桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

苦労したのですね

2014年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
3月16日(日)

Ahahahahahahaha!
テレビの画面に大きく出ていた。何で、あの出演者達はあんなに大きな声で笑えるんだろう?
いや、可成りの大人だって、辺り構わずに笑ったりしゃべっているのを見掛ける。
私には出来ない。

「何故だろうね?」と姉。
「それは、こちら側にも理由ありよ」と私。

つまり、我が家の教育方針だ。
「お口をつむんで」が母の言葉。
だから、子供の頃の写真は確りと口を結んでいて、大人になってから見られる様な笑い顔は見当たらない。

家庭内でも、余りおしゃべりをする事は無かった。勿論、大きな声ではなかった。
それでも、弟は賑やかだったなぁ!

姉に言わせると、姉達には母が厳しく接し、体の弱かった私や末っ子の弟には甘かったそうだ。
それに、上の二人の兄達に対しては教育熱心で内地の学校へ進学させた。
母の願いは、どんなに大変でも、子供全員の教育が一番大切な財産だったのである。

兎に角、真面目な家庭だった。
母は、学校へ参観に行くのも、地味な和服だった。
センスが良くて未だ若いのに、何故、地味なキモノなのか分からない私は、参観日前夜になると、母のキモノの中から自分が気に入っているものを選んで、それを着て行くようにとねだったものだ。

今だったら、シックな母の好みや考えが理解出来ただろうと思うのだが。


時々、自分の体つきを見て、多分、私は一番、母の体格に似ているのでは無いかと思うことがよくある。
決して、体が丈夫では無かった様だが、ひどい病気はしていなかったと思う。
もしかして我慢をしていたのかな?
父がひどい病気になった事があるし、兎に角、あらゆる病気をしたと言われる私がいたから、大変だっただろう。

万一の場合は、細い体で生活力を発揮した強い母だった。
戦後、引き揚げてからも、母の見えない活躍は凄かったと、今にして思う。
殆ど荷物を持たずに引き揚げて来たのだから、リュックサックに詰め込んだキモノ地も、何時の間にか食べ物に変わっていた。

「私のキモノはどうしたの?」「ゴメンネ!そのうちに買って上げる」と母は答えた。(結局、買っては貰えなかったけれど…)
食料や物資が不足している時代で物々交換が主流の時代だった。その様な時に、弟と私を米原から彦根まで汽車通学をさせた事も大変だったと思う。

サツマイモのつるが混ざった御飯を弁当に持って行った弟が、誰かに盗まれて、べそをかきながら帰宅した時には、とても可哀想で、あの一里近い道を空腹で歩いた姿が思い出される
「あんな御飯でも食べたのね」と、母は驚いていたけれど、本人にしてみれば悲壮そのものである。


村の中で、彦根まで汽車通学する子供は3人ぐらいしかいなかった。
しかし、私は相変わらず勝手で、他の友達が絶対に買えない少女雑誌まで毎月予約購読していた。
家の経済の事情等考えもしない(今にして、やっと気が付く)うかつさだったのである。

最近のドラマで戦後の暮らしぶりを見る度に、当時の私っていい気なものだったんだなと、思う。

お父さん、お母さん有難う!
二人共、長生きをした。先日の法事の際に、墓参りをして来た。今は霊南坂の墓地に祭られている。
思えば、我がままな私は、両親に色々と苦労と心配をかけたのだ。


ところで……
Ahahahahahahaha!と、
人中で派手な声で笑ったり、感情を表現出来ないでいる自分は、やはり、愛嬌の無い人間と見られても、それで構わないと思い始めている。
今更、もう、直らないものだからだ。








 * 覚えていますか?お父さんとお母さんの『大森夏みかん』



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溜めましたよ!ブログ

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
 * 『ごちそうさん』を見て……*


3月15日(土)

なんて、日の経つのが早いんだろう?
最近の緊張していない生活(しかし、落ち着かない日々)を考えると、そう感じるのかも知れないと思う。


毎朝『ごちそうさん』を見るのが楽しみだ。
興味深い内容だが、ちょっと、あの本物の時代とは違うよと言いたくもなる。
原作者がよくあの異常な時代を捕えていない部分もあるからだ。しかし、東京と大阪の事情の違いも多いのだろうかとも思う。

それに、終戦直後の異常な昭和20年の秋の中で生きる人々の状況があのようであったかは、私の経験からはよく分からないし、どこか違っている様な気もする。

しかし、あのヤミ市は、何となく戦後の東京神田駅のガード下を思わせる。
一度も買った事はないが、神田駅のホームから眺めては、随分、賑わっていたと記憶している。でも、その頃の情景は既に終戦直後の街とは異なっていた。


