goo blog サービス終了のお知らせ 

いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

疲れすぎて眠れぬ夜のために  内田樹 著

2013年01月23日 | その他
先週は首都圏も久しぶりの大雪になりました。あちこちで交通機関がマヒし、路面凍結で歩くのさえかなり神経を使いました。でも、首都圏近郊の住宅地にある各地の公園に作られた雪だるまが元気な子供たちの姿(大人も作ったかもしれませんが・・・)を想像させてくれました。

さて、今回は「疲れすぎて眠れぬ夜のために」です。友人の一人の言葉を借りて言えばここ数年、家族という鉛の鎧がいつも肩にかかっているような状態の私です。でもその私に希望を授けてくれるのも広い意味での家族のような気がします。日中は忙しく動き回っているのに疲れすぎて眠れない状態に陥いることがあります。お守り代わりにかかりつけの医師から処方していただいている睡眠薬も「こんなことで依存症になってもたいへん」となかなか飲むことができず、ぼんやりしながら真夜中にPCを見ながらアマゾンで検索しているうちにこの本に行き当たりました。ちょっと違和感はあったのですが、ウチダ先生の本は何冊か読んだことがあったので、あまり迷わず購入しました。

手元に届いてみると何だか題名と内容とはニュアンスが違うような感じもしましたが、「まっ、眠れない夜にお読みくださいってことなのかな」と思いました。

最初は冒頭のページの「所有しないのが好きなんです。」という言葉に何となく共感して最後まで読み進めることとなりました。

というのは、何度も引っ越しを経験している私は、ウチダ先生のようにさっぱりした気持でいられないのでいつも大量の荷物に四苦八苦しながらの引っ越しです。日ごろから頭の中と家の中をすっきりさせたいというのが悲願だからです。ところが話はちょっと期待とは違う方向へ向かいました。


「心耳澄ませ無声の声を聴く」最初は多くの若者たちが直面している現実をおさらいするところから始まって、最後は家族を愛することへのメッセージへ導かれます。

「人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか・・・」私は極限的な貧困も人間性の暗部も見たことはありません。戦争を経験した親たちが築き上げた核家族の中で育ち、核家族の中で子供を育てました。結局人間はどれくらい弱い存在であるかをよく考え把握することができなければ、モラルや古いしきたりの意味をしっかり自分自身の心の中で消化することは難しいでしょう。

この本の中では資本主義社会に関する記述が何箇所かで出てきます。読みながら私は今は亡き父のことを思い出していました。資本主義とはなにか最初に聞いたのは父からでした。私が中学生の時でまだ東西の冷戦時代でした。父からは日本は資本主義社会であることどういう経済のしくみであるかというようなことを聴いたように思います。

実際20世紀の終わりにはベルリンの壁も崩壊し、ソビエト連邦もなくなって中国も市場経済を導入しました。戦争に行った経験を持つ父は「社会がどうのこうの言うよりそこに生きているのだから上手に社会のしくみを利用しなさい」というようなことを私が結婚して子供を持ってからも言っていました。付和雷同みたいに感じて、それでは社会は良くならないと反発したこともありましたが、確かに考えようによっては賢い生き方です。

「資本主義が目指すのは<たくさん生産する、たくさん流通する、たくさん消費する>ということただそれだけです。・・・中略・・・あえて一言でいえば<人間はそういうのが好き>だからというほかありません。」ウチダ先生の言葉は的確だと思います。でも一歩間違えばモラルの低い人間を量産してしまいます。

資本主義社会と人間社会のシステムの説明を受けて考えなくてはならないのは読者です。自由と制約をめぐる問題は結局人間一人ひとりの判断に委ねられますね。

 
「最強の幸福論」と解説者の銀色夏生氏はおっしゃっていますが、ウチダ先生の論理を本当に理解するには人生のそれなりの経験が必要でしょう。でもこの本にはどの世代の人々にとっても考えるためのヒントはたくさんあるような気がします。

聞く力  阿川佐和子 著

2013年01月11日 | その他
年末年始の目の回るような忙しさが一段落したところでやっと一息ですが、この冬は全国的に寒いのでしょうか。義父母の介護サービスの方々のお正月休みも終了したようなのでとりあえず首都圏へ戻ってきましたが連日厳しい寒さが続いています。

さて、今回は阿川佐和子氏の「聞く力」です。年末の慌ただしさの中で、介護用品や正月用品の入った買い物袋を抱えたまま、本数の少ない電車の待ち時間の間にふと飛び込んだ駅ビル内の書店で2012年度の新書の年間ベストセラーの表示が目に留まりました。去年、十歳ほど年下の友人から「待ち時間に読むにはちょうど良い本」と聞いていたのを思い出し、この本を購入しました。最近はゆっくり書店に立ち寄ることはほとんどなく、本はネットで購入するばかりで、新書を書店で購入したのは本当に久しぶりでした。

忙しい時にもすぐ読める、それでいて、けっこう頷けるところがベストセラーとなった理由なのでしょうか? 最初はハウツー本なのかなと思って読み始めたのですが、内容からすると阿川さんのインタビューの経験談という感じでした。具体的なので実生活でも参考になることもあるのかなと思いますが、思いのほか軽いノリで一気に読めてしまいました。私としては読み進めるうちに「2012年はどんな世の中だからこの本のどんなところが人々の心に響いたのだろう?」という観点へ興味が移っていきました。

人間は人とコミュニケーションをとらずに生きていくことはできません。自分を主張することは大切なことですが、相手の主張も理解できなければ、人間関係を築くことは不可能に近いでしょう。

絵文字をたくさん使った電子メールで文章も中途半端で通じ合えるのは非常に身近にいる者同士だけで、人間関係を築くためには対話が必要です。最近それが苦手な人々が増加していることは確かでしょう。でもそんな人々も実は、けっこう人間関係の構築がうまくできないことを悩んでいるようです。兄弟姉妹も少なく家族関係も希薄でPCや携帯電話との対話ばかりでコミュニケーションの基礎作りから難しくなってきた近頃・・・確かに「聞く力」というインパクトのある題名に注目したくなる人は多いかなと思います。

この本は人間関係を構築する上でとても大切なことを言っていると思います。
つまり相手の立場や考え方をどれだけ考えられるかです。相手が話してくれなければどんな人かなかなかわかりません。そこで大切なのは「聞く力」すなわち聞き出す力でもあり聞ける力でもあると思います。

若い人ばかりではありません。この本はあくまでも阿川さんの経験に基づくものですが、私個人の問題に置き換えても相手を理解するという難しさに突きあたることはよくあります。

現在の私は身内ですが高齢者の介護と向き合っています。同じ立場の友人たちと時々情報交換をしますが、中でも意外に多いのは高齢の親たちと民生委員の方やケアマネージャーさんやヘルパーさんたちとのトラブルの話題です。高齢の親たちにも今まで生きてきたプライドもありますから、その辺りの気配りができるかどうかはかなり大きな問題です。

友人のひとりAさんの八十代後半のお姑さんは、Aさん曰く、「たいへんプライドが高い人」なのだそうです。ある日民生委員の方が一人暮らしのお姑さんのお宅を訪ねた時、友達に話すような言葉使いで話しかけたそうなのですが、それが相当気に障ってしまったらしくお姑さんはずっと不機嫌だったそうです。なあんだそんなこと・・・とまだ元気な若い人々なら思ってしまうかもしれませんが、実は年を重ねた人々とお付き合いするときはとても重要なことです。

