臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(085・フルーツ・其のⅠ・それならば野菜イチゴもあるはずと)

2012年04月21日 | 題詠blog短歌
(南野耕平)
○  それならば野菜イチゴもあるはずとフルーツトマトのあたりを探す

 常識人としての本作の作者・南野耕平さんにとっては、「フルーツトマト」というネーミングが、たまらなく不愉快で滑稽なのでありましょう。
 〔返〕  それならば男流歌人と言ってみな女流歌人は差別用語だ   鳥羽省三

  
(五十嵐きよみ)
○  ドロップをフルーツ味から舐めてゆくチョコ味だけが最後に残る

 「チョコ味」の「ドロップ」は、何方様からも嫌われているのでありましょうか?
 だとしたら、真に可哀そうなことである。
 〔返〕  ドロップは森永・明治に不二家かな?サクマやオマタは潰れたのかな?


(伊倉ほたる)
○  待ち望むことは遅れてやってくるフルーツトマトを口に含めば

 「フルーツトマト」の甘味が、「口に含ん」で噛んだ後、しばらくしてからほんのりと漂って来ることにヒントを得ての一首でありましょうか?
 〔返〕  待ち望む結果は必ず遣って来る?努力をすれば報われるのか?   鳥羽省三  


(星川郁乃)
○  手の届く贅沢として記憶する新宿タカノフルーツパーラー

 「新宿タカノフルーツパーラー」で待ち合わせといった、手間のかかる逢い引きは、一時代も二時代も前の話ではありませんか?
 私の場合は千駄ヶ谷直行でしたよ。
 〔返〕  手の届く不倫相手に重宝な直属部下の淫乱アラフォー   鳥羽省三

一首を切り裂く(084:総・其のⅠ・出会えた奇跡信じてみない?)

2012年04月20日 | 題詠blog短歌
(おちゃこ)
○  総人口一億ちょっとその中で出会えた奇跡信じてみない?

 同じ概数を指して言うにしても、「総人口一億ちょっと」という言い方と「総人口一億余り」という言い方では、自ずから受け取り方が違って来るはずである。
 本作の作者は、「おちゃこ」という四股名からして“なんちゃって歌人”とでも言うべき歌人のように思われるが、その種の歌人が共通して持っている欠点の一つとして、“表現の甘さ”つまり“推敲不足”が上げられ、本作の作者の場合も、その例外ではない。
 女性が恋愛対象者の男性に対して、「私と貴方は、『総人口一億』以上も居るこの国で『出会えた』のだから、その出会い自体、『奇跡』とでも言うべき現象である。だから、貴方も私もこの『奇跡』をしばらく『信じてみない?』」と呼び掛けるという発想そのものは、“なんちゃって短歌”の作者としては、かなり優れた発想である。
 したがって、本作の作者のおちゃこさんは、そうした優れた発想をもっともっと大切に扱い、本作を詠むに当たっては、推敲の上に推敲を重ねる必要があったのである。
 〔返〕  女性人口四十億余のこの星で貴方は私を選んで呉れた   鳥羽省三


(吾妻誠一)
○  うきうきと観劇へ出たばあちゃんの総入れ歯笑むちゃぶ台の上

 私は経験者であるから言えるのであるが、「総入れ歯」をして「観劇」に出掛けることは、そんなに容易なことではありません。
 作中の「ばあちゃん」にしてみれば、傘寿のお祝いの一つとして、お孫さんから浜町の明治座の入場券を頂戴し、いそいそ「うきうきと観劇」に出掛けたまでは良かったのであるが、その後があまり宜しくない。
 歯ぎしりする音が煩いからという理由で隣席の若い男女からいちいち睨まれ、煎餅をぼりぼり噛むのが恥ずかしいからという理由で同行した息子の嫁から窘められ、挙句の果てには、ストレスが原因の口内炎が出来てしまったのである。
 「ばあちやん」の「総入れ歯」が「ちゃぶ台の上」に乗っかって居たら、せっかくの特上寿司も不味くなりはしましょうが、ここ一番、ご家族一同我慢の上に我慢を重ねて、余命いくばくも無い「ばあちゃん」の傘寿の祝いを盛り上げましょう。
 〔返〕  総入れ歯洗浄剤にはポリデント100%効果が期待できます   鳥羽省三


(新田瑛)
○  自分だけを信じて生きてきた人は総じて耳に毛が生えている

 ご本人が、そんなことを仰っておられるからには、さしずめ本作の作者・新田瑛さんの「耳」には「毛が生えている」ことでございましょう。
 〔返〕  「信じるに足りるのは我ひとりのみ!」新田瑛師はかくのたまいき   鳥羽省三


(原田 町)
○  総括の言葉とともに記憶せる永田洋子の訃報を知りぬ

 このままでも充分に傑作として称賛するべき作品ではあるが、欲を言えば、詠い出しの語句「総括の」の「の」に疑問が感じられる。
 この場面では、初五の字余りを気にしないで「総括とふ」とするべきでありましょうか?
 作者の原田町さんに於かれましては、いかがお考えでありましょうか?
 〔返〕  総括とふ言葉と共に記憶せる永田洋子の訃報に接す   鳥羽省三


(ネコノカナエ)
○  「総持寺」と御詠歌に聴き掃除する祖父をおもった幼い夏の日

 一口に「総持寺」と言っても、横浜市鶴見区に在る、曹洞宗の大本山「総持寺」を初めとして、石川県輪島市門前町の“総持寺祖院”、更には、牡丹の名所として知られている、滋賀県長浜市の「総持寺」など、様々な寺院が在りましょうが、作中の「総持寺」とは、西国二十二番の札所として名を馳せている、大阪府茨木市の「総持寺」を指して言うのでありましょう。
 畏れ多くも、仁和二年(886年)、山蔭中納言政朝卿のご開基になる、高野山真言宗の古刹「総持寺」のご本尊は千手観世音菩薩である。
 事もあろうに、その有り難き千手観世音菩薩をご本尊として戴く、「総持寺」の御寺号を「御詠歌に聴き」、「掃除する祖父をおもった」とは、いかに「幼い夏の日」の出来事とは言え不届き千万、その罪業は、地獄の針山追放にも値いしましょう。
 ネコノカナエさんとやら、いざ、いざ、御覚悟の程を。
 〔返〕  「総持寺」とご詠歌に聴き母を思ふ千手観世音菩薩にも似し母よ   鳥羽省三


(星川郁乃)
○  どこまでを総意と呼ぶの 晩秋の庭にくずれてゆくゼラニウム

 「創意」とは、あくまでも“総員の意志”ということであり、一例を挙げて説明すれば、現在の総理大臣・野田某は、自党の「総意」で以って、消費税増税案を今季国会に提案出来よう筈はありません。
 〔返〕  極寒の平壌に崩るるゼラニウム総員決起せよとの号令を発す   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  亀戸で総武緩行お下車して天神様とかくれんぼしましょ

 あの総武沿線の住民の口から「お下車」などというお上品な言葉が、本当に漏れるかしら?
 〔返〕  亀戸の芸者総員入れ揚げて藤見物に出掛けましょうか   鳥羽省三

一首を切り裂く(083:溝・其のⅠ・お互いの溝をあまりに埋めすぎて)

2012年04月20日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  露天風呂の排水溝に紅き葉のひとひら落ちて流され行けり

 電車賃をかけてはるばる山間の温泉まで遣って来たという思いが、西中眞二郎氏をして、「『露天風呂の排水溝』に紅葉した『葉』が『ひとひら落ちて流され』て行った」というが如く格別に珍しくも無いような光景を見ても、一首をものしたくなるような気持ちに誘うのでありましょうか?
 〔返〕  人恋し街の灯りが恋しくて紅葉流るる水路に見入る   鳥羽省三


(松木秀)
〇  お互いの溝をあまりに埋めすぎて洪水のとき対処できない

 例えば、新しい団地に引っ越して来たばかりのママ同士の交際に、「お互いの溝をあまりに埋めすぎて洪水のとき対処できない」といった短歌に比喩されるような支障が見られるのである。
 子供同士の喧嘩や学習塾での席次、或いは、ご亭主同士の学歴や勤務先及び所得金額の差といったものは、いつ如何なる時に「洪水」になるかも知れません。
 したがって、女性同士の関係、なかんずく、新しい団地に引っ越して来たばっかりのママ同士の付き合いは、“浅く淡く”あるべし。
 〔返〕  上善は水の如し。水は善く万物を利して而も争はず。   鳥羽省三