兎に角、警察に依るヤミ市や買い出しの取り締まりは無慈悲で厳しいものだった。

東海道線と北陸本線の分岐点である米原駅前の広場には押収した米の山が出来て、あれはどうするのかな?と眺めたものだった。
中には、折角キモノ等で交換した食料を、駅に着く前に線路へ投げた人もいる。後から引き取りに来るためだ。しかし、それが、無事、本人の元へ戻るかどうかは不明だった。
没収されて嘆く人の姿も見られて、今、考えても酷いと思う。

兎に角、当時は生きるために食べ物を探したり、求めたりした。先ず生きて行くには、何よりも『食べもの』だった。

『生きる』事の難しさは、戦時中だけでなく、戦後も更に続いたし、その為に随分苦労したのだ。


私は昭和20年生まれの人達が6歳の頃、接する機会を持った。
二部授業のバラック校舎。足りない教材。等等……’
しかし、大都会に広がる原っぱで虫を追い、池でザリガニを捕る等、今の子供達には出来ないヤンチャぶりも発揮出来た。
まだまだ、東京にも広い遊び場があったし、それは今の子供達には無い楽天地だったのだ。


彼等の美味しいと感じるものはジャム付きコッペパンやクジラの立田揚げ(これは御馳走)干しバナナ、脱脂粉乳(これは無理かな?)……
美味しそうに食べていた。
そして物資不足。
それだけに、当時は、人々の間に余り生活の差は感じられなかったと思う。

しかし、今、見ると、彼等は現代の若者のように体格が良くない。勿論、お洒落でもない。
兎に角、母の体内で戦時中や終戦後の食料不足にあったり、生命の危機から逃れる中で育ったからだろう。
当時のお父さんやお母さんに感謝しなければならない。

『物』に対しても素直に有難さを感じた年代だった。
今、大人になっても、彼等の性格の穏やかさや素直さや思いやりの深さを感じて、頼もしい。
大変な時代ではあったが、人との繋がりを大切にして、今よりは幸福だったのかも知れない。
この事は、私が歳をとった為だろうかとも思うが。



思い出は元へ戻るが、あの頃に親を失った子供達は、大変な苦労を重ねながらも、自立心を養い、今では立派な社会人になっているのだろうと考える。
もう良い年齢に達しているが、過去の苦労が実っている事を、今更なから望む。


思えば、こうした苦しみや悲しみを味わった経験が、現代の生き様では少ない感じがする。
若い人達が、形からでは無く、心を磨くために様々な体験をするのも大事ではなかろうか?

もっとも、今回の東日本大地震で大きな被害を受けた若い人達が、確りと足を踏みしめた捉え方で人生を生きていこうとする姿を見聞きするのは頼もしい限りであるが…










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御茶ノ水行き&確定申告提出

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月14日(金)

御茶ノ水へ行く。
昨夜は未明まで起きていたので、フラフラ。

予約をしているので時刻に遅れないように早目に出た。
最近の私は、タクシーを使い過ぎている。
特に、面倒だからとSuicaを使うので、瞬く間にカードの残高が減って行くのに気付いた。
これは当たり前の話だが、余りの減り方に驚く。
帰りに又チャージをする事にした。


くたびれた。兎に角、疲れた。
じ~っとと動かずに、異様な音や振動を聞いていると、気持がおかしくなる。
MRIを、もう一回、17日にする事になっている。
何とも大変だが、仕方が無い。
 

帰りに東京駅の『駅弁屋』ヘ寄った。
今日は北海道の静内駅の蟹弁当を買った。美味しかった!
ズワイガニがぎっしりと詰まっていて、その他の副食物も土地の香りがして美味しい。
写真を撮るつもりだったが、すっかり忘れていた。

最近は、この『駅弁屋』のお世話になる事が多くなった。
すっかり、無精者になってしまったのだ。

大勢の客が大きな荷物を抱えながら店内を歩くから、この店は大変混雑している。
夕方になると、商品は殆ど無くなる程の盛況ぶりだ。


「疲れた!」何時もの口癖が出て来る。今日は、特に、疲労困ぱいぶり。
何とも、やり過ぎと言うものだ。


朝のうちに『確定申告書』は郵便局へ持って行ったので、気持は楽になった。
今まで、わざわざ、池上会館まで持って行ったのだから、随分、ご苦労様だったと言う訳だ。 


とうとう、五日分のブログを書き上げてしまった。
まさに狂気の沙汰。

桃は満開になりかけている。
雨が降って、折角の花が気の毒みたい。







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私は90歳なの?? 

