一関市藤沢町の保呂羽地区から県道218号線藤沢津谷川線で一関市室根町まで向かう途中、金越沢ダム近くに当寺が建てられています。
開山は文明元(1469)年で、現在の宮城県高清水町の龍泉町(昭和初期に廃寺)三世西雲全柏和尚です。
当寺は金山との関わりがあり、文禄三(1594)年の金山一揆の功労者として保呂羽村の小野寺伊賀の名があり、保呂羽村御本判(砂金採掘者に与える許可証)肝入として御給判三枚を与えられています。
本堂は昭和三十(1955)年に改築、平成十年に屋根を銅板葺き替えています。
その際に降ろした三州瓦の鬼瓦は参道沿いに祀られています。
本堂屋根改修工事や鬼瓦を祀る堂宇の施工を菅原木工は行いました。
【菅原木工寺院施工例】