また私の義父も最近話し方がとてもスローペースになってきました。なかなか何を言いたいのかわかりません。でも阿川さんの「言葉を置き換えたり、答えを促したり、一見、親切そうな聞き手のようですが結果的には答えようとしている人を追い立てることになります。」という言葉が心に浮かぶと、せっかちですぐいらいらする自分を少し待たせてくれます。


よく考えてみれば当たり前のことも多いのですが、阿川さんのこの本のお話から私は生活のいろいろなヒントをいただいたような気がしました。

方丈記   鴨長明 著  川瀬一馬 校注.・現代語訳

2012年12月06日 | その他
今年も年の瀬の慌ただしい季節を迎えました。
本当に久々の更新となってしまいました。ここしばらくはずっと忙しくてこのブログを更新できていなかったので、そろそろ閉じようと思っていたのですが、先日遠方の友人より楽しみにしていると電話があり、ちょっと励まされて再びこのページに戻ってきました。

さて、今回は最近けっこう話題になっているらしい「方丈記」です。冒頭の部分はあまりにも有名で最初の数行は書道展などでもよく目にするため、ほとんど諳んじていましたが、改めて読んでみるという気にはならず、長い間注目することはありませんでした。

実は、私はこの小さな文庫本を40年近く前に購入していました。ところが、先日長い間我が家の倉庫のような本棚に眠っていたのを偶然見つけたのです。大学の受験勉強のための古典のテキストとして使用したあとがあり、あちこちに文法や言葉の意味の書き込みがありました。懐かしさも手伝ってふと手にとってみると「あら、こんなに短編だったんだ!」というわけでそのままバックの中に入れ、新幹線の車内などで再び読み始めることとなりました。原文の後に川瀬一馬氏の現代語訳がありその両方を読みましたが、今ではあまり苦痛なく読めるようになった古文を目にしながら歳月の重みを感じていました。

はっきり言ってしまえば「なんだ、今と少しも変わっていないじゃないの!」というのが第一印象です。
世の中も人間個人も結局「よどみに浮かぶうたかた」に過ぎないってことです。

鴨長明が生きた時代は平安末期から鎌倉時代(1155-1216?)、政治の中心が貴族から武士へ・・・日本史の中でも激動の時代です。今、この方丈記が注目されているのは、日本の政府は借金まみれ、少子高齢化に加え、無力感漂う若者の増加や、経済も低迷状態といった暗いイメージの現在がなんとなく末法思想が流行した長明の生きた時代に通じるところがあるからでしょうか。

当時、福原遷都などもあり京都に住んでいた人々にとっては大変な出来事だったでしょう。鴨長明は京都の下鴨神社の神官の家に生まれながらも出世街道からは程遠かったようで、五十歳くらいで出家しています。五十代の後半には新古今和歌集の撰者の一人飛鳥井雅経とともに鎌倉へ下向し実朝に謁見しているようです。
実際、長明は歌人でもあり新古今集にもいくつかの歌があります。この本の記述ではありませんが、こんな歌も残しています。

見ればまづいとど涙ぞもろかづらいかに契りてかけはなれけん(新古今1778)

諸葛は桂と葵をつけて賀茂祭で使う髪や冠にさす飾りのことでこれを見ると涙が出て、賀茂の神社の禰宣となる望みが断たれてしまったことを思い、嘆いているという意味でしょうか。他の「鴨長明集」や「無明抄」などの歌を見ても何だか悲しい歌が目立ちます。

様々な苦難を乗り越えながらも住む家はどんどん小さくなっていき最後は小さな庵・・・ここで方丈記は書かれたといわれています。

ところで十代後半だった私がこの小さな本に特に多く書き込みをして熟読していたと思われる部分は「安元の災害」と「大地震(おほなゐ)」でした。当時の私は煩悩がどうのこうのという記述より、現代も起こりうる自然災害が古文でどう記述されているかに興味があったようです。

しかし、歳月を経て、改めて考えさせられたのは今まで書かれたことをも全否定するかのような「むすび」の部分でした。脱力感を招くような・・・空虚な気持・・・南無阿弥陀仏って何?・・・。と思いながら思わず再び最初のページに戻ってしまった方丈記でした。


ひとりでは生きられないのも芸のうち  内田樹 著

2012年08月03日 | その他
毎日厳しい暑さが続いています。経済情勢や政局など不安材料が取り巻く中でロンドンオリンピックの報道は明るい気分へ導かれます。結果はともかく人々が全力で頑張る姿を見るのは感動を誘います。

さて、今回は内田先生の「ひとりでは生きられないのも芸のうち」です。これはブログに基づいて編集された本だそうですが、若い人はもちろん、私と同世代の人々にも薦めたいと思いました。

内田先生のブログの存在は知っていましたが、ゆっくり拝見する間がないのでこの本の存在も知りませんでした。数か月ほど前、書店でこの本の内田先生の前書きを読み、マルクス主義に対する先生の見解に興味を持ち購入しました。一気に読み終えたわりにすぐアップできなかったのは、今、家族の介護と向き合う生活の中でなかなかPCに向かうことができなかったからです。

ブッシュ大統領(お父さんの方)が湾岸戦争を始めた時、「世界はもう待てない」という演説をして「アメリカが我慢できないこと」はそのまま「世界が我慢できないこと」になってしまったという論理から発展し、「私が我慢できないことは万人もこれを我慢できなく思っている。だからわたしが我慢できないことのリストを長くしていくことで世界はどんどんよくなるはずである」という考え方は実はとても危険な考えだと思います。この本ではその危険性を丁寧に説明されているので読者はそれをどう消化するかが鍵でしょう。

”I cannot live without you."

愛の言葉としても、もっとも説得力がある言葉です。

最後まで読み終えると、実はとても深いということをしっかり刻み込むことができるでしょう。

家族から社会へ

現代人は身勝手な論理に毒されまくっています。それでも人は誰かとかかわりあいなしには生きられないのです。

最終章の「死と愛をめぐる考察」はもっとも読み応えがあります。

「自我の縮小」についての記述は現代の日本人が根本的に考え直すべきとても大きな問題であると思います。この本は東日本の震災以前に書かれたものですがこの点については震災によって見直された部分も大きいかもしれません。「家族」は人間にとって大切なものです。

この本は若い人々へ人間とはどのような生き物なのか社会性という観点からの結婚のお薦め的な部分が強調されています。
結婚によって学び人間的に成長する部分はとても大きいからです。私も、自ら家族を持つことによって学んだことは社会へもつながることを確信しています。

現在は私の子供時代や若者だった時代より閉塞感が漂っています。実際、高齢者の介護と向き合う私も暗い気持ちになることがしばしばあります。粘り強く笑顔で義父母と会話する若いケアマネさんやヘルパーさんに敬服しながら、自分を励ます日々です。「あなただけが頼りだから」とたたみかけるように私に語りかける義母の言葉にずっしりと重いものを感じながら・・・。厳しい環境も所詮本人の考え方次第・・・。

