さわやかな種は、さわやかな実になれよ

昨日の夜は、ひとり酔った。
自宅の隣駅の中華食堂で紹興酒を一本、ひとりで空けちゃった。
自分の酔いを確かめるために、ひと駅歩いた。

オレンジ色の月が夜空にあった。
左にちょっと傾いた器状の月だ。
なにがこの月の器に入っているのだろう。

この月の形状から、弓の弦が上みたいだから上弦というのは間違いで、
ひと月の真ん中の満月を中心に、その前を上弦、その後を下弦というそうだ。
簡単に言えば、ひと月の上旬を上弦、下旬を下弦といってよさそうです。
すると昨夜は、下弦の月であったなぁ。

なんて、月を見ながら、ひと駅、何事もなく歩いて我が家に着いた。

今朝、うちの玄関の前を見ると
白い小さな粒がたくさん落ちている。
よく見るとフリスクだ。

なんだろう、フリスク撒いたら、
毎日さわやかに送れる実がなると思ったのかぁ。

ポケットの中、フリスクのケースは空だった。
ほんとに、昨晩は、なにごとも、なかったのかなぁ。


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火付け盗賊改方長官・長谷川平蔵、

実は、先日25日土曜日の夜席・鈴本は
柳家紫文師匠の鬼平が観たかったのもありました。

話には聞いていて、観たいと思っていた。
かわら版で上野鈴本の下席に名前を見つけたので出掛けて行った。
しかし、紫文師匠が三鷹でライブをやるのも知っていた。
この2箇所の問題をどう解決するのか、謎を確かめるためにも鈴本に向かった。

答えは簡単だった。「休演」。
喬太郎師匠の代演の白鳥師匠が、
「喬太郎師匠は、本日は金儲けに行ったので、私が変わりに、」なんて云ってました。
紫文師匠、そういうことだったんですね。

昨夜、下北沢で想いを遂げました。
絹13、コントやモロ師岡さん、だるま食堂さんと一緒に出演したのだ。
寄席形式で次々と演じられる。
ただ、客席は暗く、客席の明るい寄席で活動する紫文師匠は戸惑っていましたが。

軽ろやかに演じる紫文師匠、鬼平は笑えました。
年配の方を勝手に想像していたのですが、
この先ずっと続けた年季の入った鬼平も観てみたいですね。
忠臣蔵・序を最後に披露していただけました。
もう、忠臣蔵の季節になったんだなぁ、
かわら版も「芝浜」の題名が目につくし。

ほんと偶然たまたま、きょう
二階堂正宏著「鬼平生半可帳」を買って持っていた。
絵がうまいなぁ、下北沢に向かいながら電車の中、周りを気にしながら読んだ。
気にしながら読まなければならないような、そんな内容です。
この本に紫文師匠にサインを書いてもらうのを想像して、
師匠がどんな顔をするのか、ひとり笑ってしまった。
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ときめきと満足・期待値の位置

以前、ロスで、L.A.、ロサンジェルスで、ラーメン屋に行ったことがある。

仕事で、1週間くらいの滞在だったかな、
ステーキ、ハンバーガー、ピザ、フライドポテトに飽きて、
日本のラーメンが食べたいといって探して行った。
数少ないラーメン屋の中でおいしい方と聞いて行ったのだ。

日本から一緒の仕事のお客さんは、醤油ラーメンをたのみ,
僕は、味噌ラーメンをたのんだ。
そして、餃子もたのんだ。

お互いの前に、それぞれラーメンが出てきた。
ちゃんとラーメンどんぶりにレンゲもついてる。
食べてびっくり、不味いよ、ラーメンの体裁はついてるけど、
これ、味噌の味は薄いし、麺はべしょべしょ。
醤油をたのんだお客さんは、「うまい、うまい」と口一杯にしてうれしそう。
ちょっと味見をお願いして、レンゲでスープをひと匙いただくが
うっ、まずっ、醤油も味は薄いし、麺はべしょべしょだ。
見ると、お客さんは、「味噌もうまいじゃない」と食べている。
味盲か、と思ったが、グルメのお客さんだ。

