たどりついたぞ、雨の中、親子会。

強い雨の中、
池袋・東京芸術劇場「談志・しらく親子会」
仕事の合間に抜け出して行けました。

10月の楽しみにしていた落語会が、ことごとく仕事でつぶれていく。
まず、本日、行けてよかった。

落語会で、知り合いにはじめて出会った。
落語が好きな人とは思っていなかっただけに驚いた。
座っていると、肩越しに、名前を呼ばれて振り返る、
やっと抜けてたどりついてホッとしていただけに、どっきとした。
同じ列の席でした、こんなこともあるんだなぁ。

しらく、文七元結。
生前小さん師匠が、会場が沸いているので
しらくが軽い前座話でもやっていると思ったら
文七元結と知って固まってしまった話は
前からまくらで聞いて知っていた。
聴けて、うれしい、おもしろい。
泣けはしないが、大きく笑った。

死んじゃだめなんだ。
明日になれば、小鳥がさえずり、花が咲く。

しらくの親方、鼻を拳でつきあげ威勢よくいう、
「ぉお、おぅっ」「ぅえ~ぃ」が妙に好きだ。
吹き出してしまう。
連発などされたら、レッドカードをうれしく取り出したくなってしまう。

そして、
談志師匠、よかちょろ&山崎屋。
でてきていきなり、
座布団の上にころがり「だめだ、おれは~」だ。
いくつなんだ、元気だ。
耳がダメ、喉がダメ、といいながら。
にぎわい座でやった「よかちょろ」,
途中忘れてしまって、思い出す、そのドキュメンタリーが楽しかったが、
きょうもだ。
さては、…。
忘れて思い出す仕草が、ビデオの早送りのようだ、おさらいだ。
楽しませていただいた。
『文楽の「よかちょろ、45円」がいいたくて、やってんだ』
毎回の熱演、ありがとうございます。

できる限り、足を運びたいものだ。
その前に、チケットを入手しないと。
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伝説の店、吉祥寺「いせや」

昭和2年創業の吉祥寺の名物店・やきとり屋「いせや」が、
古い建物を壊してリニューアルするという。

今日9.25が、最後だ。

昨日、日曜日、その話を聞いて、歴史ある店舗で、最後の味を楽しもうとやって来た。
14時頃着いたが、人があふれかえって、歩道を自転車が通れないくらい渋滞している。
やきとりを持ち帰ろうと並ぶもの、店内で食べようと並ぶもの。記念に写真を撮るもの。
そこを通行人が二本足の馬、野次馬となる。
ひと、ひと、ひとだ、そして馬もいるのだ。
みんな、それぞれに、懐かしむ想いがあるのだろう。

地方からでてきて、はじめて住んだのが吉祥寺。
学生時代にお世話になった店だけに、どうしても、店内で食べたかった。
その頃、いせやはご馳走だった。
でっかく串刺しなった肉のかたまりを、ほっぺたを膨らませ、ビールで流し込む。
そんなふうに、まわりで飲むオヤジたちの飲み方をまね、背伸びをし、
酒の苦さを憶えた。

並んでいる途中、
店はなくなっても、
この味はなくならないからと、待ちくたびれて帰っていった人がいた。

1時間も待たずに入れましたよ。
2階、窓際テーブル席、窓から顔をのぞけば、地上で並んでる人と目が合う。
ちょっとにらまれた、おっかねぇ。
そんな気持ちなら、先程の人みたいに、帰った方がいいんじゃないの、
なんて余裕しゃくしゃく、地階を見下ろす。

とりあえずビール、焼き鳥は、はつ、ひなどり、は、塩で、
しろ、れば、つくねは、たれで。
冷や奴に、本日のお楽しみの、ひれかつ。
ビールの次は、酎ハイ。
酎ハイの次は、また酎ハイ、そして酎ハイ。

そろそろ、お次に席をゆずらねばと、お勘定を頼もうと思い、
若い女性の店員さんに、
「この店は、まだまだ、頑丈そうですが、老朽化で、取り壊さなければいけないという法律なんですか」
と聞いたら、よく知らないらしく、
「経営者の方の想いが、、」と、
そうか、いせやと経営者という言葉が同居したのに一瞬たじろぎ、
経営方針により、取り壊す、経済の理由なら、何とかならないものかと
無責任に、酔っぱらいの頭で考えていると、
突然「ただね、ホント今日はお客さんを待たせて悪いんですよ。」
この期におよんで、この状況でそういう暢気な気のやさしい店員に、
ほっとして、もうちょっと次の人には待ってもらおうと、
店員の心配をよそに、酎ハイをもう1杯、頼んでしまった。