「他者と共生することのできる能力」は生涯を通してもっとも大切ことのように思います。


子々孫々に語りつぎたい日本の歴史    中條高徳・渡辺昇一 著

2012年03月12日 | その他
春になりました。時の流れの速さは年齢と共に加速するのではないかと思われるほどです。

さて、今回は歴史に関する本です。
半世紀以上生きてくると私のようなフツウのオバサンでも膨大な歴史の中のいろいろな側面に触れてくるわけですから、この本もなんとなく読んだり聞いたりしたことがある内容が多かったのですが、子孫に伝えたいこととして強調された事柄として一冊の本に凝縮されると最初は何だか狐につままれたような気分でした。そのくらい断定的で強烈な印象だったということです。

わかっていても素直に鵜呑みにはできないのは、たぶん私がお二人の先生方がこの本の中でおっしゃられているような戦後のアメリカに毒された教育を受けた世代だからだと思います。「三つ子の魂百まで」・・・・・戦争イコール悪、戦争を引き起こした日本も悪・・・そんなムードの中で、学校教育を受けましたから、否、本当はこんなところが違っていたといわれても納得するには時間がかかってしまうのです。東京裁判についても詳しく知ったのはわが子が歴史を学ぶようになってからです。20代の前半に海外生活を始めた時、全共闘の賛同者たちとあまり変わらない歴史観や社会感をもっていたように思います。唯、その後、同世代の世界各地の人々と接するようになって、私自身が、如何に自国の歴史に無知であったかを痛感しました。

さて、この本の中の課題に一つずつコメントするのは膨大なので今はほんの少しだけですが・・・

まずは 東京裁判についてです。
東京裁判では、日本がポツダム宣言を受託した当時、国際法上存在しなかった平和に対する罪と称するものを判決に使っています。
このブログでも以前、田中正明氏の「パール判事の日本無罪論」や城山三郎氏の「落日燃ゆ」でこのテーマを取り上げたことがあります。この本で、渡部氏が「左翼の言論は<東京裁判では日本は犯罪国家として断罪された>というところにすべて乗っている」と言われていますが、戦後の学校教育がこの思想の延長線上にあったことを私も強く感じます。ここでは勝者の裁判の勝手さが詳しく説明されています。

南京事件については以前・・たぶん90年代くらいから少しずつその信憑性が問われだしたことを知っていました。そのうち私も、東京裁判で戦勝国アメリカによる原爆投下や東京大空襲に匹敵する規模の敗戦国日本の残虐事件として実際よりとても大きな事件に仕立て上げられたものであるらしいと思うようになりました。これからもっといろいろな資料が出てきて、この問題が明らかになっていくのかなあなんて呑気なことを考えていたら、最近、名古屋市長の「南京大虐殺」否定発言が問題にされましたね。市長の発言のタイミングはよくなかったかもしれませんが、人々がこの南京事件について改めて調べたり考えたりする機会にはなったと思います。

国家間の駆け引き上、都合の悪い歴史的資料はなかなか出てこないことが多いですが、歴史というのは時が経つにつれて、隠されていた人々の証言や資料が明らかにされて、抹殺されたり捻じ曲げられたりした事実が塗り替えられることがあります。

ずっと大昔のことを掘り起こすのは大変ですが、少なくともこの百年くらいの歴史は曲げないで次の世代に伝えたいものです。

また靖国神社に関してはこの本の記述はわかりやすいです。私は否定しません。というより神道の考え方は自然に受け入れられます。

全体を通して両氏の歴史観については簡単に納得できない部分もありましたが、私の中の歴史のジグソーパズルが少し塗り替えられたような気持ちでした。

孫たちにおばあちゃんが両親から聞いた戦争をしっかり伝えられるように・・・!もっと勉強しておかないと・・・!のんびりしているとすぐ時が流れてしまいますね。

福島原発の真実   佐藤栄佐久 著

2011年09月21日 | その他
 先日、京都市内のスーパーで買い物をしていた時のことです。偶然、数年ぶりに、以前近所で親しくしていた同世代の知人と再会しました。
 あれこれ近況など報告しながら、その知人がスーパーの一角に並べられていた福島産のトマトを買い物カゴに入れました。
「福島産でも気にならへん?」私は思わず彼女に尋ねてしまいました。何故なら首都圏に住む友人たちの多くが福島の原発事故の近くの産地の野菜果物に対して異常なほど神経質になっていたからです。彼女の答えは簡単でした。「政府の放射能値の安全基準を上回っていたら、出荷停止になるんとちゃうの? 安全でないものを売ったらこのスーパーだってつぶれるやろしなあ~」

 現在は首都圏で過ごす時間が長い私にとってその答えはあまりにノーテンキに思えました。でも、これは原発事故からどのくらい離れているかの違いからでしょうか。確かに京都市内のスーパーには福島産のトマトや桃もあるにはありますが、スーパーに出回っている野菜果物の産地のほとんどが西日本だったからです。ちょっとくらいどうってことないっていう雰囲気でもあります。もちろん京都にも意識の高い友人もいますが・・ もしこれが福井県の原発事故だったら事態はまた違っていたことでしょう。

 3月11日の東日本大震災の津波による福島の原発事故の後、数多くの原発関連の記事や書物を読んできました。ところが、一つ読むとまた新たに二つ以上の疑問が浮かび上がってくるのが現実です。大学その他の偉い先生方の本であっても一体どこまでが真実でどこまでが空想なのかわけがわからなくなることもしばしばです。

 唯、今、私がはっきりと感じていることは 「政府が言う安全は少しも信用できない」 ということです。何かよほどしっかり学ぼうとしないと、人々はだんだん誤魔化されて国益ばかり追求する国のベールの中に包まれてしまうのではないかという不安感が広がってきます。

 前置きが長くなりましたが今回の佐藤栄佐久氏の「福島原発の真実」は政府という巨大組織の横暴さ、その根幹に迫る本のひとつであると思います。とても印象に残る本でした。

 佐藤栄佐久氏は福島県知事でしたが、5期18年目の2006年9月県発注のダム工事をめぐる汚職事件で辞職、その後収賄額ゼロという前代未聞の有罪判決で現在最高裁に上告中です。この辺のいきさつは同じく佐藤氏の著書「知事抹殺」に詳しく書かれていますが、佐藤氏が如何に原発とその安全性を追求してきた知事であったかがよくわかります。言葉を変えていえば東電や国とっては都合の悪いうるさい知事であったということでしょうか。

 今回の事故は決して天災ではなく、数々の小さな事故の対策を怠っていたために発生したことが明らかになりました。
特に福島第一原発2号機で2010年6月に今年3月の津波の時と全く同様の電源喪失事故を経験しているという話はショックでした。この時、これからいつか起きるかもしれない地震や津波による事態を考えられなかったのでしょうか?

 原子力が危険であることは誰も否定することができません。放射性廃棄物だって溜まる一方です。

「原子力は絶対必要だから絶対安全だということにしないといけない」日本人はこういう本末転倒の論理を突き崩して原発のあり方を考え直すことができるでしょうか?