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月13日(木)

未だ、『確定申告』を終えていない。面倒な事は一寸回しの私の悪い癖だ。
この書類は可成り長い間書いているから、慣れている筈だ。けれど、やっぱり面倒くさい。


さて今日こそはと気持だけは勇んだが、やはり他の用事が山積している。
大体、ブログをすっかり溜め込んでしまった。
記憶を辿りますか?いや!考えるのも、文字を打つのも面倒だなぁ!|


ところで、先日はアホか!と言うか、がっくりすると言うか、兎に角、酷~~い目に遭った。

朝、バス停に向かって急いで道路を渡ったら、既に待っていた女性(歳をとった)が、声を掛けて来た。
「元気ですねぇ!」
その後、続けて、彼女が尋ねた。
「何歳ですか?」
「幾つに見えます?」と私。
「ウ~ン!」暫く考えて、彼女はハッキリと答えた。
『90歳でしょう?』

「エ~ッ!」
さすがの私も驚いた!
『だって、私は未だ38歳だもん』と豪語するつもりだったからである。(と、言う訳で返事はしないでいる)

「ところで、あなたはお幾つですか?」と私も問い返す。彼女の返事は聞けなかった。知人が彼女に話しかけて来たからだ。


(ひどいよ!いくら何でも!あんな事を言われたのは初めて…)
(いやいや、そうかも知れないなぁ!この頃の私って、皺がいっぱいで、眼の光も肌の色も冴えないもん!)
と、自分にそっと問いかけた。


<しかし、何と言う事でしょう?全く知らない他人に、どうして、こんな事をお世辞のつもりで言ったのかな?>


『ブレイモノ!』と言いたくなったり、可笑しくなったりだ。
気をつけましょうね、冗談でも、他人に言う言葉じゃないんですよ。

シツレイネ!矢っ張り!


彼女は気になったのか、バスの席を譲ってくれた。
勿論、私は『90歳』だもの。礼を言って座った。これだけは得をした訳だ。



Appleへ行った時、この話をして「私は38歳よ」と言うと、彼は本気になってびっくり。
「いやぁ、逆立ちしたら、そうなるのよ」
「ぼく、38歳です」
「そうね!シワのある38歳とツルツルの肌の38歳二人ね」と答える。
ユーモアって大切なんですよ。


姉に話すと「ところであなたも同じお年頃で……と言えば良かったのに」と言った。
最近に無いショッキングなオ・ハ・ナ・シでありましたよ!

言葉の使い方には気をつけうようね!で~す。




やっと、確定譖申告書きを軌道に乗せた。確定申告は絶対に明日には郵送するつもりだ。眠くても頑張ろう!

やっと終わって寝ようとしたら、愛媛県を中心に大きな地震が発生した。
伊方原子力発電所が気になる。あの狭い陸地で事故が起こったとしたら大変だ。
地震の多い日本で、原子力発電とは何と恐ろしいことだ!























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タクシーはやめられない!

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月12日(水)

午後、早目に有楽町へ行く。暖かな午後だ。
今日の目的は電器店。
昨年の暮れ頃から冷蔵庫の買い替えをしようと相談していた。しかし、ここのところ、色々と気忙しい日が続いて、とうとう、四月間近となってしまった。

消費税8%アップが気になるからと、無理に出かけた訳である。
ついでに印刷用紙やインクも買おうと、リュウックを背負って出かけた。

幸いと店は空いていた。土、日曜日でないから、店員さんも親切に丁寧な説明をしてくれた。
若し、駄目だったら、無理して買う事もないと話し合っていたが、購入する。


銀座へ出てMATSUYAヘ寄ろうと言う事になった。
足が弱くなった私達は、有楽町からタクシーを拾う。
さすがの運転手さんもびっくり!こんなお客もいるんだなぁ!な~んて!驚いた様に言う。


何時も行く蕎麦店で食べた。姉は『新筍と蛤の蕎麦』私は一番お気に入りの『合鴨の蕎麦』だ。
二人共、大満足。

地下で買い物をして、又、八重洲口までタクシー。もう、歩きは駄目な二人である。

お疲れ様。
これで、一つ、用事が済んだ。









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 * 我が家の花達です。

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3月11日の記憶

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月11日(火)

忘れもしない3年前、ここ銀座Appleの4階の同じテーブルでパソコンの勉強をしていた。
激しい振動に、目の前の壁にスジがついたのを覚えている。
そして、銀座通りでは大勢の人が呆然として立ちすくんでいた。

既に、交通機関が不通だと言うニュースを店のパソコンで調べた私は、真向かいにあるMATSUYAの地階へと行った。
店内は店員達がいるだけで、客は殆どいない。私はパンを買い、飲み物を買った。ついでに、姉への土産に菓子パンを買う。
思えば、随分、変わった行動をしたものだ。
後で、姉が言った。
「弁当を買えばよかったのに……」姉の方が私より一枚うわてか?


