☆~Carefree Life~☆

HPの管理人 Sugaryが、日々の出来事から、趣味や宣伝まで勝手気ままに綴ります。

行ったかな…

2017-07-22 08:37:37 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

先月末に扇風機の不可思議現象を経験した夜、会社の下請けさんのところに仔猫が生まれ、速攻で2匹予約しました。
あれから今日でちょうど3週間。
仔猫は順調に育っているようで、数か月後の「初めまして~」をとても待ち遠しく感じています。

さて、そんな楽しみもある中、あることも感じていました。
それは、ふとした時に「あれ…?」という感情というか経験。

私   「なんかさ、アレから“あれ…?”て思うようなことってないよね?」

旦那 「あー、ないね。たぶん、もういないんじゃない?」

私   「やっぱり?」

旦那 「“新しい猫が来るよ~”っていうお知らせと、“じゃぁ、もう僕は行くよ~”っていう挨拶だったんじゃない?」

──と。
それから数日後も、「やっぱな、(もう家に)いないよ、そんな気がする」と旦那。
安心したのか、どこか違うところで生まれ変わったのか…それはそれでいい事でなので悲しむことじゃないんですけど、やっぱりちょっと寂しくて涙が浮かんできたりします
仔猫たちが来たら、月命日のお花とお線香とご飯と水のお供えは終了しますが、命日は続けようと思います。
そして、時々は愛猫が眠るお寺に会いに行くつもりです。
だから、命日くらいは家に来てほしいな…と思ってしまいます。
あ、帰ってくるのはお盆か…(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛猫のお知らせ?

2017-06-30 09:06:43 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

数日前、雨が降っていたので洗濯物を部屋干ししていました。
扇風機を「強」にして数時間後、風のよく当たっていた洗濯物と、そうでな所の洗濯物の場所を入れ替えていた時、ふっと風が止みました。
いや、実際には止んだのではなく風が弱まったのですが。
見てみると「強」から「弱」になっていました。
この時、「あれ、タイマーでも間違って設定してたかな?」と思ったのですが、タイマーで風の強さを設定することは不可能ですから、タイマーではない。
だからふと思ったんです。

愛猫がスイッチを踏んだか?

──と。
「強」から一度スイッチを押すと「弱」になりますからね
普段からよくそう思ったりしてます。
実際は違っても、夜中に突然ボールが落ちて跳ねたりとか、あれ?と思うようなことは大概「リュウじゃない?」「リュウだって」と家族で冗談半分で話してるんですよね。
「そのうちリュウが“なんでもかんでもオレのせいにするな!”って怒るかもよ~」
──とか(笑)
だから、その時も「リュウが踏んだか?」と思ったわけなんですが。

とりあえず再度「強」に設定し、数十分後にコビトの授業参観に行きました。
そして帰ってきたら…。

止まってる…。
扇風機が止まってる…。
なんでやねん…。

そして、「またリュウが踏んだのぉ~?」

──と突っ込みました(笑)
不可思議なことが起きても、愛猫がしたと思えば怖くない。
不思議なものです(笑)



さて、夕方になって旦那が帰ってきたら、「下請けさんが…」と言ったきり、何やら「ムフフ」とばかりに両手で口を隠してしばらく黙りこんでしまいました。
「何? 腰でもやった(痛めた)の?」
──と聞いてもまだ両手を口に当てたまま黙り込んでます。
しばらくして発したのは…。












「下請けさんのところの猫が子供を4匹生んだって!」


ひゃぁ~~~~~~!!!
マジで!?
4匹!?
やったーーーーーー!!
来たわ!
この日がついに来たわ!!

──という事で、我が住まいは変わっていませんが、2匹予約をしました
しかも生まれたのは前日の夜中。
日付が変わっていたら、この扇風機の不可思議現象の日。
愛猫そのもの、もしくは愛猫が遣わした縁のある仔がやってくるよ~というお知らせだったのかも、と思ってしましました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一周忌

2016-12-21 16:33:00 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

今日は愛猫の一周忌です。
早いなぁ…。
あっという間の一年でした…。

一周忌法要で塔婆とお経を申し込んだのは先月。
12月は旦那の仕事が忙しくなるので、お経をあげる時にお寺に行くことはできませんでしたが、パソコンをしていた時、椅子の右下あたりから、ふと「グルグルグル」という聞き慣れた声が聞こえました。
喉を鳴らすというより、「グルニャッ」の「ニャッ」がない感じ。
時間は10時前。
お経が何時にあげられたのかは分かりませんが、その声で「あ、そうい言えば、今日お経もあげてもらうんだった」と思いだしたので、愛猫が「忘れてんじゃねーよ」と知らせに来たのかもしれません。
もしくは、「お経終ったよー」か「来てやったぞ」と言ってるのかも。

何にせよ、それが現実であろうとなかろうと飼い主には聞こえたので、これは「近くにいる」と信じちゃいます。


お経ををあげる時には行けませんでしたが、旦那が仕事から帰ってきたらお線香をあげに行ってこようと思ってます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四十九日