原発のウソ    小出裕章 著

2011年07月12日 | その他
東日本を襲った大震災、そして福島の原発事故から4ヶ月が経ちました。原発事故の方は未だに収束の兆しが見えたとは言い難い状況です。福島の事故以来、多くの事故関連の記事を読んできましたが、一体何をどのように信用していいのか・・・後になって実はこうでしたということが多すぎるのです。

地震の専門家、原発の専門家、建築工学の専門家、経済の専門家、等々・・・それぞれの見解をつなぎ合わせるととてもちぐはぐな解釈になってしまうのです。そして相変わらず混迷するばかりの政局の行方・・・・・。

そんな毎日の中で偶然目にしたこの本を読んで、「やはり、これだ!」と思いました。

<脱原発>

原発に関しては私はずっと以前から反対でした。でも誰かに聞かれたら、「私は反対。」と言う程度でした。

32年前のスリーマイル島や25年前のチェルノブイリの原発事故のとき、私は日本から一万キロ以上離れたところで生活し、これら二つのニュースのほとんどを最初は英語で見ました。今思えばおかしな報道もあったかもしれませんが、その危険性について、人々は大変敏感でした。その当時の日本の報道は、後で見ましたが、どれも「遠い外国の事故」という印象でした。チェルノブイリの事故ですら半年後には人々の記憶からすっかり遠ざかっているようでした。日本の原子力発電は安全なもの、日本の産業を支える大切なものとされ、一部の反対意見は抹殺されているような勢いなのが気になりました。


この「原発のウソ」はあまり原子力発電や放射能についての知識のない人でもとてもわかりやすく解説されていると思います。放射能は目に見えないものだけに厄介ですが、今一般向けのテレビなどで報道されているヨウ素やセシウムだけでなく、もっと有毒なストロンチウムやプルトニウムのことを考えるととんでもない未来が見えてしまいます。今の状態だけでも私たちの世代だけでは到底解決できない負の遺産を子孫に残してしまいました。


さて話は横道に反れますが、先日佐賀県の玄海原発運転再開の問題で賛成意見の3割が九州電力の関係者のもので「やらせ」であったと報道されていました。このような福島の事故に遭いながらも安全よりおカネで動こうとする政治や電力会社、その他の大企業の体質が少しだけ明るみに出たってことなのでしょうね。先月、東京電力(その他の電力会社も似たり寄ったりですが・・)株主総会で株主提案された脱原発提案は否決されました。

こんな地震国に54基もの原発を作ったのは誰でしょう?
安全よりもやっぱりおカネに目がくらんだ人間たちが、反対する人々を排除する形で作り上げてきたのです。政治家と企業です。でも、その政治家を選んだのは私たちなのです。

菅首相の不信任案が提出された時、友人の一人が「そんなに駄目な首相なの?」と聞きました。その時私は「だれがやってもかわらないような気がするけど・・・」と答えたのですが・・・。不信任案が否決されて、ちょっとは政治家たちのばかなにらみ合いは収まるのかと
思ったらますます混迷するばかり・・・。

でも・・・最近ちょっと考え方が変わりました。菅首相が浜岡原発を止めることを決断したことに始まって、今回の玄海原発のストレステストの提案を思うと・・・首相の脱原発の方向性が見えてきたような気がしてきました。なんだか菅首相が一貫性がなくてわかりにくいのも反体制派総理の隠れ蓑なのでしょうか。のらりくらりと見えても実はその心は脱原発・・・???

ただ、はっきりしていることはたとえ脱原発方針をとったとしても、原発というのは火力発電所のように止めておしまいということにはならず、その後ずっと燃料の冷却や使用済みの燃料の管理に大変な額の経費がかかります。欲の深い人々がそんなことを簡単に受け入れるはずがありません。あまりストレートに脱原発を進めると後の処理のおカネがついてきませんからねえ~。

震災後しばらくして偶然テレビで見たのですが、「3月11日以前戻ることができたらどんなにいいだろう。」と話し始めた原子力安全委員会のM委員長の会見を腹立たしく思った人は多いかと思います。そんなこと被災者だって同じなのです!!

実は菅首相はどんなにみんなに(おカネで動く政治家や大企業に)嫌われてもホントは脱原発へ引っ張っていこうと粘ってのことなら、現在、生活に困る人は確かにたくさん出てくるかもしれないけれど私たちの子孫のことを考えたら、徹底的にブチ壊していただいたほうがよいのではないかと思うようになりました。

私が子供のころ、地球の人口は30億人でした。今は70億人です。
私が子供のころ、家にエアコンはありませんでした。当時は木造の平屋建てでした。夜は蚊取り線香を焚いたり、蚊帳を吊ったりしていました。テレビや冷蔵庫も小さなものでした。
多少の浮き沈みは見たものの、高度成長時代で人々の生活がどんどん豊かになっていく様子を見て育ちました。

エネルギーの大量消費の時代を迎えて、便利で物があふれている時代に育った子供たちは豊かなエネルギー消費が当たり前です。私たちも私たちの親の世代も便利な生活の恩恵を受けています。
でもそのエネルギー消費を支えるために人間は原子力発電というとてつもなく危険なものを作ってしまいました。

この本はそんな現在の生活を見直し、自分自身の意識を変えるための第一歩としてはとてもわかりやすく解説されているいい本だと思いました。

毛沢東のバレエダンサー  リー・ツンシン著  井上実訳

2010年09月08日 | その他
今まで経験した中でいちばん暑かったかもしれない今年の夏は、夏バテだと悲鳴をあげている暇もないほどの忙しさの中で過ぎていきました。ようやく、ほっと一息の今日は台風の影響で久しぶりの雨です。

先日、ある雑誌の今年8月公開の映画「小さな村の小さなダンサー」の紹介記事を読んで、何となく原作「毛沢東のバレエダンサー」に興味を持ったので、(映画はまだ見ていないのですが、)先に読んでみました。

これは著者リー・ツンシン氏の自伝です。毛沢東の政権下1961年に中国山東省の貧しい村に生まれた彼は11歳の時、江青(毛沢東の妻)の文化政策によるバレエの英才教育に選抜されます。きびしい審査を経て全国から選抜された少年たちの中でさらに人一倍努力した彼はアメリカへ留学します。

しかし西側の生活を知った彼はアメリカへ亡命し、その後世界的なバレエ・ダンサーへの道を歩みます。

この本で興味深いのは一つは著者リー・ツンシン氏のBreakthrough(ブレイクスルー)の精神です。英語の意味は進歩、前進、また一般にそれまで障壁となっていた事象の突破のことですが、激動の中国で共産圏下の不合理な決定とも戦いながら這い上がった彼の底力に敬服です。

もう一つは、中国の社会的背景です。私が子供のころは中国とは国交が回復していませんでしたから、学校教育の過程では、東西の冷戦状態については学びましたが、中国について印象に残っているのはもっとずっと古い時代の歴史的なことばかりでその時(文化大革命の最中)一体どうなっているかを詳しく知ることはほとんどできませんでした。文革が中国全土を徹底的に混乱させたものだったということを知ったのは、ずいぶん後になってからです。

リー・ツンシン氏は江青の支配下にあった北京舞踏学院に入学するまでバレエとはどんなものかすらわからなかったそうです。突然11歳の子供が政府の政策によって運命を決められました。政府が個人の生き方を決めてしまう・・・(もちろん貧しさから這い上がりたいという彼の希望や家族や周りの人々の期待という重圧を担っていたわけですが・・・。)

現代の若い世代の人々についてはよくわかりませんが、文革を経験した人々の多くが多かれ少なかれ政府に運命を翻弄されたと感じているようです。現在はたくさんの中国の情報が入ってきますから、それを裏付けるような話を読んだり聞いたりするようになりましたが、小平の時代以後、私が直接出会った中国の人々からも聞いたことがあります。

