振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

ギターにまつわる思い出

2023-06-21 17:00:28 | 日記
中学生の頃、家には兄が使っていた古いガットギターがあり、禁じられた遊びを少しだけ弾けていた。レコードやプレイヤーなどは持ってなく、音楽と言えばテレビで「シャボン玉ホリデー」や「ヒットパレード」を視て和洋のポップスを聴いていた。

高校2年の時に友人がフォークギターを買い、その音とカッコ良さに刺激を受け、自分もヤマハのフォークギターを買った。
貯金だけでは足らずに中学からやっていたUコンのエンジンや機体を売り払ってしまった。

当時はオールナイトニッポンやヤングタウンと言ったラジオの深夜番組を聴くようになった頃で、日本でも流行りだしたフォークソングに興味を持ち始めていた。

学校は生徒数が1500人くらいの県立高校に通っていたが、3年生の時の文化祭に4人のメンバーでギターを抱えてステージに上がった。リーダーはアメリカ留学から帰国して12弦ギターを持つ1歳年長のFさんで、留学中に現地で唄っていたPPMやブラザースフォーのフォークソングを一緒にやろうと言う事だった。私より先にフォークギターを買っていたI君が誘われ、そこから自分にも声が掛かってきた。

当時の母校は保守的な気風で、世間では学生運動や反戦運動が盛んな時代。選曲の中には反戦歌も含まれているため、学校側からステージの許可が出るかの心配が少しあった。その理由だけではなかったのだが4人目のメンバーに生徒会長のN君を加えた。

当時の校則では通学は運動靴と決められていたが、N君は学校側と交渉して革靴での通学を認めさせた実力(?)の持ち主で、生徒への信望も厚かった。これが功を奏したのかは不明だがステージの許可が降りた。

1ヶ月に満たない練習で、しかも初歩的なテクニックさえ怪しいギターの演奏力だったが、生徒からヤジや横やりなども無く、ステージは無事終えられた。日曜日だったので他校からの見学者もあったりで、体育館はほぼ一杯になり、他の文化部の演目よりも観客は多かったと思う。高校生活3年間ではこれが一番の思い出になっている。

その後は卒業して郷里を離れ、大学に入学以降現在まで人前で演奏したりバンドを組んだりしたことはないが、ギターを手元から離したことはない。長い間ギターに触れることのない時期もあったが、仕事に疲れ果てた時などに古い音楽雑誌とギターを持ち出して一人で唄うと、不思議にも疲れがスーッと消えてゆく感覚があった。

リタイア後は懐かしい曲の歌詞とコード譜をNETで探し、YouTubeで何度も視ながらギターを弾いて唄って楽しんでいる。まあ、一人カラオケみたいなもんだ。



ギターは10年前に買い直した