2016-02-08 14:42:58 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

一通り、終わりました…。
四十九日まで、毎週 家族で愛猫のもとに行ってきましたが…。
つくづく思ったのは…というか、助かったなぁ、と思ったのは、やることなすこと旦那が全部受け入れてくれたこと。
毎週、愛猫のところに行くというのはもちろん、以前から寝る前にしていた「リュウ君おやすみなさい」という挨拶を、もういない愛猫にしてみたり、思い出して話している間に泣けてきたり、月命日や四十九日の日に家でカリカリと水を用意し、線香まで上げても、しらけることなく全部受け入れてくれてました。
たかがペットが死んだくらいで…と、「いつまで泣いてんだ」とか、「そんなの毎週行かんでもいい」とか、「もういないんだからエサも水もいらん。線香まで上げてバカじゃないのか」…なんていう旦那だったら、全然癒されなかったと思います。
悲しみを吐き出したくてもできず、悲しみの共有もできず、温度差を感じた先にあるのは……おそらく離婚しちゃうな、私は(笑)
いやまぁ、大げさかもしれないですけどね。
でも、子供を亡くした夫婦がその後うまくいかず離婚するってこともありますから。
あれは、悲しみの温度差が大きい気がします。

そんなこんなで、私の気が済むように受け入れてくれたので、とても助かりました。
「今のをリュウが見てたら、すごい冷めた目してたんじゃない?」とか、「これリュウが好きそう」とか言えば、「おぅ、“何言ってんだよ、この人は…”って思ってるよなー」とか普通に返してくれるので、変に気を使わず口に出せたのもありがたいな…と思いました。

ちなみに、「“いつまで泣いてんだ”とか言わず受け入れてくれて良かったよ…」と旦那に言ったら、

「大丈夫、(オレは)ちゃんと悲しむ人だから」

──と、笑ってました。
でもほんと、こういう時の態度ひとつで夫婦を続けられるか否か分かれたりするんですよね。
世の男性のみなさん、お気を付けくださいませ


愛猫には、「またいつか、必ず会えるように環境を整えるから、ちょっとだけ助けてね」と伝えておきました。
旦那は、「どこかで親のいない仔猫を見つけたら、迷わず拾ってくるから」と宣言してました
が、頑張るぞ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六七日(むなのか)

2016-02-06 08:59:57 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

すっかり、六七日の事をアップするのを忘れてました…

大寒波が押し寄せ、カランコエを家の中に避難させたことで、ようやく愛猫のもとへ持って行くことができました。
花を見ただけで、「あ、ウチのひとがきたんだな」と分かってくれると思います

四十九日まで、あと二日。
必ずみんなで行くからね…と伝えました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三十五日とフォトブック

2016-01-27 10:10:34 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

次に生まれ変わる場所がある程度決まるという、三十五日の節目。
その前日に、注文していたフォトブックが届きました。
写真の数が多いので、とにかくたくさん載せられるフォトブックで値段もまぁまぁ…というのを探した結果、「かんたんMY BOOK」というものにしました。
コメントの文字数が少なかったり、フレームを選べなかったり…高いものに比べるとデメリットもありますが、とにかく、日にちが書けて、最初からずら~っと並べるだけでも十分なので、これにしました。
ちなみに、これでもアルバムの中では最多数の写真を載せられます。更に、最大ページ数の80ページを選択。
毎月ピックアップした写真は全部で366枚。
それでも、実際に掲載できたのは338枚でした。

表紙


中身






こんな感じです。
しょっぱなからコメント欄の日付(年数)が間違っていましたが…まぁ、しょうがない
それでも、満足の出来です。
これで、いつでもアルバムを開いて愛猫を眺められます。

おまけとして…。
我が家に来た時に撮った写真(フィルム写真)をいくつか載せておきます。



生後約3ヵ月頃。


本当に、どんな格好でも寝るんですよね、仔猫って(笑)


生後半年。ちょっと凛々しくなりました。


カランコエは、この寒さでなかなか咲きません。
大寒波も来たため家の中に避難させたら、小さな花が次々に咲き始めました。
花に興味なく、枯れてもいいと思っていたカランコエですが、愛猫のところへ届けたいと思ってからは、枯らさないように…と懸命です(笑)

「リュウ、かーちゃんの近くで生まれ変わって、また出会おうね」

成仏の四十九日まであと2週間弱。
あと少しだけ、そばにいてね…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四七日(よなのか)

2016-01-18 10:32:37 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

早いもので、もうすぐ1ヶ月が経ちます。
この寒さでカランコエもなかなか咲いてくれず…三七日に持って行くはずだったものが、未だに持って行けません…
そんなわけで、四七日もカリカリを持って行きました。

今日は、次に生まれる場所がある程度決まるんだわ…と、手を合わせた時にも「できるだけ近くに生まれて、いつか出会えますように…」とお願いしました。

──が。
「さぁ、来週はどんな節目かな~」と思い、改めて、節目の意味が書いてある紙を見て驚いた。
しまった…。
昨日の節目は「お経について学ぶ」時でした
生まれる場所がある程度決まるのは来週です