そんなにおいしいですかと、聞いてみたが、
「ラーメンが食べたかったけど、味はそんなに期待してなかったから」と
そして、期待値の話を聞いた。

まあこれくらいと思っていると、
がっかり失望することが少ないのだと。
当たり前だけど、
期待が大きいほど、期待に外れると失望も大きい、と。
しかし、すべてに対してそういう態度で接するわけでなく
ロスでラーメン、ということで期待をしていなかったんだと。
仕事には、厳しいひとだから、
ケースバイケースで期待値の設定をかえているんでしょう。

まあ、あのラーメンの味で、あれだけ喜べるのは、
気持ちの持ちようだし、ちょとした知恵だな、頭の良い選択だ、と感心した。

ロスでは、かん水が法令で使用ができないので、
おいしい麺は食べることができないそうだ。
しかし、スープの味は、かん水とは関係ない。
日本でもあるが、
ラーメン食べ終わった頃に、餃子が来た。
え~、遅いよと思いながら食べると
餃子は、冷凍なのか、
お客さんにならうと、「すっげぇ、うまかった」

うまく使うと、楽しく過ごすことができるけど、
この期待値の設定にはセンスがいるなぁ。

低くばかり設定していると、
わくわくときめかないもんね。

つまり、分かりやすく言うと
期待してなくて初めて聴いた噺家さんが面白かったり、
楽しみにしていた噺家さんが、なんか調子がはずれていてがっかりしたり、
ということか、あれ、ちょっと違って余計分かりづらいかな。
言い得てますか、これ?
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上野鈴本・代演、みにくいアヒルの子。

白鳥師匠が喬太郎師匠の主任代演の鈴本。
2006.11.25(土)、
終演後、夜も9時に近い時間、ずいぶん寒くなって、
熱燗を求めて、「大統領」というもつ焼き屋に入る。
「天然イノシシ塩焼き、2串400円」と書いてある。
これに魅かれた。
しかし、天然ってわざわざ書くのって、養殖イノシシってあるの?
来年の干支にむけて、大量に準備しているのか。
競馬に加えて競猪、国は新たに国民から集金しようとしているのか。
競技場は、直線、猪突猛進のやつらは、曲がったことができない江戸っ子か。
江戸っ子の味は、あっさり淡白でした。
しかし、確か、奥美濃産と書いてあったな。

白鳥師匠は、きょうは「火焔太鼓」をやると宣言。
おっ!「火焔太鼓」と思ったが、
やはり、白鳥版、
すごいテンポの熱演で、会場が笑いで包まれた。
夜席の中、のいる・こいる師匠を超えて一番笑いで沸かした。
かなり年配の方も手をたたいて笑ってました。
市馬師匠が前で、「いま,お楽しみは、羽を休めています。」と言ってましたが、
市馬師匠、白鳥師匠は、大きく飛び立ちましたか?
「お楽しみって、代演なんですけどね。」
白鳥師匠は、毛づくろいしながら言ってましたけど。
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せまい了見,そんなに怒ってどこへ行く。

上野鈴本の後、もつ焼き「大統領」、
20代前半かなぁ、ホールのお姉ちゃんの笑顔がとってもいい、
イノシシ頬張って楽しく気分よく飲んでいた。

目の前の40代後半の男女。
女性がトイレに立った、
ちょっとかわいらしい女性だ。
おとこが締めてお勘定。
顔が赤くなっていい感じ、ここはホップで、お次はステップか。
今晩は、ジャ~ンプ。

ほほえましく、おじさんを見ていたが、
このおやじ、勘定をお願いした笑顔のお姉ちゃんに、明細を要求した。
知ってか知らないのか、この店は、明細のレシートがでない。
そのことをお姉ちゃんが説明しても、
このおやじ、「ロジックがない物事は嫌いなんだよね」といって
明細がないと払わないぞ、の勢いで駄々をこねる。

こっちの酒の手が止まり、
ニコニコ笑っていた目と目の間に皺がはいった。
お姉ちゃんは、手書きでわざわざ書いて、
電卓で計算して、その客にお手製の明細を渡した。
さすがに、とびきりの笑顔は消えていた。
鼻の下をのばした3段跳びおやじは、満足して、
笑顔の消えたお姉ちゃんに面倒かけたねと、
馴れ馴れしく肩をたたいている。