(伏木田遊戯)
〇  溝苺繋(みぞいちごつなぎ)という名の植物を初めて知って諦めました

 「溝苺繋」と「いう名の植物を初めて知って諦め」た内容が何であったのか、と少しく興味を持ちましたが、このところしばらくの間健康状態が勝れず、それ以上の詮索は止めました。
 ところで、徒然なるままに病臥中に読んだ書物、『たとえば君~四十年の恋歌』(河野裕子・永田和宏共著)所載の、河野裕子氏が角川『短歌』の平成十八年十月号に発表したエッセイ『眠い人』の中に、ご夫君の永田和宏氏が、「段戸襤褸菊」という帰化植物を知らないままに「透明な秋のひかりにそよぎいしだんどぼろぎく ダンドボロギク」(『華氏』)という作品を詠んで得意になっていた様が描かれていたり、彼ら二人が「付き合い始めて間もない頃、京都の京阪七条駅のホームに葉牡丹が植えてあるのを見て、永田和宏が、あ、キャベツと指さしたときはびっくりした」と書かれていたのには、感動と言っては少し大袈裟過ぎますが、それに類似したような思いをしてしまいました。
 よくよく考えてみると、葉牡丹を指さして「あ、キャベツ」と言うのは論外中の論外とでも申すべき無知と言えましょうが、「溝苺繋という名の植物を初めて知って」、人生の何かの場面を諦めたりするような歌人や、「段戸襤褸菊」を知らないままに、その語呂の良さに魅せられて「透明な秋のひかりにそよぎいしだんどぼろぎく ダンドボロギク」という傑作をものして、悦に入っているような歌人はそれほど珍しくはありません。
 〔返〕  我が庭に段戸襤褸菊咲きました溝苺繋の花はまだ見ず   鳥羽省三


(東雲の月)
〇  側溝に落ちた車は無念さを傾いだ角度で訴え続ける

 「側溝に落ちた車」に限らず、私たち「落ちた」存在の全ては、己の生き方の空しさを各々の「傾いだ角度で訴え続け」たり、見続けたりしなければならないのでありましょうか?
 〔返〕  側溝に堕ちた車と観念し傾いだ角度で月見もぞする   鳥羽省三


(南葦太)
〇  負け犬の視点で歩く道の端 排水溝に草が生えてた

 「負け犬の視点で歩く」ような場合は、知らず知らずのうちに「道の端」を「歩く」ようになり、「視点」そのものも思わず下向きになってしまい、「排水溝に草が生えてた」ような光景に捉われてしまうのでありましょうか?
 しかしながら、小泉元首相の馬鹿息子を初めとして、上向き加減で大道を闊歩するような若い男女が目に着いてならない今日、本作の作者・南葦太氏の如く、「道の端」を「負け犬の視点で歩く」ような人物は、真に奇特なる人格者と言わねばなりません。
 南葦太さんこそ、我が師として仰ぐべき人物でありましょう。
 〔返〕  首都圏と言っても千葉や埼玉は犬のうんちを踏む危険性大   鳥羽省三


(伊倉ほたる)
〇  U字溝が積み上げられた空き地にはセイタカアワダチソウと口笛

 今日の我が国で見られる「空き地」の特徴の一つとして、「U字溝が積み上げられた」光景及び「セイタカアワダチソウ」が生えている光景に着目した点は、大いに称賛されましょう。
 それだけに、「U字溝」の「U」を無造作に半角文字とした点や、末尾に「口笛」という常套的な一語を置いて逃げた点が惜しまれるのである。
 本作の作者・伊倉ほたるさんは、ご自身の卓越した歌才をもっともっと大切にしなければなりません。
 せっかくのブログを有り触れた料理の写真で埋め尽くしてしまうのは、極めて残念なことと言えましょう。
 〔返〕  U字溝が積み上げられた草原でおんぶばったを捕まえたっけ   鳥羽省三  


(今泉洋子)
〇  側溝に動かぬ鯰を見し夜に地震(なゐ)を伝ふるテロップ流る

 本作の作者の欠点の一つとして、「ご都合主義的な言葉遣い」を指摘して置きましょう。
 本作に詠まれた光景が、例え実景であったとしても、「鯰」と「地震」との組み合わせから成る一首は、あまりにも安易な作品と言えましょう。
 〔返〕  圧力鍋で加世田南瓜を煮てたとき地震を伝えるニュースを聴いた   鳥羽省三


(壬生キヨム)
〇  溝を掘る職業の人が好きな子の脱ぎっぱなしのパンツを畳む

 いくら「溝を掘る職業の人」だって、「好きな子の脱ぎっぱなしのパンツ」ぐらいは畳みましょう。
 但し、その「パンツ」が他人の家の物干しから盗んで来た「パンツ」であったら、後ろに手が回ることにもなりましょう。
 ところで、今日の朝日新聞の朝刊に、痴漢的行為に走って逮捕された警察官についての記事が二件も載っておりました。
 警察官や教員の猥褻行為は、この頃、毎日のように新聞やテレビで報道されておりますが、彼ら、特別公務員はどうして猥褻行為に走るのでありましょうか?
 〔返〕  溝を掘る仕事の人が趣味とする石窟寺院の寝釈迦拝観   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  溝の口過ぎれば二子玉川で田園都市線三茶でお下車

 「田園都市線」の電車に乗っている時にたまたま耳にした、厚化粧した中年女性同士の会話、「まあ、奥様は三茶でお下車なさるんでざぁますか。私どもはその手前の駒澤大学で下車するのでざぁますのよ」に取材しただけの駄作である。
 それにしても、「お下車」という言い方の、何と下品な言い方であることよ。
 〔返〕  その先は半蔵門線への直通でお堀端まで参りますわよ   鳥羽省三   

一首を切り裂く(082:万・其のⅠ・言い過ぎている)

2012年04月19日 | 題詠blog短歌
(飯田和馬)
〇  万能と呼ばれる葱の細さなど白々と見て言い過ぎている

 飯田和馬さんとしては、真に珍しい失着と申せましょう。
 試みに添削させていただきますと、本作は「万能と呼ばれる葱の細さなど白々と見つ 言い過ぎている」とするべきでありましょう。
 一首全体を、のっぺらぼうのように続けることなく、上の句を「万能と呼ばれる葱の細さなど白々と見つ」と四句切れとし、その後を一字空きにして「言い過ぎている」と、感想風な一句を付け加えたならば、それらしい一首になりましょう。
 〔返〕  聴け万国の労働者 轟き渡るメイデーの夢幻の如くなりにけり   鳥羽省三


(廣田)
〇  万物の創造終えた日曜の夜は無意味に花火を鳴らす

 造物主ならぬ本作の作者の廣田さんにとっての「万物の創造」とは、一体全体、どんな作業でありましょうか?
 その如何を問わず、その「万物の創造」を「終えた日曜の夜」こそは、彼の金王朝の人民よろしく「無意味に花火を鳴らす」に相応しい場面でありましょうか?
 〔返〕  聴け万物の創造主轟き寄する大津波全て空しくなりにけり   鳥羽省三


(浅草吉右衛門)
〇  油断した 後から来たぞ 万願寺 辛さ染み入る 秋の晩飯

 万願寺唐辛子の炭火焼きの美味しさを思うと、つい、うっかり、「後」になってから遣って来る「辛さ」など忘れてしまいますからね。
 〔返〕  万願寺唐辛子を割り種を取り仙台味噌を塗って焼いたの   鳥羽省三


(壬生キヨム)
〇  万が一大人になったらその部位を触らせてあげる約束をする

 「万が一大人になったら」「触らせてあげる」と、本作の作者・壬生キヨムさんが「約束をする」「部位」とは、一体、彼の虚弱な肉体中の何処を指して言うのか?
 永田和宏氏の歌集『風位』に、「ぼんやりとねむくなるときおのずから魔羅膨らむと言えばわらいぬ」という、男性の「部位」をストレートに詠んだ作品がある。
 永田氏の愛妻・河野裕子氏の左胸の乳癌が見つかり、京大病院で手術を受けたのは平成十一年十月のことであり、永田氏の第八歌集『風位』が刊行されたのは平成十五年のことである。
 〔返〕  万が一五億円が当たったらその札束を持たせてあげる   鳥羽省三
 

(睡蓮。)
〇  人の世は運も縁(ゆかり)も万華鏡めぐり合わせの奇跡きらめく

 「人の世は→運も縁も→万華鏡→めぐり合わせの→奇跡→きらめく」との、言葉の選択とその配置や運びが、真に宜しい。
 〔返〕  人の世は死ぬも生きるも運次第巡り合わせも致し方なし   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  桂瓜・聖護院蕪・万願寺唐辛子・賀茂茄子・九条葱

 俗に謂う「京野菜」の類を並べ立てただけの作品である。
 〔返〕  紅花にラ・フランスにさくらんぼ 山形衆の貪欲なこと   鳥羽省三

一首を切り裂く(081:配・其のⅠ・出逢はむための天の配剤)