有楽町からは品川方面に向かうバスは無い。初めて、不便だと気がつく。
JR有楽町も役には立たない。兎に角、新橋まで歩く事にした。
新橋ビルに一’先ず入ったが、駅へ行ってみる。
既に、人でいっぱい。
思い付いて家へ連絡をする。こんな時にテレホンカードが役に立つと気が付く。


午後7時、駅は避難している人々を駅舎から出す。
仕方なく、近所にある『第一ホテル』へ向かった。同じ様な人々がゾロゾロとホテルへ入って行った。
既に、部屋は無く、ロビーには多くの人が座り込んでいる。
私も、少し、場所を空けてもらって絨毯の上に座った。ホテルではきれいに畳んだベッドカバーや毛布を配ってくれる。更に飲み水まで配ってくれた。

ホテルに避難したのは正解だった。
ロビーでは大型のテレビで現在の状況が流され、更に、ホテルからの情報も逐一入る。
暖かな屋内で一夜を過ごせた事、そしてきれいなトイレを使う事が出来た等々、感謝する事ばかりだった。

ここで、先程、買った食べ物が役にたった。皆は夕食も買えなかった人がいた様だ。コンビニも既に
食べ物は売り切れだった様だ。
ついでに、持参のMacも暇に任せて開く。


この経験は厳しいものだったが、この非常時に、ホテル側で示して下さったご行為は素晴らしいと思った。
実は、かつて、このホテルに対しては嫌な思い出があったので、何時も、ホテルの建物さえ見るのが嫌だった。
しかし、今では、すっかり好意を感じている。何時かはこのホテルでも利用しようと考えているが、今も未だ機会を逸している。
(帰宅後、取り敢えず、ホテルへお礼のメールを送った)


あくる12日の12時半に、乗り物を乗り継いで、やっと、帰宅出来た。
姉に「心配した?」と聞くと「いや、別に…」と言われた。
私は信用されているのか、どうかな?分からない。
多分、甥達にメールを送っていたので、情報で安心していたのだと思う。


今年、また同じ日に銀座Appleなんて、一寸、皮肉だった。
やっぱり、あの重大な緊張と恐れ。それは、まだ続いている。
二度と経験したくない帰宅困難。こんな思いはしたくない。

銀座は震災の事等、忘れたようにのんびりと賑やかだった。
しかし……’
MATSUYAの入り口には『東日本大災害に対する御見舞い』が出ていた。
人、店、町、交通機関……皆、それぞれに決して忘れられない厳しい記憶である。

被災地の人達の暮らしが、更に良い方へ向かうようになる事を祈る。








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私が生まれた日

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月10日(月)

今日は何の日?
そう、今日は『陸軍記念日』だった。
それはもう、過去形に入る。日露戦争のとき、日本が勝ったのを記念して決められた。
その他に、5月27日は『海軍記念日』がある。これは『皇国の興廃この一戦にあり』で始まった東郷平八郎元帥の指揮による日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅した。


私は軍国時代に育った子供だから、これらの事をよく覚えている。
それに、この二つの記念日は我が家の家族の誕生日だったからでもある。
父は『海軍記念日』そして、この私は『陸軍記念日』奉天陥落を記念した日である。
ところで、上の兄は2月11日、つまり『紀元節』だ。


さて『3月10日』には、まだ忘れてはならない日がある。
『東京大空襲』これは、今も1945年3月10日に起こった米軍による大空襲で0万人以上の犠牲者を出したと言う事で、今も痛ましい記憶として残され、法要が行われている。
これは、後、5ヶ月で終戦を迎え、大切な命を失わずに済んだと言うのに、誠に悲しく口惜しい歴史である。


私は京城の桜井町で生まれた。今のソウルの繁華街に近い場所だ。
名前の由来はここから始まる。
子供の時から、戦時下の生活が多く、敗戦後に引き揚げてからは、物資不足の敗戦後の日本で育ったから、考えれば、可成り波乱に富んだ時代に育ってきた。

しかし、そう言った異常な時代を通り抜けて、今に至ったのだから幸せだと言おう。


ところで、あくる3月11日は東日本大地震大津波である。私は……
「ついていない!]と、時々思う。
この自然災害では、一人で一夜を外で明かす厳しい日になったが、何とか自力で切り抜ける力と智恵をつけた。

毎年『3月10日』が近付くと、複雑な思いが走る。しかし、何と言っても、この日は私が生まれた日。
自分なりにしっかり、暮らしていこうと思う。







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霊南坂の寺へ行く

2014年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム
3月9日(日)

寒い日曜日になった。11時までに霊南坂の寺へ行かなければならない。
この時間なら十分着く事が出来るとホームヘ出たら、大勢の人が待っている。


またもや、遅延の放送が流れている。
蒲田発の電車らしく、割合と空いていた。
新橋からアメリカ大使館の側を通って霊南坂近くまで着いたのは10時55分だった。
遅れなくて、ホッとする。


法要の後、納骨式。ここの墓地は傾斜がきついので用心しながら下って行く。
足元がおぼつかなくなった私は、墓参りは失礼しようと思っていたが、結局、お供をした。お彼岸に行くのは許してもらいたい感じ。