このちっちゃな話を、
吉祥寺「いせや」のぼくの最後の伝説として、
ここにしるそう。


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演歌を続けて聴くのは、まだはやい。

昭和17年生まれ、1942年、64歳、出身・秋田。

きのう、たまに行く居酒屋のカウンターでひとり飲んでいた女性。
そんなに大きな店でなく、
カウンターと座敷で15人も入ったら、肩と肩が触れるぐらいの店だ。
夕方5時から飲んでいるという。
ぼくがその店に入ったのが夜の8時すぎだから、3時間以上は飲んでいるのだ。
客は、その女性とぼく。
酔っぱらって、秋田なまりが、ちょっと呂律でまわらない。
しゃべるときに、右目をぎゅっと強く閉じて話す。
店のおやじに「帰れよ、もう今日は」と言われている。
迷惑だからというよりは、やさしさから怒っていっているのはわかる。

月に15万は飲み代に使っているそうだ。
毎日飲んでいる。
旦那さんは、社長だという。
どんな業種の社長かわからないが、
大企業ではなく、個人経営の会社だろうというのはうかがい知れる。
娘が二人いて、その上の娘が一切の家事をやっているらしい。

その女性の日課は、旦那が飼っている犬の散歩。
そして、こうして、夕方から飲み始めて、酔ってねる。

今日は、機嫌がいいらしい、はじめてのぼくに、
彼女のボトルで、ウーロンハイを2杯ご馳走してくれた。

彼女は、
その居酒屋を営むご夫婦に、
かわるがわるお礼を言っている。
おやじは、彼女より1歳年下だといい、
「いいひと、あなたはホントにいいひと」といい、
おかみさんには、
「ありがとね、ありがとね」とくり返す。

明日はこの女性、夕方友達と飲む約束があるそうだ。
おやじに、
「約束をやぶると信用をなくすぞ、今晩はもう帰れ。」
この言葉に背中を押され、帰っていった。

店内には、
都はるみの「好きになった人」が流れていた。
冗談じゃなく、本当に流れていた。
いつも来る時は、時間が遅く、店内はお客がいっぱいで、
店内に流れる音楽は気にならなかったが、
有線だろうが、こんなにど演歌が流れる店だと思ってなかった。

おかみさんは、
鹿児島の83になるおかあさんと携帯電話で話している。
台風13号のはなしだ。
久しぶりに電話をかけたそうだ。

今日は敬老の日だったんだ。
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オノレヲオノレガミル。それを客観性というんですよね。

立川流家元、つまり立川談志は、
「俺はまともですよ、常識人である。」と、いう。
「なぜなら、つねに、自分が言ったことが、正しいか、間違っていないかと考える。」と。
自信満々の人がいる。根拠がないのにものを言い切る人がいる。
しかも、プライドが高い。
そういう人に会うと、目を閉じて気を落ち着かせる。
気を付けて接するようにしているが、疲れる。
仕事だと避けられない。

孫引きです。
敬語は人との距離を確保するために使う。
人を遠ざけるためにこそ、「尊敬」を表す。
あるいはまた、対等の関係の中で距離を保つために「丁寧語」を使う。
それは他人に侵入されないための戸締りだ。
(「水曜日は狐の書評」から『橋本治が大辞林を使う』)

人の言葉を借りて語るわたしもいかがなもんでしょうか。

日本はじしんが多い国なんでしょうかねぇ。
やまいだれ頭巾が活躍するか。
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あたらない天気予報はいらない。

天気判断を迫られる時がある。

バーベキューや、野球、サッカーの試合など、
屋外で天候を気にして、数十人かを集合かける時、
幹事を務めると、その判断を迫られる。
みんなの時間、当日のキャンセル料など、
おもいのほか、責任重大だったりする。
集まることをやめて、晴れたら、針のむしろだ。
人間扱いをされなかったりする。

一応、集まってみるという方法もあるが、
集まって、解散は、全員の視線で串刺しにされる。
そもそも事前に、判断を迫られる時の方が多い。

天気図の動きを参考にしたりはするが、
降水確率をたよりに、判断することになる。
予報士も自信がない時は、的中率に%をつけてほしいくらいだ。
降水確率は30%だけど、予報確率は0.02%ですとか。
それも含んでの確率%なら、50%なら、降っても降らなくても、5分5分、責任がないとなる。
こっちとしては、50%はやめの選択肢となるだろう、そういう数字だ。
競馬の予想のように、この人は当たる、当たらないランキングを公表するとか。
予報士の皆さんは、どんな心構えで、予報をしているのだろうか。

