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一昨日のGoogleの検索画面、ご覧になりましたか?
カーソルを上に持ってくると説明が出てきます。
オラウダ イクイアーノ 生誕272周年
オラウダー・イクイアーノ?
Google先生経由でwiki教授にお聞きしたところ、現在のナイジェリアで生まれ、拉致され奴隷として過ごした後、自由を得、自由身分の黒人として各地を航海した人で、その顛末を描いた自叙伝「アフリカ人、イクイアーノの生涯の興味深い物語」で知られているらしい。
(日本でも翻訳が出ているそうですが、すいません、存じ上げませんでした)
wikiにあらすじが出ていたのですが、黒人奴隷というのは本当に悲惨な生活、というか人生だったようです。
◆
実は先週、ジャズ・ピアノの小曽根真さんのワークショップに行ってきたのですが、そこでの質疑応答の中、黒人奴隷の話が出てきたのです。
曰く、「ブルース」はジャズのスタイルの名前としても使われているが、本来はジャズの起源の一つ。
黒人奴隷が歌っていた黒人霊歌などからきたもので、例えば「聖者の行進」は、(奴隷のまま亡くなった)奴隷仲間の葬儀に際し、「これで初めて自由になれた」という、悲しみの中での喜びを表した曲だそうです。
質問者さんがその辺りを聞いていなかったこともあり、質疑自体はその後意味不明の方向に向かってしまったのですが、それ以外の人には結構感じるものがあったのではないでしょうか。
「生誕272周年」ということですから、江戸時代の中期。
アメリカの奴隷制度がなくなったとされる南北戦争が終わったのが1865年ですから、まだ150年しか経っていないのですね。
そんな奴隷制度と関係にあるのは、ラム酒、ですね。
このラム酒を巡る「三角貿易」というのを高校の頃、学びました。
当時、英米の資本家は、サトウキビの産地であった西インド諸島で砂糖や糖蜜を買付け、本国に。
本国ではその砂糖や糖蜜を荷卸しし、代わりに糖蜜を蒸留したラム酒を積み込んで西アフリカに。
西アフリカではラム酒を売って、そのお金で奴隷を買って船に積み込み、西インド諸島へ。
西インド諸島では、奴隷をサトウキビ農園に売り、その代金で砂糖や糖蜜を買って、再び本国に。
サトウキビ農園に売られた奴隷は、死ぬまでそこで働かされ、、、、
というお話、というか歴史的事実。
ラム酒と言えばキューバとかの明るい空と海のイメージや、あるいはニューオリンズなどアメリカ南部のジャズ(それこそ聖者の行進)などと合わせての陽気なイメージがありますが、よくよく考えてみるとこうした歴史と一体となった、悲しい(というより重い)背景を持っているんですね。
ラムを飲むたび、そんなことを考えるんだろうなぁ。
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