えびの高原と千里の滝を見た後、霧島神宮の脇をパスして鹿児島に向かった。5月末に家内と来た時に2回も昼食を食べた姶良の寿司屋に寄りたかったがお得なランチ定食は平日限定なので残念だが土曜日の今日はパスした。
桜島へ渡るのは初めてだが、フェリーからの山容、南側からの山容、有村溶岩展望所からの山容、みな微妙に異なる。九重山、阿蘇山、雲仙普賢岳、えびの高原硫黄山、そして桜島と噴煙の昇る山ばかり見て来たが九州の大地は活きている実感がする。
桜島に渡ってからは走行中にほこりで目をやられることが何度もあった。道路から舞い上がる火山灰と思われるがサングラスだけでは防げないのでヘルメットのシールドを下げざるをえなかった。
桜島を後にして最後の目的地は海上自衛隊鹿屋航空基地資料館だ。ここには戦前の海軍の航空機や海上自衛隊で使用されていた飛行機が展示してある。
私の希望でメンバーを連れて来たが、一番見たかったのがこの飛行機だ。
思っていたとおりデカイ。実際に運用された海軍機の中では最も大きいのではないかと思う。この機体は終戦直後に調査のために米本土に接収され、後に日本へ返還されたらしい。
この機の防御兵装として20mm機関砲5丁とあり、前方と背面と後方、そして側面×2に装備されていたが後方の銃座を眺めながら想像して恐ろしくなった。米軍の戦闘機に襲われた場合、ここの銃手はガラス以外に遮蔽物のない銃座で機関砲を構えながら後方正面から迫ってくる米軍機の6丁の50口径機銃の連射にさらされる訳だ。背筋が凍ってしまうような恐怖だ。
二式大艇のノウハウを引き継いで開発されたという飛行艇US-1も展示されていた。5年前にも山口県の周防大島で同型のPS-1の展示機を見た。
これはR4D-6と表示されていたがあのDC-3ダコタと同型のC47の派生機だ。機首に取り付けたレーダーが少し異様だが外観はダコタのまま。海自では多用途機として運用されたようだ。
その他にもいろいろな機体が展示されていて館内にはゼロ戦もあるようだが時間の関係で割愛した。
桜島へ渡るのは初めてだが、フェリーからの山容、南側からの山容、有村溶岩展望所からの山容、みな微妙に異なる。九重山、阿蘇山、雲仙普賢岳、えびの高原硫黄山、そして桜島と噴煙の昇る山ばかり見て来たが九州の大地は活きている実感がする。
桜島に渡ってからは走行中にほこりで目をやられることが何度もあった。道路から舞い上がる火山灰と思われるがサングラスだけでは防げないのでヘルメットのシールドを下げざるをえなかった。
桜島を後にして最後の目的地は海上自衛隊鹿屋航空基地資料館だ。ここには戦前の海軍の航空機や海上自衛隊で使用されていた飛行機が展示してある。
私の希望でメンバーを連れて来たが、一番見たかったのがこの飛行機だ。
思っていたとおりデカイ。実際に運用された海軍機の中では最も大きいのではないかと思う。この機体は終戦直後に調査のために米本土に接収され、後に日本へ返還されたらしい。
この機の防御兵装として20mm機関砲5丁とあり、前方と背面と後方、そして側面×2に装備されていたが後方の銃座を眺めながら想像して恐ろしくなった。米軍の戦闘機に襲われた場合、ここの銃手はガラス以外に遮蔽物のない銃座で機関砲を構えながら後方正面から迫ってくる米軍機の6丁の50口径機銃の連射にさらされる訳だ。背筋が凍ってしまうような恐怖だ。
二式大艇のノウハウを引き継いで開発されたという飛行艇US-1も展示されていた。5年前にも山口県の周防大島で同型のPS-1の展示機を見た。
これはR4D-6と表示されていたがあのDC-3ダコタと同型のC47の派生機だ。機首に取り付けたレーダーが少し異様だが外観はダコタのまま。海自では多用途機として運用されたようだ。
その他にもいろいろな機体が展示されていて館内にはゼロ戦もあるようだが時間の関係で割愛した。
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