ら、来週、また同じことを伝えてきます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三七日(みなのか)

2016-01-14 14:56:21 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

1月10日、愛猫のもとへカリカリを持って行きました。
旦那の仕事が急きょ休みになったので早めに行ったのですが、ちょうど、犬猫の譲渡会が終わった頃だったようで、片づけをしている間にゲージに入って待っている猫ちゃんたちをソロソロ~っと覗き見してきました。
迎え入れたいけれど、今の家じゃ無理なので、見てるだけしかできませんでした…。

さて、お参りするところにはみんなが持ってきたペットボトルの水やカリカリ、おもちゃなどが置いてあり、そのお寺の敷地内で生活している野良猫はどこにカリカリがあるのかがよく分かっています。
でもそれ以上に、カリカリの袋の音に敏感なのは、生きている猫には当然のことでして…。
日頃、旦那はよく野良猫に遭遇しても、私はなぜか遭遇しない…。
それでも珍しく、その日は1匹のガタイのいい野良ネコちゃんが近寄ってきてくれました。
ボス猫のように、のっしのっしという効果音がピッタリなほどの猫ちゃんです(笑)
スリスリ~っとすり寄ってきて、撫でれば更にスリスリしてきてくれたので喜んでいたのですが、単純に、猫ちゃんの目当てはカリカリでした

「ごめんね~。これはリュウ君にあげるやつなんだ~」

──と、後々、彼らのご飯になるとは思いますが、まずは愛猫リュウにあげないとね。
そんなわけで、早速、お線香とカリカリを置いて手を合わせてきました。

「11日からは旅行に行くので家に来ても誰もいないよ~。こっちにいるか、なんだったら、一緒についておいでね」

──と心の中で話をして…。
来週は、次に生まれ変わる場所がある程度決まります。
再び会えることを願うばかりです…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二七日(ふたなのか)

2016-01-04 08:26:35 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

昨日、2回目の節目である二七日の為、愛猫に会いに行ってきました。
急きょ、旦那が残業になったので、予定より遅くなってしまいまいましたが…。
お線香の他に何か持っていくものはないかな…と探し、ちょうどおもちゃのチューチューが2個残っていたので、とりあえず1個持っていくことにしました。

「まったく…相変わらず遅いなぁ…」

──と思っているかもしれませんが、これで許してちょ(笑)


四十九日まで続く1週間ごとの節目。
後悔よりも恋しくて…毎日でも会いに行きたい気持ちでいっぱいです。
なので、1週間が長い…というか待ち遠しいです。
そんな中、段々と気になってくることがあります。
日中、コビトがいなかったら泣きっぱなしで何も考えられないんでしょうが、ちょうど今は冬休みで家にいるからでしょうね。
気がまぎれて、今後、将来出会うかもしれない未来の愛猫の為にもハッキリさせたいと思ったんです。
そう、それが愛猫の「死因」です。
今更死因なんて…と思う人もいるかもしれませんが、「死因」って大事だと思います。
人が亡くなった時もそうですが、やっぱり、「なぜ死んだのか」が分からないと、自分の中で納得できないというか、ひとつひとつ、自分の中で区切りをつけることができないからです。

看取る過程で起きた愛猫の症状。
気になったのは、心臓発作のような体の動きに合わせた瞳孔の開き(ガガガ…と見開く症状)、痙攣、そして旅立つまでの格闘時間。
ひとつひとつ、調べてみました。
まず、一番気になったのは、やはり、苦しむ時間が長いのか短いのか…という事でした。
個体差はあるかと思いますが、やはり、老衰や衰弱の最期に比べると、3時間というのは長いようでした。
眠るように…とか、容態がおかしくなってからは早かったとか、老衰で死ぬ時は目を開けていない(絶対こうだ、というのではないかもしれませんが)…とか。
最期も目を開いていたことも気になっていたので、この段階で、「あぁ、ごく一般的な最後じゃなかったのか…。ちょっと長く苦しんだんだな…」と、残念というか、気付いてやれなくて「ごめんね…」という気持ちで落ち込みました。
でも、そうでないなら何が原因なのか…という事を調べなければなりません。
そこで、次に調べたのが瞳孔の開き。心臓関係になにかあったのか…というのも含め調べてみましたが、納得できる情報は見つかりませんでした。
あと残るは、痙攣です。
痙攣は脳神経に関係するな…と思いつつ、調べてみると、出てくるのは「癲癇(てんかん)」。
癲癇発作の動画を見ましたが…やっぱり、違うんですよね。
なので、今度は病気から調べてみようと思いました。
愛猫の場合は「消化管リンパ腫」と「慢性腎不全」。
フローリングをリフォームしてから、嘔吐も3~4回くらいしかしてなかったので、回数からすれば、以前よりずっと減っていました。
下痢もなく、触診で何かが触れることもなかったので、やはり、可能性的に高いのは「慢性腎不全」です。
ただ色々調べてみると、慢性腎不全で亡くなる猫ちゃんは“数日間 飲まず食わず…”というのが多く、愛猫には当てはまりません。最初の痙攣が起きる5時間前くらいまで水も飲んでいたし、ウェットフードも昼間には食べていました。
また、この数週間は嘔吐もなく、慢性じん不全の最期を看取った人のサイトを見たりすると、死との格闘時間が全然違うんですよね…。
なので、最初は余計に「ごく一般的な最期」だと思っていたんです。

