振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

東大寺二月堂のお水取りの水源は若狭神宮寺の湧水?

2019-10-21 08:35:34 | 旅行
福井県小浜市の郊外にある若狭神宮寺に行ってきた。友人のY氏の希望で一緒に足を運んだのだが落ち着いた佇まいの古刹で、参拝客は他に1組を見ただけだった。ツアーバスや外国人観光客がやって来るような場所ではないので静かに見学ができてありがたい。







事前に調べて知ったのだが、毎年3月12日に奈良東大寺の二月堂で行われるお水取りの行事に合わせて、10日前の3月2日に若狭神宮寺ではお水送りと言う神事が行われている。境内の一角に水が湧いている場所があって、小屋掛けがしてある。





3月2日の夜、ここで採取された水が遠敷(おにゅう)川に沿って約2kmほど上流にある鵜の瀬と呼ばれる河原に運ばれ、お水送りの神事が行われる。沢山の松明に囲まれて水を運ぶ行列が続き、数千人の見物人が集まるとのことだ。そして遠敷川に注がれた神宮寺の湧水は10日間を経て二月堂に届くことになるらしい。







鵜の瀬の近くに白石神社と言う小さな社があり、その近くの石碑に良辨和尚生誕の地とあった。調べてみると良辨は奈良の東大寺の大仏建立に功績を残し、初代別当を勤めたとある。若狭の神宮寺と大和の東大寺を水で結ぶ縁の源はここにあるようだ。



若狭から奈良や京の都を結ぶルートは複数あってそれぞれ鯖街道と呼ばれているが、遠敷川沿いに山を越える針畑越えもそのひとつになる。古来、大和朝廷へ献上される塩や海産物などだけでなく、大陸や半島から日本海を渡って若狭にもたらされた文物も運ばれていたに違いない。若狭に生まれた良辨にとって奈良は遠い場所でもなかっただろう。

また時には渡来人たちもこの街道を越えて日本の各地に散らばったと考えると、当時の若狭が重要な地だったと改めて感じた。








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