佐渡むじなが都会で得た情報~むじなのひとりごとblog ver,

佐渡出身の長男坊「佐渡むじな」が、都会で過ごす日々の記録。佐渡と東京で得た情報を公開しております。

やはり情報は世の中の潤滑油

2005年03月20日 | Weblog
 当然の事であるが、公共の電波はこのように役立ててくれる事を願います。
 インターネット上での情報公開もそうですが、世の中の為にある情報が流れてくれればと願っております…。
 

 Yahooの記事より抜粋

テレ朝「TVのチカラ」犯人逮捕ひと役

 テレビ朝日の情報番組「奇跡の扉 TVのチカラ」(月曜午後8時)が、千葉県内で発生した事件で、容疑者逮捕に大きく貢献していたことが18日、分かった。千葉・茂原市の重機オペレーターの江沢重雄さん(53)が、00年から行方不明になっている事件を、同番組が昨年10月、2回にわたって取り上げ、情報提供を呼び掛けた。江沢さんの娘が直接訴えたこともあり、同番組には電話やメール、ファクスで計207件の情報が寄せられた。
 その中に「暴行現場を見た」という決定的な情報があり、番組取材班が信ぴょう性を検証するため、現場に向かい、ついに犯行車両を発見したという。この情報が事件解決に直結するものと判断し、大沢孝征弁護士監修で調査報告書を作成。大沢弁護士が昨年11月24日に千葉地検に赴き、千葉県警捜査1課に情報提供した。
 今月16日、千葉県警は江沢さんに暴行したとして2容疑者を傷害の疑いで逮捕した。2人とも容疑を認めており、同県警は殺人容疑も視野に入れて捜査を進めている。江沢さんの消息は依然、不明。
 同番組は、この情報を放送することが犯人を利することになる可能性があったため、放送を控えていたが、逮捕を契機に、これまでの経緯を21日の同番組のスペシャル版で放送することにした。山下浩司プロデューサーは「放送したいけどできないという、メディアと捜査のはざまに立たされて、つらい立場だったが、本当によかった」と話した。
(日刊スポーツ) - 3月19日9時56分更新
コメント (2)
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秋葉原ロマン

2005年03月20日 | Weblog
 今日の東京は曇りで肌寒いです。
 家から歩いて15分すれば、

   ”電気関連の興味や異種な分野にこだわりを持つの男”

 の為のコミューンである「秋葉原」へとたどり着きます。

 秋葉原の裏路地を歩くと、道路にほっぽってある、細かい商品が詰め込んである箱に二束三文の値段が表示してある「ジャンク品」が多く散見されます。このジャンク品があってこその本当の秋葉原。

 秋葉原(あきはばら)の由来を調べてみると、これまた面白いものがあります。

 秋葉原電気街の江戸時代はどうやら、下級武士の居住地域であったらしい。
 最近はあまり江戸弁が聞く機会が少ないのが非常に残念であるが、江戸っ子が良く言っていた、

 「火事とケンカは江戸の華」

 と言われたように、江戸時代の秋葉原は火災が多かったとのこと。
 明治2年の「相生町の大火」を機会に、当時の明治政府下の東京府は9,000坪の火除地を当地に設置し、明治3年年に、静岡から火除けの「秋葉大権現」を勧請し、鎮火神社として奉った経歴があるそうです。
 当初は鎮火原と呼ばれたが、鎮火神社が秋葉神社と改められると「秋葉原」と呼ばれるようになったとのことで、現在の「あきば」と略されるのは、このあたりが語源となっていると言われています。

 一般に、秋葉原電気街というのは太平洋戦争後に、駿河台/小川町界隈の闇市が、徐々にラジオ部品を専門に扱うようになり、1951年(昭和26年)の露店整理令によって、ガード下に収容されたことが始まりといわれているとのことです…。

 参考URL「秋葉原の歴史」
 http://www.akiba.or.jp/history/0.html

 今でも、この文化は引き継がれているのと思うと、やはり男は何時の時代になっても求めるものはずっと一緒なんだなー。
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