ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

里心つく

2009年08月02日 | グレ耶蘇生活
かれこれ2か月、と言ってもまだ3回だけれど、近所の教会に行くようになった桜泉。

でも、なんだか、里心がついた。

もちろん、近所だってことは素晴らしい。子連れで行くのに苦労しない。終わったら、さっと日曜日の買い出し(日曜日に、パンやヨーグルトなどの食品が安いので)も済ませられるし、その後の休息も家事も、時間がたっぷりある。
安息日に、疲れないって素晴らしい。

一方で、やはりお他所の飯は噛んだ気もしない。その教会のしきたりも分からず、とにかく所詮はほとんど匿名状態のパッセンジャー、今日などは聖餐式だったけど、全然やり方が違うので、本当に戸惑った。
もちろん、教会の常として、皆さんとても良くしてくださるが、とにかく居候とはこういう気分なんだなと思うことしきり。

それと、これはどこの教会にでも大抵いるからほっておけという感じだけど、「教育大好きおせっかいおばさん」がいたので困った。あくまであたりはソフトとは言え、3歳児のJくんに、ベンチにきちんと座るよう指導し、讃美歌を歌わせようとするのだ。「教会のお行儀教育が子供たちを神様から引き離す」という確信に立っている我ら夫妻にとっては、迷惑なことこの上ないのだが…。(おい、なんのパロディのつもりだい…。)

また、たまたま今日の讃美歌が、桜泉が母教会で、ごくごく初期に何度か讃美した歌だったので、ますますなんだか、……そう、里心は、まず、所属教会に向かい、さらに通り越して、母教会へと天翔ってしまった。

どうしたものだろう。でも、やはり、今の桜泉には、地下鉄3駅すらつらい。日曜日の、子連れ地下鉄、帰宅が午後3時過ぎはつらい。安息日が安息にならない。

どうしたものだろう。
とりあえず、今夜は、ルーテル教会で使う「教会讃美歌」をまくらの横に置いて寝よう…。