優越感に満ちたこの男、手前は論理的な男前を気取ってる。
酒もまずくなり、かわいく見えたお連れの女性もお気の毒に見える。
明細レシートがでない客いっぱいで忙しい店に、
手間かけるこのおやじのロジックは、
ホップ、ステップ、チンプで、三段論法にもなってない。

こっちも面白くないので、店を出たものの、外の寒さで我に返る。
このおやじの了見の狭さに、腹を立てるこの了見の狭さよ。

しかし、気分わるいな~、まだ怒りがおさまらないよ、人間が小さいな、まったく、
まるでミクロマンだょ。小さな虚心だ。
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いちもん、

志の輔落語21世紀は21日、11月21日
今年最後でした。

ゲストは、松元ヒロさん、
最後に、三本締めをするという。
下座さんの鉄九郎さんを呼び、
「お~い、だんしゅん」と談春登場。

ここで、談春師匠に会えるとは、
ほほう、このふたりも談志一門なんだなぁ、あらためて。

談志の独壇場、古希の祝いの一門勢揃いに
チケットが入手できたのに
行けなかったのが悔やまれる。

ちなみに、
一文って、現代でいうと33円くらいだそうです、
「時そば」16文は、528円。
夜中屋台で食べるとすれば、今なら、こんなもん、ちょっと安い感じですか。


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戦闘体勢は、正座。そして、武器は、

あらためて思った。
噺家は、座布団のうえに座っている。
手拭いと扇子という道具はあるが。

これが、噺家のかたち。
かたちを破ろうとする方たちもいますが。

志の輔らくご21世紀は21日
今年最後のこの会です。
わたしははじめてでしたが。
今回「踊るファックス」、たくさん笑った。
はじめての志の輔師匠の新作は、「はんどたおる」でしたが、
本来ありえない話が、
「ある、ある」とうなずくセリフ・会話、ちょっとした行為でもって、
説得力を、リアリティを持って、笑いとともに運んでくれる。
そして、人間が、うなずき、笑えるくらいよく描かれている。
もちろん、噺がよくできています。
志の輔師匠の話し方、笑い声、これで吹き出し、
志の輔師匠の顔、これで、ひっくり返る。
志の輔師匠は、噺づくり、演技はもちろんですが、
顔がおもしろい、とても口がでかい。
そばでみると、すごいですよ。
「ガッテン」では、あの顔は見れません。

噺家は、座布団のうえで、正座です、
扇子、手拭いの小道具はあるが、
話し方、口調、そして、大きな武器は、顔だ。
志の輔師匠、
CDで聴いて面白いが、高座で観るとひっくり返る。

さて、
今度、あの顔が観れるのは、来年のあたまになるのかなぁ。
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よいイマジネーション、わるいイマジネーション

きょうは、昼から近所のスーパー銭湯で、アカスリを楽しんでいると
以前、韓国の釜山でのアカスリ体験を思い出した。

釜山で自由時間をアカスリに行こうと決めた。
ガイドブックで探し、店に向かった。
日本語で料金システムも書いてある。
簡単な日本語で案内をしてくれる従業員もいる。
まったく、日本人は観光客としていいお客なんだ、なんて
ただひとりの客の僕は
のんびり湯船に使っていると、別室に呼ばれた。

うっすらと暗い部屋、洗体ベットが3台、等間隔で並んでる。
石のタイルで囲まれて、ちょぴりひんやりしている、
大きなポリバケツに水がいっぱいに満たされている。
そこに、蛇口から水滴がぴちょん、ぴちょんと落ちる音。

ベットに寝ていると、
大きな裸の男がふたり入ってきた、それもまったくの素っ裸、
股間がフリープレー、ふたりとも揺れている。
こちらも生まれたままです、
この国は、こういう場合、パンツをはくということがないのだ。
儒教の国では、裸の付き合いなのだなぁ。

しかし、このふたりずっと韓国語で会話している。
ひとりは、隣のベットに座っている、
寝ている僕の顔の延長線に、座っている男の股間が。
この人は何でいるんだろう。

仰向けの僕の顔に、濡れタオルがかぶせられた。
当然何も見えなくなった。
隣のベットには相変わらず真っ裸の大きな男がいる、そして、会話が続く。
もうひとりが、ぴしゃっ、ぴしゃっ、と音をたて水をまく。
どこに撒いているのか、何をしているのか。
はじめての国、はじめての店、言葉が解らない、何がどういう手順で進むのか、
なぜ、男たちは裸なのか、ベットに座る男は、
ふたりはなにを話しているのか、水の音、ぴしゃっ、
こちらも無防備に、真っ裸、裸の男が三人…、

