一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
夢
仕事に余裕があるので草刈りをしたり除草剤をまいたりしています。また忙しくなってくるとできなくなるので。
昨日、娘の学校に授業参観にいきました。理科の授業。パソコンで大型画面に表題をうつし、問題をわかりやすくまとめていく。
自分たちにときとは違うところに少し感動しました。ただ授業を見学しているだけなのですが雨に中行って良かったと思います。
もし、自分が高校時代に戻れるのなら勉強しまくって弁護士になりたいと妻に言いました。そうしたらサラリーマンが一番いいとかえされました。そして
あなたは自分でやりたい職業に今つけているのだから幸せなのよ。
といわれてあらためて恵まれていることに気付きました。
高校時代は夢ややりたいことなどうしても迫られるけどその年齢でそれがわかったら悩まないのではないかと思います。
そもそも自分の夢が本当に正しいことなのかも疑問に思えるはずです。きっと。
やみくもに弁護士になりたいといってもどうしてなりたいのか。法律が好きだからなのか。人助けをしたいからなのか。
多分、そこまで考えられないはずです。
僧侶になりたかったのは自分が仏教によって救われたからです。だからこの法で多くの人のお役に立ちたいと思いました。ただなる前もなってからも壁が何度もあったのは事実です。
弁護士になりたいと今思うのは法律によって社会の中で多くの人を救えることを知ったからです。
でもこれは今世では口だけのことになります。
そういえば高校時代、一時芸能人になりたいと思ったことがあります。ならなくて正解でした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 安全水域 | 忙しく » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |