振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

ラジオ局にリクエストハガキを送っていた頃

2023-06-24 16:27:01 | 日記
前回投稿した「ギターにまつわる思い出」をまとめている時、リクエストハガキをラジオ局に送っていた頃を懐かしく思い出した。

現在ならお気に入りの曲は自分のスマホなどにダウンロードして好きな時に聴くことができるが、それら以外で聴きたい曲があればYoutubeで検索して聴くようにしている。スマホやPCがあれば無料(通信料は別)だし、唄っているミュージシャンの動画も視れる。

しかしレコードもブレイヤーも持っていなかった中学高校時代、流行っている曲ならテレビの歌番組やラジオの深夜放送で聴けることもあったが、少しマイナーな曲や洋楽になると難しかった。

そこでラジオ曲にリクエストハガキを送るようになったが、これも沢山の人がハガキを出しているので自分の希望したマイナーな曲などほとんど聴けない。当時のハガキは確か7円。オールナイトニッポンやヤングタウンなどに相当な枚数を送ったが、大手の局でのリクエスト採用はゼロだったと思う。

その内にNHKの地元放送局が、毎週土曜日に1時間だったか(?)FMでリクエスト主体の音楽番組をやっていることを知った。ここでは規模の小さい地方局のためか、自分のリクエストハガキを採用してもらえるようになり、毎週土曜日が待ち遠しいようになってきた。

今ではラジオネームとかハンドルネームと呼ぶようだが、その頃の自分も当時流行した五木寛之の作品の主人公の名前を拝借したペンネームを使っていた。

しかしこの頃になると希望の曲をリクエストすると言うより、自分のペンネームを放送で読んでもらうことが目的のようになってきた。他局の音楽番組や書店で立ち読みする音楽雑誌から洋楽の情報や来日するミュージシャンの情報を得たりして、採用されそうな曲を一生懸命探していた。

大学受験に失敗して京都に下宿していた浪人時代は、京都のローカルラジオ局へのリクエストを始めた。パーソナリティを女性が務めている番組があって、そこで使っていたペンネームが「○○○○専属の三助」。○○○○はパーソナリティの名前で、もちろん今も覚えている。現在、別人だが同姓同名のアナウンサーがおられるようだ。

奇をてらったペンネームでのリクエスト採用を狙った訳だが、初めて採用されて苦笑しながらペンネームを読んでもらった時は「ヤッター!」と嬉しかった。

しかし何度か採用される内に段々とバカらしく思えて(自分を)きて止めてしまった。その後はリクエストハガキを何処にも出したことがない。


話は変わるが、当時聴いていたラジオがこれ、ソニーのソリッドステートイレブン。


画像はソニーマーケティング株式会社のHP、ラジオとともに歩んだソニーの歴史より

1967年秋に姉に買ってもらったと思うが、黒革のケースが付いて¥13,800だった。FM、中波、短波の3バンドで感度も良く、電波状況が悪くなければ東京や大阪のラジオ放送もちゃんと入った。

大学に入ってラジオから遠ざかるまで、このソニーのラジオにはお世話になったものだ。