も一つ。
昨日の記事で、音楽講習云々って書いたけど、実際は桜泉、声帯結節で歌声を半ば奪われている。だから参加は難しい。(オルガン弾けるでもない桜泉は声楽や聖歌隊関係をやりたかったのだが。)
かつて思うまま大きな声で歌っていたし、歌えたのに。
時にオルガンがトチっても、我がの歌声が伴奏代わりにならむ!との自負が無かったと言えば嘘になる。
それが今は…耳鼻科医にも、讚美は「心の中でね」と言われている。事実上ドクターストップ。
讚美の喜びも讚美の自信も召し上げられた、さあ、では私は如何に讚美をしよう。
かみさまは、私の讚美を要らぬと言ってるのではなく、もっと善きもっと嬉しい讚美を求めているし、下さるつもりなのではないだろうか。
思うに委せぬ喉と歌声は、つらく悲しいけれど、これはさらなる善いものへの道だと…思う。
昨日の記事で、音楽講習云々って書いたけど、実際は桜泉、声帯結節で歌声を半ば奪われている。だから参加は難しい。(オルガン弾けるでもない桜泉は声楽や聖歌隊関係をやりたかったのだが。)
かつて思うまま大きな声で歌っていたし、歌えたのに。
時にオルガンがトチっても、我がの歌声が伴奏代わりにならむ!との自負が無かったと言えば嘘になる。
それが今は…耳鼻科医にも、讚美は「心の中でね」と言われている。事実上ドクターストップ。
讚美の喜びも讚美の自信も召し上げられた、さあ、では私は如何に讚美をしよう。
かみさまは、私の讚美を要らぬと言ってるのではなく、もっと善きもっと嬉しい讚美を求めているし、下さるつもりなのではないだろうか。
思うに委せぬ喉と歌声は、つらく悲しいけれど、これはさらなる善いものへの道だと…思う。