今や経済的にも著しい成長を続ける中国ですが、この本では文革の時代の貧困や政府の圧力だけでなくで貧しい村に生まれた彼の目を通して描かれた人々の家族愛には心温まるものを感じます。

久しぶりにいい本だなという印象を受けました。

納棺夫日記  青木新門 著

2010年03月09日 | その他
先日、去年話題になった映画「おくりびと」を見ました。二度目です。最初に見た時、率直に「いい映画だなあ」と思ったので、もう一度見たくなり、DVDで見ました。何だか急に原作も読んでみたくなり早速購入して読みました。映画とずいぶん雰囲気は違いますが、ここしばらく、「忙しい!」を連発し、バタバタと動き回っていた私には、とても静かな気持ちに導かれるような貴重な読書の時間となりました。

これは、去年、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞して話題になった映画「おくりびと」の原作と言われています。(但し、『ウィキペディア(Wikipedia)』には、「1996年、本木雅弘が『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、青木の自宅を訪問し、一旦は本木を主演とすることを条件に映画化を許可するものの、映画の脚本の結末が小説と異なることを理由に、映画の原作とすることを拒否する。映画『おくりびと』は、青木の意向により『納棺夫日記』を原作として製作していない。」とあります。)

「納棺夫」とは、永らく冠婚葬祭会社で死者を棺に納める仕事に従事した著者の造語なのだそうです。

第一章を読み始めるとすぐにこの本の主題とは直接関係ありませんが、私の好きな作家の一人「吉村昭」氏と妻の「津村節子」氏の名前が出てきます。これもまた何かもう一つ別の発見をしたような気持ちになりながら読み進めていきました。何故なら、青木氏は、吉村夫妻の一言で小説家を志望したことで、結果的には、納棺の仕事へ導かれる道を作ることになってしまったかもしれないからです。

喫茶店を経営する傍ら小説家を目指していた青木氏は、店の経営に失敗し、大きな負債をかかえます。我が子の為に、生きていくために 湯灌、納棺の仕事に携わることになった青木氏はやがて周囲の偏見や差別に見舞われます。

(映画ではモックンが演じるオーケストラのチェロ奏者が運営資金に困ったオーナーから、オーケストラ解散を言い渡され失職し、納棺の仕事に就くところからストーリーが展開します。)

葬儀社から呼ばれると集まった死者の家族と親族の前で、死んだ人に化粧をし、絹の白帷子を着せて棺に納める仕事・・・。妻にまでけがらわしいと叫ばれてしまいます。

この本では古代から日本に根付くハレやケガレについての考え方が、丁寧に説明されています。そしてやがて厳かな人間の生と死の根源へ導かれていくような気がします。

偏見から尊敬へ・・・

第三章の「ひかりといのち」の不思議な光については、印象的です。

率直に言って余計な修飾語を並べるより、第一印象はひと言「きれいな文章だなあ。」と思いました。それは決して汚いことが書いてないとか、きれいごとばかり並べてあるとかそういうものではありません。

死者を見つめながら生を見つめていくといつもは忘れているとても大切なものが見えてくるような・・・。

もう二十年以上前のことですが、母が亡くなった時、私は棺に納められた母に最後の口紅をさしました。癌の苦しみから開放された母は何だかとても穏やかな顔をしていました。

この世に生きる私たちにとって、近い親族の死は、痛切です。


時空を超えてずうっと昔の大切な忘れ物を取り返しにいくいような・・・。とても静かな余韻が広がる読後感でした。










半島へ、ふたたび  蓮池薫 著

2010年03月05日 | その他
先日、友人のひとりYさんが「今、これ読んでるの」と言ってこの本を見せてくれました。

その後、前回の記事に書いた「孤将」をアマゾンで購入した私のもとへアマゾンからこの本のお薦めメールが来て、Yさんのことを思い出しました。そこで早速、この本と蓮池さんが訳された「私たちの幸せな時間」「ハル 哲学する犬」などを続けて読みました。

蓮池さんの文章はとてもわかりやすく読みやすかったです。

蓮池 薫氏は1957年生まれで、1978年7月31日、中央大学法学部3年在学中に当時交際していた女性とともに、新潟県柏崎市の海岸で北朝鮮工作員に拉致され、24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされた方です。2002年10月15日帰国後、新潟産業大学で韓国語の非常勤講師・嘱託職員として勤務するかたわら、中央大学に復学し、2005年に『孤将』で翻訳家としてデビュー。その後次々に訳本を出版しながら大学も卒業。現在は、新潟産業大学国際センター特任講師。新潟産業大学専任講師をされながら翻訳活動をされているそうです。


24年間の北朝鮮での過酷な生活の記述はそれほど多くはありませんが、たいへんな苦労をされていたことが感じられます。また蓮池さんの置かれた環境に対する柔軟性と力強さのようなものが伝わってきます。

前半の第一部は韓国旅行が中心で、後半の第二部は翻訳の仕事につくまでの道のりとその後、これからへの模索です。

第一部の後半の「韓国と北朝鮮が、古朝鮮、三国時代から継承されてきた同じ伝統文化の根を持つ、一つの民族であることも改めて認識した。」という文章が印象的でした。

今から10年以上前ですが私自身がソウルへ行ったときのことも思い出しながら、興味深く読みました。ツアーではなかったので、出発前のにわか勉強とは言え、ハングルもかなり勉強していったつもりでしたが、ソウルの街を歩き始めると中国と違って看板は本当にハングル文字ばかり、せっかく来たバスの行き先を読んでいるうちにバスが行ってしまうようなありさまで、かなりの珍道中・・・。反日感情を感じることはなく、人々は観光客の私には親切でした。そして「街並みも人々の雰囲気も中国よりもずっと日本に似ている!」・・・そんな印象でした。
日韓の歴史的背景を思えば、複雑な気持ちにもなりますが、「ああやはりお隣の国なんだ!」というのが実感でした。

サッカーの日韓のW杯共同開催や「冬のソナタ」などから始まった日本の韓流ブーム、さらにインターネットの充実などで韓国の情報もずいぶん身近になりました。でも南北の問題やまだ解決しない拉致問題などを考えると複雑です。


さて、第二部は翻訳家蓮池薫氏誕生のエピソードとその後ですが、最終ページの「北朝鮮に奪われた24年を取り戻すために」に凝縮された蓮池さんの想いがこめられているような気がしました。

そしてまた、私自身もいろいろな国へ行ってみた経験上、特に感じるのは、文化の違いは確かにあるけれど一人ひとりの人間については、民族や人種に違いがあるのではなく、どの国にもいろいろなタイプの人がいるということかなあと思います。

プライドも肩書きもすべて背景を取り去ってしまえば人間の心の本質的な感情に国境はないように思います。


最後に蓮池さん翻訳、孔枝泳さん作の「私たちの幸せな時間」は、とても感動的な話です。器用に生きることができなかった人間の悲しさが余韻となって残ります。そこには大きな問題提起が含まれていますが・・・。