なんて不安をよそに無事、垢を落としていただきました。
ただし、ベットに座った男の人は、なぜ居たのかわからないままでした。

怖かったですよ。
先が予想できないところで、
視覚を奪われるって、こんなに怖いものかと、
そして、聴覚や皮膚の感覚が敏感になるのかと。

普段、とっても疲れてアカスリに行くと、
こんな体験を思い出さないと、
どんなに年輩の、どんな体型の方に
アカスリをしてもらっても
視覚を失ったイマジネーションが
豊かになると、男は危ない状態に追い込まれたりする。

しかし、
韓国でのアカスリって、
この時が最初で最後の1回なので、
なにも付けないでまっ裸で作業するものなのか確信が持てませんが?

この釜山での巨漢・裸族体験を大切に頭にしまって、
母国・日本での疲れた時の危ういアカスリ時に有効に活用するとしよう。





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おもいこみ相乗効果か、

11月20日(月)19時~ 内幸町ホール
志らくのピン 古典落語編

落語をひとりで四席は、どうなんだろうと思いましたが、
さすが志らく落語、これをやられると、2席とか、3席だと物足りない感じをしてしまうような気が。
しかし、志らく師匠の落語は面白いですね。
「幇間腹」「質屋庫」「弥次郎」「芝浜」
「芝浜」以外はじめての噺、
そして「芝浜」は今年今回がはじめで最後の1回だそうで、
なんて幸運なことでしょう。

この時期、談志師匠は「芝浜」を多数投入するそうです。
談志師匠の「芝浜」は人気があるからそれに応えてくれるということなんですね。

志らく師匠は、三木助師匠が文学的に描いた朝の海の情景を
朝が明け、なみが、じょうが、とくじょうが、と、
波を、並みが、上が、特上が、と、クッ。

芝居「あうん」のためダイエットして
「夏痩せと思っていたら末期がん」そろそろ症状が出るころですからね、なんて、
思い込みでしょうが、芝居の仕上げと、落語が、相乗効果でいいような、
「あうん」もぜひ観に行きたいと思います。
その前に、
向田邦子著「あうん」も読んでおきたい。
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中野あたたまり

落語教育委員会
中野ZEROホール
2006.11.11
19時30分~

寸劇~携帯電話は消しましょう~
柳家喬太郎
三遊亭歌武蔵
柳家喜多八

柳家ろべえ「悋気の独楽」
柳家喬太郎「怪談のりうつり」
~仲入り~
三遊亭歌武蔵「胴ぎり」
柳家喜多八「鈴が森」


終演後、いつものように、一杯やって
昨晩は、加賀屋、帰ろうとすると、
お隣の店で、なんと先ほどの噺家の皆さん、打ち上げていらっしゃる。
カウンターだけの店、関係者の皆さん10名ほどでその店は貸切。

いいものを見た、
ほほえましく、こころもからだも温まって、帰りました。
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しらくの眼

「志らく百席」第15回、今年最後の会。
横浜にぎわい座。

ここのところ体調が下降気味で、
昨晩、志らく師匠の好物、生姜焼きと、冷奴を作って食べた。
生姜焼きは、豚肉とほぼ同量の生姜の細切りを炒め、塩コショウに醤油で薄味に、
多めのおろし生姜のはいった醤油をまぶして食べる。
やっこは、豆腐が見えなくなるくらい大量に生姜をのせて、
豆腐がくずれ、生姜の主役としての勝利を見届けて食べる。
おかげさまで、からだが中からあたたまる、汗がじわりたらたら出る。
生姜は医者要らずというそうだ。

生姜のおかげもあり、気合を入れて、横浜にむかう。

開口一番
立川志らら「壺算」
高田文夫先生・藤志楼師匠の鞄持ちをしてるそうだ。
落語家・芸人として、恵まれてるなと思うのは、わたしだけでしょうか。

立川志らく
「後生鰻」
はじめてこの噺を聴いたとき、
こんな落語があるんだと驚いた。
信心が過ぎると、おっかないぞという、
ブラックノンフィクションか。
いまの世の中、ある部分を切り取るとそのまま落語になりそうだ。
まさか、赤ん坊をこの噺のようにする人はいないと思いたいが、
ニュースで報道されている状況は、
まったくないとはいえない今日この頃です。