2012年04月10日 | 題詠blog短歌
(映子)
〇  花魁の 花道のよう 香をのこし   病棟の中 配膳車ゆく

 無用な“文字空け”は読者から馬鹿にされ、作品の品格を損ねるだけのことである。
 食べ物の「香をのこし」て「病棟の中」を通り過ぎて行く「配膳車」を花魁道中に見立てた発想は、真に卓抜なものである。
 それだけに、その卓抜なる発想を台無しにした、無用な文字空きを伴った表記や推敲不足の言葉遣いが惜しまれるのである。
 〔返〕  ソープ嬢の出勤時の如き香を撒いてホスピスの廊下を配膳車が往く   鳥羽省三


(紫苑)
〇  辿り来し道の平らかならざるも出逢はむための天の配剤

 阿Q謂うところの「精神的勝利法」とは、斯くの如き思考法を指して言うのでありましょう。
 〔返〕  恋人を他の女が奪うのも我を高める天の配剤     鳥羽省三
      君の歌を私がブログでけなすのも君を高める天の配剤
      三陸に大きな津波が寄せたから街が壊れて山積む廃材


(横雲)
〇  喩ふれば人居ぬ島へ配流の身便り一つのこぬか雨降る

 本作の作者・横雲さんが置かれた現在の状況を一首の歌に託して述べようとしてのでありましょう。
 だが、如何せん、四句目から五句目への渡りの語句「こぬか」が、「便り一つが来ぬか」と「小糠雨降る」との掛詞となっているなど、現代短歌としては、発想も古いし表現技巧も古い。
 〔返〕  例ふれば人こぬ島の小糠雨己の影と相合傘せよ   鳥羽省三
 雨が降ってたら自分の影さえ映りませんから、相合傘をする相手は誰一人として居りません。
 このことは、独善ということの空しさを象徴的に表す為に神が与えた恩寵でありましょう。
 〔返〕  捕はれて喜界が島へ配流の身俊寛僧都は足摺りをすと   鳥羽省三


(西中眞二郎)
〇  秋葉原メイド喫茶の女の子我を無視してチラシを配る

 ご年配や風格から推してみて、「メイド喫茶」に入り浸りになるような方とは思わなかったんですよ。
 だから、決して僻んではいけません。
 〔返〕  新百合のブックオフ前のビラ配り五十円引きのテッシュを呉れぬ   鳥羽省三
 テッシュに加えて一冊五十円引きのサービス券まで貰えるんですから、私はいつも彼らに近寄って行くのですが、彼らは私を見向きもせずに、ひたすら若い女性に血眼を馳せております。


(原田 町)
〇  この夏は向こう三軒ゴーヤ植えわが家のゴーや配れずじまい

 私も今から五年前の「夏」に、原田町さんと全く同じような体験をしました。
 親戚の家から借りた畑に、たって三本植えただけの「ゴーヤ」が、生るわ生るわ、一朝に二十本も三十本も生るのですから、二人暮らしの我が家では到底食べきれませんし、借地に植えたゴーヤを隣近所や親戚の家に配る訳にも行きませんから、結局は、その大半を棄ててしまいました。
 〔返〕  この夏は新種のゴーヤを植えようと妻の翔子が言い出しました   鳥羽省三


(矢野理々座)
〇  配偶者紹介する時なんと呼ぶ 妻?嫁?家内?連れ合い?ワイフ?...

 我が家では、何も言わなくてもそれと無く通じます。
 結婚生活四十三年余りの余裕でありましょうか?
 〔返〕  「あれがねぇ、あれが欲しいと言ってるの!あれをあれだけ貸して下さい!」   鳥羽省三


(青野ことり)
〇  それぞれが違う思いを胸におき配られた紙じっとみている

 「配られた紙」には、神のお告げが書かれていたのでありましょうか?
 〔返〕  それぞれが違う重さを台に置き揺れる指針をじっと見詰める    鳥羽省三
      お笑いの静ちゃん並みの体重でヘルスメーターを壊してしまう

一首を切り裂く(080:結婚・其のⅠ・子らの少なき町に住み継ぐ)

2012年04月09日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  結婚をせぬ人多き世となりて子らの少なき町に住み継ぐ

 気が付いてみたら、公園や往来で遊んでいる子供の姿を目にすることが殆ど無くなっておりました。
 私が小・中学生の頃は、50人編成の学級が8クラスも在るような学校が、ごく当たり前のことであったような気がしますが、この頃は、全校生徒が100人以下という小学校が都会でも珍しいものでは無くなってしまい、そんな学校でも、校長は校長然として威張っております。
 昨日、私の自宅に、私たちが20年間住んでいた横浜市内の某団地から妻の親友が遊びに訪れました。
 彼女はこの数十年間、団地内の民生委員を引き受けているのですが、その彼女の話によると、「彼女の管轄内には40代に達した独身男女が多く、また、一旦、結婚して親元から出て行ったものの、数年後に離婚して親元に戻り、高齢に達した親の世話をしながらパート勤めをしている30代の女性が、この頃、急に増えた」とのことでした。
 〔返〕  ブランコに染井吉野が舞い散って砂場いちめんタンポポの花   鳥羽省三


(南雲流水)
〇  暁(あかとき)の冷たい水に手を浸す結婚歴のある薬指

 作者ご自身の好みの問題ではありましょうが、「暁」に「あかとき」という振り仮名を施すような措置は必ずしも懸命な策とは言えません。
 「あかとき」は「あかとき」の古形である。
 だが、本作中の「暁」を素直に「あかつき」と読まずに、「あかとき」と読んだとしても、その内容にどれだけの趣きが加味されるのでありましょうか?
 また、作者としての南雲流水さんに、どれだけの箔が付くのでありましょうか?
 それはそれとして、昨今に於いては、「バツ1」「バツ2」といった女性が再婚し、新たな家庭の主婦として働くことが格別珍しいものと言えなくなってしまいました。
 したがって、「バツ1」「バツ2」或いは「バツ3」といった「結婚歴」を背負った女性が、一家の主婦という立場で、夜明け頃から「冷たい水に手」を浸し、自宅となった家のダイニングキッチンに於いて、新しい家族の為に炊事に勤しむ場面も在り得ましょう。
 そうした場合は、当然のことながら、その女性は、かつては別の男性の為に指輪を嵌めていた薬指に、再び三度、新しい男性の為に指輪を嵌めて水仕事をすることになりましょうし、また、自分の置かれたそうした立場に対しては、ひとかたならぬ複雑な思いを抱くことでありましょう。
 という見方をすれば、「本作は、離婚が極めて当たり前のことになってしまった現代社会での、女性の複雑な心理に迫ろうとした問題作である」とも言えましょう。
 〔返〕  薬指は指輪の記憶に責められぬ棄てた夫に詫びたい気持ち   鳥羽省三


(コバライチ*キコ)
〇  結婚はゴールではなくスタートと相変わらずのスピーチを聞く

 「相変わらずのスピーチ」とは、「よくぞ言ったり!」という感じのする表現である。
 私の三十数年間に及ぶ教師生活に中で、しばしば目にして驚嘆したのは、卒業式や入学式などでの、わずか十分余りのスピーチの草稿の起草に困惑して、日夜悩み苦しみ、慌てふためいている校長の姿であった。
 彼らの中のある者は、自分と同じ頭脳レベルの校長仲間に相談を持ち掛けて逆に相談されたり、ある者は、校長室でその方面の参考書と首っ引きになっていて、学級担任から持ち掛けられた非行生徒の指導措置にも事欠くような状態であった。
 『仲人百人の悲願を達成した社長・清水治朗氏の書いた結婚式スピーチ集』といった関係書籍にでも載っているのでありましょうか、私の数少ない経験に照らしてみても、結婚式のスピーチの中で、禿頭の初老の男性が、「結婚は決してゴールではありません!、結婚は人生の再スタートの第一歩であるから、〇〇君と△△子さんはがっちりと手を携え合って、人生の荒波を乗り越えて行って下さい」などと、決まり切った訓示を馬鹿声を張り上げて垂れていた場面に接したことが十回以上もあるのである。
 〔返〕  結婚は駅伝レースの中継点!タスキ繋いでゴールを目指せ!   鳥羽省三


(ネコノカナエ)
〇  山頂で浴衣を着るのが夢なのと結婚式を語る少女は

 作中の「少女」は、テレビのカラー画面で『白馬山頂・暁の結婚式!』といった光景に接したのでありましょうか?
 それにしても、「山頂で浴衣を着るのが夢なの!」と語る「少女」の、何と穢れ無くあどけないことでありましょうか。
 でも、結婚への憧れとは、本来、そうしたものなのかも知れません。
 〔返〕  浴衣着て結婚式を挙げました一番風呂で抱き合いました   鳥羽省三