幸せな時間・・・・・!? それは心の持ちようでも違ってくるでしょうけれど・・・。


24年間の北朝鮮での生活を余儀なくされた蓮池さんのこの「半島へふたたび」には本当にいろいろな想いが詰まっていることを改めて感じました。


田村俊子 瀬戸内晴美著

2009年11月13日 | その他
以前このブログにも書いた津村節子氏の「智恵子飛ぶ」の中に高村夫妻が作家「田村俊子」と親しかったという記述がありました。以前から平塚らいてうなど明治末期からの女性解放運動に関わった人々の中にその名を見たことがありましたが(実際には平塚らいてうとは仲良くなかったみたいですが・・・)まだ読んだことがなかったのでインターネットで検索していくうちにこの本と出会ったので、早速こちらの方を先に読んでみました。



初版は1961年で当時文壇で乾されていた若き日の瀬戸内寂聴(晴美)さんがこの本で高い評価を受けて再び認められるようになったとのこと。私小説的な展開で「田村俊子」を紹介しています。

寂聴さんはこのとき第1回田村俊子賞を受賞しています。遺族のない俊子の印税が後輩に送る文学賞になり17回まで続いたそうです。



一読して作家「田村俊子」に対する印象はひとこと「すごいなあ!!」と思うばかり・・・。それはただもうその奔放な生き方に驚くやら呆れるやら・・・。もしこんな人がそばにいたら大変だなあと思うばかり・・・はっきり言って人間的にはとても褒められた人ではありません。私ならとても付き合えない・・・。でも・・・不思議・・・いくら借金を踏み倒されても、着物を持っていかれても、何故か彼女に手を差しのべたくなる友人たちが何人もいたのですから、何か特別な魅力を持っていた人なのでしょう。この本の中で紹介される俊子の文章の随所にまた寂聴さんが調査の過程で出会った人々の思い出話の中にそれが覗えるような気がします。



作家田村松魚と結婚していた頃、俊子は作家としての全盛期を迎えます。でもせっかく入った原稿料を湯水のように使い、すぐ生活に行き詰まり、また書き、また使う・・・。

借金は片っ端から踏み倒し、恋もしたい放題、家の中がひっくり返るほどの夫婦喧嘩をし、妻子ある年下の男と恋に落ち、恋人を追いかけてカナダへ、五十を過ぎて帰国しても相変わらず友人には迷惑のかけっぱなしで、娘ほどの歳の女流作家の夫を誘惑する・・・それでもたくさんの友人たちに支えられて・・・自由を求めて生き続けます。1945年4月、終戦を知らずに俊子は上海でこの世を去りました。60歳でした。



先日久しぶりに北鎌倉へ行きました。田村俊子の墓所は北鎌倉の東慶寺にあるそうです。その日は、東慶寺へは行きませんでしたがすぐ近くを通りました。「ああこの近くに田村俊子の墓があるんだ。」と思いながら歩いていました。

家に帰ってからインターネットの青空文庫で一編だけ紹介されている田村俊子の「木乃伊の口紅」を読みました。木乃伊は《みいら》と読むそうです。約百年前の世相と男女の感情の機微が流れるような文体で連なっています。田村松魚との結婚生活が土台になっているような小説です。なるほどうまいなあ!という印象を受けます。



自由を求めて自分の道を貫き通して生きてきた寂聴さんが若き日に書いてもう一度世に送り出された20世紀初頭の自由人「田村俊子」。不思議な魅力を改めて発見したような気持ちでした。

まもなく鎌倉も紅葉が見ごろの時期を迎えます。今度は駆け込み寺の異名を持つ東慶寺にも足を運んでみようかと思っています。

下流志向   内田 樹 著

2009年10月22日 | その他
この本は何故、日本の子供たちは勉強を、若者たちは仕事を、しなくなったのかについて分析されています。

日本は欧米諸国に比べて教育費にお金がかかり過ぎるし、最近の景気低迷を受けて、新政権も高校の授業料の無償化について検討しているようですが・・・。肝心の子供たちに学習意欲がなかったらいくら枠組みをよくしたってこの国を背負っていく次の世代に希望が持てません。まず環境を整えれば子供の意識も変わっていくだろうという意見もあるようですが、この本を読むとそれほど生易しい問題ではないように思われます。

戦争の苦労を体験した親たちに育てられた私たちの世代とその後に続く世代が育てた子供たちや若者たちの現実を改めて突きつけられたような感じです。

この本の著者の内田先生の論理を100%受け入れられるかどうかは微妙ですが、確かにそうだと頷ける部分が多く感じられました。

「何のために勉強するの?」

「何のために働くの?」

最近、インターネットでも、その他のマスコミでもこの問いかけによく出会います。

「等価交換」・・・この本でもっとも印象に残った言葉です。

私たちはその価値を知らない商品は普通は買いません。十分な商品情報を持って適切な商品を選択できるものが賢い消費主体とされます。

「ひらがなを習うことにどんな意味があるのですか?」こんな質問が出てきたら普通の大人ならびっくり!!私たちはそんなこと考えて文字を学んだことはなかったからです。でも・・・今はホントにその辺からぐらついてきたのでしょうか??

超少子化の結果、子供は家庭の中で家事労働を覚える以前に両親や祖父母からこづかいをもらい、消費することを覚えます。

まず消費主体として人生をスタートした子供たちは以後自分の前に差し出されたものを「商品」として捉えるのです。ということは嫌なものは買わないということにもなります。

それでも押し付けられる時、(つまり通常の貨幣が通用しない時)
子供たちは不快という貨幣で教師の提供する教育サービスと等価交換しようとすると言うものです。

起立 礼 着席

ずっと以前から続いている日本の授業の挨拶ですが、だらけた姿勢で立ち上がり、いやいや礼をし、のろのろ着席・・・授業中私語は延々続く・・・のだそうです。
でもこれは、私たちの時代にもあった光景でした。中学や高校時代、面白くない授業でみんなに嫌われている教師の授業はクラスで団結してこのような反抗を試みたことは何度もありました。唯、教師に一喝されれば仕方なくやり直し、以後私語は慎みました。当時は未熟な教師でも一応、生徒との関係はその程度に保たれていたように思います。

「年々、子供の授業態度が悪くなっていく」と教師をしている私の友人たちが異口同音に投げかける言葉です。

どうして今のような授業マナーが定着したのでしょうか??

ここには「捨て値で未来を売り払う子供たちを大量に生み出してしまった社会ができてしまった過程」に対するなるほどと納得したくなる理由が述べられています。

義務教育による勉強は私たちの頃からつまらないものがたくさんありましたから、
意欲がわかないときもたくさんあったと思います。

でも、学ぶと言うことはもともと人間の本能的な欲求であると思います。

ただ、泣くだけだった赤ん坊が2歳くらいまでにはいくつかの単語を話し、3、4歳では文章を話し、5、6歳くらいになると会話がしっかりできるようになります。両親や周りの人々の言葉を必死で学んで獲得した言語です。

私たちが子供のころ、これは何故学ぶのかいちいち考えたことがあったでしょうか?
子供の学びと言うのは理由なんて考えないで学べるものは何でも吸収する、どのように役立つかは後でわかるものであったような気がします。


この本の中に「大学教育の場にシラバスというジョブディスクリプション(学びの行程を最後まで一望できるように教師が講義の前に作成するもの)を持ち込んだことは教育の自殺行為である。」という部分があります。確かに私が学生の頃、そんなものはありませんでした。

 ああそうか・・・これも等価交換かあ・・・

あとでちょっと調べてみましたが、現在はほとんどの大学で採用され、講義を担当する教師たちは毎年大学の事務にこれを提出し、学生はそれを見て受講する講義を決定するのだそうです。


さて、もうひとつのポイントは「自分のことは自分で決める」という「自己決定権」の固執です。インフォームドコンセントににより患者が治療法を選択するつまり自己決定する方法などは大人の世界は、これが当たり前になってきています。

それなら出世より、自由を大切にする??若者だって同じ論理です。
でも本当はどうなんでしょう??
自己決定はよいことであるという社会はすべての人が責任逃れをしている社会ともいえるのではないでしょうか。

最後まで読み進めると学ばない子供たち、働かない若者たちは必ずしも自分の意思ではなく、大きな社会の力に押しつぶされているということを感じます。(内田先生はイデオロギーに誘導されているという表現をされていますが・・・)

経済成長の副産物なのでしょうか。

これは先日立ち寄った京都市の〇〇書店の文庫売上げNO.1のコーナーに置かれているのを見て思わず、購入しました。その後首都圏に戻ってからはまだゆっくり書店へ行っていないのでわかりませんが、関東ではどうなんでしょう??