当たるも八卦、当たらぬも八卦。
占い師は、そのことを前提に胸を張って商いをしています。
テレビにでてくる予報士は、当たりにくいという状況を解説してからの予報にでる。
たいして、占い師とはかわらない、
というか、じゃなければ、毎日テレビに登場できないでしょう,
お天気お兄さん、お天気お姉さんといって.
あたまを脳天気に取っかえた方がいいくらいじゃないんですか。
脳天気お兄さん、脳天気お姉さんと。ニコニコしていいですよ、24時間365日、寝顔まで。

もういちど、虫とか、雲とか、自然から、知るすべを取り返した方が
いいかもしれない、という脳天気にもなれない。

まあ、天気ぐらいで、がーがーいいなさんなよ、ってとこに行きたい。
これが、いちばん、のー天気ってことか。
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タクシーは手をあげてとめるものか。

早朝のタクシーを予約したことがある。
始発の飛行機に乗るために、とか、なぜか、
都内にいるのに、電車で接続が間に合わなかったりする。
そんな時に、タクシー会社のコールセンターに電話するのだが、
指定の時間に予約して呼べない。
予約をいれることができないのだ。
乗ろうとする時間の10分前に、コールセンターにご連絡下さい、という。
言われたように、呼びたい時間の前に連絡する、
コールセンターでは、お呼びできる車をお探ししますのでお待ちください、と言ってくれる。
ここまでの話だと、当然、無事、空港に届けてくれる車を手配してくれると思うのだが、
お客様、あいにく周辺にお呼びできる車はございません、とくる。

サービスになっていないじゃないか!コラ~ッ!
この対応で、だれが得をするんだ、バカモン。
「責任者、でてこ~いぃ」人生幸朗師匠か。


結局、大通りまででて、つかまえる。
運転手にこの話をすると、タクシー会社の体質で、いい加減ですから、ときた。
つかまえることができなかったら、と、ぞっとしながら。
昔は、といっても3~4年前、予約ができて、乗った覚えがあるのだが。


なにかが狂いはじめている。いや、大昔からあったのか。


橋本治「ああでもなくこうでもなく」N。106より

『「やるべきことをやらなくなったのはなぜか?」には、答えがない。
答えがあるんだったら、どこかにその「理由」はある。
「理由」がなくて「やらなくなった」という事実だけが残るなら、
それは単純な話で、「やるべき当事者がやらなくなっただけ」なのである。
「なぜか?」を考えるのは、その責任放棄をしてしまった当事者の無責任と退廃をネグレクトすることにしかならない。「ああ”さぼってやらない。やりたくないからやらない。めんどくさいからやらない”が、大昔から公然とあって、それが歴史の教科書には載らないだけか」と思ったら、気が抜けた。

根っこは意外に深くて、これに対処する方法は、「根っこの深さはここまでか」と見極めることしかないんだなと、私なんかは勝手に思っているのである。』


やまいだれを防空頭巾のように被っているこの頃の自分には、
「人間なんて、そんなもんでしょ、」っていう談志師匠の声が、
ちょっぴり、うさを晴らしてくれるのか。
台風が来てるんだってね、
過ぎ去った後の青空が楽しみだ。


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しょうがある暮らし。

立川しらくさんが、大の生姜好きと聞いて、
なにがいいのか、試してみた。

生で生姜は、ピリりっときて、舌を噛む。
酒のつまみに、ぴりぐびって感じで心地よい。
これは、フツーに谷中生姜とか食べるから、驚かない、記憶にある味。
大量に、ホント大量に、タマゴ1個分の大きさを細めの短冊に切り、
玉ねぎ、豚肉と炒めて、塩こしょうに、隠し味ナンプラー数滴で食べる。
ピッリとした生姜の辛さはとれ、マイルド。カラダがほくほく、うちから温まってくる。
この暑い夏でも、なにかこの内からあたたまる感じが、やる気を誘う。
外の暑さに、やりますか、って気になってくる。

くせになる。
生姜ない生活を、考えることができなくなりそうだ、つまりは、中毒、手前の状態。

まだ、着色した紅ショウガたっぷりのピンクのチャーハンは試していませんがね。
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びっくりしたなぁ、もう!

びっくりしたなぁ、もう!

は、てんぷくトリオの故三波伸介さんのギャグでしたが、

先日、圓朝祭の帰りに寄って汗を流した「世界湯」は、
志ん生師匠が、好んで入った銭湯でした。

志ん五さんが、志ん生師匠をおぶって銭湯に通っていたとは、
なにかの本で読んで知っていましたが、
あの「世界湯」でしたか。

びっくりして、汗が出ました。

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