笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

「落下の王国」 〜いや、今の政治の話じゃありません

2020年12月20日 14時59分51秒 | 映画
衣装デザイン石岡瑛子、という記事を読み、それなら観よっかな〜程度の興味で観た映画。ががが、これが信じられないくらい美しくて、シュールで、そして泣ける作品だったのです。

原題は”The Fall“
主人公は、家族とオレンジ畑で働くルーマニア移民の5歳の少女アレクサンドリアとスタントマンのロイ

2人に共通しているのは、
アレクサンドリアはオレンジの木から"落ち"、腕を骨折して入院し、
ロイは無謀なスタントに臨み”落下”。半身不随の大けがで入院している、
ということ。


好奇心旺盛なアレクサンドリアは自由に病院の中を探検する日々。周りの大人たちもそんな彼女にはとても優しく、ひょっとしたらオレンジ畑で働くよりも"辛くない"かもしれません。それとは逆に、仕事が出来なくなった上に恋人まで失い、絶望のどん底にあるロイ。ひょんなことからアレクサンドリアと知り合ったロイは彼女にモルヒネを盗ませて自殺を図ることを思いつくわけです。

アレクサンドリアを手懐けるために、ロイは“提督”と名付けた悪者に復讐する男たち(実は彼らも復讐という心の闇に"落ちた"者たち) の物語を聞かせます。



ロイの物語に夢中になるアレクサンドリア。彼女の頭の中では病院生活で見てきた大人たちが登場人物となって現れます。防護服を着たレントゲン技師は悪の提督の兵士たち、荷物運びの黒人労働者は屈強な勇者、そして彼らのリーダーである仮面の山賊はアレクサンドリアの父親です。
物語の世界は一点の曇りもない豪華な極彩色の世界(13か所の世界遺産、24か国で撮影されてたそうです)。ひょっとしたら天然の明るさと快活さを持つ彼女のみずみずしい心のあり方を表現しているのかもしれません。退屈な入院生活を忘れさせてくれるロイと彼の物語はアレクサンドリアの心の支えにもなっていったことでしょう。

そして、いつの間にかアレクサンドリアは単なる物語の聞き手ではなく、仮面の山賊の娘(しかも山賊はいつの間にかロイになり)として物語に登場するのです。男たちの危機を助け、物語を中を自由に飛び回るアレクサンドリア。ところが目の前で話をする現実のロイの心は徐々に病み始め、同時に物語も絶望に包まれ始めます。男たちはひとりふたりと提督の兵士たちとの戦いで命を落としていき、山賊のロイまで提督に殺されそうになってしまうのです。

そんな悲しい物語はいやだ。大切な人が死んでいく物語はいやだ。

ロイのためにモルヒネを持ちだそうとして足を踏み外し大怪我をしたアレクサンドリアに、「(どんな結末にしようと)これは俺の物語なんだ!」と叫ぶロイ。

「ちがう、2人のよ!」(←もうね、おばさん号泣よ。。。)

アレクサンドリアが求めるのは“希望の物語”なんですね。
現実には父の死を遠くから見るしかなかったアレクサンドリア。せめて物語の中では父を助けたい、死んでほしくない。それは小さな女の子の、ささやかな夢でもあったのでしょう。

そしてロイが彼女に聞かせたのは、「提督との戦いに勝ち、しっかりと娘の手を握る山賊の父親」の物語。
山賊である父親(ロイ)を見上げるアレクサンドリアの笑顔を、現実のロイもきっと見たことでしょう。

映像といい、物語といい、アレクサンドリアといい、この作品一度観たら忘れられないわ。音楽はベートーヴェン 交響曲第7番・第二楽章(「英国王のスピーチ」でも流れてた!)

ところで、ロイ役のリーペイス。どこかで聞いたことがあるような、、、と思って検索したところ、「ホビット」のスランドゥイルでございました!


アレクサンドリア、今もロイは元気に銀幕で活躍してるよ~(^^)/


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