つづいて、
「厩火事」
チンパン探偵、志らく師匠の厩火事、はじめて高輪で聴いたとき、
こんな面白い厩火事と笑いころげた。
本日、新キャラ・ケロヨン音頭(たぶんそうですよね)登場。

~仲入り~

ホームチーム(漫才)
隣の女性のお客さんは、このふたりがお目当てでした。
そういうお客さんも当然いるでしょうね。
よ~く、志ららさんから、笑っていました。
落語ははじめてのご様子でしたが、お好きになったかしら。

最後
「文七元結」
まくらでもいってましたが、
談志・志らく親子会で演ったと、
わたしもはじめて志らく文七元結をそこで聴きました。
この人情噺で、こんなに笑えるのかという志らく文七元結。
志らく師匠の親方、「あぅ~ん」「てぇぁ~ん」なんて書いたらただしいか。
ただ、ただ、どうしようもなく笑らってしまう、子供みたいに。
笑うことには、あたま脳みそを使ってますが、
原始的な脳みそを使った笑いもあるんですよね。
厳粛なクラシックバレエを観ながら、
その踊りのフォルムのユニークさに声を出して笑ってしまって、
周りから白いで眼でみられたことがあります。

志らく師匠の眼、
にほんじんばなれか、にんげんばなれか、
狂気の眼。
大笑いしながら、師匠の眼に背筋がきゅっと寒くなるときがある、
芸人の狂気ですか、芸人というくくりでなく、志らく師匠の狂気。

こちらは、
冷えた背筋を生姜を食べてあたためます。
やっと、11月霜月というに相応しい寒さを肌でも感じます、ちょいと熱燗でも。
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文句の叫び

エドヴァルト・ムンク
Edvard Munch(1863-1944)
1863年12月12日、五人兄弟の長男として、
オスロの北150キロ、リョーテンの街にムンクは生また。

「叫び」1893の作
人間の自然に対する実像的な不安を描いたあまりにも有名な作品。

もう、タイトルからネタがばれてしまったと不安なのですが、
超クレーム体質のお客さんと出会った。
悪気とかじゃなく、身に付いたもの、
もったがやまいの文句好きだ。
小言ではない、苦情・クレームだ。

この季節だと、
セーターに、ひっかき穴か、虫食い穴をみると、
みつけた!弱点、とばかり指を入れて、その穴をぐりぐりまわして大きくするひと。

せっかくできたすり傷のかさぶたを、
表面のざらざらを楽しむようにさわりながら、
にやりと笑って、ぺりっとはがしちゃうひと。

和気あいあいモードから、一転、足払い、自分が優位なポジションに立ち、
さあ、ここからだと、アドバンテッジを手に入れてから交渉・対話に入る。
敵にしたくない、できれば近づきたくない。

そのお客さんからの電話の着信に、
思わず、ムンクの叫びの表情になってしまう自分。
精神・肉体への負荷が重くかかる。

しかし、ポジティブにいえば、
お客様の苦情・クレームはためになる、
普段、見落としていたものを気づかせてくれる、
大事件になる前の警告だ。

なんて、こころのバランスをとろうと思うが、
そんなことより、
このひとが、どうして、そんなやまいをもったかに興味がある。
やまいのもとが、こまった相手、たじたじの相手へ精神的な優越感なら、
すべてを認めれば退屈になるだろうが、
経済的優位、金銭的要求には、そうもいかない、ちゃんとした対応が必要となる。

最近、
苦情、クレームに困っているひとが多いのだろうか。
「苦情学」関根眞一著 恒文社
を買ってみた。

著者の関根さん、苦情・クレーム対応アドバイザーという肩書きです。
とすると、苦情・クレームの専門家、
苦情・クレームががなくなると、
めしのタネがなくなっちゃうってことか。

