疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

あの、愛染恭子が傷害事件で逮捕

2007年04月25日 01時56分10秒 | 紳士専科
80年代の事象を書き綴っていく 当ブログでは、やはりこの事件を
取り上げないわけには行かないでしょう?

あの、アダルトビデオの創世記を支えた大女優 愛染恭子が
自分の姪(14)をハンガーなどで殴ったとして逮捕されたそうです。

調べによると、姪は愛染恭子の知人と交際していたそうですが、
肉体関係を持ったと知って、激怒。しつけのために体罰を加えたそうです。

愛染恭子と言えば、にっかつのロマンポルノではなく、
初めからさらにアングラのピンク映画の旗頭として
1980年代初頭に出てきました。多分デビューは武智監督の「白日夢」だと
記憶しています。
これは造形作家の武智氏が、上流階級の女性の性的妄想を描いた作品で
相手役は大島渚映画などでおなじみ 佐藤慶 だったりと、一応文芸作品と
呼ばれていましたが、方や「日本発の本番映画」などと言われたわりには、結局
ぬる~いエロ映画だった記憶があります。

まだ、性的な題材を取り上げると、アバンギャルドでいられた1970年代の
名残が残っているような映画でした。

その後、本格的にアダルトビデオ界に打って出た彼女の、隠れた大ヒット作と言えば、何と言っても裏ビデオの傑作 「愛染vsトレーシー」でしょう?
これは、当時アメリカポルノ界を席巻していた大スター トレーシー・ローズを日本に招いて、愛染恭子と絡ませたと言う作品で、表に出る前の代々木忠が監督した作品でした。
裏ビデオというと「洗濯屋ケンちゃん」かこの作品かというぐらい有名で、
日本のVHSビデオ普及の 陰の立役者と言ってもいいかもしれません。

ちなみに、年齢詐称していたと、のちに自伝で告白した
アメリカの稀代のポルノスター トレーシー・ローズは
なんとそのとき17歳ぐらいだったですよね!愛染は24ぐらいでしょうか?
変な話、私が物心付いて初めて見た女性器は、
13歳のときに近所の悪がき仲間から借りた
「愛染対トレーシー」なんじゃないかと思います。
それほど当時(1984年ごろ)アングラで出回っていたのです。

愛染恭子の偉いところは、その裸の表現に気負いすぎることも無く
平然と「ファンのために脱ぐのが私の仕事」と徹底して芸術路線でなく
大衆路線の女王であり続けたところです。
社会が開けてくると、どこかで性表現のパイオニアが出てくるもので、
大島渚の「愛のコリーダ」などももちろんその一つですし、
にっかつロマンポルノの高い芸術性は、もちろんいうまでもありません。
しかし愛染は違います。初めから最後まで芸術とは無縁の
民衆の「ポルノスター」であることを自負し、
一回も恥じていないのです。これは凄いことですよ。

そんな彼女ももう49歳だそうです。
10年前に女優は引退したんだそうです。

しかし彼女は確実に日本の性表現において、一つのパイオニアであり、シンボルで
あり続けた偉人だと思います。そんな彼女も14歳の性には厳しかったようですね。
でもそうですよ。愛染恭子が言うんだから間違いない。彼女のほうが正しいですよ。逮捕されてこんなニュースになるべきじゃありません!



コメント
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