叔父の葬儀で千葉に行った。
ものすごい雷雨の日だった。
名古屋の叔母が新幹線に閉じ込められたと、
葬儀が始まってから遅れて会場に入ってきて僕の隣に座った。
厳粛とすすむ葬儀、隣に座るなり僕の顔をのぞき込んで、
「お久しぶり」と笑みを浮かべた。
泣いている遺族のいる中、お辞儀で応えた。
むかしから、陽気でおっちょこちょいの叔母だった。
いまで言えば、空気が読めない、KYな叔母だ。
儀式が終わり、精進落としのテーブルで、叔母は、
「うれしいね、こういうみんなが集まるイベント、楽しいねぇ。」って、
ビールを注いでまわっている。
たしかに、亡くなった叔父は80に近く天寿といえなくはないが
肝臓を患っての他界である。
しかし、たしかに、正月・盆暮れに親戚一同が集まる機会はなくなり、
冠婚葬祭しか集まることはなく、
無邪気に喜ぶ叔母が不謹慎と思いながら微笑ましく思えた。
僕自身も冠婚葬祭にさえも不義理をして、
こうして親戚一同に遭うのは十何年ぶりで懐かしかったからだ。
さらに、叔母の不謹慎な無邪気さをを怒れなかったのは、
この葬儀を急いで切り上げ千葉から三鷹に向かったからだ。
さて、三鷹に着くと改札で、本日独演会の演者、
文左衛門さんが黒いTシャツに雪駄でどなたかを待ち構えていた。
いつか聴いた文左衛門さんのまくらじゃないけど、
野球場の入り口にあの格好でいたら、「チケット余ってないですか?」と
訊いてしまいますよ。
2008年8月29日(金)19時30分~ ¥2,500
文鳥舎寄席 橘家文左衛門の会
考える文左衛門 vol.2
文鳥舎
橘家文左衛門 「あくび指南」
三遊亭歌ぶと 「権助魚」
橘家文左衛門 「らくだ」
びっくりしましたね、
葬儀の後に落語会に行く機会も少ないだろうが、
人が死んだ噺「らくだ」だった。
演目になっている「らくだ」は、もう死んでしまって、
過去形でしか登場しない変わった噺。
この「らくだ」本来は「もう半分」を根多だししていたのを、
お披露目するには、もう少し、ということで急遽、
文左衛門さんが演目を変えたのでした。
土砂降り越しに明かりのついた居酒屋を見送り家路に急いだ。
もちろん、家呑み、で、
「まぐろの赤身を持ってこいっ、つべこべ言ったら…」
ものすごい雷雨の日だった。
名古屋の叔母が新幹線に閉じ込められたと、
葬儀が始まってから遅れて会場に入ってきて僕の隣に座った。
厳粛とすすむ葬儀、隣に座るなり僕の顔をのぞき込んで、
「お久しぶり」と笑みを浮かべた。
泣いている遺族のいる中、お辞儀で応えた。
むかしから、陽気でおっちょこちょいの叔母だった。
いまで言えば、空気が読めない、KYな叔母だ。
儀式が終わり、精進落としのテーブルで、叔母は、
「うれしいね、こういうみんなが集まるイベント、楽しいねぇ。」って、
ビールを注いでまわっている。
たしかに、亡くなった叔父は80に近く天寿といえなくはないが
肝臓を患っての他界である。
しかし、たしかに、正月・盆暮れに親戚一同が集まる機会はなくなり、
冠婚葬祭しか集まることはなく、
無邪気に喜ぶ叔母が不謹慎と思いながら微笑ましく思えた。
僕自身も冠婚葬祭にさえも不義理をして、
こうして親戚一同に遭うのは十何年ぶりで懐かしかったからだ。
さらに、叔母の不謹慎な無邪気さをを怒れなかったのは、
この葬儀を急いで切り上げ千葉から三鷹に向かったからだ。
さて、三鷹に着くと改札で、本日独演会の演者、
文左衛門さんが黒いTシャツに雪駄でどなたかを待ち構えていた。
いつか聴いた文左衛門さんのまくらじゃないけど、
野球場の入り口にあの格好でいたら、「チケット余ってないですか?」と
訊いてしまいますよ。
2008年8月29日(金)19時30分~ ¥2,500
文鳥舎寄席 橘家文左衛門の会
考える文左衛門 vol.2
文鳥舎
橘家文左衛門 「あくび指南」
三遊亭歌ぶと 「権助魚」
橘家文左衛門 「らくだ」
びっくりしましたね、
葬儀の後に落語会に行く機会も少ないだろうが、
人が死んだ噺「らくだ」だった。
演目になっている「らくだ」は、もう死んでしまって、
過去形でしか登場しない変わった噺。
この「らくだ」本来は「もう半分」を根多だししていたのを、
お披露目するには、もう少し、ということで急遽、
文左衛門さんが演目を変えたのでした。
土砂降り越しに明かりのついた居酒屋を見送り家路に急いだ。
もちろん、家呑み、で、
「まぐろの赤身を持ってこいっ、つべこべ言ったら…」