この本は社会への大きな警鐘であると思いました。

選ばれる男たち 女たちの夢のゆくえ 信田さよ子著

2009年10月19日 | その他
以前友人の一人から信田さよ子さんのブログ(信田さよ子blog ブックマークをクリックしてみてください。)のことを教えて頂き、時々拝見していました。その著書紹介の中でちょっと興味をそそられて購入したのがこの本です。

著者の信田さよ子さんは原宿カウンセリングセンターの所長さんです。カウンセラーとしての経験を基にDVなど家族の問題についての著書も多く、また全国各地で講演活動などもされていらっしゃるようです。

この本は中高年の・・著者の言葉を借りて言えばアラカン(アラウンド還暦)の女性たちの結婚観、男性観が述べられています。それはアラカン世代に続く1950年代に生まれた女性たちにとってもほとんど変わらないかもしれません。


戦後、学校教育の現場ではずっと男女平等を教えられてきましたが、なんだか多くの女性たちが抱える悩みは本質的にあまり変わっていないことに改めて気づかされたような気がします。

それはとても簡単なことなのですが、ずっと続いてきた男尊女卑という社会構造の中で育った多くの男性たちは、わからないか、わかろうとしないようです。あるいは本音はわかりたくない・・・・のでしょうか。


第一章は夢の男を求めて奔走するSST(しみ・しわ・たるみ)のアラカン(アラウンド還暦)のおばさまたち・・・まあ私にとってはこれからの私自身の手本か反面教師になるかもしれないお姉さまたちなのですが・・・
ヨン様に夢中になったところで現実の夫たちにはそれほど害はなし・・・でもそのミーハー的なパワーは凄まじく、男性報道陣にも呆れられる始末なのです。

なんでこんな記述が長いの??と最初は思いました。
確かにヨン様や〇〇王子様たちはイケメンで美しい男かも知れません。私と同世代や年下の友人にも彼らのファンは何人もいます。でも私はミーハー的に夢中になるエネルギーが今のところ全く出てこないのでSSTのお姉さまたちの行動はいつも複雑な気持ちで眺めていました。

でもこの一見退屈に思えた第一章が実はとても重要で、第二章以降を読み進めるうちにこの現象の謎が解けていくような気がしました。


さて第二章は深刻な第三章へのステップでもあります。私たちの世代も余変わりませんが、アラカンの人々の青春時代、女性たちが理想とする女性像は男性が理想とする女性像と大きな違いはなく、男性からみたらかわいい女であり、結婚はその延長線上にあり、結婚後はかわいい妻であることがしあわせをつかむ条件だと考えていたように思います。

もちろん、当時は高学歴の女性たちも同様で、多くの場合、結婚してもずっと同じ仕事を続けられる人はごくわずかでした。だからこそ「結婚は人生最大のギャンブル」とまで言われたのです。

以前このブログで柴田翔の「されどわれらが日々」について書いたことがありますが、あの小説に登場する1960年代の節子は大卒で社会に出ていく能力も持ち合わせていましたが、自分の気持ちに正直になりすぎて悩みます。でも当時の男性も節子を生意気だとは思わなかったでしょう。柴田氏は節子をかわいい女性として描いているからです。

一方男性たちは学生時代のいわゆる就職活動のころから、実はしっかり男社会の基礎の中に組み込まれ、その後長年企業社会の中で働きながら身につけてきた信念を家庭の中に引きずり込み女性たちの結婚生活の理想をぶち壊していきました。

夫たちが「家族は妻子を養っている自分のためにあるのだから家族は自分に都合よく回るべきであり余計なエネルギーを割く必要はない」と考えたらどうなるでしょう?

夫たちは会社の不快を家庭で不機嫌という表現で撒き散らしました。家庭はあたかも彼らの解放区であるかのようにふるまう夫たちがどれほど多いことでしょうか。

おばさんたちの王子様への情熱は彼女たちの夫たちの信念へのレジスタンスなのだそうです。


さて後半はいたって真剣にこの本に向き合わされることになります。

DVという言葉が世間で広く知られるようになったのは最近のことです。ここでは内容は省略しますが、第三章のA子さんやB子さんの事例は言葉をなくすほど深刻です。男性の読者ならどう感じるでしょうか。

でも女性の読者の多くはそれなりに共感できるのではないかと思います。
細かいところはわからないのでなんともいえませんが「ここまでひどい状態によく耐えてきたなあ」と感じるA子さんやB子さんがアクションを起こしたことについては「よくやった!!」と感じます。おそらく同じような悩みを抱える女性たちを勇気づけることだからです。


さて、ここでDV加害者プログラムにも関わってこられた信田さんが加害者側の言い分について書かれている部分があります。

多くの加害者が深い被害者意識を抱いているという記述が言いようのない複雑な感情に私を引き込みました。

自分では全く正しいと思っていることに妻は従わないどころか時には戒律を破った理由を正当化したりする彼らは信じられないと憤慨する・・・

だから暴力を奮うの??

殺人犯が殺人を犯す時自分の正当性を説明するでしょうか。

相手が妻だから・・彼らは妻への大いなる期待と依存を当然と考えているからなのです。

「妻なんだから言わなくてもわかるだろう」

ああこれくらいはどの夫も言うだろうということは想像できます。そして彼らは自らが持つ権力性についても自覚がないのです。

夫婦がお互いに人間として認め合う「君は僕と同じ人間だが、君を思い通りにはできない。」つまり「完全なる所有ではない」ということをアラカンのあるいはそれに続く1950年代生まれの男性たちはどう認識し、家庭で妻と向き合っていけるでしょうか。

ヨン様や王子たちあるいは草食系の男子・・・彼らは結婚という制度の枠外に位置し、あくまでも夢の男にすぎません。

私の友人たちの中で少し親しくなると夫の悪口を言わない人はほとんどいません。
(もっとも男性たちだってどこかで妻の悪口を言っているのでしょうけれど・・・。)

30年余の結婚生活を過ごしてきて、自らの結婚を「幸せな結婚ができてよかった」と胸をはっていう友人はほんのわずかです。その彼女たちだって他に家族の問題をかかえていないわけではありません。


男尊女卑の社会構造と生物学的力関係がDVと無関係だとは思いません。DVは人種や民族を問わず世界各地で存在すると言われています。今世界各地の女性たちがこの問題と向き合おうとし始めました。

