎心中の舞台となった場所。
やはり、縁結びの神様らしいです。
ここでおみくじをひいたら久々に出た大吉!
やったーと友達に報告したら、
「今年はもう終わりですよ・・・」なんてツレナイ返事が。
ふん、来年も大吉ひいてやるからね。

大阪でたっぷり飲んで、京都へまた移動。
新快速は早いですねえ。あっという間に着いちゃいますよ。
行ったり来たりで疲れたけど・・・。



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舞妓体験

2007年12月09日 | 日記
かなり恥ずかしかったです・・・。

祇園の置屋が建ち並ぶ場所で、舞妓体験をしました。
かなりナンチャッテ、いやナンチャッテもナンチャッテ、
キテレツヘンテコリンな姿になり、自分で吹き出しましたよ・・・。

昔から憧れていた舞妓さんの姿に一度でいいからなりたいと、
もー、コレを逃したら他の日はないと、やってみました・・・。

お店に着くと、まず着物を選びます。
色々な柄があり、目移りしそうで、どれがいいかな~と選んでいたら、
お店の人は「白塗りになって顔色や顔立ちに合せることはできないから、
好きな柄を選んだ方がいいですよ」と。
そ、そか。そうだよな。真っ白だしな。
さんざん迷ってド派でなブルーの着物にしました。帯はお店の人が合せてくれます。
その後化粧。真っ白に塗って、紅も眉も目も描いてもらい、
目を開けたら、それは歌舞伎役者!思った以上にのっぺり!
もともと凹凸のない顔がもっとのっぺり!こけしみたい!
知らなかった、私って男顔なんだ・・・。よく大衆演劇の女形がいますが、あんな感じ・・・。

ここで強烈に恥ずかしくなり、も~さっさと終えたくなりました。
なんかぶっさいくな白いお化けの様な顔がショック&気持ち悪くて・・・。
その後着付け。着付け紐は全て胸元で締めるのでかなり苦しい。
ぎゅーと締められ、重くておっこちそうなかつらをかぶったら、ナンチャッテ舞妓いっちょ上がり。
その後に写真を撮ってもらい、外へ出て写真を撮りましたが、
人目にさらされる苦痛に堪え難く、さっさと終わりにして戻りました。
もー、や!舞妓さんは白塗りじゃなくても美人ですよ。きっと。
本物の舞妓さんに見られたら、めっちゃ恥ずかしいですわよ。

化粧をした顔はクレンジングで普通に落とせましたけど、
びんづけ油はべっとべとでシャンプーでもなかなか落ちませんでした。
お相撲さんとか大変だろうなあ。
すんごいべたべただよね・・・。
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冬の京都旅行

2007年12月09日 | 日記
たらいまなり。

京都より帰って参りました~。
今回は6日から9日までちょっと長めの旅行。
でもずっと人と一緒だったから、ほとんど回っていない。
何よりも人が多くて、新幹線にまで乗り遅れちゃったし

ではそんな私の今回の旅行は~。

6日は実は仕事でした。
もともと7日に有給取っていたのだけど、超ラッキーなことに6日に京都出張になって。
そのまま京都に居座って遊びまくりました。

7日は紅葉を見に、永観堂へ。
永観堂とは通称で禅林寺が本当の名前です。
初めて行く場所だったのだけど、八坂神社から結構近かったのね。
近くには南禅寺があります。
ここの開基は古く、空海の高弟の真紹が開いたとされています。
ということは9世紀半ばぐらい?
で、空海と言えば密教。最初は密教のお寺だったのだけど、
今は浄土宗のお寺なのね。どこで入れ替わったのでしょう?
ここでお寺の通称の名前にもなっている永観(ようかん)さんが登場します。
永観は禅林寺の中興の祖とも言われております。
もともと東大寺の別当だったのだけど、断ってこっちにこもったらしい。
東大寺は南都・華厳宗。やっぱり浄土宗とは違う~。
浄土宗って法然のイメージが強いせいか、平安時代にはあまり流行っていない気がしたんだけどな。
昔の僧侶って宗派替えするのはあまり問題ないというか、
世の中の様々なことを広く学ぶ学僧って感じだったんでしょうね。

このお堂には有名な「顧り阿弥陀像」があります。
小柄な阿弥陀如来様なのですが、はっきりと横を向いているんです。
不思議なでも慈悲あふれる姿を見ていると、なんだか目が熱くなりました。

この永観堂の作りは後ろがすぐ山になっていて、
後から後から上に建物を継ぎ足して行った感じで、
しかもそれら全てを渡り廊下で繋いでいるんで、結構急な、入り組んだ構造になっています。
水琴窟もあったし、そうだ、庭も立派だったんだ。
紅葉はもう葉っぱが落ちていたけど。。。。
朝10時半ぐらいでしたけど、人はまばらで、落ち着いて過ごせました。
何より済んだ空気の中で過ごす気持ちよいひととき!
癒されました~。
あ、そうそう板張りの廊下はカナリ足が冷たくなるので、
厚手の靴下だけじゃなく、足にホカロンひっつけないとツライかも・・・。

その後、実は、実は、舞妓さん体験をしたのです!







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暖かい師走の始まり

2007年12月01日 | 日記
本日は晴天ナリ。
暖かかったですね~。
友達のうちで産まれたばかりの赤ちゃんをだっこして
ハハオヤ気分を味わっておりました。
かわゆい~

写真はお礼にと、もらったクッキー。
チョット早いクリスマスプレゼント

その前に間違って、東郷神社へ行ってきました。
朝7時に起きてさ。
骨董市が今日だったと思ってたの。
でも明日だった・・・。ドアホ。
ま、朝のお散歩楽しめましたけど。

東郷神社はひとっこひとりおらず。
改装工事していることろがあって、工事しているオジサンと、
竹下通りから明治通へ近道している通行人が数人。
これも昼近くになると人がものすごいんだろうなあ。

東郷神社は東郷平八郎が祭られている神社ですね。
東郷平八郎のことは概略ぐらいしか知らなくて、
日本史の時間でもあまり詳しく学ばなかったりする。
バルチック艦隊を破って日露戦争に勝利へ導いたこと、
その頃ロシアに苦しめられてたトルコから絶大な人気を呼んだこと、
海軍軍人だったこと、確かカッコよかったな、ぐらいしか知らなかったの。
でも神社には簡単なプロフィール版が飾っていて、読むと立派な人だったんだな、って
ことが分かりました。今でも昔でも人気のある人。
生まれは薩摩藩士なんですね。
で、イギリスに留学している。
素地があったからか、それとも性質なのか、艦隊を破ったのも
さもありなんという感じですね。
ただイギリスでは海軍兵学校じゃなくて別のところで国際法を
学んだらしい。でもそれがかえってよかったのかなあ?
イギリスと言えばかの無敵艦隊を擁したお国。
腐っても大英帝国。斜陽になっても我らが法というプライドが高くてツンツンしたイメージ。
なんですがね。どうでもいいか。
まあ東郷元帥についてはほとんど知らないので、
ちょっと伝記でも読んでみます。

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