参会者達は「寒い、寒い]と、上着を着込んでいたが、太陽の暖かさは結構受けているように感じた。


この寺はアメリカ大使館邸の隣りにある。
寺ヘ入る道の前にも、警察官が昼夜を分たずに監視している。
まあ、ここにある寺院や住宅にとっては、有難いと言うべきか否応無しに警備されているみたいなものだ。
何処からか、デモ隊のシュプレヒコールが聞こえて来た。一体、何のデモだろう?
やはり、ここは国の中心地の一つだな。
今、ニュースを聴いていると『原発、反対!』だそうだ。


やっと、今日で落ち着いた感じだ。遺族も少しは休まっているだろう。しかし、自分が死んだ後は、これ程にして貰わなくても良いなと思ったものだ。

「あなたの息子が…」と、姉が言った事がある。
「えっ?」「そのクルクル回る掃除機の事よ」と、澄ました顔で姉が答えた。
成る程、ルンバの事かぁ?だけど。電気器具が息子ではね!

まぁ、どうだって良い。兎に角、面倒な事はやらなくても良い。





 * 白い塀の向こうはアメリカ大使館です。


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我が家の庭にも春が来た!

2014年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム
3月8日(土)

早いもので、もう、土曜日だ。
ベランダへ出ると、桃の花がほんのりと美しい。他の花々と違って、何と『愛らしく華やかな乙女』の姿と感じる。

庭の様子を見て回ると、あったあった!!あちこちに、春があった!

土の中からぽっかりと薄緑のフキノトウが顔を出している。
姉に話すと「食べられるわね」と嬉しそうに言った。
大きいの、小さいの全部で4本ある。何にしようかな?トウキョウのフキノトウ。
普通よりも小さいながらも紫色の花が何本も…。
それに隣りの家には赤い一重のツバキや、サクラが満開。
ああ、春だね!寒い日が、また、やって来て、人間達を縮み上がらせていると言うのに、自然界は負けてはいない。
その逞しさに驚く。
負けてはいられないよ。人間も。


久し振りに『きんぴらごぼう』を作る。食べたい食べたいと思いながら、作れなかったのだ。
これは私の方が美味しいよねと、朝ご飯に出ていた『キンピラ』と比べる。


面白いもので、家へ帰ってからは、胃腸の方も元へ戻りそうだ。動かなくては……。

やっと、ブログはまとまった。
思い出せそうも無かった事も、iPhoneで撮った写真が随分役にたった。
お陰で、iPhoneの取り扱いが少しばかり分かって来た。







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伊東温泉滞在記

2014年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム
<伊東温泉第一日>

3月3日(月)

今日から伊東温泉行き。
品川より踊り子で行く。
途中、降りる人もいるが、可成りの人は伊東より先へ向かう人が多い。河津桜かな?と思う。

約一ヶ月ぶりにホテルへ向かったが、自分の家みたいな気楽な感じだ。
『花の小父さん』がニックネーム化したいみたいで、その山田さんと久しぶりにお会いした。
わざわざ、奥から出ていらっしゃって、久しぶりの挨拶を交わす。
やはり、待っていて下さったのだ?と嬉しく思う。
何時もだったら、駐車の世話をして下さったのだが…

ロビーの中は雛祭り飾りで華やかだ。
中庭の池はすっかり掃除をされて注水中。
鯉達が片隅に避難しているのが、何となくユーモラスで、つい、鯉達の会話が浮かんで来る様な気がした。
「父ちゃん、どうして水がないの?あっちへいきたいのになぁ!」
等と、勝手な話を作り出した。フロントの女性が荷物を運びながら吹き出す。
早く、池一杯の水になると良いね!鯉クンたち。

美味しい御馳走、やはりお酒を飲もうかな?
二人で燗酒一本で十分過ぎる。
ところが、その一本が『あわびの踊り食い』に不適当だった。
情け無いが,なかなか、殻から身が離れない。
アワビが苦しむところをビデオ撮りした所為かな? 
無情な私は何回も撮ったから、尚、悪い。

温泉は『五右衛門風呂』







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<第二日ものんびり>

3月4日(火)

いよいよ、のんびりと過ごす温泉滞在が始まった。
この計画が二人の望みだったが、果たしてどうなる事か?

ホテルに送った宅急便の中には、滞在中に計画していた色々な物が入っているが、果たして結果は?

と、言うのは、二人共「ああ!疲れた!」の繰り返しだからだ。
歳をとると、こうも無精になるのか?それとも、体が言う事を利かないからだろうか?
兎に角、テレビの前でゴロゴロ。

掃除の時間にロビーで、山田さんとゆっくりお話が出来て良かった。今月のカレンダーをさし上げた。
何時も、私のブログを読んで下さるとか、ネットの良さを実感して嬉しい。
仕事の途中だったのに時間を割いていただいて、お邪魔したのかな?と思いながらも楽しかった。


一日中、部屋でゴロゴロ、これでは胃腸の方が大変だ。考えなくてはと思いながらも、ついつい…である。

今日は、絶対に葉書を書かなくてはと思いながら、ブラブラしてしまった。怠け者が!