(香澄知穂)
〇  キスシーン見れば「結婚するの?」って訊く姪っ子に「そうだといいね」

 本作中の「姪っ子」と、直前のネコノカナエさんの作品中に登場する「少女」とを比較してみるとき、前者は後者よりも百数十倍も“穢れ無くあどけない少女”である、と申せましょう。
 〔返〕  キスすれば妊娠すると脅かされじっと堪えた小学時代   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
〇  家系図が迷路のように込み入ったスペイン王の結婚回数

 本作の鑑賞に資する為にフリー百科事典『ウィキペディア』を参照し、「現スペイン王国」関係各国の君主の項目を検索させていただきましたが、その系図があまりにも多岐に亘り、残念ながら所期の目的を達成することが出来ませんでした。
 したがって、本作の鑑賞を中止させていただく場面ではありますが、拙い返歌のみ記させていただきます。
 〔返〕  アルフォンソ13世の御生母はハプスブルク家に連なるマリア・クリスティーナ王妃   鳥羽省三


(小倉るい)
〇  ティファールの圧力鍋でかぼちゃ煮る結婚願望薄き男よ

 「ティファールの圧力鍋」って言ったって、今どきの通販で購う「ティファール」の品の大半は、“Made in China”の安物ですから直ぐ壊れてしまいますよ。
 壊れた後はどうするんですか?
 「結婚願望」が薄いのは、自分自身が南瓜頭であることを自覚しているからでありましょう。
 南瓜頭が壊れた「圧力鍋」で「かぼちゃ」を煮てみたって、食えるもんでもありませんよ。
 〔返〕  アルフォンソは、アルフォンソは居るか?南瓜頭のアルフォンソは何処へ消えたか?   鳥羽省三

一首を切り裂く(079:雑・其のⅠ・怨嗟はとてもよく燃えるから・改訂版)

2012年04月08日 | 題詠blog短歌
 去る三月十七日午前九時十五分、結社誌『椎の木』主宰の安永蕗子氏が膵臓がんの為、ご逝去なさいました。
 氏は、馬場あき子氏及び故・富小路禎子氏などと共に、私・鳥羽省三を斯道に導いて下さった良き先達でありました。
 因って此処に、氏の代表作十首を掲出し、深く哀悼の意を表します。
 
     〇  何ものの声到るとも思はぬに星に向き北に向き耳冴ゆる       (『魚愁』より)
     〇  水曇る夕べの峯にひしひしと人が劫のごとき石積む
     〇  紫の葡萄を運ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく
     〇  街上にさるびあ赤きひとところ処刑のごとき広場見えゐる      (『草炎』より)
     〇  ひとの世に混り来てなほうつくしき無紋の蝶が路地に入りゆく    (『蝶紋』より)
     〇  かへり来てたたみに坐る一塊の無明にとどく夜の光あり
     〇  されば世に声鳴くものとさらぬものありてぞ草のほととぎす咲く   (『朱泥』より)
     〇  白薄の西安街区抜けてゆく奥のかまどに粥煮ゆる頃         (『冬麗』より)
     〇  以後のことみな乱世にて侍ればと言ひつつつひに愉しき夕べ
 
  〔返〕   以後のことみな乱世にて侍ればと言へずて空し老ひを生き行く   鳥羽省三


(牛隆佑)
〇  焚き火には短歌雑誌をくべるといい怨嗟はとてもよく燃えるから

 「焚き火には短歌雑誌をくべるといい」とまで仰る。
 敢えてこうした独断的かつ偏見的なことまで仰る、牛隆佑さんは「短歌雑誌」にどんな「怨嗟」を抱いているのでありましょうか?
 よくよく考えてみると、彼・牛隆佑さんは、「短歌研究新人賞」の二首掲載組の常連だったのかな?
 〔返〕  左義長に『魚愁』一篇炎上す死出の旅路のカーナビとせよ   鳥羽省三


(富田林薫)
〇  捨てられる雑誌のように感情をビニール紐できつく結わえた

 「感情」は「捨てられる雑誌」とは違って襞という厄介なものを備えております。。
 したがって、「感情」を「ビニール紐できつく結わえた」としたら、「感情」の襞に「ビニール紐」が何処までもぐいぐいと食い込んで行き、何時まで経っても処理が出来ません。
 この場面では、布製のガムテープで縛って処理する方が賢明な策と言えましょう。
 〔返〕  勘定は窓際族に任せたり仕事もせずに高給取りの   鳥羽省三


(紗都子)
〇  雑踏に取り残されることだけを望んで生きた訳じゃないのに

 紗都子さんに限らず、人間は誰しも「雑踏に取り残されることだけを望んで生きた訳」ではありませんのに。
 でも、大津波に攫われるよりは、その方がいいかも知れませんね。
 〔返〕  「鳥羽は死ね!」と言われるつもりで書くのでは決してないのに言われてしまう   鳥羽省三

 
(南雲流水)
〇  分け入っても分け入っても茫々と池袋西口の雑踏

 「分け入っても分け入っても青い山」と吟じたのは、乞食俳人・種田山頭火である。
 で、「分け入っても分け入っても茫々と池袋西口の雑踏」と、「池袋西口の雑踏」を見て溜息を吐いている本作の作者・南雲流水さんは埼京線沿線の住人、即ち“だ埼玉県人”でありましょうか?
 だとしたら、一言申し上げますが、「池袋西口の雑踏」を見て溜息なんか吐いていてはいけません。
 東京は埼玉とは違って、まだまだ賑やかな所が沢山在るんですよ。
 〔返〕  六本木・原宿・渋谷・新宿と数え上げたらきりが無いんだ   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  八分目を子に教ふるに満タンのバケツの水で雑巾絞る

 「八分目」も「満タン」も「バケツの水」も「雑巾絞る」も、全て口語表現である。
 それなのに、「子に教ふるに」の「教ふる」だけがどうして文語でなければならないのでありましょうか?
 何かに縛られている、としか言いようがありません。
 歌人として必要なのは、あらゆる事柄に、時には定型や韻律にさえ縛られることなく、自由無碍な言葉遣いで以って表現することではありませんか?
 それはそれとして、絞った雑巾水を「バケツ」に戻してしまったら、再び「満タン」になってしまって、「八分目」を「子」に教えることが出来なくなってしまうのではありませんか?
 そこいら辺りの曖昧さも、本作の欠点でありましよう。
 〔返〕  八分目を子に教へむと剣菱の一升瓶の二合を飲みつ   鳥羽省三   


(珠弾)
〇  肉まんと雑誌を買ってランドリー平穏並のウイークエンド

 「肉まんと雑誌を買ってランドリー」に行って土曜日の午後を過ごすのは、珠弾さんご自身としては、一応満足するべきことでありましよう。
 しかし、独身と言えども、彼は一応は男性ですから、そうした状態を以って「平穏なウイークエンド」と表現することにはいささかの躊躇いを感じ、若い男性としてのプライドが許さないのでありましょう。
 「平穏なウィークエンド」とせずに「平穏並のウイークエンド」とした点に、彼・珠弾さんの感じた躊躇いの情、及び、彼を束縛したプライドが表現されているのである。
 〔返〕  週末は妻の着替えたランジェリーもみんなまとめて洗濯をする   鳥羽省三


(藤田美香)
〇  美しい碧い地球の片隅で雑巾みたいに絞られている

 このままストレートに解釈したら、「強欲な資本家に搾取されていることに対して抗議する、私たちプロレタリアートの懸命な叫び」といったような作品、ということになる。
 だが、その実情を述べると、本作の作者・藤田美香さんは、「雑巾みたいに絞られている」などと嘯きながら、「もっときつく抱いて!ねえ、お願いだから、雑巾を絞るような感じで、もっともっときつく私を絞ってね!」と、彼にせがんでいるのでありましょう。
 〔返〕  美しく青い地球の真ん中で「きつく抱いて!」と叫ぶ美香さん   鳥羽省三


(鮎美)
〇  雑魚寝の子一人ひとりを順番に照らして懐中電灯去りぬ

 小学校の夏季宿泊学習を想定してお詠みになったのではありましょう。
 でも、何だか横溝正史作の長編推理小説『八つ嘉村』の一場面のような気もします。
 〔返〕  顔を照らしにたりと笑う教員は五年二組の担任である   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  大豆・胡麻・小豆・鳩麦・裸麦・稗・粟・蕎麦は雑穀の類

 昨今の通販では、「雑穀ご飯」とか「雑穀粥」と称する物を、びっくりするような高価格で販売しているようですが、「雑穀」とは、本来、お米の代用食として、水飲み百姓たちが自家消費したものである。
 〔返〕  雑穀粥レシピお教え致します三千円を小為替で送れ   鳥羽省三

