辻井喬氏の「新祖国論」を読んでいたら、9月30日のブログに書いた上田敏の「海潮音」にふれる一節があった。
「新祖国論」は、辻井喬氏が信濃毎日新聞に一年間掲載したエッセイを一冊の本にまとめたもの。言うまでもなく、辻井喬氏は元西武セゾングループの代表、堤清二氏である。
堤氏は、1974年7月12日から12月27日まで、日本経済新聞の「あすへの話題」というコラムを担当していた。政治から芸術まで、幅広い話題を文学者の筆力で簡潔に書ききる仕事は、私自身の文章修行にもっとも大きな影響を与えてくれた。当時のコラムの切り抜きを貼り付けた大学ノートは、今も私の手元にある。これらのコラムのいくつかは、いまだにそらんじることができるほど、熟読したものだ。
「新祖国論」も「あすへの話題」同様、豊かな知性を背景に現代を鋭く見通す堤氏の面目躍如たる随筆集である。それにしても何と言う碩学ぶり。
上田敏の「海潮音」は、「先人たちが、日本の近代化に払った情熱を思う」という項に出てくる。この項の大要は以下のとおり。
明治維新後、欧米の文化芸術を導入紹介した先人の苦労はたいへんなものであったにちがいない。工業技術や自然科学などは何とか翻訳の言葉を当てはめることができたかもしれないが、哲学や歴史、思想、芸術論などは、そのまま日本の言葉を当てはめても、意味が通じない場合が多かった。したがって、明治の指導者たちは、今よりもずっと多くの原書に目を通さなければならなかったのだ。
上記のような文脈の中で、辻井喬氏は次のように書く。『すくなくとも明治の人たちは、新しい国を興すためには、新しい理念、思想、哲学が必要であることを知っていた。できあいの“手続き民主主義”で間に合うと思いこんでいる今日の指導者よりもはるかに深く物事を考えていたということができそうだ』。
そうして辻井喬氏は、上田敏の「海潮音」からガブリエレ・ダヌンチオの「燕の歌」、つぎにカアル・ブッセの「山のあなた」を挙げてつぎのように締めくくる。
『この詩などは名訳ぶりが、原作の詩境を凌駕しているのではないか。こうした、詩の日本語への移し替えも含めて、僕らは先人たちが日本を近代的な、欧米に劣らない現代文化の国にするために払った情熱を受け取らなければならないだろう』。
「山のあなた」 カアル・ブッセ
山のあなたの空遠く
「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。