でもね。
調べていくうちに、愛猫の死因が「慢性腎不全によるもの」だと、ほぼ確信していきました。
毒素が心臓や脳を侵していくこと、脳が侵されると痙攣が起き、「慢性腎不全による痙攣は、極末期状態」であるという事が、判断材料です。
心臓発作のような体の動きと、それに伴う瞳孔の開き方を考えると、「ガガガ…」と瞳孔が開いた時は、心臓が侵されていた時なんじゃないか…と思いました。
最初の痙攣で、おそらく最初に脳が侵されたのでしょう。
脳神経が侵されたことで、心臓や瞳孔にも影響が出たのだと思います。
そして更に、ある方の投稿が愛猫の最期とほぼ同じだったので、そこで腑に落ちました。
痙攣も癲癇発作のようなものではなく、力なく足をバッタバッタしている感じのもので、単純に死の間際ですし、動かす筋力がないためにゆっくりした動きだったのかもしれませんけどね…。
でも、顔をのけ反る最期とか…ほぼ一緒だったので、愛猫の一番の死因は「慢性腎不全による尿毒症」なんだな、と思いました。

──だとすれば、もっと早くに気付いて点滴でもすれば良かったのか?
正直、自分が問うたその疑問には「イエス」とは答えられませんでした。
数日に1回の点滴でも、最後は毎日の点滴になります。
毎日、痛い思いをさせるのもそうですが、費用面を考えると、いつまで続けられるのか分かりません。
人間のように保険がきいて3割負担くらいなら続けられるかもしれませんが、調べると点滴は1回3000円しますから、正直、難しいものです。
それに点滴で生きながらえても、費用面で中止すれば、それは延命装置の人工呼吸器を自らの手で外すという事で、自分的には到底耐えられるものではないからです。
きっと、後悔も大きくなります。
それに、愛猫の場合は11歳でお別れしたかもしれないところを、15歳まで生きてくれたんですから、平均寿命であることも考えれば、愛猫はこれで良かったのかもしれないと思いました。
最期が老衰や衰弱での3時間なら長い苦しみですが、慢性腎不全の3時間なら短い方だったのかも…と。
あとは、猫はステロイドに対して強い…と言われていますが、抗癌剤終了後からずっと飲み続けていたので、腎臓への影響もあって一気に壊れていったのかもしれません。
最期に飲ませた薬が決定的になったのかもしれない…そう思う事もありますが、与えなかったら与えなかったできっと後悔するでしょうから、そこは考えてもしょうがないかな…とも思います。

そんなわけで、またひとつ、自分の中で納得する事ができました。
そして同時に、未来への愛猫の為にできることを考えることができました。
あとはもう、愛猫が我が家で過ごして幸せだと思ってくれていたら…と願ってやみません。

来週の三七日には、ベランダのカランコエが咲きそうなので、それを切って持っていこうかと思います。
時々、葉っぱを食べていたので、あっちでも食べるかも
愛猫が生きている時は、食べているのを見つけた時には即、「だめー」と引き離していました。
理由は、アブラムシ対策でカランコエに薬を使っていたから。
花に興味がないので食べられても全然気にはしませんが、薬が愛猫に悪さをしたら…と思うと、食べさせるわけにはいきませんからね
今ならきっと病気知らずでしょうし、薬もほとんど残ってないので大丈夫でしょう(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初七日

2015-12-28 08:50:23 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

クリスマスの日に撮った写真。
ケーキを準備している頃から旦那が写真を撮っていたのですが、その写真をブログにアップしようと見直していた時、途中から写真サイズが変わっていることに気付きました。
しかも、撮影モードまで変わっていました。
10枚目までは「2048×1536」、11枚目から20枚目までは「4000×3000」。最後の21枚目は通常通り「2048×1536」に戻っていて…。
フラッシュを焚く時とか、タイマー設定をした時に、旦那が何か触ったんだな…と思っていました。もしくは、わざと変えたのか、と。
でも、会社から帰ってきた旦那に聞くと、「いや、触ってないぞ。──ってか、サイズってどうやって変えるんだ? そもそも変えられるの?」と返ってくるではないですか。
改めて見てみると、フラッシュを焚いた時からでもなければ、タイマーを使ったタイミングでもありませんでした。
撮影モードはともかく、サイズの変更は設定画面から変えなければならないので、言われてみれば、そこまで触る可能性はありません。
サイズが戻った最後の写真は、一度電源を切って、再び入れ直して撮ったので、サイズやモードがリセットされたのかな、と思ったんですけど…。
試しに撮影モードを変更して、電源を入れ直してみましたが、案の定と言うべきかモードはリセットされずそのままでした。

う~ん…なんでなんだ?

