中世の舘跡と登米市石越町唯一の寺院
国道4号線金成町県道186号線を一関市花泉町方面へ走り、JR東北本線の跨道橋を渡ると間もなく、当寺院を見ることができます。
登米市石越町地区唯一の寺院、昌學寺は弘治元年(1555)の開山です。

本堂には石越町の仏師二階堂規慶作の達磨大師像や大権修理菩薩像があります。
菅原木工は当寺院において、本堂をはじめとし、庫裡・位牌堂・手水舎なと多数の建築物を手がけています。
寺院の玄関口にあたる鐘楼門は登米市の文化財に指定されています。
間口三間、奥行き二間半の楼門は、石越赤谷のの大工菅原卯八の作品で、天明五年着工、寛政九年落慶。
菅原木工はこの鐘楼門の修復工事も手がけています。
境内にある子安観音堂も菅原卯八の作品です。
赤谷墓地の脇道を登り、昌學寺の裏山にあたるところの鬱蒼とした茂みの中に、この標柱が建てられています。
東西200メートル、南北450メートル、高さ72メートルで、本丸東西30メートル、南北50メートル、南北両面に三日月形の土壇があり、東南面に空堀の跡、南面に馬場跡があるとされています。
ここは、前九年の合戦時、安倍貞任の拠点として造営されました。
後に、源頼義に奪われています。
この地には、観音堂が建てられ祀られていましたが、建物の老朽化に伴い、現在は、昌学寺境内の観音堂に遷座しました。
「金鶏山舘跡」の標柱は金鶏山頂部の道から右の藪の中を入った所にあります
深い藪に囲まれているため、遺構等は確認することはできませんでした。
赤谷墓地からは、石越町・花泉町の田園風景を一望することができます。
(出典 石越町史)
【金鶏山舘跡MAP】
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