ここへ来てからは、何も考えない事にしている。
いや、覚えておこうと思っても、直ぐ記憶は彼方へ去ってしまう。

小父さんの飾った白い椿が美しい。

今日の牛肉は美味しかったなぁ!私の大好物。
料理長さんは、何時も、料理を工夫して下さるので楽しみだ。

アワビで苦労したので、お酒は飲まない事にした。
何時も通りの『氷水』と『お茶』だ。















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第三日<鍋いろいろ>

3月5日(水)

雨が降っている。外へ出ないから、露天風呂で実感する。気持いいけど、寒いね!!

朝の内に、ホテルの真向かいにある郵便局へ、昨夜、やっと書き上げた葉書を投函に行った。
雨が降っているけれど、これ以上、怠けるわけにはいかないと、私にしては珍しい行為だ。


相変わらず、ホテルの中でブラブラ。いや、部屋でゴロゴロ。これが今度の望みだっけれど。
折角持参したiPhone用の膨大なマニュアルの一部。これだけでも重たい。
ホテル滞在中に、確りとマニュアルを制覇するつもりだった。
併し、それh無理。
第一、コンピューター用語に無知そのもので、しかも、文字が細かいときているので、やる気は直ぐに消滅した。


やはり、日常の生活とは違い『上げ膳据え膳』の生活は有難いし、朝風呂、昼風呂、時には夜の風呂と言った生活に加えて、食事時間を守る生活も入っている。

それを面倒だと言うのは『贅沢』そのものだが、日頃やらない『贅沢』程、きついものは無いのかも知れない。(これは3月8日の段階で…感じた事である)


明日は天気になるとか。しかし、冬並みの寒さが続くので体調に気を付けなければ等と殊勝な考えも浮かぶか?

今晩の鍋物は豆乳鍋だった。毎日、素材の変わった料理で楽しみだ。
豆乳は体に良いと姉に言われて、しっかり飲む。
ああ、おなか一杯!
贅沢な悩みであります。

















 

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* 春の香りはとても美味しかった。おかわりがしたいくらいだ。

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第四日<一週間早いバースデー>

3月?日(木)

今日で四日目。
いささか、胃がくたびれた。これは部屋でじっとしているからだ。
テレビも見る気はしない。みんな似た様なものばかりだ。

明日は帰るので、宅急便の箱の中を入れ替える。今回は、大体の持ち物を宅急便で送ったので楽だった。この手で行こう。

館内の彼方此方に心づくしの花がそれとなく飾られ、賄いの女性が作ったと言う手芸品が並べられていて、如何にも優しい雰囲気のあるホテルだ。
私達はお気に入りだから、最近はここへしか来ない。

フロントのKyさんと久し振りに話す。彼女は私のカレンダーをまとめていると見せてくれた。やり甲斐があると感じて嬉しい。


すっかり満水になった池では鯉たちが相変わらずのんびりと泳いでいた。
夜になると、この池の空間が素晴らしい景観を見せてくれる。この設計をした人のセンスの良さを感じる。
お客も家族連れが多くて、それも初老の夫婦や可愛い子供の声が聞こえて来るのんびりとしたホテルである。
今回は河津桜の見物客も多そうだった。


今夜は、最後の記念にと杏の果実酒にした。やはり酔ってしまった。ムカシの私は、随分強かったのになぁ!

鍋物は魚と野菜の鍋。更に、お椀は伊勢海老の味噌汁と大変。でも、私はどちらも制覇出来なかった。海老の汁はどうも…?ムカシから苦手なのだ。


「来週、こちらへ来るつもりだったけれど、家の都合で今回にしました。本当は、二人の誕生日が続いていたのだけど」と話していたら、急にバースデーケーキが出て来たのでびっくりした!
ロウソクを吹き消して、二人では食べ切れないからとレストランの人へお裾分けをする。


ケーキはおなかに入る場所が違うらしい。
デザートと一緒に部屋へ持ち帰って、美味しくいただいた。
レストランの皆さん、本当に有難うございました。










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 * 昼と夜の池風景

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伊東温泉<スーパー踊り子号は速い!>

3月7日(金)

四泊五日のゼイタクな?温泉旅行も、今日で終わり。
いささか、胃腸の方も疲れ気味だ。何時もの家庭料理とは違うし、品数も多いからだ。

このプランは、少しずつ、美味しいものを食べるようになっているが、やはり、一品分ぐらいが多くなる。
しかし、料理に気を配って、しかも、客の好みや苦手を知って用意してもらえるので、嬉しい。