そう首をひねっていると…。

「良かったじゃん、来てくれて」

──と旦那。
一瞬、「何が?」と思いましたが、直後に「あぁ、そうか!」と納得。
いや、納得と言うか、そう考えた方が気持ちがラクなんでしょうね。
現実は何かの拍子で旦那がボタンを操作したかもしれませんが、「来てくれて、ちょっと触ったのかも」なんて思ったほうが、なんか救われます。
精密機械は、何もしていないのに…とか、いつもと同じようにしているのに…勝手にどうにかなって、これだから信用できないんだ…とか思ってましたが、愛猫のイタズラなら、なんか許せます(笑)
本当にそうだったら、ずっと嬉しいんですけどね


さて、昨日は初七日でした。
朝見た夢には愛猫が出てきてくれましたが、なぜかエサ入れの前で座ってエッグエッグと吐きそうな、そんな顔と体勢でして…。
旅立つ時が苦しかったのかな、そう訴えてたのかな…とか考えてしまう瞬間でした
そんな目覚めの日曜日…。
旦那が仕事だったので、愛猫に会いに行ったのは18時半頃でした。
お線香を焚いて、三人で手を合わせました。

「リュウくん、会いに来たよ~」
「修行頑張ってるかな?」
「また、来週来るからね」

空耳でもいから「にゃっ」という声が聞こえないもんかしら…。
勘違いでもいいから、足にすり寄ってくる感覚がないもんかしら…。

──そんなことを思いながら、その場を後にした初七日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残された者の為に…

2015-12-25 10:07:22 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

日々、思う事や思い出すことがあって、しばらくこんな内容の更新になる気がしますが…。
気持ちを出さずにはいられないので、ご了承を…。

専門家曰く、「猫が死ぬ前の姿を消すのは、その姿を家族に見せて悲しまないように…」という説は、どうやら違うらしい。
ただ本能的に、体調が悪くなると、自分の身を守るために、暗くて狭い場所に身を隠す…という事らしいのですが…。
言われてみれば、きっとそうなんだと思います。
去勢後や歯石取りの後(全身麻酔後)、毛玉を大量に吐いた時(1~2日中体調が悪く、最終的に吐いた毛玉の長さは40~50センチに至った時)など、思うように体が動かせない時は、暗い部屋でひっそりとしていましたから。
そう思うと、夜にフラフラ~っとローカに行ったのは、ローカやその向こうの部屋が暗かったからだな…と。
ただ、痙攣が始まって30分くらいした時、そんな発想はなかったのですが、二人で「なんか、もう少し暗くしたいね」と話していて、旦那が常夜灯だけにしました。
でもそれはあまりにも暗くて、愛猫の胸の動きが分からなかったので、懐中電灯を天井や壁に向け、胸の動きだけは分かるようにしました。
今思えば、あの時に電気を消して正解だったな…と思います。
獣医さんのところに連れて行ったら、煌々と電気を付けた中で点滴をしたりしていたかもしれません。

また、旅立つ時の夜、旦那が「お休み」と言ったら「にゃ~おん」と言ったのを思い出したとき、そういえば…と思いだしたことがあります。
実母と仲良くしている人(Tさん)のところにも猫がいたのですが、その猫が旅立つ前の日にTさんと電話で実母が話をしていたら、猫が「にゃ~ん」と鳴いたそうで、当然、翌日に旅立つことは人間には分かりませんでしたが、きっと実母もその猫と関わっていたので、「さようなら」の挨拶を電話の向こうにいる実母に聞こえるように言ったんじゃないかな…と解釈していました。
だとすれば、私には「さようなら」を言ってくれなかったなぁ…とちょっと悲しくなったのですが、ここで、またふと思ったんです。
旦那は翌日も仕事だった為、2時過ぎにはベッドで寝に行きました。
次に起きてきたのは5時頃。
愛猫を看取ることはできませんでした。
でも、私は「絶対に看取る」という覚悟で飼っていましたから、ちゃんと最期まで見届けました。
つまり、愛猫はそれを分かっていたから旦那には先に「さようなら」を言っていたのかも…と。
もちろん、勝手な解釈ですけれど

でもねぇ、フォトブックを作るために改めて写真を見直してみて、とても悲しいことが判明します。
旦那より、絶対私の方が愛猫の事が好きなのに、普段の様子を見ても愛猫は旦那の方を好いている気がするんですよねぇ。
好きだからこそ余計に触っちゃうってこともあるでしょうし、好きだからこそ何かあったらすぐに病院に行って対処するし、好きだからいっぱい写真を撮ってるんですけど…。
振り返ってみると獣医さんと同様、好きなのに嫌われてるような…(笑)
そして、写真も撮るばっかりだから、「愛猫」、「コビトと愛猫」、「旦那と愛猫」の写真はあっても、「私と愛猫」の写真が、まぁ、少ない、少ない
私が愛猫と最後に撮ったのは去年のクリスマス。
コビトと愛猫とのショットはコビトの誕生である10月4日、旦那と愛猫とのショットは旅立つ前日…。
なんてこったい!
大きな後悔だわ
いつ死んじゃうかもしれなから…と愛猫の写真はいっぱい撮ってたのになぁ。
今になって一緒に撮るべきだったと痛感させられたわ…