苦しかった過去、忘れたい過去を背負った人々だからこそ「所有物ではなく妻をひとりの人間として認めて欲しい!」女性たちの叫び声が響いてくるような気がします。

これは夫婦のあり方を考える意味でもたいへん意義ある一冊であると思いました。


紫禁城 入江曜子著

2009年10月05日 | その他
現在故宮博物院となっている北京の紫禁城は、明朝三代永楽帝の造営だそうですが、現在の形はそのほとんどが清朝の時代とのこと。この本は1644年に始まる清朝の歴史に沿って解説されています。

先日加藤徹氏の「西太后」を読んだ直後でしたので、西太后やその周辺の時代について入江曜子氏のやや異なる視点も興味深いものでした。

清王朝の栄枯盛衰、歴代の皇帝と共にその多くは薄幸ともいえる皇后や側室たち・・・また少数派の満州民族が漢民族にどう君臨したか等々・・・。

また、ほんのわずかですが、終章の芥川と魯迅についての記述が印象的です。

日本の天皇に関しては古くから信じるかどうかは別として万世一系といわれてきましたが中国では「天使は天の命によって天子となるので、天子に徳がなくなれば天の命は他の人に下るー天命が革まり天子の姓が易(か)わる」とされ、王朝の交代が起こってきました。

紫禁城の入口とも言える天安門は天子である皇帝が天の受託をうけたことを象徴する場・・・「天と地をつなぐ場」とされてきました。

中国が清から中華民国へそして中華人民共和国へ移り変わり、紫禁城すなわち故宮は博物館となりました。


1989年6月4日、民主化を求めるデモ隊と軍や警察とが衝突して多数の死傷者を出した天安門事件は記憶に新しいところですが、やがてまた天安門広場は北京有数の観光名所として、盛大な式典の場として広く世界に紹介されています。

もう十年以上以前のことですが初めて故宮へ行ったとき、その厖大さに驚きました。その佇まいはなんともいえない威厳を感じます。


2009年10月1日、中国は第60回目の“国慶節”を迎えました。言い代えれば中華人民共和国が還暦を迎えたってことでしょうか。(もっとも正確には10月1日は中華人民共和国中央人民政府が成立した日で実際の中華人民共和国の成立した日は1949年9月21日のようですが・・・。)

日本でも中国の盛大な国慶節の様子が報道されていました。このとき久しぶりにテレビでニュース番組などをじっくり見た私はかつて見た天安門広場の光景と映画ラストエンペラーなどで見た皇帝就任の式典の様子を思い浮かべていました。日本の報道陣は皆ここからマイクを持ってあれこれ様子を伝えていましたから。

北京オリンピック開催も成功し、もうすぐGDPで日本を抜き米国に次ぐ世界第2位の経済大国となることがほぼ確実な中国・・・・。この本を読み終わったばかりの私は「ああそうか!今は胡錦濤の時代なんだ!!」 そんな想いが浮かんできました。

   天安門は天子である皇帝が天の受託をうけたことを象徴する場
                   ・・・天と地をつなぐ場

もちろん、現在は「天の受託って何?」という感じの世の中になったのかもしれません。中国も日本も政治経済その他いろいろ実にギクシャクしたものをたくさん抱えている世の中でもありますから・・。でも、ふっと雑念を振り払って、向き合ってみると人の心を動かす建物と歴史の威厳は健在そうです。

西太后     加藤 徹 著

2009年09月14日 | その他
いつのまにかススキの穂がたくさん出てきてもうすっかり秋です。

さて今日の本は加藤徹氏の「西太后」です。

十代の頃から歴史を学ぶことは好きでしたが、受験科目にも選ばなかったので、日本史も世界史も歴史の先生が念仏のように唱えた語呂合わせの年号の他は無理やり覚えることもなく気まぐれに歴史書を読むことで私の歴史観は組み立てられました。

今もずっとその延長線上で気まぐれさは変わりませんが時々新書程度のダイジェスト的な歴史書や歴史上の人物について書かれた本を読みます。
それはまるで私の頭の中の厖大なジグソーパズルを少しずつあてはめていくような気分でもあります。

三十代の時、書道で漢字を学ぶようになった頃から、その成り立ちや書体の変遷と共に中国五千年の歴史についての歴史書や物語などに特に興味を持つようになりました。今では中国史についてもずいぶん強くなったつもりでいました。

でも今回読んだ加藤氏の「西太后」は私の西太后のイメージをかなり覆すものでした。つまり私のジグソーパズルも西太后の部分は何枚も入れ替えることになったのです。


さて前置きが長くなりましたが西太后とは清朝末期の咸豊帝の側室で同治帝の生母です。そして咸豊帝の死後皇太后として半世紀近くも清朝に君臨しました。
漢の高祖(劉邦)の皇后の呂后、唐の高宗の皇后の則天武后と共に中国史上の三大悪女と言われています。

しかし、その強烈なキャラクターは事実以上に脚色され、また生い立ちや宮中に入ったいきさつも説が様々で謎に包まれカリスマ性も強かったことから、考えようによってもは現代に至るまで中国の歴史の中でもその時の政治体制にふさわしいように語り継がれていたようでもあります。

西太后にとって我が子同治帝はわずか19歳で病死し、咸豊帝の弟の子(生母は西太后の妹)が皇帝になります。光緒帝です。彼女はこの時もまたまだ幼い光緒帝に代わって清朝を支えますがやがて成人した光緒帝に一時期政権を譲ります。
この光緒帝の親政時代に清は日清戦争で敗北します。
やがて日本の明治維新を参考に光緒帝はクーデターを起こそうとしますが失敗、幽閉されました。(戊戌の政変1898年)

以後十年西太后は再び権力の座につくことになりました。

西太后については物語や映画も数多く作られていますし、日本にもたくさんの文献があります。政治家としてもすぐれた資質を持っていたからこそ衰退した清を長く存続できたもかもしれないとも言われていますがその逆であるとも言われています。いずれにしても西太后の死後わずか三年で清は滅びてしまいました。

でも贅沢でわがまま三昧な上に、敵対した光緒帝の側室珍妃を井戸に突き落とした(実際には宦官に命じたのですが事実と伝えられています。)西太后の残虐なイメージが若い頃から焼きついていたので私はいくら偉大でもずっと嫌な人物と感じていました。

はっきり言ってしまえばこの本は私にとって西太后に対して持っていた感情の緩衝材になったようでもあり、また今まで感じていた矛盾や疑問が少し解決したようでもありました。

西太后は案外わかりやすい人かもしれません。

著者のあとがきの
「西太后というキャラクターは満州人であるとか皇太后であるという以前に非常に中国的なのだ・・・」という部分を読んで思わず苦笑してしまいました。

そして1997年にイギリスから中国に返還された香港ですが、永久割譲ではなく99年の租借を決めるにあたって西太后が「たった九十九年くらい貸してやってもよいではないか」と言ったとか・・・。真実はともかく、これには「さすが西太后!」と思いたくなります。中国の長い歴史の中のたった百年、そしてイギリスにとって半永久的だったはずの百年は過ぎ去ってしまいましたから。


この百年の間に 清→中華民国→中華人民共和国と国名が変化した中国ですが

「大清帝国最後の光芒が、今日の、そして近未来の中華人民共和国の運命までをも照らし出していることは、疑いを入れない。」という著者の思いは納得できるものだと思いました。