小さな頃から音楽に触れる機会が多かった
70年代には、周りのオトナたちが聴いている、いわゆる「フォーク」を
自然に聴いていた
拓郎、陽水、泉谷なんかを知らぬ間に憶えていった
子供ながらに、彼らがアコギを爪弾きながらうたうのが
とてもかっこよく見えてしまった・・・ギターが弾いてみたい
・・・と、思った時に、家には何故か一本の白いフォークギターがあった
始めは、あまりその気にならなかったのだが、ある日、
「弾けるようになったら買ってあげるよ」と、両親に言われた
そこで、スイッチが入ります
早速、教則本を買い、コードの押さえ方から始めて、
アルペジオ、スリーフィンガーなど毎日毎日練習した
そして、その年の誕生日(笑)に ヤマハのフォークギターを
買ってもらった
今は無い、「おおもり楽器」で
それからも嬉しくて毎日ギターを手から離さなかった
バートヤンシュの「アンジ―」をコピーしたのもこの頃だった
が、いざ弾けるようになったところで今のように発表の場があるわけでなく、
まして、恥ずかしがりで、引っ込み思案だったので、「路上」などというアタマは無かった
ので家で、歌本を見ながら独り歌っていた14歳の頃・・・・
こうしてぼくは、わりと「日本のフォーク」をどっぷり学んで行った
その後・・16歳の時にローリングストーンズと出会い、転落は始まっていくのであった・・・・
70年代には、周りのオトナたちが聴いている、いわゆる「フォーク」を
自然に聴いていた
拓郎、陽水、泉谷なんかを知らぬ間に憶えていった
子供ながらに、彼らがアコギを爪弾きながらうたうのが
とてもかっこよく見えてしまった・・・ギターが弾いてみたい
・・・と、思った時に、家には何故か一本の白いフォークギターがあった
始めは、あまりその気にならなかったのだが、ある日、
「弾けるようになったら買ってあげるよ」と、両親に言われた
そこで、スイッチが入ります
早速、教則本を買い、コードの押さえ方から始めて、
アルペジオ、スリーフィンガーなど毎日毎日練習した
そして、その年の誕生日(笑)に ヤマハのフォークギターを
買ってもらった
今は無い、「おおもり楽器」で
それからも嬉しくて毎日ギターを手から離さなかった
バートヤンシュの「アンジ―」をコピーしたのもこの頃だった
が、いざ弾けるようになったところで今のように発表の場があるわけでなく、
まして、恥ずかしがりで、引っ込み思案だったので、「路上」などというアタマは無かった
ので家で、歌本を見ながら独り歌っていた14歳の頃・・・・
こうしてぼくは、わりと「日本のフォーク」をどっぷり学んで行った
その後・・16歳の時にローリングストーンズと出会い、転落は始まっていくのであった・・・・