さて、前置きが長くなりましたが…。
今回の事で、初七日とか四十九日とか…そういう節目を大事にしたいと思うようになりました。
正直、私は生まれた時点で両親の親、つまり祖父母が既に亡くなっていたので、身近な人の死というものを経験したことがありません。
いやまぁ、父親の兄弟が亡くなった時はありましたが、その時は私は小学校の低学年くらいで、大好きなひと…とかいう存在でもなかったので、悲しいとか寂しいとか、そういう感情ってなかったんですよね。
だから、四十九日がどうとか、法要がどうとか、毎朝仏壇にお供えして…という事に関しても、全く気にしなかった。
でも、愛猫の死は、「ちゃんとしたい」と思ったんですよね。
愛情の度合いで、こんなにも違うとは…。
ちなみに、節目は七日ごとにあるんですってね。
それが七日経(なのかびょう)と言われるそうで、それには、その子が成仏するための修行・裁判の期間であると考えられているそうです。
七日ごとの節目では、それぞれ仏様をお招きし、そこで魂は智慧(チエ)を授かり、七つ目の節目(四十九日)で天へと召される…そういう意味があるそうです。

初七日(しょなのか)…………命日を含めて7日目。成仏へ向かう最初の節目。
二七日(ふたなのか) ………三途の川を渡る乗り物(器)を授かります。
三七日(みなのか)………… 清めの水によって清めてもらいます(別名:酒水忌)。
四七日(よなのか) …………お経について深く学びます(別名:阿経忌)
三十五日(さんじゅうごにち)…生前の行いと初七日からの修行のせいかにより、次に生まれ変わる場所がある程度決められます。
六七日(むなのか)……………もう一度、生前の行いを反省します。
四十九日(しじゅうくにち)……別名「忌明け」と呼ばれ、この日に魂は成仏します。手元にお骨がある場合、この日が最も納骨に適した日となります。
百か日(ひゃっかにち)………別名を「卒哭忌」と言い、文字通り、「泣く」事を「卒業」する、残された方々が心に区切りをつけるための節目です。

あとは月に一度の月命日、年に一度の周忌法要という節目が続いていくのですが…。
これはお寺から頂いたものに書かれていたのですが、この間の節目ごとにお参りをすればするほど魂が良いところに行ける…とか聞くと、お参りしてあげたいと思ってしまいます。
水嫌いな愛猫にとって、三途の川を渡る乗り物も絶対に必需品(笑)
次に生まれ変わる場所が、家の近くだったらもっといい…なんてね。

愛猫の死のタイミングは、なんというか、できすぎているくらいできすぎていて、改めていい子だったなぁ…と思います。
もともと生きているときから、テーブルの上に上がることもしなかったし、言う事もよく聞いていました。
旅立った日、実はコビトの幼稚園での行事や昼からは歯科受診があったりして予定が詰まっていたんです。
更には23日はコビトのマーチングもありました。
旅立った日も朝の4時過ぎだったので、悲しかったのですが行事も歯科受診も通常通り行けましたし、マーチングも容態を気にしながら出かけるという事もありませんでした。
またコビトが冬休みに入る直前だったこともあり、一番寂しさを実感する昼間に一人っきりになることもありません。
更には百か日と言われる日は来年3月29日。
4月からコビトが小学生になりますから、区切りとしてはとてもいい時期だと思います。
また、月命日は私の誕生日の日にちと同じなので絶対に忘れないですし、共通点ができて嬉しいくらいです。
なんかもう、そういうのを考えるたびに、いい子過ぎて涙が出てきます。
だからこそ、ちゃんとしてあげたくなします。

でもきっと、こういう考え方や節目の行事は、残された者の為なんでしょうね…。
実際、魂がそこにあるのか、三途の川があるのか、生まれ変わりがあるのか…本当のところは分かりません。
ただ、悲しくて寂しくて、何かをせずにはいられない…とか、その子に会いに行きたい…とか、そういう行動を受け入れてくれる場があることで、残された人の悲しみや寂しさは徐々に癒されていくんだと思います。

まだまだ涙は出てきますが、まずは初七日の節目に愛猫に会いに行きたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何も聞こえなかったなぁ…

2015-12-24 10:40:46 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

昨日はリビングで寝てみましたが…。
残念ながら、何も聞こえませんでした…

夕方から、ふと、来年に受けようと思っていた脳ドックの費用を思いだし、どこにしまったっけ…と探していました。
でも、結局見つからなかったので気になってしまったんですよね…。
でもきっと、これが旦那だったら聞こえたのかもしれません

そんな中、愛猫のフォトブックを作ろうと改めて写真を見直していたら、気付きました。
リンパ腫疑いで、お腹を切って細胞を取った時が2011年5月。
そこでリンパ腫確定になったので、実際リンパ腫を患ってからは、3年以上ではなく、4年以上…4年8ヵ月も生きてくれていたんですね。
改めて、「ありがとう」と言いたいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いるのかもよ~?