一首を切り裂く(078:卵・其のⅡ・しなやかに片手で卵を割るひとの・決定版)

2012年04月07日 | 題詠blog短歌
(紗都子)
〇  しなやかに片手で卵を割るひとの肩のラインがちいさく揺れる

 それが「しなやか」な振る舞いであるかどうかは見る側、つまり紗都子側の問題でありましょう。
 だが、少なくとも、「卵」を「片手」で「割る」ような振る舞いをする「ひと」側の気持ちとしては、「こうした自分の振る舞いを見たら、私の愛する紗都子さんは、きっと、『しなやか』でスマートな振る舞いをする男だと思ってくれるに違いない」と堅く信じて遣っているのでありましょう。
 それにしても、本作の作者・紗都子の眼力の鋭さと冷徹さに対しては感服せざるを得ません。
 何故ならば、紗都子さんは、「紗都子さんご自身が見たら、さぞかし『しなやか』でスマートな振る舞いに見えるに違いない」と信じて、「片手で卵を割る」彼の「肩のラインがちいさく揺れ」ている有様をも見逃さずに、一首の歌を仕立て上げているからである。
 「片手で卵を割る」彼の「肩のラインがちいさく揺れ」ているのは、彼が震えているからでありましょう。
 彼が震えているのは、彼の振る舞いが不自然な振る舞いであるからでありましょう。
 紗都子さんにいい格好を見せたいばかりに不自然な振る舞いをする彼を、紗都子さんの慧眼と冷徹さは、許そうともしないのである。
 〔返〕  しなやかに片手で帯を解く時の彼女の膝は固まっている   鳥羽省三


(桑原憂太郎)
〇  一卵性双生児でも中一の後半からは成績違へり

 「中一の後半」という時期は青春の目覚めの時期であり、この時期を境として、例え「一卵性双生児」でも、学力や学習成績が極端に違って来たり、趣味嗜好や服装の好みまで違って来るような時期である。 「中一の後半」とは、言わば「人生の曲がり角に差し掛かった時期」なのである。
 〔返〕  お茶大の付属中には一卵性双生児枠で容易く入れる   鳥羽省三


(伊倉ほたる)
〇  戻せない時間ばかりが増えていく固ゆで卵の黄身は蒼くて

 「固ゆで卵の黄身」が「蒼く」見えようが、「青く」見えようが、「赤く」見えようが、それとは一切関わり無く「時間」というものは、永久に過去に戻せないものである。
 その事を知悉しながら、本作の作者がこうした矛盾した内容の歌を詠んだのは、時間というものと色感というものが、何らかの関わりがあることを感じているからでありましょう。
 一例を上げて説明すれば、恋をしている時の男性の目には、彼女と一緒に出掛けたズーラシアのペンギンの嘴の色さえもピンクに見えるそうである。
 あのペンギンたちが嘴桃色症候群を患っている訳でも無いのに、彼の目に、あのペンギンたちの嘴がピンクに見える理由は、いずれ科学的に解明されるに違いありません。
 〔返〕  返せない借財ばかりが増えて行く年金暮らしは楽と言えない   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  啓蟄は卵立つあさ市も立つ蛇蝎ぞろぞろ連れて歩かむ

 立春の朝に「卵」が「立つ」ということは、科学的に証明されていることである。
 本作は、それならば、立春からたかだか一箇月後でしかない「啓蟄」の朝にも「卵」が「立つ」に違いないとする、独断と偏見に満ちた発想に基づいての一首である。
 しかしながら、本作を創作した作者の狙いは、必ずしもそうしたところにばかり在るのではありません。
 因って、本作の鑑賞者は、本作に見られる自由無碍なる言葉の流れに注目なさると同時に、「啓蟄」という「卵」が「立つあさ」になると、「卵」のみならず「あさ市も立つ」のであり、また、その頃になると、変態的な嗜好を持った者は「蛇蝎」どもを「ぞろぞろ連れ」て朝市の辺りを歩き回るに違いない、とする、本作の作者の変態的な発想をも十分に感得されるべきなのである。
 〔返〕  立春は卵立つ日で泡も立つ白身掻き混ぜマヨネーズ造れ   鳥羽省三

一首を切り裂く(078:卵・其のⅠ・宿の朝餉の嬉しくなりぬ・決定版)

2012年04月06日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  黒ずみし温泉卵出ておれば宿の朝餉の嬉しくなりぬ

 大の大人が、しかもあの西中眞二郎氏が、「宿の朝餉」のお膳に「温泉卵」が一個乗っかっていたからという、あまりにもささやかな理由で以って「嬉しくなりぬ」とまで仰っているのである。
 この場面で「嬉しく」なったのは、何も作者の西中眞二郎さんお一人だけではありません。
 「宿の朝餉」のお膳に「温泉卵」が一個乗っかっていたからという、余りにもささやか過ぎる理由で以って、あの西中眞二郎さんが「嬉しくなりぬ」とまで仰って居られるのですから、私たち読者だって「嬉しく」なってしまいます。
 初句の「黒ずみし」は単なる音数合わせの為に添えられた五音ではありません。
 「黒ずみし温泉卵」と言えば、あの箱根の大涌谷などで食べる殻付きの「温泉卵」の色感や触感、そして周囲に漂っている硫黄の匂いまでが連想されて、「温泉卵」好きの者なら、思わず生唾を飲み込んでしまうような卓抜な表現なのである。
 優れた短歌に備わっている特質の一つは、作中の「われ」が働いている、という点にある。
 歌人・西中眞二郎さんは、「題詠短歌」の投稿者の中では格別に優れた存在であり、私・鳥羽省三は、彼の作品の殆どを傑作として鑑賞させていただきました。
 しかしながら、西中眞二郎さんの作品に接して居て、私がとても残念に感じることは、彼の作品中には、「考える人」としての「われ」や、「見る人」としての「われ」が登場することはあっても、「行動する人」としての「われ」、即ち「手足を動かしたり」「心を動かしたり」して「働いているわれ」が登場することが余りにも少ない、という点である。
 そうした作品群の中から極く最近鑑賞させていただいた二首を挙げさせていただきますと、「霧深く杉の木立に雨降れば根本大塔の朱のおぼろなる」「漫談にトリオはあれど狂言に三郎冠者の出番少なく」などは、その好例でありましょう。
 一首目の「霧深く」の中で働いているのは、作者の「われ」ではなく、「霧」や「雨」といった自然条件だけであり、作者の「われ」は、漫然としてその中に身を置いているだけである。
 二首目の「漫談に」に於いても、その点には何ら変わりが無く、「われ」即ち作者ご自身は、ただひたすら考えて居たり、思って居たりするだけなのである。
 然るに、本作即ち「黒ずみし温泉卵出ておれば宿の朝餉の嬉しくなりぬ」に於いての「われ」は、「嬉しくなりぬ」と思っているのであるから、体内の何処かの器官を微かながら動かしているのであり、詰まるところは、「働いている」のである。
 評者の私が、本作を取り立てて、西中眞二郎さんの傑作として称揚させていただく理由の一つは、そうした点に在るのである。
 我が国の政局の窮状も極端化した今日、私はテレビ画面で、たびたび国会中継の場面を目にするのであるが、その場面に於いて、野党側の質問に応える政府官僚の能面のような顔が大写しにされるのであるが、彼らは、只ひたすら六法全書に書かれているようなことを述べているだけであり、感情一つ動かしていないのである。
 つまり、彼ら政府官僚は、誰一人として、何一つとして、働いていないのである。
 野党側の質問に応えて、おろおろと身体を動かし、懸命に心を動かし、感情を剥き出しにするのは、ただ一人、田中真知子議員の「パパさん」だけでありましょうか?
 冗談はさて措いて、本作に対する、評者としての私の唯一の不満点を申し添えさせていただきますと、「温泉卵出ておれば」という二句目から三句目への渡りに、字余りを気にせずに、主格の格助詞「の」を入れて、「黒ずみし温泉卵の出ておれば宿の朝餉の嬉しくなりぬ」となさったらいかがでありましょうか?
 〔返〕  黒ずんだ温泉卵が目についてホテルの朝餉に嘔吐催す   鳥羽省三


(飯田彩乃)
〇  汝(うぬ)もまた儂を食うかと睨みくる卵としばし見つめ合いたり

 「汝」という漢字を「うぬ」と読ませようとなさったりもする。
 本作の作者・飯田彩乃さんは、何処かの「組」の若頭の方がご寵愛なさって居られる「お姐さん」でありましょうか?
 それにしても、朝餉の食卓の上に置かれた「卵」一個と「しばし」見つめ合うとは、ご立派な「お姐さん」らしくもない行状でありましょう。

 〔返〕  「うぬもまた儂を食うか!」と睨み来る鯱鉾を市長がしばし見詰める   鳥羽省三
 確か、河村さんと仰いましたっけ?
 あの方もなかなか眼光鋭く、舌鋒鋭い方でいらっしゃいますから、両者が名古屋城の上と下から睨み合ったとしたならば、警察車両が出動しなければならないような展開にもなりましょうかしら?
  

