笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

コレッリ ~なんと、バッハもビバルディも!?

2016年10月22日 19時25分45秒 | 音楽

昔から、バロック時代の室内楽曲が好きで、最近のヘビロテが「コレッリ」のこのCD。
きっかけは、川井郁子さんがテレビ番組で演奏していた「ラ・フォリア」

美しい川井さんも勿論素敵だけど、「ラ・フォリア」の旋律にビビビ。
なんか、ビバルディしているな~。いいな~。と早速ネットで検索すると、
以下、グーグルより

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ヴィヴァルディより25年、大バッハやヘンデルより32年年長にあたる。合奏協奏曲、トリオソナタ、ヴァイオリンソナタで知られる。

しかしながら、コレッリの器楽の作曲は室内楽の歴史に一新紀元を画し、彼の影響は自分の国の中に留まらなかった。ヨハン・ゼバスティアン・バッハはコレッリの作品を研究し、コレッリの作品3(1689年)の主題に基づきオルガンのためのフーガBWV.579を作曲した。またコレッリは、アントニオ・ヴィヴァルディに最も影響を与えた人物でもある。ローマの音楽界は多くをコレッリに負っている。

コレッリの全作品はCDでも12枚程度と極めて少なく、多くの作品を破棄したと考えられているが、事の真相は不明のままである。最有力説は「パトロンが作品の推敲を許し、納得がいくまで書き直しできる環境を与えた」とされているが、彼の書式の密度の高さを考えるとありえない話ではない。
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なるほどねぇ。バッハとビバルディ好きならば、当然聴くべき方だったわけですね。知らんかった。
それならばと「ラ・フォリア」が収録されている、価格に無理のないものをひとつ(このあたりが小市民(^_^;))。と、購入したのがこれ。

なんだろう、この心地よさ。。
「ラ・フォリア」はもちろんのこと、どの楽曲もすっと気持ちに入ってきます。。
仕事の手を止めてふと耳を澄まし、気持ちを切り替えてまた仕事に入れる。

ヘビロテは当分続きそうです(^^)
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「真田丸」 ~きり、は菩薩のココロを持つ最強のキャリアコンサルタント!?

2016年10月11日 22時05分56秒 | テレビ

先日、都内某大学の公開講座を聴講してきました。
ちょっと仕事がらみの内容で、テーマは「若者と労働」

主催が大学ですから、学生たちがこれからどのように考えて働くことに向き合えば良いかのヒントを期待されたのでしょうね。なかなか一筋縄ではいかないテーマですが。。

講演では、そのまとめとして、「これまで誰もが島耕作(エリート)を目指していた。(課長島耕作、部長島耕作、取締役、社長、会長島耕作的な成功物語)でもこれからは、そんな島耕作物語を目指すことはない。そもそもこれからの企業では島耕作のようなサスセスストーリーは目指せないし、目指すべきものでもない。」と結んでいました。

エリート、ノンエリートという言葉自体が日本で曲解されいる、と前置きした上で、「ノンエリートでいい。ノンエリートの幸せな働き方ができれば良いじゃないか」と。

もっとも講演者自身、ノンエリートという言葉に若干の違和感を感じていて、ただ別の言い方が思いつかない、とおっしゃってもいました。私もどういう言葉ならしっくりくるかな、って考えていました。

で、この「ノンエリートでなくても良いんじゃね結論」には会場から、「では、子供達にどのように将来の夢を持てと伝えればいいのでしょうか? 」というごもっともな質問があり、(おそらくこの質問者にも、いわゆるエリート=人生の成功者、ノンエリート=成功できなかった残念な人、みたいな意識があったのかもしれませんね←これがそもそも曲解なのだ、が講演者の主張なのですが)この質問には研究分野が異なる講演者も決してうまく答えていたとは感じられなかったのですが、その時、ヒーローってのはどうかな? と、ふと思ったわけです。

ヒーローにぴったりな日本語が私の中でちょっと見当たらないのですが、イメージとしては自分の属するコミュニティにしっかりと根をおろし、真面目に生活をしている、ごく普通の人たち。
例えば東日本大震災のとき、津波が来ることを予測し防潮堤を閉じに行った消防団の人たち。避難してきた人たちのために一晩中お握りを握り続けた人たち。
みんな自分で考え、自分で決めた、自分の持ち場で全力を尽くした人たちだ、と私には思えます。

そんな彼らは、きっとヒーローなんだ思うんですね。もちろん、家族のために頑張って働くお父さん、お母さんだって、ヒーローに違いない。

ヒーローになる、というのはくだんの質問の答えにならないだろうか? と思ったのですよ。
でも、子供に「ヒーローになれ」はちょっと無理がありますよね~(^^;; 意味わかんないし。
いい大学に入って、いい会社に入って、いっぱいお給料をもらって、大きな家を建てて。。。なんて方が多分ピンとくる。。。

そんな考えがずーっと頭の中にあった日曜日。いつものように早丸鑑賞してたわけです。
今回は信繁が「真田幸村」になる大切な局面の回。
そこでの、おそらく作品中初めての、きり、の長ゼリフ。

「大事なのは、誰かがあなたを求めている、っていうこと」
このセリフで、それまでモヤモヤしていた考えがストンと落ちたんです。あぁ、そうかと。

エリートは自分で望めばなれるかもしれない。
でもヒーローは自分でなりたいと望んでなれるものではない。

そうだ。ヒーローは周りの人から求められて初めてなれるもの。そしてヒーローにはその事の当事者になる勇気がいるのだ、と。

回想シーンに現れた、信繁が尊敬してきた人々はみな、人から求められ、勇気をもって自分の持ち場に立ち、当事者として、力を尽くしていた。

「私だって自分なりにしっかりやってきた!」といくら信繁が叫んでも、どの場面でも彼は当事者ではなかった。

観ていた私たちも「いつになったら主人公になるんだぁ」と感じていたはずで、なんと、きり、にも、それが歯痒かったのだ。

自分にしたいことがあったら、当事者になってみろ、と。
ハッタリかましたっていいんだ。求められているってことは 、できると思われているのだから。
そして当事者になって、自分の持ち場で、力を尽くしてみろ、と。

それが、私が愛した信繁さまなのだ、私のヒーローなのだ、とね。(これが彼女の役目だったとわ!)。。。

信繁は、自分の持ち場を得て、力を尽くし、そしてヒーローになったわけなんですものね。

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働くということは、自分の持ち場を持つこと。

じゃ、どうすればそんな持ち場を持つことができるんですか?

きり、だったらこう言うかも。

「誰かに求められて、それをしたいと思ったら、それがあなたの持ち場になるのよ。したい仕事に近づけるのよ」

あなたは誰みたいになりたいですか?
その人のどこにあこがれますか? 
あなたのヒーローは誰ですか?

その姿には追いつけなくても、届かなくても、その姿を目指して、自分なりに力を尽くす。

結局、それをするか、しないか。
ただそれだけのことなんだと思う。
コンフリクト系キャリアコンサルタントのきりちゃん、恐るべし。
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