疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

CX版「西遊記」のこと

2006年04月02日 06時07分41秒 | 映画・ドラマ
CX版の「西遊記」ですが、先日最終回を迎えました。
その回のまさに最後に、ゴダイゴのモンキーマジックに乗せて
堺正章がお釈迦様役で出て、如意棒を振り回したときには
「本物が出た!!」という高揚感でいっぱいになりました。

そこで、どうしてCX版の「西遊記」に違和感を感じるか考えてみました。
と言ってもそんなに見たわけではなく、初回と最終回しか見てないのですが。

その一番大きいのが、三蔵法師と3人の弟子達の立ち位置のように思います。
つまり、本来三蔵法師は師匠で、3人の弟子はあくまで弟子なので、
ゴクウはいくら粗野でも、彼には丁寧な言葉を話すべきだし、三蔵法師と
ゴクウの間には、大人と子供ほどの知の差があるべきなのです。
さらにある程度コミュニケーションが取れないもどかしさが、彼らの間にあって、
そこをゴクウが、三蔵の心を推察することで、人間として成長するわけです。

だから、実際の役者とは別に、人物で言うと、先生と小学生の3バカみたいに
見えないといけないのです。「西遊記」自体そういう物語だと思います。
しかし今回のは、三蔵法師と弟子達が完全に同じ目線ですから、
大学のサークルみたいに見えます。するとゴクウが体も心も一番発達しているように見え、逆に三蔵法師は威厳も知性もないように見えてしまいました。
これでは、三蔵法師が仏典にあこがれる僧にも見えず、さらにそこが甘いと
旅をする動機付けが、非常に弱くなると思います。

多分確信犯的に、三蔵法師とゴクウたちを同じ目線にして、「友情物語」にしたのでしょう。それはキャスティングにも現れています。深津絵里はいい女優ですが、
一貫して等身大の女性、「ちょっと天然ボケだけど、必死に頑張る」みたいな
役柄を演じることの多い女優さんです。いくら「1999年の夏休み」で男役を
したからと言っても、目線的に下の役柄を演ずることの多い女優さんなわけで、
ちょっと辛かったのではと思います。

夏目雅子は当時27歳でした。深津絵里は現在34歳なのでずっと年上ですが、
タイプが違います。本当は小雪とか、長谷川京子とか中谷美紀と言った、
「コミュニケーションが取りにくい」「とっつきにくい」タイプの女優さんを
キャスティングして、その下に粗野でグダグダな弟子達を配置するというのが
ベストだったように思いました。

だからウッチャンが、三蔵よりも頭が良いと良くないんです。
今回のチームは、頭脳担当サゴジョウ・ケンカ担当ゴクウ・みんなの人気者ハッカイという風なわけ方で、同じ地平でお色気担当三蔵法師になっていましたが、
それじゃあダメでしょう?

コメント (1)
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