最近は、このプランを選んでいるが、四日続きでは料理をする人も苦心するのではないかと思う。
本当に『ごちそうさん』と料理長に伝えたい。
アンケートにその気持ちだけを記入したいと思ったが、結局、忙しくて書けなかった。
フロントのKyさんに「よろしくお伝え下さい」と伝言する。


帰りも、タクシーを使おうと思ったが、姉が駅まで歩いて行こうと提案した。
最初のうちはタクシーが良いなと思った私も、やはり運動不足を補わなくてはと承諾する。


久し振りに商店街を通り抜けて行く。今日は晴れているので、少し寒いが、時々、店の前に置いているベンチで休みながら駅まで歩いた。
以前は毎日でも歩いたが、今回と先回はホテルの外へさえ出かけなかった。
だから、胃腸の調子が良くなかったのだと気が付く。いささか、遅い感あり。


『スーパー踊り子号』は11時05分に伊東駅を出発した。行きの『踊り子号』と違って、車内が明るく座席もゆったりとしているし、設備も良い。
その代わり運賃は高いし、停車駅も少なく、品川駅では停まってくれない。

しかし、自動車運転の必要が無いし、海岸線や山の景色も良く見られて、クルマで、あんな所を走っていたのだなと感心しながらゆったりと眺めていられる。

これからは、電車にしようと思った。しかし、季節によっては、出発日間近では切符の入手は大変だから、早目に計画をする必要がある。



快適な電車の旅も終わった。また、駅のスーパーで買い物をして帰宅する。何時もより荷物がないから、楽だった。


さあ、これから五日分のブログを書かなければならない。
今回はパソコン持参はしなかったから、今は、記憶に頼るのみ。
果たして、どれだけ覚えているかが問題だ。
ちょっと、キツイなぁ!
久し振りにMacを開いて見ると、カレンダーについてのメールとコメントが来ていた。
今回は返事の猶予をお願いすることにしたが、無事、カレンダーが届いているので一安心する。


結局、疲れているので、寝てしまった。

寒いのに、桃の花が開き始めている。間に合って良かった。



















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コンビニへ行く

2014年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム
3月2日(日)

殆ど、眠っていなかったと言う感じ。
目覚まし用の携帯電話が鳴っても、気が付かない程だ。

今朝は余り寝坊はしていられない。
近所のコンビニへ宅急便を依頼に行くからだ。

今日は雨が少しばかり降っている。
ミカン箱は小さ過ぎると、宅急便用の空き箱を使って詰めかえた。
直ぐ、店が近くとは言え、やはり、重い箱を持ち運ぶのには苦労した。
もう、腰が抜けそうだ。
と、言うところで、姉が追いついて来て交代する。
やはり、日頃から足腰に問題有りの人間にとっては無理と言うものだ。
それにしても、宅急便を運んで来る女性従業員は偉いなぁと思う。

「えっ!温めてくれるの?」
「だから、コンビ二って便利なのよ~」
「有難うございます」と店員さんはニッコリ。
日頃、この様な事には、余り関心のない姉との会話は、よその人が聞いていると漫才みたいだ。


買って来たハンバーグは小振りで、結構、美味しかった。
だんだん歳をとって来ると、食事の量も少なくなって来る。(情け無いけれど、仕方が無い。明日からは御馳走攻めだから、気を付けなければ…)


今回のカレンダーは、問題が多過ぎる。
結局、今日のプリントまで、酷い目に遭った。
紙と画面 のサイズが合わなくて、無駄にした葉書も多い。この辺で、止めておこうかと思ったところで、やっと出来上がって安心する。

随分、無駄な時間を費やしてしまった。メールで送信した人には、先回と同じように届かないトラブルがあった。
どうも、アドレスに問題が有るのだと思う。

忙しい時にエライ目に遭った。でも、後は宛名書きだから、まあ、なんとかなるだろう。
今度は、目がかすんでしまいそうとトラブル続出。

兎に角、私はパソコンで絵を描きたいのだから、焦らずゆっくり楽し真なければ意味がない。。
今の私は、多少、焦り気味。




 * 今日は桃の花の蕾が開き始めています。













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いよいよです。3月はどうかな?