2015-12-23 07:45:47 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

昨日、ふと思い出しました。

20日の夜、いつものように寝る前に薬を飲ませました。
その時に薬がちょっと喉に引っかかったのか、それとも薬がちょっと喉の奥の手前だったので、飲み込み方が「え…よっこいしょ…」という感じで飲み込んだんですが…。
その時に、いつもと違う目で私を見ました。

「もう~、もうちょっと奥に入れてくれたらいいのに…」
「なにすんのかなぁ、もう…」

──なんというか、呆れるというか、残念そうな目だったんです。

「ゴメンね~、飲みにくかったかな~」

──と、その時に言ったかどうか、もう自分では思い出せませんが…。
でも、旅立った後、あの目を思い出して、別の言葉を言っていたんじゃないかと思いました。
いや、そう思った方が納得できる、そんな目。
それは…。


「もう飲んでも意味ないんだけどな~」

“いつものように薬を飲ませたけどさ、ぼくもう死んじゃうから意味ないんだよ…。人間は分からないんだろうなぁ”

──みたいな、目でした。
そしてその数時間後に痙攣が始まり旅立ちました。

猫は犬のように表現がハッキリしていないので、何を訴えているのか分からない、という人がいますが…。
目は口ほどに物を言う、というように、一緒に過ごしていると本当に色んな表情が見れます。
説明できるかというと難しいんですけどね
でも、猫ちゃんを飼っている人は分かるんですよね~?


さてさて。
愛猫を長楽寺に引き渡した帰りの道で、私はもうずっと泣きっぱなしだったのですが、旦那はあまり泣きません。

「とーちゃんって、こういう時、クールだよね」

──と言うと、

「おぅ。でも、安心してください、人知れず泣いていますから」

──と返ってきました(笑)
うん、そんな気がする。
旦那は、あとからじわじわと“もういない”という事を実感し、寂しくなるタイプだそうです。

そしてその夜。
私はコビトと一緒に寝室で寝るのですが、旦那は普段から愛猫と同じリビングで寝ています。
──なので、旅立った日の夜も同じようにリビングで寝ました。
でも、寝る時に「にゃーん」と聞こえたそうです。
朝になって、「幻聴って怖いな」というから何かと思えば、そう聞こえたんですって。
本当に幻聴が怖いというのではなく、幻聴が聞こえる自分の精神状態が怖いな、という意味なんですけどね。
ただ、普段聞き慣れている音とか声とか、脳が覚えているからなのか、聞こえるはずないのに脳が誤作動して聞こえる時があったりします。
だからって、旦那が聞いた声を否定するわけではなく、その逆で羨ましくさえ思ったんですけど。

存在を感じたいじゃないですか…。
もう一度声を聞いてみたいじゃないですか…。

分かってるんですよねぇ。そう強く思っている人には、逆に聞こえないって…。
夢に出てきて欲しいと強く願う人に限って出てこないとか…よく聞いたります。

でもね…。
今朝、旦那がまた言いました。

「今日こっちで(リビングで)寝る?」

──と。そして、

「いるぞ」

──と。
どうやら昨日の夜は、畳の部屋の奥の方で、生前首輪に付けていた鈴の音が「チーン」とかすかに聞こえたと言います。
旅立つ3ヵ月前にはノミが付いたので首輪ははずしましたが、昨日の夜、その鈴をリビングのテレビボードの扉に引っかけておきました。
それが鳴ったわけではありませんが、遠くの方で鈴の音が聞こえたという事で、「やっぱり、いるぞ」となったわけですが。

実は、私も今朝夢を見たんです。
昨日死んだのに、なぜかリビングの窓の向こうに、少し子供に戻ったような愛猫がこちらに背中を向けて箱座りしているのを。
そして、窓を開けて「リュウ?」と小さく呼ぶと、こちらを振り返り“そそそ…”と家の中に入ってきました。
そのあと、私はベランダで洗濯物か何かを取って部屋に戻ったのですが、愛猫はエサの前で座り、キッチンの方をジッと見て誰かと話しているような姿をしていました。
咄嗟に、「神様か誰かと話しているのかな。なんか、また死んじゃうじゃ…」と不安になりつつ、そうであれば少しでもコビトにも愛猫を見せてあげなきゃ…と急いで起こしました。
その数秒後に、ふと目が覚めたんです。

昨日の朝、荼毘に付したし、体と魂が一緒になって、また帰ってきてくれたのかな…。
旦那も同じ夢見たのかな…?
コビトも何か見てるのかな…?