(新田瑛)
〇  困惑と期待の混在したものが卵大まで膨らんでいる

 「据え膳食わぬは男の恥」の、その「据え膳」が、本作の作者・新田瑛さんの御前にででんと据えられているのでありましょうか?
 で、あったとしたならば、「卵大まで膨らんでいる」のは、「困惑と期待の混在したもの」のみならず、臍下三寸の位置に鎮座まします逸物でもありましょうか?
 〔返〕  困惑と期待の混濁したものがバット大まで膨らんじゃった   鳥羽省三  

一首を切り裂く(077:狂・其のⅠ・狂言に三郎冠者の出番少なく)

2012年04月05日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  漫談にトリオはあれど狂言に三郎冠者の出番少なく

 脇狂言の『三本柱(さんぼんのはしら)』は、シテの「果報者」に加えて「太郎冠者」及び「次郎冠者」、そして「三郎冠者」まで登場する、大変珍しい演目である。
 今、その梗概を示すと、「新たに家を作っている果報者は、三人の冠者の知恵の程度を見極める為に、山に切って置いてある三本の柱をおのおの二本ずつ持って帰れと謎掛けをする。三人の冠者は早速山へ行き、柱を見つけて担ごうとするのであるが、各人一本ずつしか担げないので考え込んでしまう。三人とも、柱を持ったまま考え込んでいたので疲れてしまい、それぞれ持っていた柱をその場に置いて休むのであるが、よく見ると、三本の柱で三角形が出来ており、その頂点に立てば各人二本ずつ持てる事に気づく。そこで柱を持って拍子づいて帰宅すると、主人の果報者が『よくやった』と言ってめでたく三人を家に迎え入れる」という内容である。
 お題「狂」を詠み込んだ傑作として鑑賞し、作者・西中眞二郎さんの取材源の広さに感服致しました。
 〔返〕  伊東四朗てんぷくトリオの生き残り三波戸塚に死に遅れたり   鳥羽省三


(おおみはじめ)
〇  関西の訛を隠し味として笑いとまらぬ茂山狂言

 去る2011年11月18日に、京都の観世会館で行われた「忠三郎狂言会」の京都公演の演目の一つとして、『三本柱』が演じられましたが、出演者は次の通りである。
 果報者  茂山千五郎
 太郎冠者 茂山七五三
 次郎冠者 茂山千三郎
 三郎冠者 茂山 茂
 素囃子  水波之伝
 笛    林信太朗
 小鼓   林吉兵衛
 大鼓   谷口正壽
 太鼓   前川光範 
 〔返〕  三人が柱を2本ずつ持てば6本になるはずだが不思議   鳥羽省三


(原田 町)
〇  小綬鶏の素っ頓狂な鳴き声を聞かなくなりぬ竹やぶ失せて

 フリー百科事典『ウィキペディア』の解説するところに拠ると、「小綬鶏」の「繁殖期は5月から6月であり、その時の雄の鳴き声が特徴的である。ヒヨドリにも似た大きな叫び声を『ピーッ!ピーッ!ピピーッ!』と挙げた後、速いテンポの『ピッピュクァイ!ピッピュクァイ!』という鳴き声に移行し、その後テンポが遅くなって鳴き止む。『ピッピュクァイ!ピッピュクァイ!』の部分が『ちょっと来い!ちょっと来い!』、或いは『ゴジュケイ!ゴジュケイ!』と聞き慣らされているので、『姿を知らなくても鳴き声は知っている』という人が多い」ということである。
 本作の作者・原田町さんは、東京都内にお住まいになられる方である。
 かつては、原田町さんのお近くでも、「小綬鶏の素っ頓狂な鳴き声」を聴くことが出来たのでありましょうか?
 我が家の裏山からは、「小綬鶏の素っ頓狂な鳴き声」こそ聴こえて来ませんが、季節がもう少し深まると鶯の鳴き声が聴こえるに違いありません。
 〔返〕  鶯の谷渡りの声きこえ来る春が待たるる花咲く春が   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  狂態の限り尽くして逝く朝(あした)おねえ言葉で謝辞を述べたり

 私のかつての知人の一人が日本舞踊の師匠を遣って居て、今から5年前、彼は息を引き取る寸前に、周囲の人々や弟子たちに「おねえ言葉で謝辞を述べ」て亡くなったということである。
 〔返〕  男にて男妾を三人も持って目出度く昇天せしと   鳥羽省三

一首を切り裂く(076:ツリー・其のⅠ・聳え立つスカイツリーも日々浴びむ)

2012年04月05日 | 題詠blog短歌
(髭彦)
〇  聳え立つスカイツリーも日々浴びむ北風運ぶ核の礫を

 五句目の七音を「核の礫を」としたところが宜しい。
 東電の福島原発のメルトダウン事故に因って父祖の地を汚された髭彦さんにとって、「北風」に乗って東京まで運ばれて来る核物質は、まさしく「核の礫」でありましょう。
 〔返〕  髭彦氏自慢の白い髭にさえ核物質は堆積しましょう   鳥羽省三


(矢野理々座)
〇  京阪神エルマガジン社発行の「ミーツリージョナル」という名の雑誌

 作中の「ミーツリージョナル(Meets Regional)」とは、「京阪神エルマガジン社発行」の関西地方のタウン誌であるが、京阪神地方で暮らす人々にとっての生活手引きとしても便利な雑誌であることは勿論、関西地方を観光旅行する人々にとっても手放せない雑誌として知られているのである。
 「知る人ぞ知る」といった存在のタウン誌名とその発行元を記しただけで一首を成しているのであるが、このような読者の虚を突くような遣り方は、いかにも矢野理々座さんらしい詠風である。
 〔返〕  ナベツネの読売新聞社発行の『読売新聞用字用語辞典』   鳥羽省三
      亀井静香ちゃんの「国民新党の連立政権からの離脱宣言」


(牛隆佑)
〇  クリスマスツリ―を飾る住宅の前は若干早足気味で

 作品の出来栄えはともかくとして、「クリスマスツリ―を飾る住宅の前は若干早足気味で(歩く)」という発想そのものには、同感するべきものがある。
 本作の作者は、私・鳥羽省三と同じように、「クリスマスツリ―を飾る住宅」やその居住者たちに共通して備わっている通俗的な雰囲気を少なからず嫌悪しているのでありましょう。
 〔返〕  爆竹で春節を祝う習俗に馴染めないから中国は好かぬ   鳥羽省三


(鮎美)
〇  雪吊りのごとき骨組み晒しつつ雪なき街の電飾ツリー

 本作の作者・鮎美さんは、「クリスマスツリーを飾るという習俗は雪国の生活に相応しい習俗であるから、『雪なき街の電飾ツリー』は、まるで金沢の兼六園の『雪吊りのごとき骨組み』を世間様に晒しているようなものである」といった考え方をなさっているのでありましょうか?
 〔返〕  肋骨のごとき骨組み曝しつつ未だ帆布を張れぬ箱舟   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  カダフィーの人民裁判受くる夜もスカイツリーは輝くならむ

 日本が沈没する日の前夜までスカイツリーは輝くならむ
 〔返〕  軍事政権の人民裁判と言うべきかミャンマーの補欠選挙の結果   

一首を切り裂く(075:朱・其のⅣ・朱塗られし大鳥居から誰ぞ来る)

2012年04月05日 | 題詠blog短歌
(清次郎)
〇  朱塗られし大鳥居から誰ぞ来る公孫樹が照らす平安神宮

 「血塗られし」という五音なら幾度と無く聞いた事がありますが、「朱塗られし」という五音は今回初めて聞きました。
 作中の「平安神宮」は、平安遷都を行った桓武天皇(第五十代)と平安京で過ごした最後の天皇である孝明天皇(第百二十一代)とを主祭神として祀った、かつての官幣大社である。
 その「大鳥居」から出て「来る」者が居たとしたら、それは時代祭の「時代風俗行列」でありましょう。
 時代祭が行われる十月二十二日は「公孫樹」の黄葉の真っ盛りの季節である。
 「維新勤王隊列」を先頭にした「時代風俗行列」の一行は、黄葉した「公孫樹の照らす」参道をしずしずしずと、厳かな隊列を連ねて歩み「来る」のでありましょう。
 〔返〕  血塗られし鞍馬寺への参道を誰ぞや出で来る鞍馬天狗か?   鳥羽省三  


