ひろむしの知りたがり日記

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1954 ゴジラ誕生物語 (1) ─ 胎動編

2014年08月11日 | 日記


第2次大戦の終結から9年後の昭和29(1954)年。戦争の記憶いまだ生々しく、日本人は懸命に復興への努力を続けていました。わが国初の怪獣映画「ゴジラ」が公開されたのは、その年の11月3日のことです。

さかのぼること8ヵ月前の3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で、米軍による水爆実験が行われました。この実験では、マグロ漁船の第五福竜丸乗組員が被爆するという事件が起きています。ビキニ環礁での水爆実験が原因で生み出された怪獣ゴジラが、放射能を吐き散らしながら東京を蹂躙するこの映画は、日本人に原爆や空襲の再来を思い起こさせました。
それとともに、水中の酸素を破壊し、あらゆる生物を窒息死させ、液化してしまう、核にも引けを取らない恐ろしい兵器オキシジェン・デストロイヤーでゴジラを葬り去るという結末は、どんなに戦争が悲惨なものであるかわかっていても、結局自らを破滅させかねない兵器の開発をやめることができない人類への、強烈な警鐘の意味が込められていました。

「ゴジラ」は東京の封切館4館の初日だけで3万3千人もの観客を動員するという大ヒットを記録し、その後もシリーズ化されます。第1作に込められたメッセージ性の高さが、60年たった今日に至ってもなお、ハリウッドが2度目の映画化に踏み切るほど人々の心の中に長く生き続けている理由といえるでしょう。
しかし実はこの映画、およそ崇高さとは無縁な理由から誕生しているのです。

   
   ゴジラを生んだ東京都世田谷区成城にある東宝スタジオ(本稿の写真は全て同地で撮影)

そもそも「ゴジラ」は代替企画作品でした。インドネシア独立運動の秘話を描き、同国との合作映画になるはずだった谷口千吉監督の「栄光のかげに」が、当時正常な国交がなかった両国間の政治関係の悪化や、アメリカの介入などの諸事情によってクランクイン寸前で中止となり、そのスタッフ編成を活かすために急遽考え出されたものだったのです。撮影用の火薬をインドネシアの海で爆発させ、帰国する途中の船上で、東宝の田中友幸プロデューサーが思いついたのだそうです。

当初の仮タイトルは、「海底2万哩から来た大怪獣」でした。これは前年に公開されたアメリカ映画「原子怪獣現る」(日本公開は「ゴジラ」の直後)の原題「THE BEAST FROM 20,000 FATHOMS」(直訳すると「2万尋<ひろ>からの怪獣」。尋は水深を測る単位で、1尋=約183センチ)にそっくりです。内容も放射能を帯びた恐竜が大都会を襲撃するという、きわめてよく似たものでした。これではパクリと言われてもしかたありません。

しかし元ネタはどんなものであれ、この映画が日本人の魂の琴線に触れるテーマを内包していたのは事実であり、製作のために集った人々の情熱もまた、本物でした。

建物の壁面に描かれた、巨大なゴジラ

5月、田中は幻想・怪奇モノで知られる探偵小説家の香山滋に原作を依頼します。この時点で、監督は本多猪四郎に決定していました。本多は昭和8年に東宝の前身であるPCLに入社、同期の谷口千吉、少し遅れて入社した黒澤明とともに助監督時代を過ごしました。戦争中は3回も徴兵され、8年間もの長い軍隊生活を送ったため、ようやく「青い真珠」で監督デビューしたのは昭和26年、40歳の時でした。

それから2年後、日本初の怪獣映画のメガホンを取ることになった遅咲きの監督は、香山の原作を助監督の村田武雄と共同で脚本化しました。「ゴジラ」の反戦メッセージは、本多の戦争体験によってもたらされたものだと言われています。彼らは300枚に及ぶ絵コンテを書き起こしましたが、こうした絵コンテによる打ち合わせは、本多が円谷英二とコンビを組んだ「太平洋の鷲」(昭和28年)以来、慣例化していたものです。

後に“特撮の神様”と呼ばれ、「ゴジラ」の特殊技術を担当した円谷が、その手腕を天下に示したのは「ハワイ・マレー沖海戦」(昭和17年)などの戦意高揚映画でした。そのために戦後、公職追放を受けてフリーになっていました。彼は戦前にアメリカの映画会社RKOの「キングコング」(1933年)を見て、巨大怪獣が暴れる作品をいつか日本でも実現させたいと思い、「巨大なタコ」が登場するプロットを暖めていたといいます。

メイン・ゲートの前に立つゴジラの像

田中、本多、そして東宝に復帰した円谷、さらに森岩雄プロデューサーも加わって、脚本の改稿のための打ち合わせが重ねられました。当初この企画は“ジャイアント(Giant)”の頭文字“G”から「G作品」というコードネームで呼ばれ、秘密裡に進められていました。やがて正式タイトルが必要になり、「ゴジラ」(ゴリラとクジラを合わせた造語、東宝演劇部に所属する部員のあだ名などの説あり)と決定しました。

そして、8月にはドラマ部門の本多組、特撮部門の円谷組、向山明たちの合成チームの3班が編成されて、「ゴジラ」はついにクランクインします。とてつもなく“ジャイアント”なモンスターをスクリーン上で暴れ回らせるという日本で初めてのチャレンジが、こうしてスタートしたのです。


【参考文献】
ナイト・ストーカーズ編著『原子怪獣あらわる! GODZILLA誕生の秘密と日本特撮ソフトの未来』
 フットワーク出版、1998年
ブラック アンド ブルー編『Japanese SF Movies 日本特撮名鑑』ネコ・パブリッシング、1999年
井上ひさし著『映画をたずねて 井上ひさし対談集』筑摩書房、2006年
東宝・東宝映画監修『「ゴジラ」東宝特撮未発表資料アーカイヴ』角川書店、2010年
東宝ステラ編『GODZILLA ゴジラ』東宝、2014年