2014年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム
2014年3月1日(土)

弥生の空は曇っていて、雰囲気を味わえない。
今日、明日は天気予報も不穏な感じ。最近の天候には、予報士も自信が無くなった人もいるのでは無いか?と、気の毒に思う。
兎に角、当たらないで欲しい。


久し振りに、直ぐ近くの『コンビニS』へ行った。
コンビニフアンは結構いる様で、老若男女の区別なく、買い物客で賑わっている。
有難い事に、この店は何時も行くスーパーよりも更に近くて便利だ。
スーパーより選び易くて、結構、品質の良いものもあると、最近は気に入っている。

今日の目的は、宅急便の手配をする為に、箱を買おうと言う事だった。併し、箱は店に商品を運んだ空き箱だと言う。
薄い段ボールの箱で、これでは、先日送られたミカン箱の方が丈夫で奇麗だと判断する。
成る程、コンビニではその日のうちに処理出来るように商品の出し入れをしていると聞いた。なかなか、合理的だ。しかし、その為に、適当な空き箱はみつからないのだ。


家に適当なものがなかったら、近所のスーパーにおいてある空き箱を貰って来ようと決めた。
しかし、家のミカン箱は丈夫そのもので、奇麗だったので助かった。


この箱に諸々を詰めて、伊東へ送ろうと思う。
もう、クルマでは行かないし、手荷物は大変だ。
先回の時は、キャリーバッグを引いて出かけたけれど、乗り物の上がり下りで苦労する。それに、結構、きつい。ここら辺が高齢者の悩みである。


今度から宅急便にして、ハンドバッグ一つで出かけようと言う事になった。
最近の宅急便は物凄く速く届く。
昨日は、一昨日の午後に送った品物が、愛媛県へもう、届いていた。
日本の『素晴らしさ』を自慢する一つかなと思う。


雪が降るなんて困るなぁ!電車で行くから平気だけれど、それさえも困った事にならなければ良けれど…



umekoさんから確定申告書作成について、適切なアドバイスをいただいた。結構、作成コーナーを引き出すまでの作業の面倒さにあきれる。
兎に角、手持ちのパソコンが簡単に対応できる稼働か、面倒だ。この仕組みが出来た頃は簡単だったのだけれど、結局、私は自力で作成する方を選んだのだった。

結局、今更、高価なAdobe Reader をインストールしてもどうかと思い中止した。
ケチな私だからね。

結局、従来通りに自分の頭を働かせようと思う。活性化の好い機会だから…

忙しい中をご親切なコメントを送って下さったumekoさんに感謝する。
さあ!本格的に頑張らなくては!



 * 桃の花が、大分、ふくらみ始めました。
















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銀座Appleも4月の陽気

2014年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム
2月28日(金)

なんと、今日は春4月なかばの暖かさ。
銀座Appleへ出かけるので、久し振りにコートは着ないで行こうと決めた。それでも、用心してセーターを着る。

ベランダへ出たら、暖かな春の陽気に、セーターは無理だと分かる。
赤いブラウスを着た。だが何となくおかしい。
それは、私の姿勢が言い様もなく前屈みになってしまったために、折角のブラウス本来のスタイルが『お見事!』と言いたいぐらいに狂っているのだ。

鏡を見ると、余りにも酷い(最近は、殆ど鏡も見ない事にしている)ので、驚いて裾を後へ引張った。
そう言う努力?をしても、無駄な抵抗と言うもの。
まあ、諦めて着るしかない。今更、体型に合わせた服を作る気も無いのだから…


「今日は暑いぐらいですね」
行き帰り、三度、乗ったタクシーの運転手さんとは楽しくお喋りが出来た。
コンピューターの話をしながら、Appleへは定刻に着いた。

「今日は私がご一緒します]「わあ!光栄でーす」
久し振りにKさんが教えて下さった。iPhoneの勉強はそっちのけで、ここ数日、トラブルに巻き込まれたソフトについて質問をした。

何とか分かった様な気がするが、複雑且つ単純?で、何処まで理解出来たか自分でも信用出来ない程だ。
でも、自己流でやり続ければ、つまらない時間の浪費と焦りが続く。だから…
最近はAppleへ行くのもきつくて迷う事があるが、我慢して来て良かったと思う。
iPadに、少しばかり関心が起こっている(消費税アップの所為かな?)が、もう一度、検討の余地ありと思った。
私には、今、使っている器機類で、もう十分かも知れない。


帰りにMATSUYAへ。
「牡蛎蕎麦を食べて来なさい]と姉に言われていたので、8階ヘ寄る。
何時も行く蕎麦店では、もう『牡蛎蕎麦』は扱っていなかった。
代わりに『新筍と蛤』の蕎麦を注文する。本当は牡蛎が食べたいのだと店員さんと話す。
そう放している間にも、牡蛎と言う言葉によだれが出そうになるのだから困ったものだ。

何時か、何処かで『牡蛎』を食べようと、まだ、こだわっている私。執着ぶりに我ながら情け無い。
ところで、我が家では、姉は全く『牡蛎』に関心が無いから、牡蛎を眺めては、よだれを流しそうな私の姿はおかしなものだろう。


帰りに駅ビルヘ寄る。また、スーパーで買い物をしてしまった。
重ーい荷物を家までフーフー言いながらガラガラと引きずって帰宅した。

今夜もカレンダー作りに時間を費やし過ぎた。反省!!眠いよ。
いよいよ、2月も終わる。早いものだ。








 






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