(鮎美)
〇  まつすぐに朱肉に当てて圧しつける本日限りのこの姓の印

 「本日限りのこの性の印」と思えばこそ、より「まっずぐに」、しかもより強く離婚届の用紙に「圧しつけ」ようと思うのでありましょう。
 だが、あれほど注意して押したのにも関わらず、幾分か曲り、幾分か不鮮明な押印となってしまったは、人情の常として致し方無きことでありましょう。
 〔返〕  私文書の偽造とされて罰せらる夫の欄に押印すれば   鳥羽省三


(久野はすみ)
〇  週末は朱色のまふらあ巻き付けて風吹くまちのあなたに逢おう

 本作に接した瞬間、私は、今は亡き大野誠夫氏の「兵たりしものさまよへる風の市白きマフラーをまきたりし哀し」という名作を思い出してしまいました。
 思うに、本作の作者・久野はすみさんも亦、過ぎ去りし青春時代には、「週末」ともなれば、「朱色のまふらあ」を首に「巻き付け」て「風吹くまち」の街角に立つようなご経験をなさったような女性でありましょうか?
 〔返〕  歳末は赤い服来て白い髭サンタの小父さん煙突から来る   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  朱里エイコ『北国行きで』『めぐり逢い』『イエイエ』ルックでダンスしました

 「朱里エイコ」(本名・田辺栄子・1948年3月19日~2004年7月31日)という女性歌手が居て、自由奔放とも思われる生涯を送り、『北国行きで』『めぐり逢い』『イエイエ』といったヒット曲を私たちの胸に刻み込み、五十六歳という若い年齢で虚血性心不全のため自宅にて死去した、などと記したとしたら、あまりにも粗略な解説に過ぎましょうか?
 〔返〕  鬱を病み失踪事件を繰り返し朱里エイコ死す2004年に   鳥羽省三

一首を切り裂く(075:朱・其のⅢ・延々とつづく鳥居をくぐり行く)

2012年04月04日 | 題詠blog短歌
(原田 町)
〇  延々とつづく鳥居をくぐり行く伏見稲荷の朱色の世界
(佐藤紀子)
〇  雪の舞ふ伏見稲荷の参道に朱の鮮やかな鳥居が続く

 原田町さんの御作は、伏見稲荷大社の本殿裏から三ッ辻及び四ッ辻を通って御剱社に至るまでの「延々と」「朱の鳥居」が続く光景を詠んだだけの作品であり、また、佐藤紀子さんの御作は、それに雪景色を配しただけの作品である。
 ご両者共に、お題の「朱」をクリアーしただけで良しとしているような感じである。
 だが、ご両者のご力量から推してみるに、もう一工夫も二工夫もしなければならない場面でありましょう。
 例えば、「朱の鳥居くぐり抜ければ目に映る大文字山また鳥居型山」といった詠み方も在り得ましょう。
 「題詠短歌」に於ける御両者のお立場を慮ってみるとき、一首一首、手抜きすること無くくぐり抜けて行かなければならない場面でありましょう。
 〔返〕  饅頭食ひの土人形を懐に御剱社までの鳥居をくぐる   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
〇  平凡な名前に飾りをつけるごと鮮やかな朱の印鑑を押す

 「五十嵐きよみ」という本作の作者のお「名前」が「平凡な」お「名前」であるかどうかは別問題として、本作で謂うところの「朱の印鑑」即ち落款を「押す」ことは、確かに「平凡な名前」に「飾り」を付けたり、品格の感じられない氏名に品格を付与したりするような効果があるようだ。
 一例を上げて説明すれば、加藤治郎という氏名は、奥羽山脈の山に囲まれた村で山仕事に従事している人によく居るような氏名、言わば、格別に品格といったものが感じられない名前、それだけに極く有り触れた名前である。
 しかし、色紙に書いた一首の歌の後に「加藤治郎」とサインして落款を押せば、それらしくなるから不思議なものである。
 〔返〕  荷車に三浦キャベツを積んで行く アメリカさんに媚びるみたいに   鳥羽省三


(紗都子)
〇  渾身の力をこめて押す印の朱肉の色はどこか悲しい

 品格の感じられない名前に、少しでも品格を添えようという気持ちで「渾身の力をこめて」ハンコを押したとしたら、その結果としての目前の色紙の「朱肉の色」は、確かに「どこか悲しい」表情をしているに違いありません。
 私は、つい先日、朝日新聞の購読勧誘員の強引な押しに負けて、本年七月から十二月までの六箇月間、朝日新聞を購読するという契約を結び、景品のビールがビール紛いの発泡酒であることを残念に思いながらシャチハタネームを押してしまいましたが、その時の「朱肉」紛いの「朱」の「色」も確かに「悲しい」ような表情をしておりました。
 〔返〕  渾身の力を込めずに押す時もシャチハタネームは毅然としてる   鳥羽省三


(伊倉ほたる)
〇  喚び起こす記憶のページは破られて朱肉の匂いが残る指先

 本作の作者の伊倉ほたるさんも亦、つい先日、朝日新聞の購読勧誘員の強引な押しに負けて、本年七月から来年の六月までの一年間、朝日新聞を購読するという契約を結び、景品のビールがビール紛いの発泡酒であることを切なく思いながらも印鑑を押してしまったのでありましょう。
 だが、伊倉ほたるさんの場合は、そのショックから未だに立ち上がれずに、その時の記憶を呼び覚まそうとしても「記憶のページ」は「破られ」たような状態になって居て蘇えらず、「朱肉の匂い」が「指先」に微かに残っているのでありましょう。
 〔返〕  千鳥ヶ淵の桜もそろそろ見頃だぜ お風呂に入って指先を洗え   鳥羽省三


(村木美月)
〇  父の背に負われて帰る遠い日の朱色に染まる夕陽をおもう

 極めて有り触れた発想の作品である。
 鑑賞に堪え得るような作品にするためには、題材や表現に今一つの工夫が必要かと存じます。
 〔返〕  穢されし母を背負ひて帰る道くれなゐ燃ゆる西空に泣く   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇   酸漿を噛めばすつぱし脳天ゆ朱夏がぐらり傾きはじむ

 「酸漿を噛めばすつぱし」とは、二度と帰って来ない少女時代を回想する時の常套的な発想であり、表現でもある。
 また、「朱夏」とは、陰陽五行説に基づいて「夏」を指して言う言葉であるが、俳人たちや歌人たちの中には、「朱夏」という漢語中の「朱」の字に着目して、「朱夏」という語を「真っ赤に燃える夏」、つまり「夏の真っ盛り」を意味する言葉として使うことも多いのであるが、必ずしも適切な使い方とは言えません。
 何故ならば、「青春」の「青」が東の方位の守護神「青龍」の「青」であり、「白秋」の「白」が西の方位の守護神「白虎」の「白」であり、「玄冬」の「玄」が北の方位の守護神「玄武」の「玄(=黒)」であると同様に、「朱夏」の「朱」という文字は、南の方位の守護神「朱雀」の「朱」であり、一年十二箇月を四等分した場合の三箇月という長い期間を指して言う言葉であるからである。
 こうした予備知識に基づいて本作に臨む場合、本作中の「酸漿を噛めばすつぱし」という上の句の表現はともかくとして、「脳天ゆ朱夏がぐらり傾きはじむ」という下の句の表現は、必ずしも季節感覚を捉え得た表現とは言えなくなるのである。
 本作の作者・今泉洋子さんの「脳天」が「ぐらり」と「傾き」始めるのは、佐賀の銘酒「鍋島・大吟醸」を一升瓶で空けた場合ではありませんか?
 〔返〕  評言を読めば酸っぱし!せめてもと鍋島・大吟醸を冷やで空けたり!   鳥羽省三


(理阿弥)
〇  荒神の視座に立たむと望む夜にわが糖衣錠まざまざと朱  ※朱=あか

 私・鳥羽省三が、毎晩の食後に三錠ずつ服用中の「糖衣錠」も亦、「まざまざ」とした「朱」色の「糖衣錠」である。
 よくよく熟慮してみると、病気持ちの者が毎日服用しなければならない「糖衣錠」が、金・銀色であったり、紫や赤や黒や灰色であったりしたら、まるで毒でも飲ませられているような気になり、治る病気も治らない結果となってしまいましょう。
 したがって、「わが糖衣錠まざまざと朱」といったような考え方は、あまりにも被害感に満ちた考え方かと拝察致します。
 それはそれとして、八百万の神が鎮座まします我が国に於ける神様を大まかに分類させていただきますと、「温和に福徳を保障する神」と、「極めて祟りやすく、彼に対して畏敬の誠を捧げなければ危害や不幸に遭うと思われた類の神」との二つに分類されるのである。
 その中の後者が作中の「荒神」であり、言い方を替えて申せば、「荒神」とは「害悪を為す邪悪な神」とも申せましょう。
 本作の作者・理阿弥さんは柄にも無く、とある「夜」に「荒神の視座に立たむ」ことを望んだということでありますが、毎晩「糖衣錠」を服用しなければならないような病持ちの人間が「荒神の視座に立たむ」としてはいけません。
 何故ならば、荒ぶる神には荒ぶる神なりの肉体的な強靭さが必要とされるからである。
 〔返〕  福神の視座に立たむとある時は真っ黒黒の煙突から入る   鳥羽省三


