いつのまにかススキの穂がたくさん出てきてもうすっかり秋です。
さて今日の本は加藤徹氏の「西太后」です。
十代の頃から歴史を学ぶことは好きでしたが、受験科目にも選ばなかったので、日本史も世界史も歴史の先生が念仏のように唱えた語呂合わせの年号の他は無理やり覚えることもなく気まぐれに歴史書を読むことで私の歴史観は組み立てられました。
今もずっとその延長線上で気まぐれさは変わりませんが時々新書程度のダイジェスト的な歴史書や歴史上の人物について書かれた本を読みます。
それはまるで私の頭の中の厖大なジグソーパズルを少しずつあてはめていくような気分でもあります。
三十代の時、書道で漢字を学ぶようになった頃から、その成り立ちや書体の変遷と共に中国五千年の歴史についての歴史書や物語などに特に興味を持つようになりました。今では中国史についてもずいぶん強くなったつもりでいました。
でも今回読んだ加藤氏の「西太后」は私の西太后のイメージをかなり覆すものでした。つまり私のジグソーパズルも西太后の部分は何枚も入れ替えることになったのです。
さて前置きが長くなりましたが西太后とは清朝末期の咸豊帝の側室で同治帝の生母です。そして咸豊帝の死後皇太后として半世紀近くも清朝に君臨しました。
漢の高祖(劉邦)の皇后の呂后、唐の高宗の皇后の則天武后と共に中国史上の三大悪女と言われています。
しかし、その強烈なキャラクターは事実以上に脚色され、また生い立ちや宮中に入ったいきさつも説が様々で謎に包まれカリスマ性も強かったことから、考えようによってもは現代に至るまで中国の歴史の中でもその時の政治体制にふさわしいように語り継がれていたようでもあります。
西太后にとって我が子同治帝はわずか19歳で病死し、咸豊帝の弟の子(生母は西太后の妹)が皇帝になります。光緒帝です。彼女はこの時もまたまだ幼い光緒帝に代わって清朝を支えますがやがて成人した光緒帝に一時期政権を譲ります。
この光緒帝の親政時代に清は日清戦争で敗北します。
やがて日本の明治維新を参考に光緒帝はクーデターを起こそうとしますが失敗、幽閉されました。(戊戌の政変1898年)
以後十年西太后は再び権力の座につくことになりました。
西太后については物語や映画も数多く作られていますし、日本にもたくさんの文献があります。政治家としてもすぐれた資質を持っていたからこそ衰退した清を長く存続できたもかもしれないとも言われていますがその逆であるとも言われています。いずれにしても西太后の死後わずか三年で清は滅びてしまいました。
でも贅沢でわがまま三昧な上に、敵対した光緒帝の側室珍妃を井戸に突き落とした(実際には宦官に命じたのですが事実と伝えられています。)西太后の残虐なイメージが若い頃から焼きついていたので私はいくら偉大でもずっと嫌な人物と感じていました。
はっきり言ってしまえばこの本は私にとって西太后に対して持っていた感情の緩衝材になったようでもあり、また今まで感じていた矛盾や疑問が少し解決したようでもありました。
西太后は案外わかりやすい人かもしれません。
著者のあとがきの
「西太后というキャラクターは満州人であるとか皇太后であるという以前に非常に中国的なのだ・・・」という部分を読んで思わず苦笑してしまいました。
そして1997年にイギリスから中国に返還された香港ですが、永久割譲ではなく99年の租借を決めるにあたって西太后が「たった九十九年くらい貸してやってもよいではないか」と言ったとか・・・。真実はともかく、これには「さすが西太后!」と思いたくなります。中国の長い歴史の中のたった百年、そしてイギリスにとって半永久的だったはずの百年は過ぎ去ってしまいましたから。
この百年の間に 清→中華民国→中華人民共和国と国名が変化した中国ですが
「大清帝国最後の光芒が、今日の、そして近未来の中華人民共和国の運命までをも照らし出していることは、疑いを入れない。」という著者の思いは納得できるものだと思いました。
さて今日の本は加藤徹氏の「西太后」です。
十代の頃から歴史を学ぶことは好きでしたが、受験科目にも選ばなかったので、日本史も世界史も歴史の先生が念仏のように唱えた語呂合わせの年号の他は無理やり覚えることもなく気まぐれに歴史書を読むことで私の歴史観は組み立てられました。
今もずっとその延長線上で気まぐれさは変わりませんが時々新書程度のダイジェスト的な歴史書や歴史上の人物について書かれた本を読みます。
それはまるで私の頭の中の厖大なジグソーパズルを少しずつあてはめていくような気分でもあります。
三十代の時、書道で漢字を学ぶようになった頃から、その成り立ちや書体の変遷と共に中国五千年の歴史についての歴史書や物語などに特に興味を持つようになりました。今では中国史についてもずいぶん強くなったつもりでいました。
でも今回読んだ加藤氏の「西太后」は私の西太后のイメージをかなり覆すものでした。つまり私のジグソーパズルも西太后の部分は何枚も入れ替えることになったのです。
さて前置きが長くなりましたが西太后とは清朝末期の咸豊帝の側室で同治帝の生母です。そして咸豊帝の死後皇太后として半世紀近くも清朝に君臨しました。
漢の高祖(劉邦)の皇后の呂后、唐の高宗の皇后の則天武后と共に中国史上の三大悪女と言われています。
しかし、その強烈なキャラクターは事実以上に脚色され、また生い立ちや宮中に入ったいきさつも説が様々で謎に包まれカリスマ性も強かったことから、考えようによってもは現代に至るまで中国の歴史の中でもその時の政治体制にふさわしいように語り継がれていたようでもあります。
西太后にとって我が子同治帝はわずか19歳で病死し、咸豊帝の弟の子(生母は西太后の妹)が皇帝になります。光緒帝です。彼女はこの時もまたまだ幼い光緒帝に代わって清朝を支えますがやがて成人した光緒帝に一時期政権を譲ります。
この光緒帝の親政時代に清は日清戦争で敗北します。
やがて日本の明治維新を参考に光緒帝はクーデターを起こそうとしますが失敗、幽閉されました。(戊戌の政変1898年)
以後十年西太后は再び権力の座につくことになりました。
西太后については物語や映画も数多く作られていますし、日本にもたくさんの文献があります。政治家としてもすぐれた資質を持っていたからこそ衰退した清を長く存続できたもかもしれないとも言われていますがその逆であるとも言われています。いずれにしても西太后の死後わずか三年で清は滅びてしまいました。
でも贅沢でわがまま三昧な上に、敵対した光緒帝の側室珍妃を井戸に突き落とした(実際には宦官に命じたのですが事実と伝えられています。)西太后の残虐なイメージが若い頃から焼きついていたので私はいくら偉大でもずっと嫌な人物と感じていました。
はっきり言ってしまえばこの本は私にとって西太后に対して持っていた感情の緩衝材になったようでもあり、また今まで感じていた矛盾や疑問が少し解決したようでもありました。
西太后は案外わかりやすい人かもしれません。
著者のあとがきの
「西太后というキャラクターは満州人であるとか皇太后であるという以前に非常に中国的なのだ・・・」という部分を読んで思わず苦笑してしまいました。
そして1997年にイギリスから中国に返還された香港ですが、永久割譲ではなく99年の租借を決めるにあたって西太后が「たった九十九年くらい貸してやってもよいではないか」と言ったとか・・・。真実はともかく、これには「さすが西太后!」と思いたくなります。中国の長い歴史の中のたった百年、そしてイギリスにとって半永久的だったはずの百年は過ぎ去ってしまいましたから。
この百年の間に 清→中華民国→中華人民共和国と国名が変化した中国ですが
「大清帝国最後の光芒が、今日の、そして近未来の中華人民共和国の運命までをも照らし出していることは、疑いを入れない。」という著者の思いは納得できるものだと思いました。