──そう思っていたら、しばらくは寝られませんでした(笑)
でも、そのしばらくした後に、ふと時計を見ると4時33分。
4時8分に亡くなり、体を拭いたりして全てを終えたのが、大体それくらいだったなぁ…と思うと、やっぱり、一度死んで、体と魂が一緒になった後戻ってきたのかも…と思わずにはいられません。
そこに来て、朝の旦那の鈴の音の話です。

希望が見せた夢かもしれません。
希望が聞かせた音かもしれません。

でも何だか、ちょっと嬉しいんです。
本当にいるような気がして…。
よーし、今日はリビングで寝てみるぞー


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闘病生活終了後…

2015-12-22 13:56:14 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

愛猫の事を友達に報告した後、帰ってきた言葉にハッとしたことがありました。
その友達はウサギを数匹飼っていたことがあり、最初のウサギをとても可愛がっていました。
珍しい柄というのもあって、特に思い入れがあって可愛がっていたんです。
そのウサギが亡くなる時、友達は最期まで看取りました。
でも、そのウサギの子供たちは、友達が寝ている間に亡くなったそうです。

「動物って、人間の事をよく考えてて、ホントは猫は人間の見てないとこで静かに亡くなるけど、リュウも〇〇(ウサギの名前)ちゃんも待っててくれるというか、看取らせてくるんだよね」

──と言われ、あぁ、そうだ! と。

すっかり忘れていたけど、猫って、自分が死ぬところを見せないように、飼い主のところからある日突然スッといなくなる…と聞いたことがあったんですよね。
だからね、思ったんです。
夜に、何の前触れもなくフラフラ~と寝床からローカの方に歩いて行ったこと。
室内飼いでは無理ですが、自分の死が近いと悟って私たちの前からいなくなろうとしたのかな…って。
でも、本当に歩く力がなくなって、ペタン…と寝込んじゃったんじゃないかと。
そう思うとね、納得いく行動だったな、と。
「久々に見回りでも行きたくなったのかな?」なんて言ってる場合じゃねぇー、と今更ながら突っ込んでしまいます。
でも、その力なく体ごとペタンと寝ころんだ時は、さすがの旦那も「おいおい、やばいんじゃないの?」と思ったそうです。
でもまさか、その夜中に逝ってしまうとはね…。
でも、何か私たちも第六感みたいなものが働いて、寝れずにいたのかもしれませんし、ケコケコ…と吐く音を出したことで旦那も起きたわけで…。
起こしてくれて、最期まで看取らせてくれたことにはもう、感謝しかありません。
私は、子供のころに犬を飼っていましたが、色んな事情(心の弱さや状況などで)一度も看取ったことがなかったので、懺悔の意味も込めて、愛猫は絶対に最期まで見る、と決めていましたから。
そんな気持ちを、愛猫リュウが分かってくれていたのかもしれません。

さて…。
亡くなった日は、その後眠れなかったのでブログをアップしました。
そしてそのまま、コビトの幼稚園の行事に参加し、思ったより早く終わったので、その足で獣医さんのところに行きました。

「先生、おはようございます。え…と、お世話になりました」

──と言うと、

「あ~~…そうですか~…」

──と、大きな、そして残念な息を吐かれました。
愛猫は、先生にとってもリンパ腫を患った猫が初めてこんなにも長く生きた、初めての患者だったんです。
だから、先生にとっても特別感があったんだと思います。
少し話すと、もう ぶわっ…と涙が出てきたので、すぐに葬儀をしてくれるところを教えてもらい帰ってきました。
紹介されたのは、名犬サーブが眠る場所、というところで、長楽寺というところでした。
電話で聞けば、色々教えてくれると言われましたが、正直、私が電話をしたらもう、涙が出てしょうがないので、旦那に会社から帰ってきたら聞いてもらおうと思っていました。
すると、昼ごろ電話がかかってきて、「こっちで色々と検索してたんだけど…」というので、獣医さんから教えてもらったお寺の名前を出したら、「おぅ、オレもちょうどそれを見てたんだ」と返ってきました。
これでもう、決まりです。
二人が同じお寺にたどり着いたなら、もう、そこに導かれたようなもの。
そこで、「電話で話すと泣いちゃうから、お願いね」と頼みました。
そして、結局その夜に愛猫を連れて行き、お経をあげてもらいました。
通常なら1人1つの花を愛猫と一緒に入れてあげるのですが、「今日はリュウちゃんが最後なので、お花も余ってますし、良かったら多めに飾ってあげてください」と言ってくださり、1人4~5個の花を飾らせてこらいました。
箱の中には、ふわふわボールを3つ入れてあげました。
亡くなった時の体はもうクタクタで、普段やわらかい猫の体が更にフニャフニャでしたが、数時間後には死後硬直の為に、触ると剥製みたいな硬さになるんですね…。
でも、耳としっぽはいつもと同じなんです。
何度も何度も触って、撫でて、頬にキスもしました。
そして、さよならをしてきました。

火葬は時間が遅かったので、翌日の朝(今日の朝)にするという事で、今朝の9時過ぎに長楽寺の方から「9時ごろにすべて終えましたので…」という電話がかかってきました。
一気にまた涙が出てとまりません。
でももう、身も心も天国にいったんですもんね。
昨日は雨で、愛猫が亡くなった時の気持ちと同じです。
今日は、晴れています。
青空に、愛猫の体が浮いて、天国に行くときに我が家の場所も見えたかもしれません。
お空に行くときに、晴れていて良かったね…。
長楽寺がある方向に向かって手を合わせ、感謝の言葉を言いました。

そして今日のお昼から、愛猫のトイレやゲージを綺麗に洗いました。
また、新しい家族として迎えられるように…そう思ってやみません…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする