goo blog サービス終了のお知らせ 

さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

スペイン船、帰途につく ~マゼランと世界一周(13) 28

2010年01月22日 | ポルトガル

船はテージョ川を進み、「発見のモニュメント」が見えてきました。

この上に登ったのは、このポルトガル編の19でお伝えしました。川の上から見れば、エンリケ航海王子が勇ましく見えますね

スペイン船、帰途につく ~マゼランと世界一周(13 

司令官を失い、さまよい出した二隻の船は、手当たり次第に略奪を行いながらジグザグに進んでいった。そして1521年、ついに彼らはマゼランが夢見た香料諸島にたどりついた。この豊かで平和な島に永住することを選択したセッラン、マゼランを招いた友人は数週間前に死んでいた。もし生きていたら、到着直前のマゼランの死をひどく嘆いたことだろう。 

ここの楽園の王は、二隻いっぱいのチンピラ共を暖かく歓待し、喜んでスペイン王の主権を承認し、香辛料、食料、砂金などを差し出した。スペイン船が交換に出したものはシャツや小銃、マントなどで、彼らは一瞬にして大金持ちになったのだ。しかしお宝を満載すると、二隻のうち一隻しか出帆できないことがわかった。長い道のりを経た後で、すでに船はボロボロになっていたのである。 

しかたなく約100人のうち半分は残ることになった。スペインへの帰途につく47人を引き連れる船長は、なんと南米でマゼランに反逆を起こした張本人、セバスチアン・デル・カーノである。彼が栄光の世界一周の栄誉を手にすることになろうとは! 

ここからインド、アフリカを回って帰る道のりは、もうすでによく知られた航路である。しかし、水先案内人を乗せ、食料を補充し、船を修理する各地の拠点はポルトガルの支配下にある。ポルトガル王マノエルは、マゼランの世界一周を阻止するために、見つけたら直ちに捕らえよという指令を出していることがわかった(あとから出発したトリニダッド号は捕まえられた)。 

こうなればこの老朽船で、どこにも停まらずに残りの世界を半周するしかないのだ。これもまた絶望的に困難な企てであった。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
たしかにそうだね^^ (さきち・)
2010-01-24 22:24:10
「胸の奥の消せない炎をたった一つのよりどころにして…」う~~ん、いい表現だなあ(^益^)
いつでもそっと秘めている心のときめきを抱えながら旅を続けている私の心境を詩で表現されてしまったような気分だなぁ~(^^)w

抜けるような青空は、南ヨーロッパの象徴ですねえ。ポルトガルの旅もまもなく終わり、この翌日には「どんよりした曇り空」に象徴される英国に戻ってゆくんですぅ~^^;
返信する
終わりなき・・ (ゆくえ)
2010-01-24 20:03:39
命からがらの航海がいったいいつまで続くのやら、ブルッと寒気が、それになんだか心がしくしくするよ・・
彼らは輝かしい栄光を未来に描いていたろうか、それともいつ死ぬかもわからない日々にも、胸の奥の消せない炎をたった一つのよりどころにしていたのかも知れない・・
こんなにたいへんな旅だったのか・・
老朽船の運命や、いかに・・

発見のモニュメント、すっごくおっきいね~っ
抜けるような青空は、マゼランさんの時代もそうだったカモ、なんか切なくもどこかさわやか気分ですぅ
返信する

コメントを投稿