一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
満身創痍
昨日、作家でエッセイストの林真理子さんがテレビ番組で強く生きるということは満身創痍になることと述べていました。
とかく人は傷つきたくなく、嫌な思いを避けて通りがちです。
でも傷つき、苦しんだことのない人には人の痛みはわかりません。満身創痍とはまさしくボロボロの状態。
まるっきり望んでいない、望むどころかとにかくギリギリのところをなんとか乗り越えてきた人のこと。格好よくもなく、むしろ少し無様。
強さとは正反対な状態です。しかしそんな状態だからこそ本当に強いのだと林真理子さんは伝えたかったのでしょう。
私はこの言葉を聞いて正直、安心しました。何故なら、それでいいのならまさしく自分にもってこいだと思ったからです。
もちろん苦しみや悲しみはひとそれぞれです。この世の中には自分よりも苦しい人生を歩んでおられる方はいくらでもいます。
ただこんな自分は嫌だと思いながら生きている私みたいな人間には思いがけない朗報なようなひびきがあるのです。
満身創痍でいい。
それなら頑張っても頑張ってもまるでダメな人間でも可能な話かもしれません。
私のもつジレンマはそのことで大きく納得のいくものとなりました。
とかく人は傷つきたくなく、嫌な思いを避けて通りがちです。
でも傷つき、苦しんだことのない人には人の痛みはわかりません。満身創痍とはまさしくボロボロの状態。
まるっきり望んでいない、望むどころかとにかくギリギリのところをなんとか乗り越えてきた人のこと。格好よくもなく、むしろ少し無様。
強さとは正反対な状態です。しかしそんな状態だからこそ本当に強いのだと林真理子さんは伝えたかったのでしょう。
私はこの言葉を聞いて正直、安心しました。何故なら、それでいいのならまさしく自分にもってこいだと思ったからです。
もちろん苦しみや悲しみはひとそれぞれです。この世の中には自分よりも苦しい人生を歩んでおられる方はいくらでもいます。
ただこんな自分は嫌だと思いながら生きている私みたいな人間には思いがけない朗報なようなひびきがあるのです。
満身創痍でいい。
それなら頑張っても頑張ってもまるでダメな人間でも可能な話かもしれません。
私のもつジレンマはそのことで大きく納得のいくものとなりました。
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