どんなお宝がまってるのか、
楽しみだ。

読後の感想っていうのは当たり前だが、
読む前の感想、「読初の感想」というのは新しいかも。





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紙一重、の告白。

久しぶりの週末の休日。
いつもより早く起き、風呂に入って、あたまを洗っていると、
笑みがこぼれる、笑えてくる。
胸のあたりがざわざわする。
照れくさいが言おう、いい歳をして恋をした。

新宿から、湘南スカイライナーで、横浜。そして根岸線、桜木町で降りる。
10時前に着いて、野毛方面に向かう。
のぼりが見える、にぎわい座。
落語が聴きたい、噺家を見たい、もちろん誰でもいいってわけでない。
談春独演会、前売り完売で、当日券は会場でしか入手できない。
14時から開演のところ、開館10時と同時に入館しました。
ずぼらな自分が、ここまでするか、惚れたんですね、落語に、談春さんに。

七夜を終えて、はじめての談春師匠、
なんか肩の力が抜けて、かろやかに
「粗忽の使者」
談春さんの噺の中で棒だらとか、これも好きです。
「白井権八」
はじめて聴きました。
ー仲入りー
「明烏」
いいですね、なまは。悪の権化。甘納豆食べ続けて下さい。
誰だよ、甘納豆のくだりがなくていいと云うのは。

昨日、
BOB DYLAN
NO DIRECTION HOME
マーティン・スコセッシ監督
下高井戸シネマで観ました。
彼は売れる前、NYで、いかに客の心をつかむかに苦心したそうだ。

観客を前にするものが考えるのは、おんなじだ。

野球とか、相撲とか、プロレスとか、
スポーツと人生を重ねることを格好の悪いことと思っていたが、
まんざらでない、わるくはない、むしろ、いいんでは、
いやいや、気をつけないと、あぶない、あぶない。

もはや、手遅れか、
恋をしたなどと、ばかだな、気が違ってしまったようだ。
気が違った、そっちの方が正しくなれば、それが正気か。
紙一重だなぁ、まったく。




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よっ!目玉の商品

FUROという集団が
・MEARY(目玉のシール)
・HELMUT(顔のヘルメット)
・ARCHIMEDES(ジャングルの中に緑のヒト)
という、馬鹿馬鹿しくも頬笑ましいGOODSをだして活動をしています。

洒落もあり、贔屓にしてます。
よのなか、ちょっと楽しくなればという感じも好感が持てます。
一度、観てみて下さい

http://www.furo.tv/
YOUTUBEにも投稿されています。
http://www.youtube.com/watch?v=LRPvhTdlPBU
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みたか、粗忽長屋

三鷹芸術文化センターで、
芸術と文化の真ん中、「活弁と落語の二人会 澤登翠&立川談志」を観た。

『散り行く花』Broken Blossoms
 D・W・グリフィス監督、リリアン・ギッシュ主演(1919年・アメリカ)

無粋です。
リリアン・ギッシュ、かわいいともきれいとも思えません。
当時は、人気があったのでしょうか。
お人形様みたいだからですか、日本でも、アメリカでも。
活弁がどんなものかと楽しみたいとは思いつつ、
タイトルはきれいですが、わざわざ観る映画でない。
映画が面白ければ、活弁の芸も活きるんじゃないかと思う次第です。

お二人の対談があり、
対談によると、
談志師匠は、「ノッティングヒルの恋人」が好きな映画と判明しました。
少なくとも、会場では照れながら好きな映画だと言いました。

立川談志師匠「粗忽長屋」

仲入り、スタッフ関係者が、会場隅で
師匠が早く高座にあがりたがってるということで、
休憩時間まだ時間があるけれど、始めるんだって。
ということを小耳にはさんだ。
面白いなぁ~、師匠はどんなコンディションなんだろう。

そんな話を聞いたからからだろうか、
師匠の喉の調子だろうか体調か、
さげにむかってまっしぐら、いそいで終わった気がした。

いつもの耳が悪い話、喉が悪い話、死にたい話、
きょうも、会場、笑いがあったが、
ぼくは笑えなかった。肌寒くなった気候のせいか、間近で見たせいか、師匠の口調か。

しかし、肌つやがよいように見受けられる、
ひとり会、独演会、チケットが手に入らない。
だから、このような芸術&文化の真ん中にも足を運ぶわけだ。

「粗忽長屋」聴けてよかった。

だけど、こんな事いっているは、
ホント一体、だれなんだ。
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