(飯田和馬)
〇  乱筆を朱墨はなぞる。さわがしい烏を森へいざなう夕日

 本作の作者・飯田和馬さんは、ご自宅で書道教室を自営なさって居られるのでありましょうか?
 だとしたら、「夕日」が「さわがしい烏」たちを「森へいざなう」頃になると、教習を終えた教え子たちが、三々五々自宅へと向かわれるのでありましょう。
 〔返〕  騒がしき烏が杜へと向かう頃サッシを繰りて夕陽に祈る   鳥羽省三    

一首を切り裂く(075:朱・其のⅡ・ひとしずく朱墨を垂らしにじませて)

2012年04月03日 | 題詠blog短歌
(青野ことり)
〇  ひとしずく朱墨を垂らしにじませてきょう一日を終えて旅立つ

 作中の「ひとしずく」の「朱墨」は、青春の入り口に差し掛かった少年の垂らした鼻血、或いは穢れを知らない少女に訪れた初潮の比喩的な表現と解釈するべきでありましようか?
 そのいずれにしろ、彼らは、少年少女期の終りを告げるシンボルのような「ひとしずく」の「朱墨」を「垂らしにじませ」た後に青春という名の明日へと旅立つのである。
 ここ数ヶ月、本作の作者の青野ことりさんからのコメントをいただいたことはありませんが、本作こそは、青野ことりさんに相応しい傑作と思われます。
 〔返〕  菜の花が蝶を選んで咲くような言葉と思う朝戸を開けつつ   鳥羽省三


(アンタレス)
〇  凄まじき地震のテレビ揺れるなか南天の朱実春光に映ゆ

 本作に接して、愚かにも評者の私は、「凄まじき地震のテレビ揺れるなか」を「凄まじき地震にテレビの揺れるなか」とした方が宜しいかと思ったりもしたのである。
 だが、よくよく考えてみると、本作の作者・アンタレスさんの意図としては、ただ単なる電化製品としての「テレビ」が「凄まじき地震」に因って「揺れるなか」を「南天の朱実」が「春光」に映えている有様をお詠みになったのではなくて、「凄まじき地震」の有様を映した「テレビ」が「揺れて」いる「なか」を「南天の朱実」が「春光」に映えている様子をお詠みになったのでありましょう。
 「凄まじき地震のテレビ揺れるなか」という三句は、それらのことを十分にご意識なさったうえでの表現かどうかは判りませんが、仮に、無意識の中での表現であったとしても、巧まずして極めて適切な言い方をしたことになりましょう。
 作者・アンタレスさんの日頃の研鑽の跡が偲ばれる佳作でありましょう。
 難点を一つだけ述べさせていただきますと、東日本大震災が発生したのは、昨年の三月十一日のことであり、三月十一日と言えば、あちらこちらから花便りが聴かれる頃である。
 一方の「南天」は、従来の歳時記に於いて、「南天の花」は「夏の季語」に分類され、「南天の実」は「秋の季語」に分類されている。
 また、現代俳句協会発行の『現代俳句歳時記』に於いては、「南天」は「南天の実」及び「白南天」と共に「冬」「新年」の季語に分類されている。
 昨年の三月十一日の午後、あの荒れ狂う東日本大震災の最中に、本作の作者・アンタレスさんのお宅の庭では、人間界の悲惨な大騒動を他所に、「南天の朱実春光に映ゆ」という長閑な光景が確かに展開されていたことではありましょう。
 しかしながら、「南天の朱実」という季節感にそぐわないものを、東日本大震災の有様と組み合わせざるを得なかった点は、真に惜しまれる点かと、私には思われます。
 〔返〕  震災もメルトダウンも既に見き見るべき程の事をば見つる   鳥羽省三


(猫丘ひこ乃)
〇  朝採りのトマトは昨日の夕焼けの朱を全身で語っておりぬ   ※昨日:きぞ

 作中の「全身」は、「さながら」或いは「総身で」となさったらいかがでありましょうか?
 また、末尾に文語の完了の助動詞「ぬ」を置いた本作は、その全重量が末尾の「ぬ」に掛って来るのであるから、「おりぬ」を「をりぬ」とする必要がありましょう。
 〔返〕  朝摘みの苺一顆が身に纏ふ昨日の夕焼け宵のオリオン   鳥羽省三


(砂乃)
〇  肉厚な朱色の花を咲かせたるザクロは棘を孕んで揺れる

 作者の思い入れとは別に、案外、底の浅い作品である。
 要するに、俗に謂う「美しい花には棘が在る」という諺から発想し、目前に在るのが「ザクロ」なので、「肉厚な朱色の花を咲かせたるザクロは棘を孕んで揺れる」としただけのことでありましょう。
 「ザクロ」の「花」には、作者の仰る通り「肉厚な」感じはありますが、それ以上に特徴的なのは、真夏に咲く真っ赤な花であるのにも関わらず、爽やかで清潔な感じがする点である。
 それだけに、「肉厚」で「棘を孕んで揺れる」といったような感じ、つまり毒婦的な感じはせず、むしろ、アメリカの西海岸的な感じ、或いは、南ヨーロッパ的な感じを醸し出しているのである。
 また、「肉厚な朱色の花」が「棘を孕んで揺れる」のは、極めて当然なことでありましょう。
 あまりにも作り過ぎてはいけません。
 砂乃さんらしからぬことをしてはいけません。
 〔返〕  今朝見れば霜を置きたる紫蘇の花ちぎって嗅げば紫蘇の香のする   鳥羽省三


(伏木田遊戯)
〇  息絶える間際の痩せた犬のため花ゆれていよ朱雀大路に

 平安末期か応仁の乱の頃の洛中洛外風景の一齣でありましょうか?
 〔返〕  息堪ゆる間際の痩せし国のためミサイル一発天空に放て   鳥羽省三

一首を切り裂く(075:朱・其のⅠ・根本大塔の朱のおぼろなる)

2012年04月02日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  霧深く杉の木立に雨降れば根本大塔の朱のおぼろなる

 作中の「根本大塔」とは、弘法大師空海上人及びその弟子であり甥でもある高野山第二世真然大徳に拠って、真言密教の根本道場として建立されたと伝えられている、高野山・金剛峰寺の「根本大塔」を指して言うのでありましよう。
 創建当時の建物は火災に拠って既に失われており、現在の「根本大塔」は、昭和十二年に「空海入定1100年」を記念して建立された鉄筋コンクリート造りの建物である。
 樹齢数百年の「杉」の大樹の「木立」を隠すようにして「深く」立ち込めた「霧」に濡れながら参道を行く時、前面に現れる「根本大塔」の「朱」は、「霧」に洗われたようにして「おぼろ」に霞んで見えるのでありましょうか?
 〔返〕  胎蔵界大日如来像を中にして金剛界四仏像の厳めしさ   鳥羽省三
      塔内の円き柱に描かれた仏画は堂本印象画伯の筆なり


(飯田彩乃)
〇  眦に凛と朱を引くお望みとあらば妾(わらわ)は聖にも邪にも

 「眦に凛と朱を引く」飯田彩乃さん。
 「お望みとあらば妾(わらわ)は聖にも邪にも」(ならむ)と、粋がって居られますが、作中の「妾」を「めかけ」と読まれたらたまらないので、「わらわ」と振り仮名を施したのでありましょう。
 「眦に凛と朱」を引き「お望みとあらば妾は聖にも邪にも」なろうとのお覚悟をなされたご立派な女性が、作中の「妾」の一字を「わらわ」と読まれようが「めかけ」と読まれようが、本質的にはあまり関係ないことではありませんか?
 覚悟が足りませんよ!
 〔返〕  <処女・彩乃> 眦を凛と朱に引いて聖にも邪にもならむと嘯く   鳥羽省三


(野州)
〇  朱の橋を渡る少女を遮って両手を広げていた夏休み

 本作の作者・野州さんの幼少年期のお住まいは、栃木県日光町であったのでしょうか?
 〔返〕  数多き日光名所の一つにて朱塗りの橋を今も忘れず   鳥羽省三