GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

歩け大会に参加して 菅谷・高瀬しげ 1985年

2009年03月14日 | 報道・婦人のページ

 風がすこしあったか、早春のよき日、すすめられて歩け大会に参加した日は、二月二十四日。園児、若者、老人入り交じりて百名近く、服装もまちまちで,私は子どものお古。
 九時半出発、婦人会館を右に見て、大蔵から将軍沢に向かう道も良くなった。見返り橋を過ぎて峠に向かう上り下りの両側には、桜並木が植えられて、桜咲く四月はすばらしいことだろう。
 足弱な老人が先頭にということで先を歩いておりましたが、峠近くになりますと、子どもたちにどんどんぬかれてしまいました。
 途中、強者どもの夢の跡で小休止して山路に入る。松林は落ち葉がつもり、ジュータンを敷きつめたように。下り坂で足を取られることもたびたびあったが、足裏には心地よい。
 いまは顧(かえり)みる人もない落ち葉も、燃料、肥料にと大事な農家の資源でしたのに。古き良きことも、世代の流れには逆らえず埋もれてアラ枝も雨ざらし、もったいない。年を重ねた古い私には、この六字が頭から離れず、嫌われております。
 松林を出るともう鎌形に出る。畑の枯れ草には、よもぎの青葉が見えかくれに。山の若葉もふくらみて鎌形の里も、はや、春間近。工場が建ち、家並みもきれいでりっぱなグランドも出来ていた。
 若者が野球に汗を流して、活気ある嵐山が町の隅々まで。細い野道を出ると二瀬の上流に。急な坂道を登りつめると、立派な道路に出、その先に出来て間のない赤い班渓寺橋がつづいている。
 散風のなかに赤い橋は遠くからでもよく目立つ。その昔、牛若と弁慶が出会ったのは、こんな橋かなと思いながら鎌形小学校に着いたのは、昼少し過ぎていた。
 陽のいっぱいあたる校庭の土手で食事を、遠々歩いてきた胃には、おにぎりのおいしかったこと。
 帰りは団体行動も長くなり、私たちが千手堂橋まで来ましたら、先の団体は、はるかかなたに。橋近くには、広い駐車場も出来ていてお休所もあるようでした。
 行き届いた町の配慮に夏は大勢の人々でにぎやかと聞いたが、観光地嵐山がますます発展するでしょう。
 一時五十分ごろ出発の小学校に着く。十km歩いたうれしさと一日中せまい家の中でうろうろ歩いている井の蛙が急に世間が広くなったよう。
 人の和も広がり、友も出来てまた機会があればぜひ参加させていただきたい。

  きさらぎの 寒さもゆるみて ふきのとう
             たしかな春が 土手に息づく
     『嵐山町報道』329号 1985年(昭和60)4月30日  婦人のページ



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